第1章6話 青年騎士vs(剣)聖女
大部分がウォルタん視点によるハートフルボッコラフストーリーです。
「いくつか武器を持ってきていますから、好きなものをお使いください」
俺、ウォルター・グラディオラスはギルバート殿下の専属近衛の筆頭騎士を目指している。そのためには卒業迄にさらに力を付ける必要があった。父が騎士団の上層部にいた事で幼い頃から殿下と引き合わせていただき、話し相手を努めたり時には木剣を交えたりもした。
己を鍛える為、12歳になってからは騎士団に混じって訓練に参加している。まだまだ勝てない相手もいるが同世代相手では負け無しである。
当然だ。殿下の剣が弱いなどあってはならない。まして、高々貴族の令嬢に舐められるなど言語道断だ。少々大人気無かろうが実力を証明する必要がある。
「なぜ複数の武器を持ってきていらっしゃるのですか?」
何故かこの聖女様はこれから打ち合いをするというのに少しうきうきした様子で、芝生の上で無造作に置いてあった長めのショートソードを拾うと、鞘から少しだけ抜いて刀身を見たあと再び納める。誰が見ても武器を持っている姿には違和感を覚える事だろう。
「いつでも愛剣で戦えるとは限りませんから、非常時に遅れを取らないよう色々な武器で訓練してるだけです」
こちらも元々持っていた大剣を鞘に戻して構える。刃引きした剣は持ってきていないのでお互い鞘をつけたまま打ち合うしかない。
切っ先を高く上げて、上段の構えを取る。
「それはまた時間がいくらあっても足りなさそうですね。さあ、いつでもどうぞ〜」
相手は細腕の女子。こちらの剣を受ける事など出来ないだろう。ならば、最も簡単に威力のある振り降ろしで当てにいけば問題無い。
そう考えていたがすぐに大きな間違いであったと気付かされる。
「っ!」
聖女様がゆらりと中段に剣を構えた瞬間に、思わず後退ってしまった。趣味道楽の剣術と考えていたが、巨大なモンスターか何かと相対しているような気持ちにさせられる。気付けば手に汗が滲んでいた。
口は少しも動いていないのに目線が言っていた。先手は譲るぞ、と。
まるで格下だと言わんばかりの態度に思わず腹がたったが、そこでふと我に返る。
巨大なモンスター?
何を考えている。こんな可愛らしい令嬢の何を恐れているのだ。きっとあれだ。無意識の内に女性と戦うことを避けようとしたのかもしれない。
「怪我はなるべくさせないように致しますので。では、参ります!」
強く地面を蹴ると、一気に接近し、数十kgの鉄塊を聖女様の首目掛けて振り下ろす。
剣で受けさせたら勝負は決まる。
どうせ捌くことは出来ないだろうし、躱されても詰められる前に剣を引く。
しかし、相手の対処は何れでもなかった。
まず前に出ていた右足が素早く引かれた。身体は半身の体勢に変わるが、首を狙った剣はまだぎりぎり彼女に命中する位置にある。だから、攻撃は継続する。
だが、そこで鋭い突きが放たれた。ショートソードと彼女の腕の長さを足しても俺に届くことはない。
その目測は間違いでは無かった。
彼女の狙いは別にあっただけだ。大剣の横腹を薄く突かれて僅かながら軌道を変えられる。その微々たる差で彼女は回避行動の必要が無くなった。一方でこちらは全く動ける余地がない。力の向きが逸れたことで、剣を引こうにも制御が出来なかった。
――まずい、これは!?
どうにか大剣の動きを止めた頃には、既に相手の冷たい剣先が首元に触れていた。
「ふっふっふっ、わたくしの勝ちです。力ずくでは動きが単調になってしまいますよ。まあ、この言葉はお兄様がわたくしにいつもおっしゃっていたものですが」
運では無く、紛れもない技術の差で負けた。うら若き乙女の細腕が放った一突きで自分は完敗したのだ。想像すらしていなかった無情な現実に思わず顔を顰める。
「聖女様……もう一度、お願い出来ますか?」
今のは何かの間違いだ、と思いたいが彼女との実力差が以下ほどものかすら未だ測りかねていた。それでもこのまま引き下がる訳にもいかない。
「ええ。心ゆくまでお付き合いしますよ」
数歩下がって聖女様はまたも中段の構えを取る。今度もこちらから打ってくるようにと手の平を上にして譲られる。まるで稽古でもつけられているようだ。
「くっ……いきます!」
気を引き締めて考えを整理する。まず先程の突きで迎撃されると上段からの攻撃では厳しい。重い大剣では攻撃が一度防がれると、相手への対処の手段が限られるからだ。ならば、下段からの斬り上げならばどうか。これなら万が一弾かれても次手に継ぎやすい。
後は先程のように不用意には近付かない事だ。間合いを測りつつリーチを最大限生かしながら、下から上への袈裟斬りを放とうとした瞬間――
がん!
