第1章2話 朝のエリーゼ
こんこんと扉を叩く乾いた音がやけに広い寝室に鳴り響き、エリーゼは目を覚ます。
――知らない天井ね。
ここは王立学院学生寮のラズの部屋とは対角に位置する1室。最上級の部屋は当然未来の王太子妃にも割り当てられていた。
「失礼致します。ラズマリア様がお見えになりました」
エリーゼ専属メイドであるタニアは返事を待つ事なく中に入ってくる。
タニアは事前に王都に来てエリーゼの受け入れ体制を整えていた。貧乏な男爵家等は馬車代をケチって一度に済ませようと考えるが、大抵は荷物と使用人を先行させる。
なおリタがラズに同行したのはラズが一緒に行きたいとごねたからである。
「ん〜? ずいぶんふぁやいわね。ラズったら何時だと思ってんのよ」
欠伸をしながら、ムクリと上半身を起こす。
「8時ですよ。エリーゼ様」
――ん?
本日は学院最初の一大イベントである入学式が開かれる。大きな講堂に学生が集められて王様や大臣のありがたいお話を聞き、攻略対象の1人にして王太子であるギルバート・オルヴィエートが代表挨拶を行う。そして、閉式後には入学パーティが開かれ、豪華な食事や飲み物が振る舞われるのだ。貴族社会においても第一印象はとても大切にされ、新入生はこぞって着飾り自分の顔を売り歩く。今後の学生生活のみならず自領に政治的影響を及ぼしかねない面々が揃っているので多くの者が重視しているイベントの一つだ。
その重要な式の開始時刻は9時である。
新入生の集合時間は8時半である。
……そして、現在は8時である。
自らの立たされた深刻な現状を理解し、エリーゼの顔から血の気が引いてゆく。
「な、なんで起こしてくれなかったのよ!」
「何度も何度もお声掛けしましたが、答えは毎度の事、あと1時間寝かせて、でしたので最後はおっしゃるとおりに致しました」
タニアがいつもより笑顔になっていた。この時は大抵かなり怒っているとエリーゼは過去の経験から答え導き出す。怒らせてから導き出しても既に無意味ではあるが。
「とにかくラズは上手く言って追い返してきて頂戴!」
「不要です。既にお嬢様は寝坊しましたと伝え、お引き取り願いました。言い訳は自分の口からお伝えくださいませ」
「……タニアが厳しい」
「何か言いましたか?」
「なんでもございません!」
タニアはエリーゼ付きのメイドとなって早12年のベテランだ。働き初めの頃はよく怒られていた。……エリーゼが寝過ごしたせいで、それはもうなんども。なので、十割エリーゼが悪い場合については一切の遠慮をしなくなった。それでも起きないのだから、必要な措置である。
既に一刻の猶予も残されていないエリーゼは最高級品のベッドから飛び出すや否や高速で寝間着やら下着やらを脱ぎ捨てながら、クローゼットへと走り出す。既に人の気配が少なくなってきた女子寮が一瞬にして賑やかになった。
結果から言うと式には間に合わなかった。ヒロインを虐めずに王子の好感度をきっちり下げた我らがなんちゃって悪役令嬢エリーゼである。
☆
エリーゼの部屋から戻りリタに最後の仕上げをして貰ったラズは現在、入学式に出席していた。
その真っ最中にあっても多くの人目を引いていたがラズはまるで気付いていない。敵意や殺意には敏感だが、それ以外にはあまり慣れていないのだ。
しっかりとおめかしをした彼女はミントグリーンと白を基調にした春らしいドレスが整ったプロポーションを強調して魅力を底上げしていた。綺麗な立ち振る舞いで慎ましく微笑むラズマリア(社交界仕様)は聖女の肩書に一歩も引けを取らないだろう。
そう上辺は。なお頭の中は、
――国王陛下や大臣の皆さんは何故こんなにも話が長いのでしょうか。退屈で死んでしまいそうです。この後はパーティと聞いていましたが、どのような料理が出てくるでしょうか。かわいいデザートなんかがあったらいいですね。ああ、リタにも食べさせて上げたいのですが、そうも行かないですよねきっと。
既に別の世界へと思考が旅立っていた。ただし、元々大人しくしているのが苦手なラズであるが、それを差し引いても学院の入学式は格段に話が長い。
王立学院の名前通りに理事長は国王が兼任している。だから式典ともなると高確率で王自らが出席する。
また大臣等の要職も来賓として顔を出すのがもっぱらである。学院の卒業生は多くが有能であり、より良い人材には早めにツバをつけておきたい思惑がそこにはある。だから、とにかく自分のところの希望者が増えるよう本気で喋る。
軍に入るか、自領で働くかのほぼ2択の騎士科や魔法科はともかく普通科は選択講義の占める割合が高い。喉から手が出る程に必要な人材を上手くやれば育てて収穫できる畑が王都にあるのだから、各省の長がわざわざ足を運ぶのも頷ける。
さて、ラズが脳内でパーティでの効率的な行動をシミュレートしている間にようやく長々とした来賓挨拶が終わる。
「最後に新入生代表としてギルバート王太子殿下の御言葉を賜ります」
司会の女性が告げると一拍置いてから銀髪紫眼の青年がゆったりと登壇する。
人当たりの良さそうな笑みを浮べたギルバートと目があったような気がして、ラズは思わず首を傾げる。
――わたくし何かしてしまったでしょうか?
向こうはこちらの反応を意に返した様子を見せずに挨拶を始める。
「私達は今日映えあるこのオルヴィエート王立学院の一員になった。多くの者はここに来る事を目標に掲げ、研鑽を積み、自らの手で勝ち取って来ただろう。しかし、それで終わりか。違うはずだ。まだ何も成しておらず、まだ何も残していない。私達の本当の終着はここではなく、今居るのは始発点ではないだろうか。更なる高みへと至る山の麓に辿り着いたに過ぎない。故に私達は登り続けなくてはならない。常に向上を目指す必要があるということを忘れてはならないのだ。よって、これより私達新入学生一堂が切磋琢磨を重ね、各々が自らの成すべきことに向けて日々邁進し、この学院と祖国の更なる栄華をもたらす事を宣言する!」
一瞬遅れて戦の前のように学生達が沸き立ち、しばらくは興奮と熱気に包まれた。
代表挨拶の中で見せた雄々しさはどこかにやって、ギルバートは再び柔らかな笑みを浮かべると一礼して壇上から下がった。
次期国王は齢15にして充分な風格を見せつけた。
――流石は王族の方。迫力満点ですし、存在感が違いますね。もしかすると殿下は攻略対象なのでしょうか?
未だ現れないエリーゼに目を走らせながら、パーティ会場へと向かう人の流れにラズも乗るのであった。
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