第1章8話 遊び人が現れた!
ほぼザッくん一人称視点です。
ルーカスの用意した実験材料はすでに使い果たしていた為、材料が揃ったらまた実験するという事になり今日はお開きになった。
これから魔法陣を撤去する作業を行うと言うことで、二人はそのまま校庭で別れた。
――後片付けを手伝うと申し上げたのですか、何故か断られてしまったんですよね。
突然、気恥ずかしくなってきたルーカスが申し出を頑なに断わって追い返したのだが、ラズはよく分かっていなかった。
そんなこんなで現在は結局当初の予定通り図書館に向かっている。
図書館に至る外廊下の脇には花の綺麗な低木や手入れされた花壇があり、花の咲く時期は大層見応えがある。ラズは花を見るのも育てるのも好きなので、どうにかして自分で花を植えるスペースを貸してもらう方法が無いかと真剣に考えていた。
普通科では農業の専攻者が実験用に作った小さな畑を保有していたりするので、学院と協議を行えば不可能では無いのかもしれないが聖女がそういった事を言い出せば難色を示されるのは目に見えている。
そんな事を考えている内に図書館の入り口に到着した。
図書館は中央棟に組み込まれているが入り口は中央棟の中には存在していない。貴重な書物の勝手な持ち出しを防ぐ為に厳重な入り口を建物の外側に設けており、両脇には常に守衛が構えている。特に重要な内容の禁書は地下の保管庫にあると言われており、王家から預かっている本もあると言う話まであった。王都で最も本の多い場所でもある。
入り口の仰々しい扉を潜ると、すぐにまたもう1枚の扉がありそれも潜るとようやく中にたどり着く。
本の匂いと木の匂いが混じった独特の香りが鼻腔をくすぐる。館内の空気を吸っただけでラズは既にニヤニヤしていた。
建物の中は吹き抜けになっており、2階や3階からラズのいるロビーが見下ろせるようになっている。各階へは石造りの螺旋階段で繋がっていた。
天井には金色に輝く意匠が散りばめられており、ラズが乗ってきた馬車よりも大きなシャンデリアが雄大な館内をはっきりと照らしていた。
――これはお目当ての本を自力で見つけるのも中々骨が折れそうですね。卒業迄に何冊読破できるでしょうか?
見渡す限り本の山であり、童話から医術書に至るまで幅広いジャンルの書物がところ狭しと並んでいる。
どこから手を付けるかも悩ましかったが、やはり貴族の令嬢らしく恋愛小説から読み漁る事にしたラズはまずお目当てのコーナーを探すことにした。
もちろんカウンターで司書に尋ねればすぐに教えてくれるのだが、館内を探険したい欲求に駆られたラズは自分で見つける事を選択した。各本棚や通路にジャンルが書かれているので、いずれ辿り着くことが出来るはずだ。
――こっちは生物コーナーでこっちは星のコーナーですか。ああ、あの本開きたいです……しかし、恋愛小説を一番初めに読むと決めてしまいましたし……とはいえ、『クラーケンの飼い方』とかもうタイトルからしてたまりませんよ! ですが、ここはお嬢様らしく恋愛小説から行くのが王道……
……いずれ、辿り着くはずだ。
「う〜ん、ここがこうなってるからこの数字を入れると……あれ、おかしい? ん〜、え〜?」
大型魔物コーナーでラズの頭の中にいるプチラズさんが壮絶な葛藤をしていると連なる書架の奥の方から何かに悪戦苦闘する声が聞こえてきた。
「おや〜? どなたかいらっしゃるようですね」
気になったラズが裏に回り込んで様子を見ると、そこには読書用に置いてある机で見覚えのある青年が頭を抱えながら教科書とにらめっこしていた。癖のある常盤色の髪をくしゃくしゃと掻きむしっていることから進捗は難航しているようだ。
今日出された数学の課題に取り組んでいることからクラスメートなのだろう。ちなみにラズは配られた瞬間に解いてしまったので既に終わっている。
――宿題に苦戦されているという訳ですか。……あれ? ちょっと待ってください。宿題は皆でわいわいとおしゃべりしながらやった方が楽しかったのでは? 何ということでしょう。その方が絶対に学生生活らしくて良かったです。ああ、全て一瞬で終わらせてしまいました。
課題を出した方も終わらせた事を後悔する学生がいるとは思わなかった事だろう。もっとも前世の知識もあるラズにとってはさほど難しい問題では無かったので当然の結果である。
――ああ、素敵な学生ライフが……一緒に紅茶を飲みながらお菓子を食べたり、勉強を教え……あったり? あああ! その手がありました。自分の宿題が終わっていたとしても、人のを手伝ってさしあげれば何の問題もありません。そうと決まれば突撃あるのみです!
