1 それが魔王さまとの出会いなわけだが。
『メモリア?』
『ああ、メモリアだ。妖魔の中でも希少種だな』
オレを拾い上げた魔王さまは、そんなことを宣った。
あー…ちょっと、待ってくれ。
ちょっと、情報を整理しようか?
まずは…そう、オレが目を覚ましたところから、だよな。
※ ※ ※
オレが目を覚ましたのは、真っ暗な闇の中だった。
目を覚ましたってのも、変な感じだけどな。なんせ、真っ暗で、しかも身体の感覚がないときた。
事故にでもあったか? いや、そんな記憶はないな。まあ頭打って忘れてるかもしれないが。
――あ、やばい。マジで忘れてるっぽい。自分の名前がわかんねぇや。
じゃあやっぱり事故にでもあったか?
だとするとオレ、植物状態か何かで意識だけ覚めちゃった?
んー……それはそれでなんかなあ……
……てか、違う気がする。うーん、せめて周りが見られればなあ……
そういや、音もないのか?
――え?
突然、周囲が様相を変えた。
水平線しか見えない海。陸地は欠片も見当たらない。きれいな青空が広がってるけど、なんか、違和感がある。なんて言うか、すっごい不自然……?
あ。太陽がない。
てか待てこれ、絵じゃないか?
じっくりというほどでもないが、しばらく見てたらそれがわかった。
すごく精密で綺麗だけど、どこかのショッピングモールにありそうな、絵の空だ。だから動かないし、明るいのに太陽がない。不自然なのはそのせいだな。
あ、もう一つあった。海の上に浮かんでるっぽいのに、波に揺られてる感覚がないんだ。てか、……あれ? 波が動かないって、これも絵か? いや、なんか固まってる?
まさかこれ、ジオラマか?
……そう考えると納得がいくってのも変な話だよな。でも実際、360度全方位、風景が動かないんだ。
後、……うん、360度全方位、見えてるってのは一番おかしい。見えてるってのはちょっと違うような気がするけど、でも見えてるしなぁ。
その割に、俺の身体が見えないけど。
うーん……いや、オカルトな答えが出てきたけど、それはないだろう。ジオラマに魂だけ閉じ込められた、とか。ねぇ?
当たり前だが、答えはない。なんだ、これ。マジでオレ、どうなってんだ?
――……
いやいやいやいや待て。答えなくていいから、待って、何か聞こえたよ!?
すぐ隣りから何か、聞こえましたよ!?
――……
はっきりと…ってのも変だけど、それは確かに聞こえた。と、思う。いや、何を言ってるかはわからないんだけどさ。
なんていうか、……放っとけない気になる、叫び?
感覚的には、何かが寄り添ってるみたいな気にもなるけど。
――……
聞こえない声。見えない姿。なのに、オレに寄り添っている何かがいる――それだけ分かるというのは、奇妙としか言い様がない。
……何かわかんない奴でも、しゃべれないやつでも、一緒にいるとなるとそれだけで何か、安心できる。つまりオレは、けっこう心細かったらしい。
し、仕方ないだろ。自分が何者かも分からなくて海(たぶん偽)の真っ只中に放り出されて心細くないとか、それどんな勇者だよ!?
それになんか、海が荒れてきたし。
ん?
…荒れてるな、海。あれ? さっきまでジオラマにしか見えなかったのに?
いや、今でもなんかジオラマより不自然だけど。
空(思いっきり偽)は嵐模様に描き換わってる。波は荒れてるなんてやさしいものじゃない。けど、明るいんだよな。不自然に。
ついでに言うなら、なんか時々、飛び交ってるように見える気もする。何かが。
何がいるんだよ、こんな偽海に。
――なんだ? 何か……何か来た?
気づいたら、俺は闇に呑まれていた。
何も見えなくて、聞こえなくて、手を伸ばしてもわからない。歩き続ければどこかに辿り着くんだろうけど、歩いてる気もしない。なんだっけ、これ。なんか、経験があるんだけど。
――”闇夜回廊”。目を開けてるのか閉じてるのか、それすらもわからなくなる闇の中を手探りで彷徨うお遊び。孤独感が半端ではないので、心臓が弱い場合はやらないほうがいい。とある野外博物館にもあるが、二度体験する気にはならないくらいに怖い。
……いや、別にそこまで怖いとは思わない。動けないし、何も見えないのは事実だが……ああ、あれだ、退屈?
