六話
スーツの男を睨んで一拍してから佐伯はまた顔をそらし、身体をそらし、両手で顔を覆う。
そうして何秒かたってから発せられた口調は、弱々しく感じたけれど、いつもの彼のそれだった。
「ジンボを、呼んでくる」
部屋を出て戻ってきたときにはすっかりもとの調子の彼になっていた。視線を向ける山崎を、まっすぐに見返して何事もなかったかのように微かに笑む。
「あなたのことをジンボに頼んでみました」
ジンボと呼ばれた男が山崎のそばに歩み寄る。あの金髪の男だ。
「侑祁に頼まれましたァ。ついでに言うとカンダにも、どうにかしてくれって泣きつかれた。彼は人を扱うのが苦手なんだ。クマシロにきみを押しつけられて顔面蒼白になっていたよ」
そのときのことを思い出してか、ジンボは口元に手をあてて笑う。
「だからね、進くん。これからきみは僕の部下で、僕たちの仲間になるんだ」
接続詞以下の言葉の意味が理解できず山崎が無反応でいる間に、声をあげたのはスーツの男だった。
「何をバカな……! 部下――仲間!? あり得ない、なんでそんな話が。私は聞いてませんよ!」
「言ってないもん。絶対、反対されるし」
けろりとした表情で佐伯が返した。
「お前の発案か! 反対するに決まってるだろ、バカ者が! こいつは勝重の犬で、お前の命を危険にさらそうとしていたんだぞ」
「ただ情報を集めていただけじゃないか」
「それが危険につながるんだ。もっと言えば、こいつはアダム・プロジェクトを嫌悪している、本当は殺害が目的だったかもしれない。直接手を下さずとも同罪だ」
「おおげさだし、考えすぎ。勝重さんも山崎さんもそんな供述してない」
「こいつらをかばってるつもりか? それとも浅慮でもってわざと危険にさらされたいのか、死にたがりは!」
「はいはい、帆波くん」とジンボが口を挟んだ。
「うるさいよ、そんなに怒鳴って。洋にそっくりだね」
険のある眼差しを男は向ける。
「ジンボさん、わかってるんですか。こいつは山崎勝重のスパイなんですよ」
「わかっているとも。山崎翁の五番目の義子、進くんだろう」
「他の方々が黙っていないでしょうね」
「洋は怒るだろうね、きみと同じように」
「面白半分でする範囲を超えています」
「面白さが半分以上ないと僕は動かないんだ」
どんなに男がすごんで見せてもジンボはただニコニコ笑って、ああ言えばこう言う。
ついには男のほうが折れて、溜め息とともに身を引いた。
あらためて佐伯とジンボが山崎のほうに向き直り、期待して返事を待つような雰囲気を醸していたので、山崎は怪訝な顔をした。
「ふざけてるのか、お前ら。なんのつもりだ。話すことは全部話した。懐柔しようったって無駄だ、もう得られる情報はないぞ」
「山崎翁は人を見る目だけはあるんだ」
ジンボはしゃがみこんで目線の高さを合わせた。
「優秀なのだろう?」
「……あんたらのプロジェクトに手を貸すつもりはない」
「つれないなァ。いいさ、研究員としてじゃなくても。僕のボディーガードでも、スパイでも、ハウスキーパーでも。とにかくきみの面倒は僕がみる。うちにおいで」
「なんで……」
「帰るところがなくなっちゃったんでしょ? それにきみ、戸籍抹消されちゃったし。このまま放り出されても路頭に迷うだけで、かわいそうだ」
「同情か」
「そうだよ。同情じゃいけない? 同情から手をさしのべてはいけない?」
そんなこと知ったことではないが、犬猫や幼い迷子に対するような扱いを受けている気はした。
山崎は目を伏せる。
――手をとってはいけない。生きる目的は失われたのだから。
「俺は……もういいんだ……」
ひとりごとのように呟く。
「何が、もういいの?」
「全部。――全部だよ」
「人生や命を放棄するってこと?」
自分のことなのに、それは本当にはわからないことだった。思考するにも疲れていたから、無言で返した。
どうとったかは知らないが、ジンボは言う。
「寂しいな。僕はぜひともきみと仲間になりたいんだけど」
山崎は視線を戻す。困惑と不審の色を浮かばせて。
「なんでだ……、なんで俺にはそうまで言うのに、勝重はダメだったんだ」
フッ、とジンボが鼻で笑い、おもむろに立ち上がったかと思うと、腕を組んでまるで探偵が推理を披露するかのように得意顔をしてゆっくりと部屋の中を歩きながら語りだした。
「僕らアダム・プロジェクトの代表六人がそのプロジェクトに従事する動機は様々にある。純粋なる探究心や好奇心、真理の追究、そして各々の思惑や欲望のため……」
くるりと身を翻し、山崎を正面に見る。
「しかしね、進くん。それらはすべてプロジェクトに対して、であるのだよ。いっけん僕らはバラバラで、とんとチームワークなんかないようだけれど、それはあくまで何も知らない他者から見てのこと。僕らには暗黙のうちに、互いを侵犯しないという決まりごとがあるんだ。仲間を陥れるためにプロジェクトに参加する、などというまるで下品な動機を持つものは即追放。――そう」
人差し指をピンと立ててジンボは再びゆっくり室内を回りだす。
「山崎翁にはその目論見があると判断されたから、いくら実績を見せつけられようが、いくらお金を積まれようが、参加の申し出を僕らは拒否し続けたのさ」
それで話が終わりだと思って気が緩んだ山崎は、続きを聞いて頓狂な声を出した。
「と、ごちゃごちゃ言うこともできるけれど、実際のところ要は、フィーリングの問題だね」
「……んな?」
「僕はべつに洋やカンダに陥れられて下僕になっても、首を切られても、一向に構わないし、してやられたなァって笑っちゃうよ」
山崎はあんぐりと口を開けたままジンボを凝視する。
(なんなんだ、こいつは……)
真剣なのかふざけているのか、さっぱりつかめないやつだと思った。
「他の五人はどうだか知らないけどね、僕が翁を反対したのはそういう理由だよ。なんとなく気に入らなかったから」
――たったそれだけの、そんな理由で……。
あの老いぼれはプロジェクトに参加させてもらえなかった本当の理由すら知らず、一方的に彼の六人を目の敵にしていた。
理由を知っていたら、どうしていただろうか。
山崎は少しだけ唖然としてから、次にはシニカルな笑みを浮かべた。
「ほんと、ざまあねぇな。つくづく哀れな男だよ……」