硬い物を叩いたような感触に思わず柄から手を離してしまう。支えを失った剣が音を立てて地面に転がった。何故か人形のように整った顔が触れそうになる距離にあった。
そこでようやく気がつく。こちらの振り抜く軌道の始動を聖女様が踏み込んで打ち抜いたらしい。
何も見えなかった。これでは後出しジャンケンをしてるようなものだ。剣を振ることすら許されない。
何も出来ていない。その事実が突きつけられ、ウォルターは歯噛みする。
――まさか……侮っていたのは俺のほうだったとはね。このままやってもまったく勝てる気がしないどころか、たぶん1度も勝ったことのない親父よりまだ強いような気がする。……もう切り札を使うしか無いか。
もはや後に引けなくなった俺は大剣で戦うのは諦めて、愛剣のロングソードを拾い、構え直す。
「心ゆくまでと仰ってくださった以上、もはや出し惜しみもしません。全力を持って挑ませていただきます。間違い無く貴女は格上だ。先程の発言は撤回致します」
俺は身体の中心から全身に巡らせる様に、魔力を操作する。頭の上から爪先に至るまで魔力がまとわりつき蒼白い焔のように揺らめき始めた。剣技で勝ちたかったが、もはやそんな余裕は無い。
「魔法……ですか? いえ、魔法陣も詠唱もありませんでした。となると、『ギフト』?」
一握りの者が先天的に与えられる力、それが『ギフト』だ。貴族の名家ともなるとそういった能力を持つ者が稀に現れる。というのも授かる条件の全容は未だ不明であるが、遺伝性があると考えられていた。
この『ギフト』の厄介な所は鑑定に一切表示されない。だから効果のわかりやすい物はすぐにそれとわかるが、そうでない物も存在する。幸いにして俺の『ギフト』はすぐにわかった。
「かつてのグラディオラス家当主が神より与えられた能力、『方士』です。幸運にも俺もその『ギフト』を授かりました」
「まだ奥の手を隠しておられましたか」
不敵に笑う姿は聖女のイメージから離れていたが不思議と彼女にはよく似合っていた。
――今考える事ではないか。
余計な思考を振り払い、気を整えてから全力で踏み出す。
『方士』は身体能力の強化や全身にオーラを纏うことで防御力を高める攻防一体型の戦闘向けギフトである。特筆すべき点は触れた物も強化されるというもので、武器や防具の性能も上がる。
今までよりも数段鋭い一撃を横薙に見舞うと、聖女様がその一撃を剣で受け止めつつ飛び去り、数歩離れた場所に着地する。ふわりと揺れたスカートと桜色の髪が重力に引かれて元の形に戻る。
いなされたとはいえ初めて攻撃を受けさせる事に成功し、俺は少しだけ安堵する。
「あら〜、武器まで強くなるのは予想外でしたね。お借りした物なのに剣が壊れてしまいました」
「構いません。安物ですから、ね!」
まだまだ余裕しゃくしゃくの彼女に構わず追撃に移った俺に向けて、鞘のひしゃげた剣を投げつけてくる。
「手癖の悪い聖女様ですね! しかし、武器がない状態でどうされますか!」
それを難無く斬り上げながら突進するスピードを緩めずに、頭部を狙って剣閃を放つ。
が、突然ピクリとも動かなくなる。
何事かと目を瞠るとそこには鞘に納めたままの剣を素手で挟み込むように受ける聖女様がそこにいた。
焦って拘束を振り解こうとしてしまったのが間違いだった。剣を引き戻そうと力を込めた瞬間に今度は白刃取りを解かれる。剣を高く擡げる無防備な格好になった俺の胸に驚く程に重い掌底が打ち込まれる。
ニ度三度地面を転がりようやく止まってから自分が吹き飛ばされた事に気付く。
芝の無い所に打ち付けられたからだろう。至るところが泥だらけになっていた。しかも、精確に鳩尾を打ち抜かれたようで息をするのが辛い。
「まだまだわたくしは行けますよ、ウォルター様」
満面の笑みを浮べる可愛らしい少女が月を背負って変わらずに立っていた。
