第1章7話 魔法使いが現れた!
後半からルーさんの一人称視点です
学院のカリキュラムは濃密で入学式の翌日から早くも授業が開始する。魔法科の新入生は緊張した面持ちで講義を受け、忙しなく追加される板書を必死に写していた。
内容が濃くて情報量も膨大なので頭の中が既に飽和している者も少なくない。
だが、反対に余裕を感じられる者もごく一握りであるが存在した。
その中の一人が聖女ラズマリアである。
新入生を絶賛苦しめている現在の科目は歴史であるが、広く深くが方針の聖女教育により専門課程に至るまでの内容を終えているラズにとっては復習にもならない。
というより、この科目に限らず卒業に必要な教養はほとんど修了している為、講義から学ぶ事は皆無だ。
その彼女が何故学院に来ているかと言うと、そこは大人の事情がある。
まず卒業してくれるだけで学院に箔が付く。これまで王族の卒業生はそれなりにいるが、聖女となると初になる。また、学院には他国からの留学生も居るため、聖女を見せつけてやりたいというのもある。もちろん物理的な話では無く、光魔法による治癒の力と相応しい品格を兼ね備えた聖女が我が国に居ますよという広告である。
とは言え、ノートはおろか教科書すら必要の無い学生というのは教師からするとすこぶる扱い辛い存在である。現在皆の前で教壇に立つ髪の薄い男性……アルボル教授はその扱い辛いラズの方を見て目を細めた。
今年娘が10歳になりすっかりと中年になってしまったが、歴史学への想いは若い頃と何も変わっていない。だから、真面目に取り組まない学生には厳しく指導することでも有名な教授である。
「さて、ここまでオルヴィエートの新興時代……つまりは建国して間もなくから基盤を固めるに至るまで出来事について大きなものに触れた訳だが、オリハルクス嬢。聖歴31年に何があったかわかるかね」
教科書を片手で持ちながら、もう片方の手で眼鏡をくいっと持ち上げる。痺れを切らした彼はラズの実力を測りにかかった。
「はい、先生。聖歴31年6月に王国領へ攻め入ってきた旧レガルテ帝国の大隊と王国軍の6割が激突するカパンドラの大戦が勃発しました。この戦いでは国王陛下自ら出陣されたと記録が残されています」
教科書を開くこともなくスラスラと答えると、ラズはにっこりと笑った。だが、これくらいは全学院生が学ぶ内容でもあり、さほど難しい質問でもない。
「……よろしい。ならばこの戦において最も武功を上げたものはわかるかね」
今度は専門課程で学ぶ範囲からの出題であった、ラズの顔に迷いはない。
「テラティア伯爵……当時子爵です」
「え、ウチのご先祖様戦場に出た事あったの?」
疑問の声を上げたのは自分の家の歴史すらあんまり知らない王太子妃(仮)のエリーゼである。人の家の歴史もよく知ってるラズはそれにもついでに答えた。
「テラティア家が出陣されたのはこの戦を含めて2回ありますよ」
「では、大戦にてテラティア家の上げた武功の内容を解説したまえ」
「帝国が本陣を敷いた丘は堅固な砦と化しており、攻め込めば甚大な被害を出す可能性が高い状況でした。そこでテラティア子爵自らが地下に土魔法でトンネルを作り出し、敵総大将以下主要な敵将を地の底に引き摺りこみました。ちょうど軍議を行っていたタイミングでこの一手が決まると、帝国軍は潰走して王国の大勝で幕引きとなりました。テラティア家はこの手柄が認められて伯爵へ陞爵されています」
「なんか予想通りの地味な活躍ね。まあ、代々土属性の家系だから、そもそも正面からの戦いには向かないでしょうけど」
エリーゼが自虐的に言うとアルボル教授がピクリと反応する。
「いや、軍が通れる程のトンネルを構築できる使い手は歴史を紐解いてもそういないのだ。その際に掘られた空洞が今も残っており、実際に見れば感動を覚える程の規模だよ、テラティア嬢」
「そ、そうでございましたか、先生。失礼致しました」
「なんて素晴らしいのでしょうか。わたくしも是非行ってみたいですね」
目をキラキラさせ、うっとりとした表情で数百年前に魔法で掘られた穴を歩く想像で胸を膨らませるラズに教授も満足そうに頷く。
「うむ。間違い無く一見の価値がある」
なにを隠そうラズは歴女でもあった。戦史も涎が出る程の大好物でこの講義で用いる教科書など既に隅々に至るまで5度は読んでいる。
だから、アルボル教授も途中で気が付いてしまった。
……こいつは同類だと。
「ちなみに、他にもテラティア家は沢山のご活躍を残されてますよ、エリーゼ様」