「あの、何かお困りでしたか?」
麗しい淑女に擬態したラズが悩める青年に声を掛けるのだった。
☆
ボクの生まれたマグヌス家は由緒正しき公爵の地位にある。王家に次ぐ立場と裕福な領地を持ち、歴史を紐解けば国の発展へ常に寄与し続けて来た。
そのマグヌスの次期当主は長男であるボクだ。
でもはっきり言って自分で向いていないと思う。
優秀な弟達も居るから「ボクが当主じゃ無くてもいいんじゃない」って遠回しに言ってみたけど父さんは「アイザック、私はお前がいいと思っているよ」の一点張りだった。勉強も出来なければ剣も得意じゃ無いボクに何を期待しているのか教えてはくれない。
別に全部がダメって訳じゃない。ただ好きな事、得意な事が領地を治めるのにまったく必要の無いものばっかりってだけで。
まず音楽が好きだ。ピアノもヴァイオリンも得意で、名のある音楽家に褒められた事もある。
美術も好きだ。無心で絵を描いている時間と描き上がった時の達成感を得たくて沢山描いた。使用人に頼んでこっそり街の商人に売ってもらったら、それなりの値段になった時は絵の価値が認められて嬉しかった。
山に行って狩りをするのも好きだ。一心不乱に獲物を追いかけている内に、弓の腕前が凄く上がっていった。
得意な事も沢山ある。けど、どれもこれも公爵という立場の者に求められるものではない。
子供の頃は何も気にしていなかったが、自分の立場を自覚した時に気が付いたら常に重たい岩が肩に乗っているような気持ちになっていった。
今もそうだ。不得意な科目の課題に必死で取り組んでいるが何の展望も見えてこない。かと言って勉強が出来ない次期当主というのを露見する訳にもいかない。酷い成績でも残そうものなら、公爵家の名に傷がつく。
わざわざ人のいない机を探して一人で勉強しているのもその為だ。1番最初の課題で頭を抱えている姿を見られたら「こんな問題もわからないのか」と後ろ指を刺される事は必須だろう。
本当は部屋で勉強すればいいんだろうけど、遊んじゃうんだよね……
――でも、まいったなぁ。答えが合っているかを確認できなければ、解けても安心出来やしない。けど答えをさり気なく聞けるような友達はいないし……
「あの、何かお困りでしたか?」
後ろを振り返るとそこには桜色の髪をした、甘い香りのする令嬢が立っていた。今日の講義でも目立っていた聖女その人だ。
全く気が付かなかった。唸っているところを見られてしまったようだ。
というか、彼女はどうしてこんな所にいるのだろうか。大型魔物に関する書架の最奥にある書物なんて、訳のわからない本ばかりだ。
ほら、あそこにある「野生のフェンリルと仲良くなろう」とかタイトルだけで命がいくつあっても足り無さそうじゃないか。
とりあえず、今は彼女に何と答えるかだ。
自力で解いてこそ身になるだろうし断るべきだと思ったが、それが出来ないから困ってるんだよね。
……いっその事、素直に勉強を教えて下さいって頼んでみようか。そうだ。ついでにボクの頭が悪い事は内緒にしてもらおう。
彼女は悪い人では無さそうだしきっと約束を守ってくれるはずだ。
「実は……今日の算術の課題が難しくて。もし良かったら、ボクに解き方を教えて貰えないかな?」
教えてくれるだろうかと、少し不安になった。けれど造られた彫刻のように美しい聖女ラズマリア様の顔は何故か溢れんばかりの笑顔に変わった。
「もちろんです。わたくしでよろしければお手伝い致しますわ。さあ、どうぞ何でもお聞きくださいませ」
素早く隣の椅子に座るとぐいぐい前のめり気味に迫って来る。
――ち、近いし……これは目に毒だ!?