『方士』を使用しても、一撃与えることすら叶わず額に手を当てて天を仰ぐ事しか出来なかった。
それでも再び立ち上がらざる負えない。全てを出し尽くすまでは。
「……俺もまだまだ行けます」
強がってはみたもののもう切れる札は残っていない。
結局、その後も攻撃を仕掛けては聖女様にいなされるという一連の流れが何度も繰り返された。
挑むたびに纏った軍服に泥汚れが増えていき、遂には体力の限界を迎えて仰向けに倒れ込む体たらくだ。
――ただの1度も攻撃が通らなかったのは、初めてだ。彼女は強すぎる。どれぐらい強いのかもわからない。
「……はっ!? 楽しくてやり過ぎました!?」
完膚なきまでにボコボコにしておいて何故か今更焦っていた。どうやら自分が挑発だと思っていた笑みは単純に楽しんでいただけらしい。
「はぁ……はぁ……聖女、様は、剣士だったのでは」
剣を持たない彼女に為す術も無くやられている間、ずっと疑問だった。
何故一流の剣術を会得していながら、徒手格闘にここまでなれているのか。
「あ〜、わたくしもほんの2年前までは剣しか使えなかったです。ただ……その……」
どうにも歯切れの悪い。何か訳ありだっただろうか。俺はどうにか上半身を起こす
「言いづらい事、なら、言わなくても、いいです、よ」
「ん〜、話しますがナイショにしてくださいね。あまりカワイくない理由ですので……実は……」
照れ臭そうなラズが前屈みになり口の前で人差し指を立てる。
「……強くなりすぎてわたくしについてこられる強度の武器がなくなってしまったのです」
「………………は?」
「全力で振るとなんでもすぐ壊れてしまうので、いっその事肉体を武器にいたしましょう、と思い付いたのが始まりでした」
後日知ることになるが彼女の本気……特に能力が底上げされる『天啓』状態における膂力というのは既に人類の領域に無い。どんなに優れた二つと無い名刀も結局は人の域を出ない。どう頑張ってもドラゴンが振り回しても壊れない武器は作れないのと同じ話である。
「なんのため、にそんな、強くなられた、のですか」
「目的ですか? ん〜、あまり考えた事は無かったですね。ただ、出来ることが増えていくのはすごく楽しかったです。わたくしも初めはふにゃふにゃの剣でしたし、お兄様と試合をしても百戦百敗でしたよ。でも、しっかりと色々な事を積み重ねていけばモンスターも倒せる様になりました。だから、成長する事そのものが目的なのかもしれません。可能なかぎりですが、わたくし何でも出来る人になりたいんですよ」
俺は自分の勘違いに気付いた。どこかで努力している自分が偉いと思っていた。努力したから強いと思っていた。だが、彼女は努力を努力と思っていないのだ。きっとここに至るまでにたくさん頑張ってきたのだろうがそれを苦にしていない。
俯瞰的に考えれば筆頭騎士になるという目標はどこか漠然としていたように思う。結局のところ自分はどんな騎士になりたいのだろうか。
「何をやっても、勝てない、わけですね。ぐっ……」
「ああ、誠に申し訳ありませんでした。やり過ぎてしまったと今は心から反省しております。すぐに怪我の治療を致しますので」
土下座でもしそうなくらい深々と頭を下げられ、治療しようと手を伸ばすが俺はそれを制止する。
「俺が頼んだ事です。聖女様は悪く、ありません。傷は、このまま自然に、治します」
至る所に小さな傷があり、ところどころ血も滲んでいた。酷く痛むが心はすっきりと澄み渡っていた。今思えば筆頭騎士を志す事がいつしか重責となっていたようだ。無駄に自分を追い込んで苦しんでいた。
そういえば、騎士になるのは自分で言い出したが、筆頭騎士については周りが言い始めたことだった。
「え? ですが、見ているだけでとっても痛そうですよ?」
「せっかく申し出て、下さったのにすみません。ですがこのままに、したいのです。それよりも、お願いがあります、聖女様」
