第一話 帰納のリスタート
普通の高校生。菜花戒杜。
彼は理論付けされた世界を嫌い、常に非日常を夢見ている。しかし、特殊な能力なんてものはなく、いつもつまらない日常を送っていた。
しかしある日を境に、非現実は現実に干渉し、普遍を塗りつぶし、彼を激動の渦に巻き込んでいく。現実と非現実の境界線は、菜花の前でどう変動していくのか。
そして、彼が迎える結末は、いかに。
前奏は終わり、世界は回り始めた
かなりの速度で通り過ぎていく景色は1、2ヶ月では何も変わらず、鮨詰め状態の電車内の人もそう変化がない。
それは僕の心情もそうだ。高校生活にワクワクしていた3ヶ月前の4月はどこに行ったのか。
蝉の音が電車からでも聞こえる7月。東京都の議員投票の開票ニュースが電車の液晶画面に出ているけど、そんなものを見る人はそういない。
みんな下を向いてスマホを見ている。目を離したかと思うと、近場にいた人を睨みつけたり舌打ち。いい年したおじさんだったりお爺ちゃんが何をしているんだろう。
世の中には不思議が沢山ある。僕はそれの一片でも知ろうと、代わり映えのない窓の外を見続けている。
だが、この行為とスマホを見ることのどちらに生産性があるかと聞かれたら、きっと後者の方だろう。それはわかってる。
魔法や奇跡なんてものはファンタジーの世界を描いた本でしか存在しない。昔は奇跡と思われていたことも、今じゃ科学で解決してしまう。
昔から不可思議現象が大好きだった僕は、数年前まで、科学者が後から取ってつけた理論を不完全に理解して、「世の中に不思議は無くなってしまった」とがっかりしていた。
今思うと、その時までの僕は一体どれほどバカだったんだろうか。
降りる駅が近づいてくる。正面に抱えているリュックの位置を、降りてから楽に背負えるように少し下げておく。
電車から降りると、むわっとした熱気が体を覆う。不快感を示したくなる蒸し暑さにげんなりしながらも、2階に登って改札を通り、また1階に降りる。
流石に満員電車に30分は辛い。大きくため息を吐いて周りを見ると、チラチラと目になにかが動いているのが入った。
注目してみると、目の前にあるコンビニの駐輪場で知り合いがこちらに手を振っている。
「やあ、菜花くん」
「ああ、貴方ですか。おはようございます」
「おはよ〜」
同じ学校の1年H組、吹奏楽部所属、そして僕と同じく生徒会役員。会計の不知河 一。いつも遅刻寸前で来ている彼にしては珍しく、とても早い。
「今日は随分と早いですね」
「ん?まあね〜」
彼はそうのほほんとした口調で言うと、自転車を押して歩き始めた。ゆっくりついていきながら、最近思っていたことについて話し始める。
「そういえば最近ね、思うことがあるんですよ」
「ん?」
「僕ってほら、敬語でしょう?」
「うん」
「変な奴〜とか思われているのかな、と」
「うーん、僕はいいと思うけど、他の人は…まあ、多分?」
「ですよねぇ…」
学校までの7分間でたわいもないことを話して、家での『僕』から学校での『僕』に仮面を付け替える。
あまり目立たないように、至って普通の人間であろうと心がけているが、生まれつきの異常性はそう簡単に隠せない。
本当に普通の人と話すと、自分がどれだけ普通の人から遠いのかがはっきり分かる。そしてそのことで泣きたくなるのを必死で止めているけど、果たしていつまで続くのだろう。
「唐突だけどさ、菜花くんってほんと不思議だよね」
「そうですか?至って普通ですよ」
「いや、普通なら敬語は使わないよ」
「…そう言われてみれば、そうですね」
学校への道は折り返しにさしかかり、僕と不知河くんの話はいつものペースで進んでいく。彼は僕を普通じゃない。と言うが、僕に話しかけてくる時点で大概だと思う。
「あ、そういえば、菜花くんが先生に対して反抗したって話は本当?」
「えぇ…それ、だいぶ曲解してますよ。僕はただ、必要のないことはやらないだけ」
「へえ…あれ?それってボランティアとか生徒会は?」
「……余暇活動みたいなものです」
誰かのために何かをするのは嫌いじゃない。その人の感謝の言葉で、僕はまだここにいれるのだと安心できる。それと、小学校でやったいろんな罪の清算という面もあるのだと思う。
もちろん小学生のやることだから、窓ガラスを割ってしまったとか、そんな程度。でも、僕にとっては大罪だ。
「でも反抗したのは事実と?」
「まあ…文句は言いましたよ」
「なんて言ったの?」
「こんな非効率的なことをやらせるんなら、もうちょっと効率のいい授業してくれ」
「言ったねぇ」