制服越しにもわかる豊かな胸が全面に押し出されていた。
「え、えっと、この問題なんだけど……」
慌てて目線を課題の用紙に戻し、わからなかった問題を指差すと、彼女もそちらに注目してくれた。
「負の数の四則演算ですか」
「うん。マイナスをマイナスするとマイナスが大きくなるのはわかるんだけどマイナスにマイナスをかけると何でプラスなんだろうかなって」
彼女はボクの言葉を聞き終えると笑ったりせずに真剣な面持ちで腕を組んでいた。どうやって教えようか考えてくれてるみたいだ。
「ゲームで考える事に致しましょう。掛ける数字のプラスを勝ち、マイナスを負けとします。そして、掛けられる数字を金貨にしましょう」
「うん!」
おお、ゲームで考えると言われると俄然興味が湧いてくる。勝敗と金貨ならポーカーやブラックジャックみたいな賭け事って感じだ。
「勝ったほうが金貨2枚を得るゲームに3回負けたら、金貨2枚かけるマイナス3で結果はマイナス6です。ここまでは大丈夫ですか?」
「うん。今6枚すった!」
「次に勝ったほうが金貨2枚払うゲームに2回負けたら、何枚になりますか?」
「ええと、勝ったほうが払うから2回負けると、4枚貰える!」
「正解です。ほらマイナスにマイナスをかければプラスになりましたよ」
「あ……ホントだ。なんかわかった気がするよ。だからこの問題はここがプラスでここがマイナスだから3?」
「はい、あってますよ。バッチリです!」
解けてしまった。領地で勉強したときは全くわからなくて家庭教師の先生も根を上げてしまったのに。もしかして、興味のある事だと頭に入ってきやすいのかも。
「君は教えるのが本当に上手だ。こっちの問題も教えてよ。割算もプラスに変わるけどこれはどうしてなの?」
「割算も同じように勝ち負けでいいと思いますよ。ただし割算は何人かで協力して勝負したと考えましょう。3割るマイナス3なら勝てば金貨を貰うルールで3人が負けたことになります。1人あたり1枚の金貨を払うので答えはマイナス1です」
「なるほど。この問題だとは勝ったら払うルールに5人で負けて10枚貰うんだから1人あたりプラスの2だ!」
「大正解です。もうこれで完璧ですね」
「何度教えてもらっても全くわからなかったのに、こんなにすぐ解けるとは思わなかったよ。本当にありがとう。実はあってるのか間違ってるのかもわからなかったんだ。算術は特に苦手だったから」
いままで悩んでいた事が何かに置き換えるだけで全然難しくないなんて想像もしなかったなぁ……
これなら問題無く来週の講義に提出できそうだ。
「どう致しましてです。もしかして……勉強するのはお嫌いですか?」
彼女はきっと嫌いでは無いのだろうなと思うけど、自分がどうかと聞かれるとよくわからない。勉強はやらなくてはいけないものという印象が強くて好きか嫌いかと言われるとどちらなのだろうか。
「よくわからない……かな。ただ、好きな事はいっぱいあるから、やりたい事が多くて困ってるんだよね」
「ああ、それはとってもよくわかります! 何からやるかも悩んでしまいますよね。貴方は何がお好きなんですか?」
再び前のめりになって訪ねてくる。彼女は人との距離が近いというか無防備というか、容姿端麗な自身がどれほど目を引くかという自覚に欠いているみたいだ。
ボクでさえ少し話しただけで熱烈にアプローチしてくるような令嬢も中にはいたし、有力な貴族ともなれば男ですら他者の目線に神経を尖らせて過ごしている。彼女はある意味で凄く自由に生きているのだろう。
「音楽、芸術、文学あとは狩りとかかな」
「ハンティングですか〜。わたくしやった事が無いのですが、どのようなものなのでしょうか?」
芸術や音楽が似合いそうな彼女だが意外にも狩猟に反応を示した。女性は大抵興味が無いので少し嬉しくなる。
「狩りは山や森の中に入って綺麗な毛皮だったり肉になる動物を弓矢で仕留めて、大きさや数を競うんだ。とった獲物は剥製にしたり、晩餐に並べて振舞う感じだよ」
先月行ってきたばかりなのにひどく懐かしく感じる。学院に居たら狩猟に繰り出すことは難しいのでなんだか少し寂しいかな。
「いつかわたくしも是非やってみたいですが、弓矢を扱うのは時間が掛かりそうですね。夏休みになったら領地で特訓してみます」
「いいね。今度一緒に行こうよ」
しまった。きっと話を合わせてくれただけなのに、令嬢を狩りに誘うなんて言語道断だった。ボクがこんなこと言ったら断りづらいだろうし。つい話しやすくて、余計な事を言ってしまった。
でもボクが思っていた反応と彼女は違った。
「はい。わたくしきっと上手くなりますので是非参りましょう」
嫌な顔は欠片もせず、反対に微笑まれた。
……これは本当に誘っても大丈夫だったりする?
