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10 「夏の遭遇 1」

 それは、八月の中ほどのことだった。


 真が退魔師の仕事として、凪浜市の市長――新堂誠二からの依頼を受けて凪浜市へと引っ越して早四ヶ月。

 珊瑚を監督役とし、二人の共同生活にも少しは慣れが見え始めた頃でもある。


 その日、真は郊外の山中のとある洋館を目指し、寂れた道を一人歩いていた。

 市外へと出るための山越えの道である。日本晴となった空を行く烈日が、曲がりくねったアスファルトの上り坂を焦がし、景色を曖昧に揺らしていた。


 まとわりつく汗と、蝉の大合唱が鬱陶しい。

 半袖のシャツには滝のように流れ落ちる汗が染み込み、なお容赦なく猛暑は体内から水分を奪い去っていく。

 歩き続けて一時間程度だろうか。そろそろ足を動かすのも辛くなってきたところだと真が思っていると、少し先に道を覆うように伸びる木々の影を見つけた。丁度良いので一旦休憩をするため、道の端に寄る。

 車などは一台も通っていないのをいいことに、木陰に辿り着いた彼はそのまま地面に座り込んだ。

 アスファルトの生温かい熱がジーンズから臀部に広がる。真は背負っていたリュックからタオルを取り出して顔面全体と首筋に湧き出る汗を拭い取ると、げんなりと息を吐いた。


 今こうして歩き続けているのは、移動手段にタクシーでも使えばよかったのだが、最寄りのバス停から歩こうなどと考えてしまった結果である。

 極力誰とも関わることなく現場には辿り着きたいというのが理由だ。今となっては後の祭りであるが、何を言っても始まらない。


「ったく……何やってんだか」


 自嘲以外の何ものでもないのだが、言わずにはいられなかった。

 暑さにやられた頭の中でぐらぐらと思考が煮えている。引き返すにしても進み過ぎてしまったし、意地と投げやりが半々となったよく分からない状況だった。


「まぁ……どうでもいいけどな」


 頭上に広がる緑を見上げ、居直るように真が呟いたときだった。

 背後からこちらに近付いて来る駆動音が聞こえたのだ。顔を振り向かせると、黒い軽自動車がゆったりとしたスピードで走ってくるのが見える。


 この道を歩き始めてから、実に初めてのことだ。とはいえ、珍しいとは思っても変なことではない。道があるのだから車の一台や二台、通って然るべきだろう。

 真は何をするわけでもなく、その車が通り過ぎるのを見送るつもりだった。既に視線を外し、再び体の力を抜いて休む姿勢に入ろうとする。


 だが、車が彼の前を通り過ぎることはなかった。


「……ん?」


 不審に思って反対側の車線を見やると、車は真の目の前で停まっていた。開かれた運転席側の窓から、物珍しそうな顔をした男が彼の方を覗いている。


「そこの君、こんなところで何をやっているんだい?」


 そして、いきなり声を掛けられた。

 暑さで思考回路がおかしくなっていたかと、訊ねられて真は思い至る。常識的に考えれば、不審なのはどう考えても道端で座り込んでいる彼の方だった。


「若いね。学生かい?」


 どうしたものかと真が考えあぐねていると、男の方から更に質問が飛んでくる。警戒するこちらを見てなのか、彼はふと表情を和らげ、人好きのする笑みを浮かべた。


「この道を進むのなら、途中まで乗っていくかい? というか、乗りたまえよ」

「は……?」


 一瞬、男が何を言っているのかと真は耳を疑った。しかし、言った本人は真の不躾な視線を気にした風もなく笑っている。


「いや……大丈夫ですよ。どうぞ、行ってください」


 流石にその提案を鵜呑みにするわけもなく、真は最低限の返事で断った。


「まあそう言わずに。見たところ大分疲れているみたいじゃないか。遠慮することはないよ」


 だが、むしろ断ったことで男の方は何故か逆にやる気になっているようだった。無駄に押しが強い。直截に言って、真の苦手なタイプだった。


「あ~、でも途中までしか無理なんだけどね。知っているかい? この山中にある洋館なんだけど」

「え……洋館?」

「ん? その顔、何か知っているって感じだね。もしかして君も、そこへ行こうっていうんじゃあないだろうね?」

「いや! そんな、違いますよ」


 真は言葉では否定していたが、完全に不意を突かれて動揺が顔に出ていた。


