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独り

作者: 夏目沙也加

「ー今の時期は特に体調管理には十分気を付けて・・・」全校集会の話は学生にとって睡眠時間に等しい。特に校長の話。少し大げさにあくびをすると体育座りを維持する腕の中に顔をすっぽりと入れてしまった。このまま寝るわけではない。実際のところ寝ようと思って寝られたことは学校ではない。本来顔を上げながら興味深そうに話を聞かなければいけない場面で顔を完全に下げるという行為で自身の心臓の鼓動が速まる。それは背徳感であり、本来はしなくても良いことだからであり、自分が元来そのようなことをする性格ではないからだ。

視界が遮断された分の脳はできるだけ情報を取り入れようと鼓膜が微細な音まで脳に押し込めてくる。来週カラオケにでも行くのか少し後ろの女子三人組がお互いの部活動のない日を教えあっている。その後ろでは女子二人と隣の男子何人かが何かの話題で盛り上がっている。隣のクラスの男子からは大きないびき声が聞こえる。その周りが笑い声を押し殺しているような声で話し合っている。そのまた後ろではー

 「全校生、起立」 教頭のはっきりとした発音に体は反射的に起き上がり立ち上がる。自分が立ち上がり終わったときに周りの人間はようやく重い腰を上げている最中だった。

教頭が解散のかも言っていないうちに生徒は自分周辺の人と雑談をし始める。小山は教頭の最後の言葉までしっかり聞くと体に縛りついていた鎖がするすると取れて自由に動けるようになった。 

 小走りで後方にいる重本の隣につく。

 「全校集会本当にめんどくせえよな。この時間暗記科目勉強できるな。」口元にうっすらと笑みを浮かべながら重本の顔を見上げる。身長が176cmある彼は自分の身長より10cm以上も高く、話すときには少し自分の顔の角度を斜め上にしなければ彼と目は合わない。

 「この後の掃除ってA班が担当だっけ。」全く話を聞いていなかったのか、故意的に返答をしなかったのかわからなかったが、とりあえずは 今日はAなはず と一息で答えた。

重本の少しうねった前髪が歩く歩調に合わせてゆらゆらと揺れる。そのすぐ下では少し茶色がかった瞳がひたすら体育館の出入り口を見つめる。

 「さっきの僕の話、無視した?」彼の色彩のない唇を見る。ほのかにピンク色だが女子が良くつける口紅の色とは程遠い色だった。この質問はできる限りしたくないのだが、こういう時にどうも気になってしまう。この質問で昔自分の人生の歯車を一つ落としてしまったことがある。ただ、気になって仕方がない。彼が自分の話がつまらないと話しかけたにも関わらず無視をしたのか、単純に周りの話声がうるさくて聞こえなかったのか。気にし過ぎだと、自意識過剰だと言われても、気になることは気になるのだ。

 「なんか言ってたっけ。」依然として前を見ながら唇をほとんど動かさずに彼は答える。僕は安堵しながらまた言葉を返す。

 「いや、本当にどうでもいいこと。全校集会だるいねって話しかけたら無視されたからびっくりしただけ。」

 「あっそ。」 重本の声が口元の周りの空気を一瞬だけ揺らす。瞳に差し掛かったうねった前髪を女子の様にクルクルとまわしながら体育館の正面出口をくぐる。さっきまで声を響かせるのに精いっぱいだったぎゅうぎゅう詰めの空気が外の空気に触れると途端に解放されていく。ざわついていることには変わりはないのに、その雑然さは遠くのほうで、体育館を中心としていてそこから離れていくとそのざわめきは遠のいていく気がした。乾いた冷たい空気が肌を細い針で何度も刺してくる。周りの空気が固化して自分たちの周りにへばりついている気がした。静まり返っていく空気 揺れなくなっていく空気 やがて一本の糸をぴんと張ったように空気は震えることをやめた。

 僕は必死に話題を手探りで探し出そうとする。明日の小テスト難しそうだよね 明日って今日より寒くなるんだっけ 英語の解き直しノート買った? 今日の弁当おいしかったな 昨日古典やってたら寝落ちしちゃったんだ 考えれば考えるほど自分が探し出した材料は何の広がりも起こせない話題ばかりだ。心拍数が上がる 白い息がより白くなっている気がする。

