第弐話 偽物兄妹の万死一生
リンゴーンという鐘の音がなると同時に、先生から筆記用具を置けと指示が出た。名前欄に霧雨 玲華 と書いてあることを確認して鉛筆を置く。
時計を見ると午後5時半になっていた。8時間半もやっていた飛び級特別試験もこれで終了。
合間合間に休憩があったとはいえ、8時間もテストをやるのはもうやりたくないな。
「玲華っ!」
「あ、梨花!終わったね〜」
「うん。大変だったね…」
話しかけてきたのは隣のクラスの秀才であり、私の親友の中村 梨花だ。テストで疲弊した心を少し癒してくれる。さすがは中等部のアイドル。
「一緒に帰ろ」
「ちょっとまってね」
帰り道が途中まで同じだからよく一緒に帰るけど、話す内容が先生への不満という、ちょっと黒い一面もある。他の人は知らない二人の秘密。
非常灯だけが付いている暗い廊下を2人で歩くのは初めて。夜の学校は少し怖い。
窓から、高等部校舎にある魔法道具研究会の部室を見たけど、そこの電気も消えていた。
「帰っちゃったのかな」
「ん?ああ、お兄さん?」
「うん」
「えー、帰りはしないと思うよ。一報いれるとかするでしょ」
「そうだといいなぁ」
下駄箱についてキョロキョロまわりを見回しても、義兄様の姿はなかった。やっぱり先に帰っちゃったのかな。
まあ家の鍵持ってるし、こういう時は自転車置いてってくれてるはずだから帰れるけど…
「ねえねえ、クスノキベンチで待とうよ」
「あ、そっか。さすが梨花」
この学校の構造は変わっていて、高等部の校舎が一番正門に近く、その両脇に初等部と中等部の校舎がある。
その高等部校舎と正門までにある中庭の名前がクスノキで、そこにおいてあるベンチだからクスノキベンチと言うらしい。
だけど、そもそも外にあるから生徒が使うことは少ないし、生徒以外でくる人もベンチなんて使わないから、誰にも使われていない。
梨花よりも一足早く中庭へ行くと、常に閑古鳥が止まっているようなベンチに女子高校生が座ってウトウトしていた。
もう最終下校時刻は過ぎている。起こしてあげたほうがいいのかな?
意味もなくまわりをキョロキョロした時にガラス張りになっている階段を見ると、義兄様が4階から降りてきているのが見えた。
「あ、義兄様」
「梨花ちゃん参上!」
「お人形かn」
「それ以上言ったら手首捻りあげるよ玲華」
「はーいごめんなさーい控えまーす」
と、それはいいんだけど。さっき義兄様が見えたってことはもうすぐ来る。どこで待とう。
「うーん…無難に正門前でいいんじゃない?学校の敷地内から出なきゃいけないしね」
「そうだね。行こっか」
そうは言ったものの、さっきから視線を感じるような気がする。周囲を見ても、ベンチで寝ている高校生以外に人はいない。
少し不気味だけど、気のせいかな?
そう思っていたらその視線が急に外れた。何だっんだろうと思って梨花を見ると、なんだか居心地悪そうにキョロキョロしている。
どうやら見てたのは私じゃなくて梨花だったらしい。でも、どこから?
門越しに道路の向こうをみると、数人の男が固まっていて、その少し後ろにはワゴン車が止まっている。
その中の一人がこちらを…梨花と手元の紙を見比べていた。
なにか、おかしい。万が一のため彼女の前に防御魔法陣を展開して、正門を出る。
するとなぜか私の肩に衝撃が走る。痛くはない。そしてそれと同時に強烈な眠気が私を襲い始めた。
「玲華!?きゃ!」
梨花に張った魔法陣が何かを弾いた音がして、倒れ込む私を支えようとした梨花が小さな悲鳴をあげる。
こっち側の道に人はいない。あまりにも急に色々な事が起こりすぎて何が起こっているのかさっぱりわからない。だけど。
「り、か !」
眠気で朦朧とした意識の中、なんとか最後の力を振り絞って、梨花を正門の内側に突き飛ばした。もう梨花の顔も見えない。
「れ…」
「ごめんね」
どうにかそう言った直後、大きな眠気の波は私を包み込んで奥へと引きずり込んでいった。
ーー Heterogeneity shrine maiden ーー
「レイカ!」
「…んぁ?」
ぼーっとした頭で周りを見る。奥には校舎があって、ここはお庭?中庭か何かかな。
どこだっけここ?ああ思い出した学校だ。
しかもここベンチ?まさかそんなところで寝ちゃってたなんて…誰かに見られてなかったかな。
まあ、今日は仕方ないとしよう。転校初日の魔法の授業で模擬戦闘をやらされるとは思わなかったし、ついうっかり力加減間違えて2位にまでなってしまった。
最初はあんまり目立たないようにしようと思ってたんだけど、失敗したよね多分。
1位の霧雨くんすらかなり疲弊させた謎の転校生。そんな肩書きで、私こと神無月 黒の名前は瞬く間に広まった。恥ずい。
それはいいとして、さっき聞いた叫び声は?