「そういうことなら、なおさら乗っていきたまえよ。旅は道連れさ。なあに、とって食いやしないから安心していいよ」


 それに――と付け加え、男は笑みを深くして真を射抜くように見た。


「君が洋館に行くというのなら、ここで別れてもどうせまた会うことになるだろうしね。道すがら名乗り合っていた方が、お互いに労力が少なくて済むんじゃないかな?」

「いや、だから……」


 男は否定しようとする真の言うことをまるで聞いておらず、もう真が自分と同じ場所に行くものと決めつけて話を進めていた。

 しかしながら、実際にその通りではあった。素直に認めるのは憚られたが、真はもう半分諦めていた。下ろしていた腰を上げ、リュックを背負い直して油断なく男の姿を見据える。


 一言で表すなら、平均的な男だった。

 中性的な顔に浮かべられる笑みは好意的。声は高くもなく低くもない。やや長めの黒髪を首の後ろで軽く縛っている。

 こちらを見つめる彼の黒い瞳に映し出される己の姿を、真は見た。


「……お互いに利があるのは認めますけど、はいそうですかって乗るわけがないでしょう。あなた、誰ですか?」

「洋館に行くことは否定しないんだね?」

「ええ、まあ」


 否定したところで男は信じやしないだろうと思ったため、真は大人しく認めた。最初の受け答えで顔に出した時点で、会話の主導権は握られたようなものである。


「少なくとも、身分くらい明かしてもらわないと。まさか、子供相手によからぬことを企んでるんじゃないでしょうね?」

「とんでもない。だが、君の言うことにも一理あるな」


 少しだけ芝居じみた口調で、男は肩を竦める仕草をとった。


「僕は弐道にどう五華いつか。しがないライターだよ」

「ライター?」

「そ。雑誌とかの記事を書く人。で、君は中学生かい? 名前は?」

「高校生ですよ。……真です」


 真は下の名前だけを名乗った。その不愛想な自己紹介に、男――弐道五華は僅かに眉を動かしただけで苦笑すると、それ以上真の警戒心を煽るような質問はしなかった。


「なるほど、真君か。よろしく。それじゃあ、乗っていくかい?」

「……お世話になります」


 そして、最初に戻ったその質問に、真は軽く頭を下げて応じた。助手席側に回り込み、車に乗り込むと冷えた空気が彼の全身を撫でる。車内は寒いくらいに冷房が効いていた。


「いらっしゃい」


 顔を向けて笑いかけられ、真は改めて近くで弐道の顔を見た。大人には違いないのだが、印象として掴みどころのないことには変わりない。

 服装も半袖の白いティーシャツに黒の綿パンと、いたってシンプルなものだった。ここまでくると、あえて特徴らしきものを消そうとしているのではないかと、妙な勘繰りをしてしまいそうになる。


「それじゃ、行こうか」


 真の視線をどう受け取ったのか、弐道は軽く苦笑するだけだった。彼は真がシートベルトをしてリュックを膝に乗せたのを確認し、車は発進させる。

 最初の数分の間、真は窓際に片肘を突きながらゆったりと流れる景色を眺めることに注力した。相乗りはしたものの会話が弾むことはなく、彼の方からも何か話し掛ける気もなかった。


「それで真君は、洋館に何をしに行くんだい?」


 真が自ら話を振る気がないと判断したのだろう。横目でちらりと視線を送りつつ、弐道がにこやかに声を掛けて来る。狭い車内において無視は通らず、真はシートに腰を深く沈め直した。


「別に、何でもありませんよ」

「ははは、君は嘘を吐くのが下手だね。いや、嘘にもなってないかな」

「余計なお世話ですよ」

「それは今の指摘についてかい? それとも、座り込んでいた君に声を掛けたことかな?」

「両方ですよ」

「そうかい、そうかい」


 どこか楽しそうに笑いながら、弐道はハンドルを切って曲がりくねった坂道を走らせる。


「まあしかし、こうして君を乗せておいてこんなことを言うのも何だけど、あの洋館には立ち入らない方が良いと思うよ」

「……あなたも行くんでしょう」

「僕は仕事だからね。それに、大人だ」


 理由になってならないような口上を述べて、弐道は続けた。


「わざわざ行こうっていうんだから知っているんだろうけど、館は元々宿泊施設だった。経営が思わしくなくなって廃業して以後、とある好事家によって別荘として買い取られたんだってね」