「なんでそんなにウチの歴史にまで詳しいのよ!?」
「聖女ですから!」
ラズがノートを取らなかったことで、結果的にエリーゼが無知を晒すハメになった。しかし、それよりも他の学生達はアルボル教授の方に注目していた。
彼は数多の学生の中でラズだけをしっかりと見つめていた。
「オリハルクス嬢……どうやら君に私の授業は不要の様だ。単位は与えるので、次回から来なくとも良い」
「いいえ、先生。わたくし歴史が好きなのです。ですからお話を聞かせていただけるだけでとても有意義な時間ですわ。また来週もどうぞよろしくお願い致します」
「……よかろう。好きにしたまえ」
教授が薄っすらと笑うのと同時に講義の終わりを告げる鐘が鳴り響いていた。どうやらラズの実力は認められたらしい。
「テラティア嬢は次回までによく自習しておくように。授業の初めに確認するから手を抜くでないぞ」
「あっ、はい……」
そして、矛先がエリーゼに変わった。
授業を終えたアルボル教授が早足で講義室から退室するのを見送った後、微妙な空気になった講義室から学生達は逃げるように退室していく。
呆然と立ち尽くすエリーゼの顔を覗き込みながらラズが尋ねた。
「あ、エリさんはこの後何かご用事ありますか?」
「アンタのせいでたった今出来たわよ!」
元はといえば勉強をサボった自分が悪いのだがプリプリと怒りだしたエリーゼは乱暴に教科書を鞄に突っ込むと、大股で歩いて去っていってしまった。
「むむ、エリさんに怒られてしまいました。二人でお茶でもどうかと思いましたが、図書館にでも行きますか」
前世を通じて学校に行った経験の無かったラズは初めての放課後はまったり楽しくお嬢様らしく過ごそうと心に決めていた。その点彼女にとって図書館は最適である。
一人講義室から出て、他の科に比べると明らかに頑丈そうな見た目の魔法科棟を後にして外廊下に出る。ほぼすべての建物とこの外廊下は繋がっているので雨の日も傘を持たずに歩けて便利である。
図書館は学院の中央棟に附随しており、初日に入った大講堂やダンスホールもそこにある。領地にあった書庫とは比較にならないほどの蔵書があると兄から聞かされていたので、期待を膨らませていたラズはうきうきしながら歩いていた。
「ん〜? あれは何をされているのでしょうか?」
図書館の入口に向かう途中にある開けた校庭でペンキのような物を仏頂面の少年が地面に塗りたくっている。
――前世の漫画で見たようなヤンキーさんがこの世界にもいらっしゃるのでしょうか。でも、見た目はどちらかと言うといじめられっ子みたいですねぇ。
黒い髪に黒いローブと眼鏡という美少年で、手に持っているのが大きな筆では無く書物であれば違和感も無かっただったろうに。
ラズは少しだけ近付いて様子を見ることにした。
距離が短くなるにつれてはっきりと見えて来たのは、地面に大量に描かれた魔法陣であった。
――ああ、これは……この魔法陣はいけません。まずいやつです。
ラズは魔法陣を読むことが出来た。聖女教育の中でも極めて難しい学問であり、前世の知識で言うとデザインとプログラミングを足したような内容である。
彼を止めるために珍しく険しい表情をしたラズは声を掛けることにした。
☆
魔法陣を描くのは昔から得意だ。クワットル家ではあらゆる魔法の知識を学院の入学前から学び、魔法陣はその一環としておまけで教えられただけのものだったが幼い頃の僕はその虜になっていった。
魔法使いが魔法を使う手段は詠唱が一般的だ。魔法陣はかなり精確に刻まなくてはならない上に、発動には魔石など材料が必要になる。しかも書き上げたその一つの魔法しか使えない。
その点詠唱は唱えるだけで勝手に使用したい魔法陣が出来上がって魔法が発動する。
では魔法陣に何のメリットがあるのかというと、それは汎用性である。魔法使いで無くても扱えるというのが非常に大きな利点である。また、金属等の強い素材に刻むことで繰り返し使えるのでマジックアイテムを作ることも出来る。
しかし、残念ながらこの魔法陣の分野は間接的な問題を抱えている。自らの特権を奪う事になる魔法陣の開発は魔法使いから敬遠されてきた。だから大きな発展余地を残しながら、停滞しているのが現状だ。
だから、僕が……このルーカス・クワットルが魔法陣の分野を百年先に進めるつもりだ。
今行っている実験もその一環だ。魔力親和性のある銀の粉末を混ぜた塗料で魔力を込めながら魔法陣を描いてようやく完成した。後は魔石を使って陣を起動させるだけ、というところで不意に声を掛けられる。
