悪殺し-拾漆-
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先にやった弾丸のような動きと違い、“アクモノ”の動きはノロノロと鈍重なものであった。
先刻行ったあの超高速な動きによる反動によるものかと一瞬考えたが“アクモノ”には痛覚と呼べるものは存在しない。
言うなれば脳のリミッターがガンガンに壊れた状態でどのような状態でも死ぬ以外で止まることはない。
死ぬと言っても“アクモノ”に生物的な死は無い。
例え体をナイフで射抜かれても、銃で頭を弾け飛ばしても、毒をやっても、溶岩に叩き落としても五体満足に再生される。
なので考えられるとしたらサヤさん、“アクヨセ”の位置が特定出来ていないと考えられる。
先程はすぐ目の前にいたからこそあれほど人外な速さでの突進をしてきたわけだが今サヤさんには僕の後ろ、船の甲板の上にいてもらっている。
つまり“アクモノ”の見えない位置にいる。
“アクヨセ”は“悪”を引き寄せる体質ではあるが“悪”をダイレクトに自分のところにではなくその周りに集めることが多い。
なので“アクモノ”も自分が引き寄せられていることは分かるが『何が』『どこに』までは分かっていないのだ。
目的地が判然としない中での弾丸突進は無謀と言えよう。
ちなみに言うと“アクモノ”に知性や理性は無い。
体全体が“悪”と化しており、それは内部、臓器も例外無く、だ。
なので“アクモノ”に効率的なことを考えることは出来ず、ただ本能のままに動いているに過ぎない。
化物というより獣に近い。
もうアレは“人”ではないのだ。
ノロノロと、しかししっかりとこちらに向かう“アクモノ”。
“アクモノ”には知性も理性もないが分かっていることが二つある。
一つ、自分が“アクヨセ”に引き寄せられていること。
そしてもう一つは“悪殺し”は自分の敵であること。
ピタリ、と“アクモノ”は止まる。
まるでゼンマイ仕掛けのネジが切れたように歩く動作の途中で止まり、重心が右に動き、体勢が若干斜めのままだ。
しばらくその体勢のままこちらを見ていたかと思うと。
ダッ!ダ、ダ、ダッ、ダッ、ダダダダダダ!
いきなりペースを上げてきた。
「っ!」
“アクモノ”の予期せぬ緩急ある動きに一手遅れ、上空への回避をする。
“アクモノ”はそのまま僕がいた場所を通り過ぎ、その地点より遥か後ろまで止まることなく走っていった。
一瞬そのままサヤさんのいる船にまで突っ切るのかと思い後ろを向いた時。
すぐ目の前に“アクモノ”の顔があった。
「しまっ…!」
「ーーーーーー!!!」
振り上げられた二本の“悪”の手が襲い掛かる。
ゴッ!!
ドガァッ!!
人ならざる力で叩きつけられた僕の身体は一瞬引きちぎれるのではないかと思うほどにくの字に伸び、そのまま地面にクレーターが出来る勢いで落ちた。
その衝撃で辺りの建物の窓ガラスは割れ、波は振動で船が大きく動いた。
甲板にいるサヤさんが立てずに落ちまいと必死にその場にしがみついていることを祈る。
叩きつけられた身体はというと損傷はそれほど無かったが攻撃された部位が凄まじいGを掛けられたことで身体が大きく伸びていた。
少しすれば元に戻るので問題無かったが、その間“アクモノ”の攻撃が止むことはなかった。
上空にいた“アクモノ”は僕のいるところに降り立ち、腕、足を押さえつけ僕の動きを封じた。
すると“アクモノ”背中部分が大きく隆起し出し、「ゴキ、ゴキ」と生々しい音を立てながらに二本の黒い枝のようなものが生え出した。
それはやがて形を整え出し、二本の腕へと変貌し、“アクモノ”の腕が合計四本となった。
その腕がちゃんと動くか確認を取ったかと思えば。
“アクモノ”の顔がニタリ、と笑った気がした。
ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴコゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!!!!!!
問答無用一切無慈悲の“悪”のラッシュが始まった。
人外なラッシュで大地が揺れで周囲は地盤の崩れや隆起で地形が変わってしまっている。
視界が“悪”の荒波で埋まり、逃げることも叶わず、ただただ受けるしかない。
いくら物理攻撃が効かないと言っても攻撃は物理的に当たる。
一発一発が常識外れな一撃は僕の身体を忽ち破壊していき、粉微塵にしていく。
だが時間が経てば破壊された身体も復元されていくのでどれだけ攻撃されても実質僕に対するダメージはゼロのままだ。
でも痛覚は無くても感覚はある。
痛くは無くても殴られる感覚はある。
致命的ではなくても身体を粉微塵にされる感覚は不愉快そのものだ。
「いい加減に…しろ!」
最初伸びていた身体が元に戻ったことで“アクモノ”が押さえてた足も若干ズレる形となり、再び自由となることが出来た。
“アクモノ”を蹴り上げ、後ろに退避することでようやく終わらない攻防から抜け出すことに成功した。
攻防というか一方的なリンチであったが。
リンチというかミンチだったが。粉微塵にされたし。
「ーーーーーー!!!」
声にならぬ声で雄叫びをあげたかと思うと“アクモノ”は先程生やした二本の腕を鞭のように伸ばし突き刺さんとばかりにこちらに迫ってきた。
かと思えば狙いは二本ともズレ、二本とも僕の両脇にかすりもせずに後方のコンテナに突き刺さった。
一体何をと思ったのも束の間、今度はその二本の黒い蔓を収縮し、“アクモノ”自体がまるでゴムの反動かのように迫ってきた。
まさかこれは僕の逃げ道を封じるためのものだったのか!?
