悪殺し-拾玖-
ーー61ーー
夜もすっかり更けてユニアドの街の人々も寝静まる頃。
曇天で雲に隠れていた月が顔を出し、街にささやかな月明かりを灯す。
優しく照らすその様はまるで子を慈しむ母の愛で包まれるような心地にさせてくれる。
その光をまるで嘲るようにユニアド外周部、廃港上空は“悪”の瘴気で埋め尽くされていた。
これの元凶は十中八九あの“アクモノ”という化物の仕業だ。
かつて人間だった化物。
“悪”に捉われた化物。
“悪”そのものとなった化物。
その“悪”を殺すのがこの僕“悪殺し”の役割だ。
本来ならばこの状況にならないようにするのが概ねの役割だった。
まだ人間の時点で僕が“悪”を殺しておくべきだった。
だがそこで“アクヨセ”、サヤさんが介入してしまった。
“アクヨセ”のその特徴は“悪”を引き寄せる体質。
それにより今回の騒動に巻き込まれたのだろう。
そして“アクヨセ”にはもう一つの能力がある。
“人”が“悪”に成る能力。
この能力により一人“アクモノ”に成ってしまった。
またこの“アクモノ”には感染力があり、接触するだけで“悪”に変える能力を持つ。
結果二人もの人間を“アクモノ”に変えてしまった。
このまま“アクモノ”を野放しにしておけばその被害は中心部にまで及び、やがてユニアドは一変“悪”一色となってしまうことだろう。
そんなことはさせない。そのためにも。
今、この場で僕が殺す。
“アクモノ”も“悪”であるためその性質上“アクヨセ”に引き寄せられる傾向がある。
なのでどこへいようと必ず“アクモノ”は“アクヨセ”、サヤさんの元へやってくる。
つまりどこへ逃げても隠れても“アクヨセ”は“アクモノ”から逃れることは叶わない。
もしも“アクモノ”が彼女に接触したその時は───。
ーー62ーー
決戦の場は最初に黒服達と遭遇した廃工場に決めた。
理由としては外では身体を自在に伸ばす“アクモノ”にアドバンテージを与えてしまうからで。
また室内であれば僕も機動力を生かした戦いを出来るからだ。
ちなみに現在僕とサヤさんの位置は廃工場の中央にいる。
防衛戦となるならば本当のところ奥の部屋なりにサヤさんを押し込めておきたいところではあるが何せ相手は“アクモノ”、常識なんて通じない人外な化物だ。
この建物の壁なんて無いも同然に突き破るだろう。
そもそも入口から入るという概念すらない。
あるのは“悪”のみ。
「……来たか」
まるで僕の呟きに応えるかのように。
ガガッ!ボゴンッ!
轟音と共に“アクモノ”はやってきた。
天井から。
……少しくらい常識は持ち合わせてると思いたかった。
“アクモノ”は入るや否や(天井から)こちらの姿を捉えると半ば転びながら這うようにしてこちらに向かってきた。
その様はまるで蜘蛛人間のようだ。
ズカズカズカッ!と凶相が迫る中。
僕は武器を出すことなく丸腰で両手を広げて待ち構えた。
“アクモノ”があと数メートルという距離にまで迫ってきた時。
僕は広げた手の形を変え、指を鳴らした。
ブツンッ!
すると突然“アクモノ”の前足(じゃなくて腕)が千切れた。
それにより危機を感じたのか“アクモノ”は後方へ飛び、こちらの様子を伺うように警戒を始めた。
「やはりそう上手くはいきませんか……」
“アクモノ”が先程腕を千切れた場所、そこにはほんの僅かに見えるくらいに背景と背景を区分けるように一筋の黒い極細の線がまるで蜘蛛の糸のように張り巡らされていた。
「僕の針って極端に長くするとこのように反比例するかのように細くなるんですよ。まぁ、細くするとその分威力も下がるんですけどね」
“アクモノ”はまだ警戒している。
「今この辺りの空間にはこの極細の針……鉄線ならぬ悪線がそこかしこにあります。もし不用意に近づけば先程のように」
と、僕がまだ言ってる途中で“アクモノ”は予備動作無しで襲いかかってきた。
「……って聞いてないですよね!」
すぐさま僕も臨戦態勢に入る。
通常僕の出す針は“悪”に接触、つまり内部に入り込むことで初めて機能する能力だ。
そのため僕が“悪”を殺す際は必ず針で刺してからでないと殺すことができない。
だが今この廃工場内は至る所に針を極限まで細くして出来た糸が張り巡らされている。
この能力は伸縮自在で長さはいくらでも変更可能ではあるがその分、威力が落ちてしまうが極細の糸が張った状態ということもあり、そこに突っ込めばこちらが何もしなくても“アクモノ”の身体をさしものカッターのように内部に入り込むことが出来るので僕の能力発動条件が成立する。
つまりこのまま“アクモノ”がこちらに突っ込んでくれば向こうから刺さりに来てくれるのだ。
僕はそのタイミングで指を鳴らせばいい。
威力は弱まっているとはいえそこは数でカバーだ。
糸のところまで“アクモノ”が一直線に突っ込んでくる。
そして糸まであと数メートルというところで。
バシュッ!