「ここで何をしていらっしゃるのですか?」
ちらりと一瞥すると桜色の髪と目を持つ女が一人で立っていたが、すぐに作業に目を戻す。よく覚えていないが、たぶん面識は無い。
同世代とは話も合わないし興味も無いので覚える必要も無い。たまに僕をよく知らない令嬢が家柄だけ見て声を掛けてくることはあるが、延々と魔術や魔法について問い掛けると全員逃げていった。
コイツもきっと同じだろうし、相手をする時間が惜しい。
「どうせお前の頭では話しても理解出来ないだろう。僕は忙しいから、さっさと消えろ」
大抵の令嬢はこの一言で不快そうに居なくなる。便利な言葉だと僕は思っている。
ところが彼女は眉一つ動かすことなく、もう一度同じ事を行った。
「たった一人で火と風の魔法陣を沢山並べて、何をしていらっしゃるのですか?」
「……なんだと?」
それも、今度は質問の理由を添えてだ。
思わず顔を上げてしまった。彼女の指摘通り作成していたのは風と火の魔法陣である。
魔法には四大属性と呼ばれる系統に分かれており、火水風土に分類される。
火属性は威力は高いが魔力消費が大きく、詠唱も長い。
水属性はバランスのいい分器用貧乏なところがある。
風属性は発動が速く、魔力消費も少ないものの低威力だ。
土属性はすべて高水準のポテンシャルを持ちながら発動開始から効果発現までが長い為狙うのが難しいという欠点がある。
属性は使い手との相性も存在しており、大抵は1属性使えればいいほうだ。稀に複数の魔法が使える者もいる。
二つなら『デュオ』、三つなら『トリオ』、四つなら『カルテット』と呼ばれる。
クワットル家は複数属性の使い手が多く現れる家系でかくいう僕も4属性すべて使える『カルテット』だ。
現在王国で『カルテット』は僕しかいない。
そして複数属性の使い手の中でもさらに稀少なのが複合魔法の術者だ。
複合魔法は風と水を同時に発動して雷の系統へと変化させたり、土と水で植物を操る魔法を使うなど運用の幅を格段に拡げる技術だ。これを魔法陣で実現する事が出来れば、文字通り世界が変わる発明になる。
例えば火と風の複合魔法は爆発を生むがこれを鉱石の採掘場に用いれば、圧倒的な作業効率に変わるだろうし、水と土の複合魔法であれば農林業の生産性が劇的に向上するはずだ。
僕は崇高な研究をしていると自負している。
だが、この魔法陣をひたすら刻んだ地面を見ただけで自分と同じ年頃の学生にそれが理解できるとは思えない。そもそも魔法陣が読めるだけでも有り得ないことだ。
……学ぶ必要が無いと言われているから。
「お前……まさか魔法陣が読めるのか?」
「ええ、読めますわ。これでも5年は魔術の勉強もしておりますので、それぐらいは基礎の範疇でございましょう。それよりも何故このような危険な事をなさっているのですか?」
現在地面に設置した魔法陣は『火球』と『風球』の二つで威力は攻撃魔法の中でも最弱。しかも地に描いてあるので発動後は空に打ち上げられ、彼女が言うような危険性は無い。
となるとこいつは僕が魔法陣で複合魔法を発動させようとしているのを理解しているというのか。
あるいは……だから止めさせようとしていると言うのもあり得る。こいつもまた「魔法は貴族の特権」と主張して妨害するつもりかもしれない。
「これは僕にとって必要な実験だ。お前には関係無い」
「いいえ。暴発の可能性も否定出来ない以上わたくしは見逃す訳には参りません。せめて水属性と土属性で試されるべきですわ。火と風の複合魔法の効果は爆発。失敗すれば最も危険なのは貴方ではありませんか。わかっているのですか?」
凛とした表情でゆっくりと喋ってはいるが心無しか彼女が怒っているように見えた。今までこのような反応を見せた人物は僕が覚えている限りいなかったと思う。
「……完全に止めろとは言わないのか?」
「ん? そこまで申し上げるつもりはございませんよ。……そもそも、お止めになるつもりもないのですよね?」
「当然だ。複合式魔法陣を完成させるには実験を重ねるしかないのだから、こんなところで立ち止まるつもりは毛頭ない」
この女はどうやら僕の心配をしていたらしい。余計なお世話だ、と言いたい所だけどその可能性は頭からすっぽりと抜け落ちていた。もし失敗すれば確かに大惨事だ。
家ではさせてもらえなかった実験にようやく着手出来たというのに自爆で頓挫など忌むべき事態に他ならない。僕が最も得意だから火と風にしたが次回から安全も考慮した実験にしなくては!