「まあ、間違ったことは言ってないでしょう?」
「うーん、そうだけどさ、言っていいことと悪いことってあると思うよ」
「返す言葉もございません」
話しながら歩いていると、いつのまにか学校前の横断歩道に着いていた。人と話すと時間が早く過ぎているように感じる。
正門から中庭を通り、玄関から入る。まだ朝早いからか、教室に電気はついておらず、少し暗い。この学校は、玄関に縦1m横30cmくらいのロッカーが、2段、5列ずらっと並んでいる。ロッカーに入れている荷物を取るにはわざわざ一階まで戻らなきゃいけないところは不便だけど、その分大きなものも入るから、割と使いやすい。
彼とはロッカーの列が違うためそこで別れた。憂鬱な思いを押しのけるため、僕は自分のロッカー前でネクタイをキュッと上げ、気合いを入れ直し教室へ向かった。
ーー let’s start talking about the world ーー
「生徒会室でのご飯はやっぱり落ち着きますね」
「そうなんですか?」
「教室だとちょっと…落ち着かないっていうか」
「ほう?」
「まあ、それに仕事できますし。ここ」
「確かに、臨時の仕事が入ってもすぐに対応できそうですね」
僕はバックから何となくカーディガンを取り出した。4時間半前まで電車で夏を感じてた人間の行動とは自分でも思えない。
なんとなく落ち着くからそれを羽織り、正面でご飯を食べている男を見る。
彼の名前は岩上 左鉄。不知河くんと同じ1年H組で、真夏でもブレザーを着ている、全く何を考えているのかわからない変人。僕と同じ写真部に所属しているが、正直一緒にされたくない。
といっても、僕も同じ時期にワイシャツだけじゃなく、カーディガンを着ているから何も言えないんだが。
と、急に岩上くんはこう話を切り出してきた。
「そういえば、哲学や倫理とか、お好きでしたよね」
「ええ、まあ」
「テレビで見たんですけどね、トロッコ問題というのがあるらしいんですが、存知ですか?」
もちろん知っている。トロッコ問題とは、ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるのか?という思考実験だ。
いちばん有名なのは、その名前の通りトロッコが暴走する話だろう。
暴走するトロッコを放っておけば、その前で作業中の5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
自分は線路の分岐路すぐそばにいて、トロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助けることができる。
しかしその別路線では1人が作業している。進路を切り替えれば5人の代わりにその一人がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。
この場合、自分はトロッコを別路線に引き込むべきなのか?という問いだ。
「では、どう思われますか」
おそらく「どう思うか」とは思考実験の答えについての話だろう。僕はそれに迷うことなく答えを出す。
「犠牲になる人で判断しますね」
「人によって決める?」
「ええ。例えば、犠牲になる一人が善行を積んできたいい人だったとします。それで、5人は人をいじめたりするひどい奴らだったとしましょう。
だとしたら僕は5人を殺して一人を助けます」
「…では、そのどちらもが悪人だった場合は?」
「5人を殺します。悪人の数は減らすべきです」
「では、どちらもが善人だった場合は?」
「1人を殺します」
「…難しいですね」
これに正解はない。どちらも正解で、どちらも間違いだからだ。でも、これを真面目に考えることが倫理を学ぶということなんだと思う。
「では、トロッコ問題ではありませんが、面白い思考実験を一つ」
「ほう?」
「カルネアデスの板というのがあります。
一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出されてしまいました。
一人の男が命からがら、壊れた船の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。
しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった…
これは正しいのか、間違いなのか」
「ふむ…」
「どう思います?」
急に話を振られて少し驚いたのか、岩上くんは少し考える素振りを見せた。だが答えるよりも先に、誰かが生徒会室の扉を開ける。