だとしたら彼女は凄いな。きっと何にでも挑戦できる勇気をもった人なんだ。
対してボクは自分のやれる事しか出来ない。失敗するのが怖い。だから、何となく劣等感を感じてしまって、また余計な事を言ってしまった。
「やりたい事がいっぱいあるけど、ボクは次期公爵だから夏休みもやらなくちゃいけない事がきっとたくさんあるんだろうな」
「まあ、公爵を継がれる予定なのですね」
「長男だからってだけなんだけどね。でも人を纏めて統治するなんて出来る気がしないんだよね。領地が大きいから街や村もいっぱいあって、そのリーダーなんてボクには向いてないさ」
貴族社会においては派閥のトップであり、領主としての仕事も抱えている。また、場合によっては王家への進言も行うことも稀にだがある。そんな立場が役割が本当に自分に務まるとはとても思えない。
「確かに大変かもしれませんが、わたくしは羨ましいと思います。街も村もやり方次第でずっと良い形に発展するでしょうし、上手く行けば好きな街を自分の手で作れてしまう、なんてこともできちゃうじゃないですか。都市開発を主導するなんて領地を持つ方にしかできない事ですから」
そんな、自分で街を作るなんて……
あれ、意外と楽しそう?
例えば音楽や芸術に特化した地区を作っていつ行っても賑やかで楽しい街とか、色んな外国の食べ物が楽しめる街なんかも良さそうだ。
そうなると、土木や建築、経済の知識だとか他国語なんかも必要だ。けど、ある程度までボクが理解できれば専門の人間を捕まえて働いて貰えばいいか。てことは人脈も必要だ。幅広く貴族の伝手を使って探してもらうのも手だ。
王家にも話を通す必要があるだろう。幸いギルバート殿下が同級生なのだから、コネクションを今の内に作っておくべきだね。
ん?
まさにこれって父さんがやってる仕事みたいだぞ?
そういえば、父さんはいつも領地の話をしていた。今年の作物の収穫は多そうだとか街に新しいお店が出来た事とか。子供の頃に「私達貴族の役割は領民を幸せにする事なんだよ。その為に頑張らなくてはいけないんだ」って楽しそうに教えてくれた事を思い出した。
ずっと、当主にならなくちゃって思い込んでいたけど、今は当主になりたいって生まれて初めて思っている。
もしかして、父さんはボクが自分から当主になりたいって言うのを待っていたのかな。そうだとしたら、父さんの期待に応えたいな。
「ああ、君の言うとおりだよ。君は……本当に凄いや!」
思わず笑みがこぼれてしまった。でも、仕方がないよ。こんなにスッキリとした気持ちになったのはいつ以来かな。今なら何でも出来る気がするよ。
「わたくしが凄い……ですか?」
こっちが何を言ってるのかわからずに彼女は首を傾げていたが、ボクは構わずそのまま言いたい事を告げることにした。
「ああ、とってもね。ここでラズマリアさんに会えて本当にボクは幸運だと思っているよ」
「はい。わたくしもお会い出来て良かったです。えっと、アイザック様……でしたよね?」
驚いた。挨拶はまだなのに、良くボクの名前を知ってるなあ。授業で名前を呼ばれたのを覚えていたのだろう。入学パーティでは列に並ぶのが面倒だからと空くの待ってたら、なんか修羅場になってたから顔合わせてないし。
「うん。でも、ザックって呼んで欲しいな。親しい人はみんなそう呼ぶんだ」
「わかりました。では、ザック様はわたくしの事をラズとお呼びくださいませ」
「ラズ! いいね。可愛い名前だ」
「か、かわいいなどと仰られますと照れてしまいますよ」
そういえば、殿下から手へキスされただけで激しく狼狽するほどの箱入り娘だったね、ラズ。その割には、狩猟に誘っても臆することはない胆力を持ってるし、ホントに面白い人だ。
……でも思ったまま伝えたら大変な事になりそうだから少し控えめの表現で行こう。
「今日は本当に助かったよ。一人ならきっとまだ終わってなかった。また勉強教えてくれる?」
「はい。任せてください。あっ、でも……」
「ん? なんだい?」
もっと予習して来いとかかな……
うん、ごもっともだ!
ラズと勉強するのは楽しかったから、そうだとしたら頑張ろう。
でも内容は全然違った。
「次は紅茶とお菓子をいただきながらがいいです!」
「ふふふ、それは名案だね。とっておきの紅茶を用意しよう!」
訂正。ラズと一緒にいるだけで楽しい!
その後予定には無かったけど色々な分野の本を借りてからボク達は寮に帰った。つまらないと思ってた専門書が今のボクには煌めく宝石のように見えた。