 「明日の小テストの範囲ってどこだっけ」白い息に乗せて水蒸気の形の声が外に飛び散っていく。体育館にいた時よりもうねりがひどくなっているような気がする彼の髪(さっき掻きむしっていたからだろう)は縦横無尽に彼の頭皮からねじれあがって毛穴を突き抜けている。

 僕は一気に酸素を吸う。「150から173ページ 全部単語難しいよ、明日絶対合格点行かないんだけど。」 また口元の笑みを浮かべ、重本の顔を恐る恐る見上げる。彼の世界には僕が認識されていないのであろうか、彼の表情は変わらないまま真っすぐと校舎出入り口を見ていた。

 「重本もそう思うよな?」突如としてその黄色い声は僕たち二人に作られていたかたい殻をびりりと破った。大島が隣にいる齋藤を羽交い絞めにしている。いてえやめろよと少し笑いながらもがいている斎藤に対し黙れくそ眼鏡!お前は裁かれるべき人間なんだよ!と必要以上の振動で空気の水分をぶるぶると揺らす。俺もそう思うよ。と重本には僕には見せない笑顔で聞いてもいない話に賛同した。いつの間にか斎藤は両腕を背中でクロスにさせられ逮捕のポーズをさせられている。

彼の世界にはもう僕はいない。僕がいなくても十分成り立つ世界が出来上がってしまった。重本は最初から彼らと教室に向かっていたといわんばかりに二人にくっついてずんずんと先に進んでいく。途端に世界の色彩が色あせていく。重本についていくこともできず、他に話せる人間も近くにはいない。頭がくらくらする。肺が穴をあけられた風船のようにしぼんでいく。吸っても吸っても酸素が取り込めない。

周りが僕を見ている気がする。二人一組以上が当たり前なこの教室に向かうお約束、簡単なことなのに一人でいるという異端者に奇異的な目を向けている気がする。

横を歩いていた女子の三人組が 誰のことかはわからないが まじかわいそー とお互い口々にしながら生徒玄関正面の階段を上っていく。 

後ろを歩いている男子が 誰のことかはわからないが あいつ本気で自分はメンバーの中にいるって思ってるのかな 勘違いえぐくね? 自分の立ち位置にそろそろ気付いてほしいんだけど と喋りながら階段を上っていく。

 さっきまで何のセンサーも働かなかったのに、一人になったとたん周りの話声がすぐ耳元で話されているかのように聞こえる。鼓動が速まる。頭が真っ白になる。別に誰も僕のことなんか見ていない 当たり前だ 誰も僕に興味なんかない 大丈夫だ 大丈夫だから 覚束ない足取りで教室の扉に向かう。

入ったと同時に重本は斎藤と何人かで楽しそうに話しながら教室を出ているところだった。おのずと人数比から僕はいったん後退してドアの横に張り付いた。ごめーん と軽く齋藤がこちらを見ずに言う。 ううん。と僕は精一杯の返事を絞り出す。団体の顔をちらりと一瞥したとき、重本と目が合った。重本は眼だけで強く訴えてきたのがわかった。また心臓が体内で暴れだす。酸素が十分に回らない体を何とか椅子に座らせて、そのまま突っ伏すようにして視界を真っ暗にした。

 どのくらい経ったのだろうか。わざわざ眠たそうな顔をしてスローモーション再生でもしているかのように上体を起こす。自分が左手にはめているシリコン製の安い黒時計に目をやる。先ほどの集会が終わってからまだ10分も経っていなかった。帰りのホームルームが始まるのは15分からだ。もう一度突っ伏してそれまでの時間を潰していれば良いのだが、脈拍は平均より上回っている状態だ。友達と談笑して過ごす5分と周りが談笑している中過ごす5分には天地までの差がある。小山は特に尿意を催しているわけではないが便所に行こうと席を立った。この空間にいるだけで自分の体内の酸素が奪われていくような気分だ。