まさか考えてやるとは思えないしおそらく本能的にしたことだと思えるが、それでも大したものだと思う。
また上空に逃げようかと考えたが空中ではあの素早さに対抗出来ない。また同じように地面に叩きつけられるだけだ。
前に隙間を縫って回避も考えたが想像以上のリスキーに実行しようとは思えない。
そうこうしているうちに“アクモノ”は目と鼻の先まで。もう考えてる余裕はない。
なので。
「弾けろ」
パチンッ、と指を鳴らすと。
ブシャアッ!と何かが弾ける音が。
その音と共に僕に向かって左、つまり“アクモノ”の伸びた二本目の黒い右腕が中頃で「*」の文字を描いて消滅していた。
それにより片方の支えの手を失った“アクモノ”は制御が効かなくなり、実際の軌道とは大きくズレて吹っ飛ぶ形に後ろのコンテナに突っ込んだ。
甲高い音を出して凹むコンテナ。
そこからシュバッとすぐさま“アクモノ”は現れてくる。
さっきと同様腕が伸びたままの状態となっており、今それが元の長さに戻ろうとしていた。
しかし、右腕だけは長さが戻っても肘から下までが元に戻らなかった。
右手が生えてこなかった。
自分の右腕に違和感を感じたのか“アクモノ”は一度触り、一度見、またそれを上に掲げ眺めると。
『ーーーーーーーーーーーー!!!!!』
もはやこの世の音と思えぬ絶叫、雄叫びをあげた。
“アクモノ”がいくら人外な規格外な存在であるとしても僕は“悪殺し”、“悪”を殺す者だ。
“悪”そのものとなった“アクモノ”でもそれは例外ではない。
知能は無くとも感情はあるのか“アクモノ”は全身の“悪”の瘴気をまるで毛のように逆立て怒りを露わにしていた。
残った左腕を伸ばしてその凶刃を僕に襲わせる。
ガッ!
“アクモノ”の爪は僕がいた地点を穿ち、それにより地面の亀裂は凄まじいものとなったがしかし、そこに果たして僕はいなかった。
「動きが単調なんですよ」
そう言う僕が立っている場所は“アクモノ”の頭の上であった。
『ーーーーーー!!!』
敵を排除せしめんと伸ばした左腕を自分の頭上へ向かわせる。
僕はそのまま回避行動をとることなく“アクモノ”の頭の上で指を鳴らす形を取り。
パチンッ、と乾いた音を鳴らすと。
ブシャアッ!と生々しい何かが弾ける音が聞こえた。
それまで僕に爪を立てようと猛威を振るっていた左腕は差し迫っている途中でその形を失い、やがて僕に到達する頃には霧散して消滅した。
突如二本も自身の腕を失った“アクモノ”はまるで惜しむかのように今は無き両腕を眺めると。
『ーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!』
不協和音、超音波、人間ではまず出せない、聞き取れない悲鳴をあげた。
するとさっきの闘争心は何処へやら、“アクモノ”は突然僕とは真逆の方向へ向いたかと思えば一目散に逃げ出したのだ。
「逃がすわけないでしょうが」
手に出現させておいた二本の黒い針を“アクモノ”の両膝裏に投げ刺し。
パチンッ、と指を鳴らすと腕同様両足も「*」の文字を宙に描き霧散した。
突如足を失ったことで勢いが消えず投げ飛ばされた人形のようにゴッ、ゴッ、と鈍い音を出して亀裂の入った地面に滑るようにして止まった。
手足を失いもはや戦意を失ったのか“アクモノ”は動く気配が無い。
だが一応念には念を、距離を取っておくことにする。
手のひら同士を合わせそこから僕の体よりも長く細い黒い針を出す。
せめてものと苦しむことなく一撃で確実に殺せるものを出した。
それを地面に転がる“アクモノ”に狙いを定め。
「っ!」
いざ投げようとした。
「動くな!」
突然どこからか制止の声を聞き、思わず反射的に体の動きを止めてしまった。
どこからの声なのか辺りを見回していると。
「こっちだ!」
と、親切にもどこにいるのか教えてくれた。
その声がする方向は船の方からした。
サヤさんがいる、船の方にだ。
「!?」
見るとそこには壁に背中合わせで両手を挙げているサヤさんと。
先程逃げたはずの黒服の部下が一人、サヤさんに銃を突きつけていた。
ーー57ーー
一体どういうことだ!?
どうしてまだここにまだ人がいるんだ!?
いくつか頭に巡る疑問の中で僕が最初に発した言葉は。
「何をしているんだ!?」
だった。
「ここが今どれだけ危険な所か分かっているのか!?早く避難を」
「うぅるせぇーーーっ!!」
空を裂けんばかりの黒服の部下の怒声が轟いた。
「エェラそうな口聞きしてんじゃねぇーぞクソツバメヤローがぁ!次舐めた口聞いたらこのガキの顔面に風穴が開くことになることになるからな!!」
「ッ!!」
突き付けている銃をサヤさんの眉間の辺りに動かすのが見えた。
ダメだ。相手は完全に興奮状態になっている。こちらが何を言っても神経を逆撫でるしかないだろう。
今はサヤさんともある程度距離を取っているみたいだから良いがいつ感情的になってサヤさんの“アクヨセ”に触れるとも知れない。
そもそも一体なんの目的があってこんなことを?
何も出来ずにただ思考を働かせることしか出来ない僕に黒服の部下の一人は口を開く。
「要求はたった一つだ!!」
「」
僕はただ、黙って聞くことしか出来なかった。
如何なる無茶難題でもこなしてみせようと思っていた。
高を括っていた。
「リーダーを元に戻せ!!」
その要求を聞いた途端に僕の頭はある言葉だけで占められた。
「無理だ」
悪殺し-拾捌-は10/20の12時に掲載します。