――”退屈”。することがなく、暇を持て余す状態。飼いならすところまで行くと、復帰は難しい。
ペットかよ!?
思わず突っ込みを入れたら、周囲がざわついた。いや、周囲というか、ざわついたというか……何だ?
何だって言えば、そもそもここだ。不自然すぎる。そもそも俺は、何をしてるんだ?
何をしてたんだ?
……漂っていた。海の中を。
ああ、そうか。じゃあ、俺は捨てられたんだな、きっと。あ、もしかしてここは何かの実験施設とかで、おれ失敗作かも。
……失敗作か。
ああ、それなら俺、もしかして首だけなのかな。あ、そうかも。それだったら、動けなくても不思議じゃないよな。それだと目もなかったりして。いや目はあるか、開けてる感覚あるし。
……首だけで生きてるなら、十分な成功作だという気もするが。
無理無理、首だけなんてぞっとする。動けないくせに考えるし、しゃべるし。うん、俺だったら近づけないね。化け物じゃん、そんなの。
……器物百年を経て、化して精霊を得てより人の心を誑かす。
ん? てことは俺、何かが化けたのか?
……あるか。
首になりそうなものねぇ。んー、まんまだけど人形の首とか?
「そんなはずあるかっ!」
え。なに?
今の、俺じゃないぞ!?
「ああ、お前じゃないよ。呑まれていたようだな」
はっきりした声が聞こえるけど、その姿はどこにもない。…ない、でいいんだよな?
「見えていないだけだろう。この暗闇で見える目を持ってたら、かなりすごいぞ」
へえ、すごいんだ。じゃ、おれ、すごい化け物?
「見えたら、だ。とりあえず、化け物から離れようか?」
なんか、全身を締め付けられるような変な感覚がオレを取り巻いた気がする。何だ、これ?
いて、いて、いてててっ!?
何すんだよ!? てか何したよ!?
「馬鹿なことをいうお前が悪い」
責任転嫁しやがった!? 何者だよこいつ!? ってかやめてマジでやめて本気で痛いから!!
ふむ、とか声が聞こえて痛みは消えた。やっぱりこいつの仕業か。何だよ、俺よりよほど化け物じゃん。
「……化け物ではない。<妖魔>だ」
――妖魔?
「今みたいなことが出来る種族さ。そうだな、これなんか面白いぞ?」
その言葉と同時に、闇の中を虹が流れた。その虹が広がって霧散して――周囲に現れたのは、檻か、これ?
「鳥籠の中だよ、ここは。お前は鳥籠に入って、畏海を漂っていたんだ」
いや、無理だろ。いくらなんでも鳥籠って。どれだけ大きい籠だよ、これ?
俺に背を向けた人影はそれに答えず、鉄格子に手を伸ばした。その手が触れたのか、その一本だけが光って――それだけだ。
「無理か」
それだけ言って、鉄格子に凭れて座るのは……男、だよな。なんかめちゃくちゃ髪、長いけど。何をしようとしたんだ?
「ああ、壊そうかと。髪、気になるか?」
気になるよ。なるだろうよ、長いのはどうでもいいけど、虹色に光ってんだもんよ。気にならないわけないぢゃん?
「消えると真っ暗だからな」
明かりかよ!?
「お前の髪でやってもいいぞ?」
へ?
言われて気がついたけど、オレの髪もけっこう長かった。うん、三つ編みが出来そうだ。やらないけど。てか光らせないでいいから、な?
ち、と舌打ちが聞こえた。気のせい……じゃ、ないな。うん。
って、あれ、髪? おれ、身体あるじゃん。
しかも座ってるのか、今。何これ、釣り椅子?
「ああ、見えたな。椅子というか……巣?」
……ああ、鳥籠だから。っていやいやいやだからなんで鳥籠だよ!?