リュックサックを背負って聞こえた方へ急ぐと、正門に茶髪の女の子が座り込んでいる。
なにかがおかしい。視認すると同時に詠唱省略で足に魔法陣を通して脚力を増強。だが、走っている途中で妙な香を感じて止まる。
どこかで嗅いだことがあるような…
そんなことを思っていたら、正門の向こう側には男たちが群がっていた。さっきは死角で気づかなかったけど、横たわった金髪の女の子を取り囲んでいる。明らかに介抱するような動きじゃない、まずい!
「デュアルアリア!《ホーリー レイ》《テラー≠レジスト》!」
単語詠唱と重複詠唱の2種類の技術を使い、本来なら長い詠唱か魔導書が必要な魔法を2つ連続使用する。さらに効果が相乗されるオマケ付きだ。
詠唱と同時に光の矢が上空に展開され、回転する。それらが全て、正門の向こうにいる男たちに堕ちていく。
絶命には至らない大きさと形にはしたけど、その代わりにありとあらゆる物に精神的恐怖を感じる効果を付与した。これでしばらくは動けまい。
座り込んでいた茶髪の子の前に立ち、キッと男たちを睨みつける。
「幼い少女を襲うなど言語道断!何者だ!」
そう脅したけど、男たちはこちらをチラリと見ただけで、すぐに金髪の女の子を担ぎ上げた。そして門の近くに止まった車へ運ぼうとする。
おかしい。まさかテラー≠レジストが効いてない!?
「行って!サルタヒコ!」
パニックになりかけたけど、どうにかバッグのお守りを一つ引き剥がし、投げた。すると煙がお守りを覆い、赤く光ったかと思えば姿を消す。
ちゃんと発動はしたから、追ってくれた…と信じたい。
「はぁ…最悪」
しくじった。目の前にいる人を救えなかったなんて、魔法使い失格…
いや、いつまでも落ち込んでいられない。
男たちは何かに取り憑かれたような目をしていたけど、どこかの本で似たような目をした男の写真を見たことがあった。
とはいえ今から家の書庫を調べるのは非効率的すぎる…
「あ、れ、レイカが!」
振り向くと、女の子が取り乱している。さっき叫んでいたのはこの子か。
「落ち着いて。自分の名前は?」
「中村、梨花、です」
「ナカムラさん、お願いがあります。職員室に行って、見てきたことを全部言ってくれないかな?」
「…でも」
「あなたが行っても何されるかわからないし、やめた方がいい」
「…」
泣きそうな顔でこっちを見てくる。でも、あの子を連れ去った目的がわからないのに助けに行かせても、逆に人質になりかねない。
「…正直やりたくないんだけど、仕方ないか」
「え?」
「このことは内緒でね」
頷いたのを確認し、ポニーテールにしていた髪を下ろし、リュックを下ろして出来るだけ体を軽くする。ブレザーのポケットの中から手鏡を取り出して、上に投げる。
何をやるのかと興味深そうに見つめられながらやるのは恥ずかしいけど、そうも言ってられない。
「《グラヴィティ レイヤー》!」
手鏡が落ちてくるスピードがどんどんゆっくりになり、目線の高さくらいで完全に停止した。
「神性転移…しようにもこの状態じゃ無理か。ああもう面倒くさい!」
リュックから梓で作られた小さい弓を取り出し、矢は番えずに弦を鳴らす。
鳴弦、と言うんだったか、魔除けの儀式で使われるものの小さい版だ。
「伊斯許理度売命、ちょこっと権能をお借りします」
鏡作りの神のお力をほんの少しお借りして、金髪の女の子を連れ去った車のサイドミラー、バックミラーと手鏡を繋げる。
波紋のようなものが鏡に広がって、車内の様子がわかるようになってきた。少女は縛られているが、それ以外のことはされていないようだ。
「何か起こる前に止めないとね」
小さい魔法弾を作り出して矢の形に加工し、梓弓に番えて再度グラヴィティ レイヤーを発動。空中に固定する。
そして、鏡に向かって二拝。そして目を瞑り、祝詞を奏上する。
「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
禊ぎ祓へ給ひし時に
生り坐せる祓戸の大神等
諸々の禍事・罪・穢 有らむをば
祓へ給ひ清め給へと
白すことを聞こし召せと
恐み恐みも白す」
奏上し終わり目を開くと、服装がかなり変わっていた。奏上している時に変わったのかな?