「!?」
一瞬身構えたが、顔を見てホッとした。
「やあ、遅れてごめんごめん」
「不知河さんか…」
「不知河くんどうも〜」
「なになに?また難しい話してたの?」
「そう難しくもないと思いますよ?ただの思考実験なので」
「へえ〜」
不知河くんは購買で買ってきたのであろうパックのカレーを開けた。彼はいつもこれを買ってくるけど、確かカレー以外にも焼きそばとかあったはず。そんなに何回も買って飽きないのか。それとも飽きないほど美味しいのか。
「それ、毎度毎度買ってきてるけど美味しいんですか?」
「んー、美味しいよ?」
「美味しくても飽きません?」
「飽きはしないなー」
「へえ…で、岩上くん、どうぞ」
「え!?」
カレー談義が終わったから岩上くんに話を振ると、かなり驚いたようだけど、すぐに話し始めてくれた。
「正しい…と思います」
「その心は?」
「自分が生き残るために、一人しか掴めない板を守る…人間の生存本能がある限り、私はこれを正しいと思います」
「まあ、ですよね」
「本当になんの話してるの?」
「えーっとですね…」
岩上くんが不知河くんに説明を始めた。邪魔するのもあまりよろしくないかなと思い、そっと生徒会室から出る。
しかしそこで、よりにもよって一番会いたくなかった人に出会ってしまった。
ーー The beginning of the beginning ーー
「ああ、菜花。ちょうどよかった」
「?…青原先生、何かありましたか」
「いやな、ちょっと頼みたいことがあって」
この青いワイシャツを着ている太い男は、この神石高校の生活指導部兼生徒会顧問、ポケットがない猫型ロボ…じゃなかった。青原先生だ。
まだ1ヶ月しか生徒会活動をしていない僕らでも既に嫌気がさしているくらい生徒や同僚の先生への態度が悪いことが有名で、同じ生活指導部の先生方からも嫌われている。
まあそれはいいとして。
頼みたいこととはなんだろう?どうせこの人が生徒に頼むことなんて雑用以外にないけど、生徒会だし、聞くだけ聞かないと後で色々言われてしまう。
「まあ、僕が受けれる程度の物であれば受けますが」
「あ、その点については大丈夫。
実は、生徒会室のプリンターはかなり古くて、役員から「新調しろ」って言われているから、そうしようってことで調整しているんだけど」
「はあ」
なぜこんな要領の悪い話し方をするのだろうか。
そちらの内部事情に興味はない。早く要件を言って欲しい。
チラリと生徒会室を見ると、僕がいないことに気がついた岩上くんと不知河くんがこっちを見ていた。
「大丈夫か?」というような心配した表情を向けてきた。頷くことでとりあえず大丈夫なことを伝える。
青原先生はそれを気にする素振りも見せず、自分がどれだけ大変かを低い語彙力で尊大に熱弁中。
バカが丸見え…というのは言い過ぎか。
「私も忙しいから、品を見れていないんだ。ということで、今日の6時までには品物と値段を調べてきてほしい」
「…6時ですか」
「やれるよな?菜花」
有無を言わさないように圧力をかけるっていうのがこの人のやり方なんだろう。それだからみんなから嫌われるんだろうに、全く気がつく様子がない。
現代社会の先生らしいけど、この人があんな奥が深い教科を教えられるのか?
そも、社会制度の歴史を学ぶためには哲学を知るのが一番手っ取り早い。だが、この人が教えられるものなんて哲学の『て』未満だろう。
「…善処します。ただし、会長から伝えてもらうのでそのラグはあると考えてください」
「そ。じゃよろしく。6時だからな?」
「…アンチ猫型無能ロボットめ」
人の話を全く聞く気がないこんな人の授業なんて、どうせ上っ面の知識を生徒に披露するだけの、面白くない道化師のショーみたいなものだろう。見るのが苦痛でしかない。それを50分も続けられたら流石に誰でも寝る。
先生への悪態は運良く聞き取られなかったようで、何も言わずに職員室に帰っていった。
ため息混じりに生徒会室に戻り、岩上くんと不知河くんに事の顛末を話すと、2人とも大きくため息をつく。
「なんですかそれは…」
「まあ、もともと話を聞かない人ですしね。所詮ポケットがない猫型ロボなんてただの邪魔な置物ってだけですよ」
「それは言い過ぎじゃないかな…でも、明日までは時間欲しいよね。今日の6時って言ったら、最終下校時刻から1時間でしょ?」
「最終下校時間が5時ですからね。流石にこればかりは…」
「一応保険はかけといたけど、どうなるか」
