06 「糸口」
真もどうにか平静を取り戻した後、調査は粛々と行われた。
行為がなされていた一室には教団の手掛かりになりそうなものは何も残されておらず、一旦広間へと引き返した真たちは、分かれ道のもう一方へと進むことにした。
その先は一本道で、またしても突き当りには木戸が見えた。中は粗末なベッドと机、書架の置かれた狭い空間だった。
何者かが寝泊りをするために用意されたものなのだろう。洞穴の中に物を置いただけといった感じで、お世辞にも快適に過ごせていたとは思えない。
そして、人が生活をしていた微細な残り香が漂う中、真はベッドの脇の奥でそれを見つけた。
「……こいつは」
近付けば、腐乱した臭いが鼻についた。何者かの遺体である。
臀部を地面につけ、壁に倒れ込んでいる。顔は俯けて一見して分かり難いが、痩せた男だった。
「ふむ……少し失礼」
真の横を通り過ぎ、ラオが遺体の前で膝をつく。そして、無造作にその顎を持ち上げた。
「う……」
思わず真は呻く。遺体の見開かれた双眸と、まともに目が合ってしまったためだ。
既に色を濁らせた瞳は何も映してはいない。男の口は恐ろしげに歪み、抜け落ちた真っ白な髪が周囲に散乱していた。
「もしかすると、この方がシオン様に魂を食われた方かもしれませんね」
「……どうして分かるんだ?」
「他の犠牲者の方の遺体は一つとしてありませんし、もしも教団の者がここに来ていたのだとすれば、証拠を残すような不手際をするとは思えませんからね」
背後から訊ねる真に、ラオは遺体を検めながら答えた。
「死後の経過などは詳しく調べる必要はあるでしょうが、タイミングが合えば可能性は高まるでしょう」
「じゃあ、連中はみすみす証拠を残してしまったってことなのか?」
遺体を調べ終えたラオは立ち上がって振り返ると、「さて?」と首を傾げた。
「教団の事情は知りようもありませんが、利用できるものは使わせてもらうまでのこと。この置き土産が仮に罠であったとしても、何か意味がある以上は徹底的に調べるだけです」
「それはいいが、こいつをどうするのだ?」
遺体を見下ろしながら、静が疑問を呈する。
「そうですね……封魔省にも協力を仰ぐ必要があるでしょう。会談の際、彼は元封魔省と言っていたそうじゃないですか。もしかすると、身元もわかるかもしれません」
「奴らは律儀に構成員の詳細を把握しているのか?」
「そこは仮にも組織ですから、表立っての部分と締める部分はまた違うでしょう……と、思いたいところですね」
口端を持ち上げて言いつつ、ラオは肩を竦めて見せた。
「いずれにせよ、ここで出来ることはもうありませんね。一旦外へ出ましょうか。遺体を回収するために召集をかけます」
ラオはそう言うと遺体に向けて一度手を合わせ、踵を返した。これが教団の構成員だと思うと胸がざわついたが、真と静も黙って目礼し、彼の後に続く。
そうして、元来た道を引き返し、長い階段を上り終えて小屋の外に出た真は空を仰ぎ、息を吹き返すかのように深呼吸をした。
と同時に、彼は頬に冷たいものを感じる。鉛色の空はいよいよ黒味を増し、ぽつぽつと雫を垂らし始めていたのだ。
「後は我々の管轄ですので、本格的に降る前にお二人はお戻りになられても大丈夫ですよ。帰りの車は手配させて頂きます」
手をかざして雫を受けつつ、ラオが微笑みながら提案した。だが、静はそれが気に入らなかったのか、鼻を鳴らして彼を睨む。
「馬鹿を言え。またぞろ何を企んでいるか分からんような奴を、ここで一人にできるか」
「不興をこうむり汗顔の至りです。しかし、ここで私を監視しても、遺体を運び出してしまえばその先の結果は一緒ですよ。いえ、もちろん何も細工をする気はありませんがね」
言葉とは裏腹に恥じ入る様子はまるでなく、ラオは笑みを絶やさず静の視線を受け流すと真の方へと顔を向けた。
「それに、ハナコさんのこともお早く診てあげた方がよろしいでしょう。私に構うよりも、そちらの方が重要なのでは?」
「……あんたは」
気遣うようなことを言いながらも、ハナコをだしに使われていることは明白だった。真は良い気はしなかったものの、彼女のことが気になるのは事実である。
「……仕方ない。真、お前が決めろ」
「え?」
腕を組んで憮然と言い放つ姉を見返し、真は眉を顰めた。
「確かにこいつの言う通り、その気になれば工作など簡単にやってのけるだろうよ。お前がハナコを優先させたいのなら是非もない」