黒いブレザーは白い小袖になっていて、上から襅を羽織っている。そして紺色のスカートは襠のある緋袴になっていた。
さらに下ろしていた髪は、水引で飾られた一本結びになっている。いわゆる巫女の格好だ。
それに、弓と魔法矢が普通のサイズまで大きくなっている。ここまでしてくれなくてもよかったんだけど…
とはいえ、八百万の神々からかなりの援助を得られたのはかなり心強い。その分緊張も大きいけど…
二拝 二拍手 一拝。感謝と請願を念じ、大きくなった弓を取り、鏡に照準を合わせながら是非曲直を問う。
「もし彼らに邪心あるのなら、鏡像を通り、真を穿ちたまえ!天之波波矢!」
眼を開き、鏡へ矢を放つ。矢は鏡に吸い込まれ、鏡像の男達を穿った。あとは神様方がお決めになる。
「ふぅ」
ため息と同時に巫女服と弓が光の粒子になって消え、制服と小さい弓に戻った。
鏡を見ると、車は停止している。だが、男らの姿はない。車外に出てしまったようだ。
鏡と弓をリュックサックにしまい、背後から聞こえる足音に振り向く。
「どうも、霧雨くん」
ーー He doesn't know anything about ーー
「……ありがとうございます。お陰で最悪の事態だけは避けられた」
「いや、私が最後に余計なことしなきゃ、追うの簡単だった。ごめん」
「あの!」
玲華の連れ去りと、それに対する神無月さんの行動の全てを聞かされたが。それに不満は全くない。
しかし、なんで玲華が?
「こんなところで謝り合うより、助けに行かなきゃいけないと思う」
「…そうだね。とりあえず自転車取ってくるか
どうする?梨花ちゃん」
「…先生たちに伝えてくる。行っても足手まといにしかならないと思うから」
「あ、私も自転車で行きます!」
僕と神無月さんは自転車置き場に向かう。自転車は見回す限り4、5台しかない。置いて行っているやつがいるのは問題だ。
「というか、場所だけ教えてくれれば僕だけでいくんだけど…」
「乗りかかった船。しかももしあいつらが移動してたらその情報使えないでしょ?」
「…たしかに。それじゃ、《魔機装鎧 マギア チェンジ》!」
リュックから魔導書を引っ張り出し、ハンドル部分に目次を開いた状態でロックした。
すると魔導書が光り出し、自転車に色々なパーツがくっつき始める。
10秒と経たず、自転車はバイクのような形になった。
重さはそこまで変わらないけど、鎧のおかげで元の自転車と比べて強度は50倍。速度はそもそも素の自転車だけで時速60kmは出るから十分。
ただ、魔導書を使わないと鎧が2分保たないし、ロックしている間は他の魔法が使えないという弊害があるのが難点だ。
いやまあ危害加える奴はそいつごと轢けばいいし、そんな危機的状況に陥ったことはないんだけど。
同じように自転車を持ってきた神無月さんと合流し、自転車出口に押しながら歩く。途中でこの話をしたところ、神無月さんは驚いた表情を浮かべた。
「へぇ…ちょっと触って良い?」
「どうぞ」
神無月さんはハンドルにつけた魔導書を2回小突いた。
すると車体が青く光り、座席の背後に機関銃のようなものが二丁、横向きに現れた。彼女がもう2回小突くと、元の形に戻った。
「はい!?」
「へえ、軽い兵装も出せるんだ」
「…干渉魔法」
「あ、ばれちゃった?」
構築式とか、かなり複雑に作っているからそう簡単に見破れるはずがない。この人一体どんな眼してるんだ…
不審には思う。でも転校初日で問題をおこすような人には思えない。信用してみてもいいかも?