“アクモノ”の姿が消えた。
「!?」
あまりに一瞬で本当に消えたかのかと思ったが周囲を見回すとそんなことはなく、ただ上に飛んだだけなのだと分かった。
糸は極限まで細くしてあるのでよく見なくてはあるのかどうかも分からない程だ。
それを警戒しての跳躍と思ったが。
その時“アクモノ”が蜘蛛のような体型からヒトの形に戻り、先程千切れた両腕を前に突き出すと。
その腕から、千切れた箇所を除いて、大量の黒い触手が生え現れてきた。
一瞬それにギョッと度肝を抜かれている間に。
シュゴォッ!とその触手達は一斉に襲い掛かってきた。
マズイ!
僕の針は“悪”に刺さると同時にその刺した対象の動きを止めるという作用がある。
でもそれは相手が人間だった場合で“アクモノ”の場合は刺しても大半は動きを制限する程度であまり効果がない。
なおそれは能力が落ちる糸では尚更で例え触れてもそのまま貫通したまま“アクモノ”は動くことが出来る。
結果無数の黒の触手が糸と糸の間を縫うようにこちらに迫ってきた。
「くっ!」
指を鳴らしてパチンッ、と乾いた音を出す。それによりいくつか糸に触れていた黒の触手は爆散したが数に勝る質量に敵うはずもなくあっという間にそこかしこに張り巡らした糸の防衛線は突破されてしまった。
そのまま触手は僕なんて意にも介さないかのように背後へ、“アクヨセ”、サヤさんへ向かっていった。
そしてサヤさんまであと僅か、というところで。
僕は不敵に笑った。
パチンッ、と乾いた音を出す。すると。
バシュウッ!とサヤさんに近づいた触手が一瞬にして爆散、消滅した。
それにより再び警戒したのか“アクモノ”の触手の動きがうねうねと動きを止める。
僕はその様子をまるで嘲笑うようにして。
「ははっ。不思議ですか?防衛線は突破したのにどうしてまだ糸があるのか、と」
僕は話した。目の前の“悪”に。
聞く耳など文字通り持っていないと分かっていても。
「簡単な話ですよ。防衛線は二重構造だったんですよ。中と外のね。今触れたのは中のもの」
すると僕が話してる途中でも“アクモノ”はその触手を伸ばし、サヤさんにその脅威を忍ばせようとするも。
ガインッ。
今度はまるで侵入を拒む壁がそこにあるかのように触手が跳ね返された。
僕は構わず続ける。
「“悪”というものはよく黒をイメージしやすいですよね。まぁ、その多くは日陰者、闇からのイメージが反映されてるからですが」
その間も“アクモノ”は二度、三度と接触を試みる。
しかしこれを拒む何かが触手を跳ね返す。
「では実際“悪”の色は黒いのかと言われるとそんなことはない。“悪”だって赤かったり青かったりすることもあって必ずしも黒であるという固定観念に縛られてはいない。そんなものは人間が勝手に創り上げた既成概念であって概念そのものには色なんてものは元々存在すらしない」
存在しない、色が無いと言うならば、と。
僕は言う。
言った。
不敵な笑顔を浮かべて。
「無色透明な“悪”があってもそれはなんら不思議ではないということになるんですよね」
悪殺し-貳拾-は10/22の12時に掲載します。