「……じゃあ、静姉だけここに残ればいいんじゃないか? 俺だけでも先に――」
「それこそ馬鹿を言え。今のお前を、一人放り出せるか」
折衷案のつもりで言いかけた真だったが、静は即座に却下した。
「自分の身を案じろ。無理を重ねて余計な苦労をかけさせるくらいなら、最初から頼れ」
有無を言わせぬ姉の気迫に、真はたじろぐ。自分でも馬鹿なことを言ったと反省せざるを得なかった。
「……わかった。先に山を下りよう」
真はハナコを優先することに決めた。遺体のことは気になるが、ここで意固地になっても解決はしない。
何より、早く安全な場所に身を置けば、ハナコも落ち着いて姿を見せてくれるかもしれないという希望もあった。
「それじゃあ、ラオさん……後は頼みましたよ」
「お任せください。情報が掴め次第、また連絡は差し上げます」
にこやかな笑みと共に、ラオは慇懃にお辞儀をする。もはや彼の笑みも見慣れてきた真は、胡散臭さを隠すことなく口を引き結んで頷いた。
その後、真と静はラオに下山のルートを聞き、集落から一足先に引き上げることになった。
入口までは彼ラオも見送りとして同行している。彼は途中、無線らしきもので何か連絡を取っていた。おそらく遺体を回収するためのものなのだろう。
「ああ、そうです。真さん、先ほどは言いそびれていましたが……」
そして、いよいよ集落の入口まで戻ったところで、ラオが思い出したように真へ声をかけてきた。
「何だよ?」
まだ何かあるのかと目で問い掛ける真に、ラオは「申し訳ありません」と微笑んだ。
「老婆心ながら、ご忠告をと思いまして。教団の所業を知った今ならば、もう感づいているとはお思いますが、念のために言っておきます。ハナコさんの力についてです」
「ああ……」
少女の名に真の胸が、ぎちりと痛む。ある程度冷静になった今、ラオの言わんとするところの大凡は理解できていた。
「あいつの魂には、まだ多くの犠牲者の魂が繋がっているってことだろ」
真はラオの目を見据えて言った。せめて誰かの口からではなく、己の口で言いたかった。
魂は霊気を貯蔵する。単純な話だ。使える魂が多ければ多い程、その分、霊気を余剰に持てる。
ハナコを通じて真は二人分の霊気を扱うことで、戦いの際に優位さを得ている。だが、前回の会談で見せた過剰な力は二人分では到底収まるものではなかった。
では、その力の出所は何処にあるのか。
それはもう明白だろう。父と母を亡くした夜に見た翼と同じだ。ハナコの魂にも、多くの犠牲者となった者たちの魂が繋がれているままなのだ。
普段は表に出ないその人格とでも言うべきか、ハナコの魂の奥底に眠る『彼女』は、言っていた。死にたいのだと。
「どうやら、差し出がましいことを言ったようですね。申し訳ありません」
真の表情から委細を承知したラオは、また深く頭を下げる。静は真の背を軽く押し、それに従い彼も集落に背を向けて歩き出した。
振り返ることは一切せず、下山の道を行く。
「ひとまず、帰ったら爺を呼びつけねばならんな。この手のことは、あれが適任だ」
「……先生には世話になりっぱなしだな。翼の時からもそうだったんだろ?」
集落が見えなくなった頃合いで、静が愚痴るように言った。二人になったことで口も多少軽くなり、真も相槌を打って話題を振る。
「そうだな。浅霧家とは、それなりに長い付き合いにはなる」
「そういえば詳しく聞いたことはなかったな。先生とうちは、どういう繋がりなんだ?」
真にとって、如月は物心ついたときから浅霧家に出入りしていた顔なじみでもある。不思議なことに、改まって彼と浅霧家の関係を聞いたことはなかった。
「爺は、もともと退魔省に所属していたそうだ。親父殿が現役の頃には、既に退いてはいたらしいがな。私も、それ以上のことは知らん」
「へぇ……そうだったのか。まあ、それも納得か」
気功を操るという人離れした業を持つ人物だ。普通の経歴ではないということは思っていたため、腑に落ちるところがある。
「さて、無駄口はそろそろ終わりだ。急ぐぞ」
「あ、ああ……」
話しを切り上げた静が、真の数歩前を力強い足取りで進んで行く。遅れぬように彼も気合を入れ直し、彼女の背を追いかける。
勢いを増しつつある雨粒が二人を取り囲む裸木の枝を騒がせ、行く先に黒い標を染み込ませていた。