そんなところで昼休み終了の鐘がなった。急いで荷物を纏めて会室を出る。鍵を閉めてその鍵を職員室に返却し、3階にある自分の教室に戻った。
ーーー too too too late ーーー
学校は特に何事もなく終わり、電車に揺られておよそ10分。プリンターがありそうな店をジョーグルマップという携帯の地図アプリで探すと、家より奥にある市役所の、さらに奥にパソコン屋があるのを見つけた。最寄りの駅から直線距離で2kmと、そこそこ距離があるのは諦めよう。
「生徒に商品見聞まかせていいのか?まあ、いいのか」
4時半でもまだ日は高く、暑い。自転車で起きる風がまだ涼しめなのがまだ真夏でないことを主張する。
10年20年前の夏の最高気温よりも高くなった気温は、容赦なく僕の体から汗をかかせてくれるおかげで服が気持ち悪い。
…こういうことをしていると、自分がすごいちっぽけなものだと感じることがある。だからといってすることは変わらないけど、俯瞰し、諦めることで多少は楽になったように思える。
まあ多分、無能教師と無能父親の対応に疲れていて現実逃避をしているだけなんだろうけど。
「ふぃーーっと、風が気持ちー…なんだありゃ。あんな森みたいなの…?」
市役所の通りを横切り、大通りの信号で止まっていると、この街のことならほとんど知っている僕が、全く見たこともない道が通りの向こう側にあった。
そんなにここを通ることは多くないけど、僕の探索欲求からか見たことがあったら絶対に覚えているはず。新設された道だろうか?
そんなことを考えていると、後ろから小3〜5くらいの背格好で、白いワンピースを着た少女が通り過ぎた。
麦わら帽子のような形の、黒い帽子を被っていて、顔は見えなかったけど、なにかが引っかかる。
「なんだ…?」
注視と言うほどではないけど、ちょっと気にして見ていると、少女はその歳に似合わず足取り確かに、迷いなくその道へ入っていった。
「…帰る前にちょっと寄って行こうかな」
今の時間は5時半ほど。そんな時間にあんな危なそうな小道に入るのは少し変だとは思ったが、先生に言われた時間制限もあり、パソコン屋に急いだ。
店でも色々悩んだが、結局5万のプリンターの写真を撮って会長に送る。これで6時までに会長が見て、メールを送ってくれればノルマは達成。
パソコン屋から出て、どの道で帰ろうかと思案していると、さっきの道が思い浮かんだ。
大人しく帰る方がいいのは百も承知。何が起きているのかもわからないのに行くのは自殺行為以外の何物でもない。
でも、やっぱり気になって、道の前に自転車を止めた。そこから奥を覗くと、反対側から声をかけられた。
「そっちは私道だし行き止まりだよ、お兄さん」
「え、あ、どうもありがとうございます」
いつもの反射で敬語で返事をし、振り返ると、さっき奥へ行った少女によく似ている子が反対車線にいる。あの子が話しかけてきたのか?
まだ6時前だから車通りはそこそこあるが、不思議とその子の声はよく通り、車の走行音にかき消されなかった。
「じゃあね、お兄さん。また会おうね」
少女はそう言うと優雅に歩き始めた。その様子は、とても小学生には見えない。よほど良い家にでも住んでいるのだろうか。
自転車にまたがったけど、名残惜しくてもう一回私道を見る。よくよく見ると奥に木がたくさん生えているのがわかった。
もっとよく調べたかったけど、もう時間も遅い。また近いうちに来て調べよう。
そう思っていた。
ーーー There is no going back ーーー
「…おいおい、これどうなってんだ?」
帰宅後、どうしても気になったからパソコンを使ってあの道を調べてみた。
「…あの道がないのはまあマップの大きさとかだろうけど…森がない」
他のサイトも調べる。だが何処にもあの場所は載っていなかった。普通のマップからは勿論、上空写真からも消えている。
…状況を整理しよう。
どうやらネット上では、あの場所にはそもそも道はなく、道の奥に生えている木々も存在しないということになっているらしい。
この街はもうとっくに探索し終えたと思っていたたけど、どうやらまだ行ったことのない、しかも地図にない場所があると来た。
「ひっさしぶりにワクワクすることが起きたな…」
あの道は一体?あの少女は?分からないことが多すぎる。でも、それが僕の燻っていた探究心、冒険心をまた燃え上がらせた。
まずは明日図書館に行き、事前に情報を集めて行ってみるとしよう。今日は興奮でうまく寝付けそうにない。
とか思っていたら10分くらいで寝ていた。薄情者だよ全く。
次回
第二話 異界のヒーロー