どうにか息が整ってきた。鉛のように重い身体にムチを打って立ち上がり、彼女を真っ直ぐに見据える。
「な、何でしょうか?」
「また、俺の鍛錬に付き合ってくれませんか?」
聖女様の顔がぱーっと明るくなり、相好を崩した。喜んでいるらしくその場で数回ぴょんぴょんと飛び跳ねてから、急に停止して今度は一転、何やら思案を始める。忙しい反応が素の彼女なのだろう。喜怒哀楽が分かりやすくてとても素直な性格のようだ。
「一つ条件があります」
「なんなりと」
固唾を呑む音が静かな夜だとよく響いた。どんな条件だろうか。だが、何としてでも首を縦に振らせてみせる。
「わたくしのことを聖女様ではなくラズとお呼びください」
柔らかく微笑みながら両手を広げる姿に俺は思わず見惚れてしまう。子供の頃に読んだ御伽に登場する聖女が本から飛び出してきたみたいだ。
そういえば、自分が騎士に憧れたのもその御伽の騎士がかっこいいと思ったからだった。自らが傷つくのを顧みずに仲間の盾となり、迷う事なく誰かを助ける高潔な男の様が好きだった。
物語で出てきた場面と同じように俺は胸に手を当てて片膝をついてその名を口にした。
「では、ラズ様と呼ばせていただきます」
「はい!」
顔を上げて今更に気付く。今夜は月が綺麗だった。
☆
剣と獅子が描かれた紋章の入った威風のある馬車がオルヴィエート王立学院の中央棟の前に止まる。
そこに乗る人物こそ、この国の王太子ギルバート本人である。学院はほぼ全寮制であるが、彼の場合は執務もある事から王城より通学する形をとっている。だから、学院に着いてからは従者が迎えに来る手筈だ。
予定通り馬車から降りた高貴な人物を忠実に出迎える者がいた。
しかし、その姿は昨日と大きく異なっている。
「ウォルター、一体何があった。随分と男前になっているぞ。まるで坂を転げ落ちたリンゴだ」
傷やら痣やらで端整な顔がにぎやかになっていたが、ウォルターは特に気にした様子もなく、何食わぬ顔で答える。
「概ね合っていますよ、殿下。まあ、俺にとっては勲章だと思っています。自らの非力さを痛感出来たのもむしろ幸運でした」
「俺としてはその勲章を誰が授与したか知りたいんだが」
「それは……」
どうやって誤魔化したものかとウォルターは頭を悩ませたがすぐにその必要はなくなった。
「ウォルター様!」
制服を着た少女が腕を横に振りながら走ってくる。もちろん普通に走る事も出来るのに敢えてこの走り方をしているのは本人曰く「そっちのほうがお嬢様っぽいから」らしい。なので非戦闘時は無駄に乙女走りする。
「ああ! やっぱり酷いことになってしまったではありませんか。こっちは腫れてますし、こっちなんかアザになってますよ。やっぱり魔法でパパッと治しちゃいましょうよ?」
ウォルターの前にたどり着くや否や背伸びをして顔を両手で包み込み右に左に傾けた。
「ら、ラズ様!? 少し近すぎますよ!」
常に余裕そうな顔のウォルターも流石にラズの顔やらバストがどアップになると、顔を朱に染められていた。
男慣れしていないラズも治療となると男女関係なく対応出来る。また、訓練や魔物討伐で兄が怪我したのを何度も治したことがあり、自分から触れるのは特に問題無い。
「ラズ様、ね? ウォルターちょっと話がある」
ラズとウォルターの顔を交互に見比べてから、ギルバートはにっこりと笑った。目以外は。
「で、殿下? うおっ!?」
襟首を掴まれてウォルターが引きずられて行くのをラズは可愛らしく首を傾げながら見送った。
その光景を他の学生も目撃していたのが二人にとって不運だった。
「王太子殿下が護衛兼任の従者をボコボコにし、何故か当の従者は実に晴れやかな顔を浮かべていた」という噂が流れるのにさほど時間はかからなかった。
この話、書き直しまくった上に長いせいでストック切れたー