「それじゃ、ちょっと失礼して…《コピー オルタナティブ》」
「そういえば、今日の魔法の実技で思いましたけ、ど…」
神無月さんが自分の自転車に、僕の使った魔法を全く同じように再現した。この人、化け物だ。
「ん?」
「いえ…化け物級の魔法のセンスですよねと」
「そう?普通だよ。それより、時間がないから早めに行った方がいいんじゃない?」
「…そうですね、いきましょう」
色々言いたいことはあるけど、今はそれより玲華の無事が最優先だ。
彼女が先に自転車口を出て先導するというので、おとなしくそれに続く。
走ること約15分。神無月さんはとあるマンションで自転車を止めた。
「着いた…けど」
「高級マンション…?なんでここに?」
「サルタヒ…戻っちゃったかぁ」
そこには、ここ風鈴市でもかなり有名な高級マンションが建っていた。そしてさっきから妙な視線を感じるんだけど…
神無月さんはしゃがんで地面に手をつけ、大きく息を吐いて俯いた。
しばらくそうしていたけど、急に頭をあげ、立ち上がった。
「霊障の類…いや、夢魔か!」
「へ?え?」
「ごめん、やっと正体がわかった」
なんの話だかさっぱりわからない。だが、彼女は全て察したようで、マンション内に乗り込んだ。慌ててついていく。
管理員さんはなぜかいなくて、自動ドアも開きっぱなしだった。入りやすくてありがたい。
「君の妹を拉致したのは、ここに住んでる男5人だ。でも、本当の目的はナカムラさん」
「へ?」
彼女はエレベーターに乗り込み、13階のボタンを押した。扉が閉まる前に僕も入る。エレベーターは徐々に上がり始めた。
「だからこそ、まだチャンスはある。ナカムラさんだったら儀式なんてもうとっくに終わってて、最悪の事態になってるよ」
「話が飛躍しすぎです。儀式って何すか?」
おそらく、核心を突く質問だったんだろう。神無月さんはそれには答えず、数秒間、エレベーター内は静まり、13階についたことを告げた音声でお互い目を合わせる。
「目標は一番奥の部屋。じゃあ、いくよ!」
エレベーターを降りると、構造が1階ロビーと全く同じことに気がついた。これはマンションというよりもホテルの方がしっくりくる。さすが高級マンション…
「…と思ったら」
『貴様ら、何者だ』
「答える義理はないよね。魔物風情に」
コウモリの翼を生やした女が宙に浮かんでいる。男言葉なのに違和感を感じるけど、そんなことは重要じゃない。
『…重要な儀式の途中だ。退場しろ』
「残念だけど、そうもいかないんだよねぇ」
「…神無月さん」
「任せて」
神無月さんは左腕を捲り、深く息を吸った。するとスライムのような何かが左手から出て来て、彼女の前に一個、後ろに一個、左右に一個の計四個が、真ん中が空いている歯車のような形になって動かなくなった。
彼女は髪を下ろしてネクタイを緩め、前に左手を伸ばした手を途中で止め、胸の前で強く握る。
「…変身」
言うのと同時に左右の歯車に手を通す。すると歯車が小さくなり、腕をギチギチと締めていく。前と後ろの歯車も彼女を挟み、棒読みな女性の声が響いた。
『invincible mode』
その瞬間に歯車が粉々に砕け散った。だが、あまり変化は見られない。だけど左手で空気を払うと、急に着ていたブレザーが紫色のローブのようなものに変化した。
『…まさか貴様、あの』
「煩いな、雑魚」
彼女の声質が明らかに変わり、髪の毛の一部が白く変色している。周囲の空気も重たいものになっていく。
さっきの女はその気迫のようなものに圧倒されたのかジリジリと後ろに下がっていった。
「Are you ready?」
神無月さんは左手で指をさしながらそう言った。この人本当に何者なんだ!?
次回
義妹奪還の実践躬行
2019年6月1日(土)
公開予定