いや、いい。それはひとまず置いておこう。
問題はなぜそんな簡単なことに気付かなかったかだ。
そういえば……どうせ否定されるからと他人に目を向けなくなったが、それに合わせて自分にも目を向け無くなっていたのかもしれない。
どうやら彼女は他の貴族とは違って魔法陣の発展を疎んではいないように思える。そう思うとふと気になった事がある。この研究がもし上手くいって実用化したら、彼女なら何をするのだろうか。
人の事を気にしたのはすごく久しぶりな気がする。ぜひ、聞いてみたい。
「もし、魔法陣による複合魔法が成功したらお前ならどうする?」
軽く首を傾げた後腕を組んだ彼女は難しい顔をして少し考えてから、ハッとした表情を浮かべた。黙っていれば深窓の令嬢といった見た目よりもどうやらずっと忙しい性格をしているらしい。
「わたくしであれば、氷属性を用いた冷蔵庫のマジックアイテムを作りますね!」
「冷蔵庫?」
「はい。物を冷やす道具です。きっと冷たくて美味しい紅茶が飲めたらみんな喜びますよ」
高貴な血筋にのみ与えられる力、などと宣う者までいる魔法をただ紅茶を冷やす為だけに使うなどと言うのは中々に愉快だ。
家族にさえ反対され続けた考えをこんなに簡単に肯定してくれたのは彼女が生まれて初めてだ。
――みんなを喜ばせる為に作る。僕には無かった発想だ。産業の効率化もそうだったが生活を豊かにする事も出来るはずだ。でも、複合式魔法陣のマジックアイテムを開発する段に至れば、そういった考えがむしろ重要になるはずだ。だから、いつか人を知らなくては……人と向き合わなければならないのかもしれない。
「わかった……お前の言うとおり火と風で魔法陣を開発するのは止める。だから、僕の実験に協力しろ。お前の考えが必要だ」
――しまった。言い方を間違えた気がする。モノを頼む態度では無かった。気を悪くして断られたらどうしようか。やばい。人と話してるだけで、こんなに緊張するのは初めてだ。
「はい。いいですよ〜。なんか面白そうですし。わたくしも魔術が好きなんですよ。魔法はやっぱり浪漫がありますよね!」
怒っていた時の張り詰めたような雰囲気は既にすっかり霧散しており、彼女は能天気な印象に変わっていた。
本当に表情がころころと変わる人だ。そう気付いたらもっと色んな事を知りたいと思った。そういえば彼女は何属性なのだろう。
「ちなみに君は何属性なんだ?」
「光ですよ?」
「ふっ、まさか。冗談ならもっとそれらしいのにしろ。光属性といったら聖女ぐらいしか使い手のいない特殊系統だぞ?」
「はい。その聖女ですよ、わたくし」
「………………ん?」
ちょっとまて。サラッと重要な事を言って無かったか!?
光魔法なんてまだ効果検証すら出来てない分野だぞ!?
「ラズマリア・オリハルクスです。よろしくお願い致します。気軽にラズとお呼びください」
この上無いぐらい優雅な挨拶と、それに相反する無邪気な笑みが同居する彼女を僕はじっくりと見つめていた。一瞬だが心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥ってしまう。
「ラズ……か」
「はい。それで貴方の名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「僕はルーカス、ルーカス・クワットルだ」
人生で初めて自分の名前を覚えて貰いたいと思った。ああ、今度から人の名前くらいは覚えるようにしよう。
この話も長くなった……