「まあ、牢屋よりは身近だからだと思うが、どうかな」
いやまあ、それはそうかもしれないけど。嫌だけど、牢屋が身近だったら。
くすくすと笑う声がだけが返ってきた。…なんか、バツが悪いというか何というか。
改めてじっくりと見てみれば、確かにそれは鳥籠なんだろうと思える造りだった。落とし戸もあるし、床は鉄格子と一体化してるし。上の方は見えないけど、若しかしたら持ち手もあるんだろうか。ちょっと見てみたいけど、……いや、その前に、だからなんで鳥籠?
「私が作ったわけじゃないからな」
つまりは知らない、わからない、と。まあそういうことか。
「畏海は自我あるものを狩るからな。それから守るためのものだろうとは思うが?」
……狩る? え、おれ、狩られるの? 何、人間狩りなんて許されるの!?
「人間狩り?」
不思議そうな顔が首を傾げた。だってそうだろ、人間狩りだろ?
「……さっきまで、化け物だって言ってなかったか?」
!!!!
それはっ、……そう、だけどっ。
「まあ、いいさ。狩られるのは御免だということで、いいか?」
当たり前だ。誰が狩られたいもんかよ。鬼ごっこじゃあるまいし、あれは狩りじゃねぇし。
立ち上がった男が、俺に手を伸ばした。っていうか、両手を伸ばされた。へ、何。おろしてくれるとかそういうこと?
いやいや、大丈夫だから。俺一人で降りら
「っ痛っ!?」
「……大丈夫か?」
支えてくれよそう思うなら!?
「いや、流石に巣が消えるとか、思わなくて」
そうだろうよ、そーだろうけどよっ!?
それでもそいつがいたせいか、顔はぶつけずに済んだみたいだ。流石に鼻血とか御免こうむりたいからな、そこは助かったかもしれない。
立ち上がろうとして、俺はふらついた。今度はしっかり支えてもらえたけど何だろう、歩けない……ような?
「まあ、無理だろう。立てるなら十分だよ」
……あれ? 俺やっぱり、長期入院とかしてたのか?
え、なに、流行りのあれ? ゲームの世界に閉じ込められちゃったみたいな?
で何年か経ってやっと目が覚め……はないか、これあっちか、解放されてないほうか。げ、俺実験動物!?
「……何の話だ?」
あれ、知らない? けっこう有名だと思ったけど。年齢的にも知ってそうだけどなぁ。あ、もしかして若く見えるけど結構な年とか?
「……そこは否定しないが」
しないんだ。え、否定しないんだ?
いやでもせいぜい三十代にしか見えないんだけど、いくつだろ?
「さて。物心ついてから、百年は経たないところだと思うが、正確にはどうだろうな」
……ノリいいな、こいつ。
「お気に召したなら何より。さて、ここに長居をしたくはないんだが」
ああ、そりゃまあ俺もいやだけど、こんな真っ暗闇。
その瞬間、周囲が一気に明るくなった。そこにあったはずの檻? その柵も消えて、……なんていうか、白いボールの中に入ってる、みたいな……?
「……もう少し、語彙を増やそうか。一応、花の蕾を模してあるんだが」
つぼみ?
……あ、つぼみの中にいるのかこれ!?
言われてみれば納得、ああ丸いんじゃなくて、そういう形に見えたよ。なんか、ごめ…ん……?
なんかどんどん薄くなってる気がするが……?
「ああ、襲われてるからな」
あっさりと言い切って、男は外を見た。何かブツブツ呟いたりして、考えているようだが。
……大丈夫なんだろうか。
「悪い、少年よ。力を借りたい」
へ? おれ?
…なんか新鮮な響きだな、”少年”て?
そりゃ構わないけど、何をしろって?
「ああ、もう了承してくれたか。特には何も。とりあえず」
ひょいっと抱き上げられて、俺は慌てた。いやあのちょっと!?
「大人しくしててくれ。ああ、空を見ていると面白いかもしれないぞ?」
空?
この書き割りみたいな空のことかと見上げたら、なんか全体的に色が薄く……いや、明るくなってるのか?
