第1章5話 騎士が現れた!
入学者を祝う盛大なパーティが終了したその夜。ほとんどの者が眠りに就いている時間になっても、ラズは寝床の中で唸り声を上げていた。
「ううう……寝れません。目を瞑ると昼間の事件を思い出してしまいます。リタはもう自分の部屋に戻っちゃいましたし。エリさんは……起こしたらきっともの凄く怒られる気がします」
ムクリと誰も居ない寝室で起き上がると、ふかふかの大きなベッドからもぞもぞと降りる。
彼女の髪と同じピンク色をした透明度の高いネグリジェへ徐ろに手を掛けると、一気に脱ぎ去って枕元に放る。それからクローゼットの扉を開けて動きやすい簡素なドレスを取り出すと、頭からスポッと被ってその場でくるりと回ってポーズを決めた。
「これは仕方ありません。このままここに居てもいつまで経っても寝れる気がしませんから、夜のお散歩に出発進行です!」
さらに靴下とブーツを装備してから廊下へと繰り出す。学院の内部にはマジックアイテムの灯具が設置されており、夜間や自然光が取り入れがたい場所を明るく照らしている。
だから、こうして夜中でも足元に不安を覚える事なく歩くことが出来る。
石造りの階段をゆっくりと降って庭に面した外廊下に出ると、雲一つない空から差し込む月光が柔らかく包んでくれた。
今日は実に散歩日和です、とラズのテンションがますます上がる。オリハルクス領に居た時は夜間に散歩などしなかった。というか、毎日疲労困憊ですぐに爆睡していた。
ラズが鼻歌を歌いながら背中に手を回してのんびりと歩みを進めていく。少し肌寒いくらいの風が今はとても心地よかった。
「ふっ! …………ふっ!」
――何やら声がしますね。誰か居るのでしょうか?
誰もいないだろうと思っていた校庭であったがどうやら先客がいる様子だ。
音が聞こえる場所はそれほど遠くない。ここから見えないだけで角を曲がればすぐ見える位置にいるようなので、ラズはこっそりと覗いてみることにした。
――こんな夜中に外で何をしているのでしょうか。
自分の事を棚に上げて恐る恐る頭を出すとそこには空を切る音を放ちながら身の丈程もある大剣をひたすら振るう青年の姿があった。額には汗が滲んでおり、今始めたばかりのようには見えなかった。
――騎士科の方でしょうか? こんな時間まで鍛錬されているとは感心ですね〜。日々の訓練を欠かすと感が鈍ってしまいますからね。わたくしも見習わなくてはなりません。
これだけ真剣に取り組んでいる所を邪魔してはいけないと思いこの場を離れようとしたその時、
「……っ、誰ですか、そこに居るのは。今すぐ出てきてください」
刺すような視線がこちらに向かって放たれる。
「申し訳ありません。覗き見するつもりは無かったのですが、人の気配がしたのでつい気になってしまいました」
歩み出してラズの全身を見せると、彼は小さく口を開けて驚く。
「……まさか聖女様でしたとは。無礼をお許しください」
紺碧の頭を垂れて謝罪しようとするのを、手で制して、ラズが再び話し始める。
「おやめください。わたくしがいけなかったのですから、貴方が気に病まれる必要はありません」
「はっ! しかし、どのようなご要件でこちらにいらっしゃったのですか?」
貴族の令嬢が単身で歩き回る時分はとうに過ぎている。もちろん、男女問わず外出に適さない時間帯でもあるが。
「正直に申し上げますと、眠れなくてしまったので散歩に出て来てしまいました。あのまま部屋で悶々としているよりも気分を変えたかったのです」
「ああ……それは災難でしたね。王太子殿下のせいですよね? 普段はああいった事をされる方では無いのですが、アレはいくら何でもやり過ぎでした。俺が代わって謝罪致します」
ラズの事情を察したらしく、今度は深々と頭を下げた。
「何故貴方が謝られるのでしょうか。ええと、殿下とはどのような関係でいらっしゃるのですか?」
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。俺はウォルター・グラディオラス。ギルバート殿下の従者であり卒業と同時に筆頭騎士になるつもりです」
人の良さそうな好青年の顔が誇らしげな表情を浮べた。グラディオラス家は優秀な軍人を多く送り出してきた名門で爵位は侯爵が与えらている。
ラズも家名には聞き覚えがあった。グラディオラス侯爵は現在の騎士団長である、という聖女教育で得た情報を頭の片隅から引きずり出す。
家柄が申し分ない以上、実力さえ伴えば確かに筆頭騎士にもなれるだろう。精鋭揃いの近衛を取りまとめるのが筆頭騎士であり、王太子の従者の任を買って出たのも将来に向けてのものだろうか。
「ご存知のようですが、改めまして。ラズマリア・オリハルクスです。今後ともどうぞよろしくお願い致します」
片足を引いてスカートをちょこんと持ち上げる自慢の礼をする。今回も綺麗に決まった。もちろんその後の警戒は怠らない。
油断して痛い目にあったばかりであるが、王族以外が同じ事をやると不敬罪で極刑もあり得る中、そんな危ない橋を渡る猛者などまずいない。
「俺も聖女様と同じ魔法科に通いますので、こちらこそよろしくお願いします。ところで、女性が、特に聖女様ほどの貴人がこんな危険な時間に出歩かれるのは感心致しません。寮の入口までご案内しますので、どうかお戻りください」
真面目なウォルターからすれば、令嬢が夜に出歩くなどもっての他だ。知らない者の前では箱入り娘の皮を被るラズを見て、暴漢が万単位で襲ってきても拳一つで跳ね除けるパワーファイターだと看破するのは不可能である。
「う〜ん。わたくしはウォルター様が考えていらっしゃるような危機は起こり得ないと思いますよ。何せこう見えてとっても強いですから」
そうは言われても、聞いてる方からすれば胡散臭いこと極まりないし、認識が甘いと感じるのも当然である。だから、ウォルターも聖女の徘徊を諌める姿勢を崩さない。
「どうやら腕に自信がお有りの様ですが、学院内とは言え何があるかわかりませんよ。仮に俺が無法者でしたら、大変な事になっていたでしょう」
当のウォルターは腕に自信があった。学院に入る前から上級騎士の特訓に参加し、己の腕を磨いてきたのだから、学院生に負けるとは微塵も思わない。だが、ラズの反応は彼の想像を超えるものだった。
「そのような方がいらっしゃるのでしたら、むしろ望むところですわ、ウォルター様」
――ここ一週間は朝の運動が出来てませんから、それはそれで悪くないですね。
ラズが大変な事になる外敵が王都内で出没するような事態に至れば、それはもう誰にも手に負えないが、ウォルターはラズの実力を測れる程の実戦経験は積んでいなかったのが災いして余計な事を言ってしまう。
「貴女が俺よりも強い……そう、おっしゃられるのですか?」
「え? はい、そう思いますが」
反対に百戦錬磨のラズはウォルターの実力を正しく認識していた。悲しいことに、眼中にも無かったのだ。そして、当たり前の事を聞かれて若干返事に困っていた。
「でしたら俺と手合わせ願えないでしょうか?」
再び鋭くなった眼光が浮かれるラズをしっかりと捉えていた。
「手合わせですか!」
ラズに尻尾があったらぶんぶんと振っていたことだろう。ゲーム風に言うならば、ウォルターへの好感度が上がった。