自分が捉えた扉から一回り高校生より体が大きい大人が教室にするりと入って来るや否や、水色の厚さ五センチほどでB5のプリントが入るように設計された長方形の箱から溢れそうなほどの手紙を少し手に取り、配り始めた。(よく見るとほとんどがA4のプリントを半分に折った状態だった。)手紙には大きめで黒く塗り潰されたフォントで 冬期休暇の過ごし方 と書いてあった。その下からはいつものように(警察沙汰になるようなことはやるなと)注意事項がつらつらと書かれている。

 藤本が「号令よろしく」と少し枯れた声で小山の方を見やる。できるだけ少なく、短く空気を震わせながら号令を行う。 ホームルームは想像通り明後日からの冬期休暇についての課題や注意についてだった。

「明日は予定通り一限目に単語テストを行ってから成績表の配布を行う」と言い終わった瞬間後方の席の誰かが肺に目一杯の空気を吸っていく、とその酸素を瞬く間にテストに対する不平の言葉に変換させ、喉をびりびりと震わせながら教室内を響かせる。周りの生徒もその周波に共感したのか各々の響きで共鳴しあう。どちらかというと本気でテストが嫌だというより、とりあえず何かをしゃべっておきたいという心持でそれらの単語を発したのかなと感じる。

いつの間にか単語に対する不満は終わり、今日の午後に何をするかで盛り上がっている。メンバーは、自分がかろうじて所属している人間たちだ。どうやらカラオケに行くらしい。    

自分は歌うことが苦手なのでカラオケは誘われてもあまり気乗りはしない人間だ。第一今人気の曲を知らない。その曲は何? と重本に聞くとものすごい形相の顔で お前出家でもしたの? と聞いてくる。 いやしたことないけど と返答をするとすでに周りと重本は違う話題で盛り上がっている。小山はそんなときはいつも周りに聞こえるか聞こえないかくらいの声量で「次の授業の準備しなきゃ」と廊下へと出ていく。 まあとにかくカラオケとか歌とかがあまり好きじゃない。 いつの間にか連絡事項もすべて終了し号令を副会長がかけているところだった。

 「ただいま」 自分の声がふわふわと漂って三メートル先の廊下くらいでぽわんと息の塊が消えてゆくような感じがした。リュックを廊下のわきにそっと置くと洗面所で丁寧に手洗いうがいを行い、居間への扉を開ける。

雑然としている部屋は日中に人がいなかったせいで空気が少し淀んでいる。一番大きいガラス窓を開けて空気の出入りを自由にした後、ポケットに入っていたスマートフォンを起動させた。冷蔵庫から麦茶を取り出しシンプルなガラス製のコップにとろとろと液体を注ぐ。手慣れた手つきで画面操作し、インスタグラムを立ち上げる。過去にメンバーから使い方を教えてもらって以来、このアプリケーションに魅入られ、毎日帰ってからストーリーを一通り見て、投稿にいいねを押すことが習慣化している。重本のストーリーが更新されている。開くと五人ほどでカラオケに行っている楽しそうな動画だった。考えたくもないのに男子で言っていないメンバーを一瞬で分類しそれぞれがどこに所属しているのかをさらに分類する。自分が虚しくなることくらいわかっている。それでも脳は止まることをやめない。

斎藤はハッシュタグで #うるさすぎ と楽しそうに騒いでいるメンバーを動画に収めている。確かに自分はこのノリについてはいけない。こんなテンションにはなれない。誘われないのも当然だ。そう、当たり前なのだ。テンションの違いや性格の違いなんて全員違うのだから、このメンバーがうるさいだけなのだ、特別。呼ばれていないメンバーのほうが当たり前に多いのに何を一人で勝手に落ち込んでいるのだろう。本人たちだってわざと僕を呼ばなかったわけじゃない。そのメンバーのノリが特別合っていて楽しいからカラオケに行き楽しいのだからその楽しそうな光景を動画に収めているのだ。何ら間違っていることも誰かが不愉快になることのないただひたすらに楽しそうな動画だ。

小山はコップに注いでいた麦茶を飲み干し、インスタグラムを閉じる。明日は単語のテスト。150から173 決して難しくはないがしっかり勉強はしていなければ満点近い点数を取るのは難しい。冬期休暇、何をしようかな。小山は一人ぼっちの脳内を自分一人が駆け巡り続けた。


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