黒雲から稲光とか走ってるのに周囲だけは明るい。ほんっとに絵だな、これ。
「まあ、畏海はそういうものだ。ちなみに端のほうから火球みたいなのが来ると思うが、目をやられるからそれは見るなよ?」
カン、と足元で音がした。一瞬だけ周囲が真っ白になって、次の瞬間には俺たちは二人、船の上にいた。船というか、……帆掛け舟? っておい、さっきの蕾はどこへ行った!?
「術を変えたんだよ。この方が推進力が出るからな」
推進力って、お前、この荒れ模様の中で帆を立てるとか正気か!?
「船、揺れてるか?」
揺れてるよ!? お前は慣れてるみたいだけど俺はここで放置されたら立てな……
……あれ? 立てそう?
にやにやと笑う男が言うとおり、別に揺れてはいないようだった。いや、でもさ。でもさっ!?
「立つくらいは出来るさ。大丈夫だとは思うが、座っててくれて構わない。私はしばらく、操船に掛かりきりになるから」
操船?
……でもこの船、帆掛けだよな。櫂があるようにも見えない……ってかその前に、この嵐の中でどうする気だ?
「櫂は船尾だよ」
いつの間に移動したのか、男は櫂を握っていた。ぎぃ、と音を立てながら船は向きを変える。
櫂を握るその顔は真剣だが、視線は前方を見ていない。時々方角を確かめながら向きを修正してるんだが、手元の……あれは方位磁針なんだろうか。それにしたって、前方不注意って危なくないか?
「問題ないさ。見えるものはただの幻だからな」
幻?
「ああ、ちょうどそこに来るな。触ってみるといい、ほら、そのごつい装丁の本なんかどうだ?」
ごついって……あ、これか。赤い表紙の――あれ、布か? しかも何か飾りがついてる……ってかあれ、蛇? 互いに尾を噛み合ってる……まさかこの中、赤と緑の二色刷りだったりしないだろうな?
「ああ、『果てしない物語』か。そうかもな?」
――オレが伸ばした手は、それをすり抜けた。え、なに? 取り損ねたんじゃないよな、今の?
「言っただろう、幻だよ。本当に危険なものは結界の向こう側で消えるから、問題ないのさ」
消えるんだ。へぇ……どういう仕組みだろ?
「危険なものに触れると、結界の外壁が弾けて打ち消しあうのさ。さっきの花びら、覚えてるか? あれが一枚ずつ、な」
蕾みたいなあれのことか。
…へえ。打ち消しあうんだ。へぇ……。
「何か言いたそうだな?」
いやな? さっきからなんか、波飛沫とかはっきり見えるようになってる気がしてだな?
気がするんじゃなく、実際にそうなんだけど。なんか本物っぽく見えるし。
そんなことを考えながら周囲を見てると、男と目が合った。
「あまり時間はないと言ったぞ?」
そういう意味かよ、カウントダウンかよあれ!? てかもうちょっとわかりやすい言い方してくれ!?
「そう言われてもなぁ。みな、それで理解出来ていたし」
みんなはみんな、俺はオレなのっ!
そこで不思議そうに首を傾げても可愛くねーぞ、兄さん?
「兄さん??」
名乗らない奴なんぞそれで十分だろ。
何がツボったのか、兄さん兄さんと繰り返し呟き始めてしまった。いや、ちょっとそれ、怖いんだが。まあ別に楽しそうだからいいけど。
「では、弟君よ?」
……はい?
オノキミ?
「船の前方を見ていろ。決して振り向くなよ、目をやられるぞ」
目?
思わず振り返ると、めっちゃまぶしい何かが目に飛び込んできた。慌てて目を背けたけど、めっちゃチカチカする。何だ、今の?
「だから、言っただろ。後で説明するから、見るなよ?」
呆れられてしまった。いや、今の言い方じゃ無理だって、見るって。見るよ。見る、よな?
はいはいと軽くいなされて、座るように促された。いやまあ、言われてたけどさ。
「三」
へ?
「二」
いきなりかよ!?
「一」
ちょっと待て、待ておい早い!?
「零」
――衝撃、というか何というか。
周囲が真っ白になって何もかも見えなくなると、意識ってのも無くなるんだと。
オレは思い知らされた。