第1章1話 ラズマリア入寮!
オルヴィエート王国の王都は山々に囲まれた雄大な平地の中心にある台地の上に開発された天然の要塞都市だ。周辺の土地と比較するとその高低差は百メートル以上あるとされている。
台地は既に開発の余地を残しておらず、不規則に伸びた道やところ狭しと並んだ建物がせめぎ合っている。その貴重な一角にそびえ立つ荘厳な建築物と広大なキャンパスを有するのが王国最大にして最高の教育機関であるオルヴィエート王立学院だ。
入学するだけでも容易ではなく、入試の時期ともなると多くの受験者が涙を飲む姿はいまや王都の風物詩である。
歴史に名を残す人物を多数輩出してきた伝統と実力を兼ね備えたこの王立学院に少女の形をした嵐がやって来た。
ウェーブが掛かった桜色のロングヘアーを揺らして走る彼女は王国公認の聖女ラズマリアだ。
1週間にも及ぶ引っ越しの旅を終え、女子学生寮最上階に割り当てられた個室の前へ遂に到着した。そして、迷う事なく観音開きの重厚な扉を無遠慮に開け放つ。
貴族の息女と言えどもここまでの広さの部屋は領地の邸宅であってもなかなかお目にかかる事は出来ない。少なくともオリハルクス家の屋敷内にあるラズの部屋よりは何倍も大きい。
「リタリタリタ! こっち見てください、天蓋付きのベッドですよ! レースがいっぱいでお姫様みたいですよ!」
「はい。御伽の姫君にも劣らないお美しさのお嬢様によくお似合いです」
「見てください、リタ!! バルコニーからの眺めが絶景です! 遠くの山や空がとっても綺麗ですね!」
「この景色があればさぞ素晴らしい学生生活が送れる事でしょう」
「リタ、リタ!」
初めて遊園地に訪れた幼児もドン引きする程のはしゃぎモードに突入したラズを面倒臭がる事無く侍女のリタが相手をする。
聖女教育に際して王家がオリハルクス家に送ってきたのは教師だけではなかった。このリタもまた、王家が派遣した聖女専属侍女である。まだまだ若いものの感情を表に出すこと無く完璧に仕事をこなす有能なメイドであるが自由奔放なラズを溺愛しており、ことあるごとに甘やかすきらいがある。
なお現在はオリハルクス家に直接仕えており、名実ともにラズの専属メイドである。
寮に連れてきて良い使用人は規則で1人となっている。かつて多くの使用人を連れて入寮した学院生がおり、使用人棟にある部屋の数が足りなくなった事があったためこのようなルールになった。王族などの位の高い人物であれば特例が適用される場合もあるが、ラズからすればリタさえ居ればなんの文句も無い。
リタはスカートで蹴りを放とうが空を飛ぼうが怒らないので、もうそれだけでラズからの評価は天を突くほどである。
一方のリタもラズの取扱はサポートセンターと呼んでも過言でないほど心得ており、一通りはしゃぎ終えたところで
「バルコニーで紅茶を召し上がられてはいかがでしょうか」
という、鶴の一声によって一層機嫌が麗しくなった状態で、外に置かれた丸いテーブルに着いていた。
速やかに紅茶と菓子を出すと、彼女は段取りよく荷物の整理を進めていく。
衣類に文房具、食器、花瓶、何かあったときの包帯など様々な物を持ってきてはいるが、令嬢の中では圧倒的に持ち物は少ないだろう。
あっという間に片付けを終えるとリタは主人のもとに戻ってくるが、声を掛けるのを躊躇ってしまった。
先ほどとは打って変わって遠くの空を眺めながら、物憂げな表情を浮かべていた。このようなラズをリタは見たことが無い。
このとき、エリーゼがもたらした情報をラズは思い出していた。
"王都が滅ぶわ"
――事実であるならばこの学院や王城、城下町、そこに住まう人々の命運はいまやわたくしに委ねられているのですね。
王都の大きさを目の当たりにし、ラズ個人で防戦に挑む事態は回避する必要があると再認識させられていた。
シンプルにドラゴンでも攻めてくるぐらいならやりようはあったのだが。
幸いにも対応策は既に確定している。もっとも、そこに大きな課題があるからこそ、こうして頭を抱えている。
――そういえば、エリさんのおっしゃっていた攻略対象というのはどのような方達なのでしょうか?
頭に情報を入れておけば、明日の入学式で観察することも出来ただろう。エリーゼに様相くらいは聞いておけばよかったと後悔している。
エリーゼが何とかしてくれる……それはもちろん期待しているが、他力本願は性に合わないので自分で考え、悩むことを止め無い。
――そ、そもそも殿方に好かれる為にはどういった事をすればよいのでしょうか!?
前世は男性であったが、女性と恋愛関係になったことはなかった。というか、9割以上病室で過ごしたため、同年代の異性に会ったことすらほぼ無かった。
他人と接するのは家族を除くと中年の看護師と高齢の医師のみである。
なので女性に対しての耐性もあまり無かったが、使用人の中には歳の近い者が居たので比較的馴れている。
ところが男性で歳の近い者は前世から見てもラズの周りには居なかった。思春期に差し掛かる前から最近に至るまで彼女は過労も視野に入る怒涛の生活を送っており、そこに若い男なんてものが接触を図る余地などどこにもありはしない。
結果、前世で見た漫画やアニメなどの知識こそあるものの、異性の存在を意識する事そのものが初めてという遅れに遅れた思春期が到来したばかりの残念なヒロインの出来上がりである。
ちなみに、ゲームのラズマリアは普通にお茶会や誕生会に参加して、貴族の令息とも話し程度はしていた。
「……リタ、教えてください。と、と、殿方に好意を抱いていただくにはどうしたら良いのでしょう?」
他人に教えを乞うのは他力本願ではない。と、耳まで赤熱するラズは自分に言い聞かせた。そもそも恋愛と書かれた引き出しに関しては上から下までが空っぽである。なんの選択肢も最初から存在していない。
しかし、残念なことに聞いた相手も悪かった。
リタは普段と変わらぬ表情で腕を突き出し、力強く親指を立てた。
「お嬢様は今日も殺人的にかわいいです。ありのままで宜しいかと」
……珍しく取り乱して赤面するラズに内心では悶絶しているらしく、眉一つ動かす事なく鼻血を流していた。
「もう、そういうお話しではないのですよ〜!」
からかわれたと思い少し垂れた目を精一杯釣り上げながら頬を膨らませて抗議するもリタにとってそれはご褒美である。
「ぐふっ! いけません、お嬢様。これ以上は死んでしまいます」
「むぅ、もういいです。明日、エリさんに教えていただくので!」
ラズはプンプンしながら用意されていたタオルと着替えを持って部屋から出ると大浴場へと向かっていった。なお、通常令嬢はタオルと着替えは持っていかない。全て侍女に任せて身一つで行くのが一般的であるし、洗うのも服の着脱も自分ではやらない。
1人で行かせると背中をタオルでゴシゴシとこすり始めかねない主人より先に更衣室へ滑り込むべく、復活したリタは全速力で疾駆した。