「……ええ、知ってますよ。噂話が好きなんですか?」

「そうとも言えるかな。気になる話があれば、ネタになるからね。怪談ネタの蒐集は趣味と実益を兼ねたものだよ」

「怪談、ですか。じゃあ、別に噂を信じているわけじゃないんですね」

「それを確かめるために行くんだよ。君はどうなんだい?」

「……」


 真は返答を避けて、顔を背けるようにして再び窓の外へ視線を向けた。


 噂が立ち始めたのは、洋館を買い取った好事家が数年前に亡くなった後のことである。その好事家は年老いた男性の老人で、まるで世捨て人のように一人洋館で暮らしていたらしい。

 山奥でいったい彼が何をしていたのか。普通に考えて下世話な勘繰りというものなのだろうが、人の口に戸は立てられない。


 いわく、好事家は死体を収集することが趣味だった。

 洋館の地下室には、集められた死体が、骸が今も数多く眠っている。


「不用意にその館に近付けば、死体の仲間に引きずり込まれるぞってね。実際に度胸試しで若者が数名挑んだこともあるそうだが、揃って行方不明になったとか」

「それこそ眉唾でしょう。根も葉もない噂です」

「そうだね。しかし、そういう話を抜きにしても、現実問題として人の立ち入らない場所は良からぬ者たちの溜まり場になったりもするからね。危険なことには変わりないよ」

「……じゃあ、なんで俺を乗せたんですか?」


 話を蒸し返すように、真は訊ねた。そこまで言うのなら、放っておいてくれれば良かったものを。物好きにも程がある。


「そうだねえ。一つは、何となく僕と同じ雰囲気を感じたからかな。学生の君に言うのも変だろうけど、仕事でやむなくっていうか。帰った方が良いって言っても、きかなかっただろう?」

「……」


 それは確かに当たっていた。真は退魔師の仕事として、その噂の真偽を確かめるべく洋館へ向かっている。だから、引き返せと言われても無理な話だ。


「それから、もう一つ」


 真の無言を肯定と受け取り、弐道はそっちの方が重要だと言わんばかりに言う。

 ちらりと真が視線を横向けると、前を向いて運転する彼の顔には微笑が刻まれていた。


「君の目が、どうにも放っておけなかったからかな」

「目……?」

「気を悪くしないで欲しいんだけど、今にも何処かへ消えてしまいそうな感じがしてね。もしかすると、このまま死んでしまうんじゃないかってくらいにさ」

「は……?」


 それは何の気なしに、ただの会話の一端として語られるには聞き逃すことのできない台詞だった。


「何を……。そんなわけ……ないでしょう」


 即座に真はくだらないと笑おうとしたが、渇いた舌はもつれ、声も掠れて上手く言葉を吐き出せなかった。


「そうかい? なら、僕の気のせいだね。すまなかった」


 弐道は真の言葉を驚くほどすんなりと受け止め、一瞬視線を向けて微笑んだ。真はその視線から逃れるように、慌てて目を逸らす。


 ……死んでしまう、か。


 それは、ひょっとしたら正しい見解だったのかもしれない。

 退魔師の仕事をしているのは、そうすることで、実家を出ることができたから。一人になりたかったからだ。

 一人という部分は叶わなかったが、実家を出ることは自分を見つめ直すいい機会になるのではないかと、かかりつけの老医師に勧められたこともある。


 だが、全てはどうでも良いことだった。


 自分はただ、忌まわしい記憶が付き纏うあの家を逃げ出したかっただけだ。


 両親が死に、妹の心をこの手にかけたあの日から、全てが色褪せて見えている。

 どうでもいいのだ。

 何をしたところで――生きていたところで、どうでもいい。


 昏い水底へと沈んだ心は錆び付き、苔むしている。

 果たして、こんな状態で人は生きていると言えるのだろうか。



 空調の冷たい風が真の頬に吹き付け、静まり返った心音だけが、やけに耳に響いていた。

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