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03 「深淵への誘い」

 無色の教団の拠点の調査当日。

 退魔省の迎えの黒塗りの車に連れられ、真とハナコと静の三人はその場所へと向かっていた。


 早朝の空は鉛色。今にも落ちて来そうなその空を、真は車窓から眺めていた。

 迎えとは言ったが、ラオは現地で合流することになっており、車中には真たち以外には運転手しかいない。話すことでも禁止されているのか、声をかけても黙ったままで、淡々と車を走らせるばかりだった。

 そんな中では呑気に会話をする気にもなれず、何より静の張り詰めた空気が言葉を発することを躊躇わせた。


 結局、静は自ら宣言した通り調査に同行することとなったのだが、その件について昨日は相当に揉めた。

 というのも、珊瑚が中々首を縦に振らなかったからである。彼女は自分こそが調査に向かうのだと静に迫ったのだが、静はまるで取り合わずにすました顔で受け流すばかりだった。

 当事者である真もその場にいたのだが、正直に言うと生きた心地がしなかった。


 珊瑚の論ではまず、今までも真と共に行動していたのだから、今回もその方が連携も取り易いと言うことだった。

 しかし、静は連携なら姉弟である自分でも問題ないと反論した。むしろ共に過ごした時間なら、静の方が遥かに長い。


 次に珊瑚は、戦力的な面の優位性を盾にした。接続を行っている分、一緒に行動した方が理に叶っていると。

 だが、それにも静は反論した。自分であれば接続した珊瑚と真を相手にも引けは取らないと豪語する。それには流石に真もプライドが傷つく思いだったが、この姉は本気でそう言っているから質が悪い。

 更に静は珊瑚に言った。接続の恩恵がなければ、浅霧家の守りもできないほど腑抜けたのかと。


 他にもいくつか言葉は並べられたが、水掛け論にしかならなかった。結局のところ、客観的に見れば二人の配置を入れ替えようが問題はないのだ。

 ならば何処に問題があるのかと言えば、行き着く先は個人の感情にしかない。

 そして、いい加減に珊瑚の言葉も尽きかけたところで、静は締め括るように彼女に疑問を投げかけた。


 ――それともなんだ。お前には真と一緒にいなければいけない理由でもあるのか?


 それで、言い募るほどに墓穴を掘るだけのことだったと理解したのだろう。最終的に、珊瑚は折れた。

 その結果に至るまで真が口を挿む隙はなく、項垂れた珊瑚に恨みがましい目を向けられてしまったのには胸が痛んだ。

 真としても珊瑚がいてくれるのは心強いのだが、いかんせん相手が姉だ。長年に渡る経験から言わせてもらえば、『言うだけ無駄』なのである。


 とはいえ、今朝は珊瑚も機嫌を直して送り出してはくれた。公私混同していた己を恥じ、一歩引いた表情で――しかし溢れる心配を隠せず複雑に顰められた顔だった。





 山間にある狭い国道を進むことおよそ一時間。国道を外れ、本格的な山道に差し掛かかろうというところで、車は停止した。

 車から降りると、しんと冷えた空気が頬を刺す。端然と居並ぶ木々に取り囲まれる中、こちらに近付く人の気配に真たちは気が付いた。


「お待ちしておりました」


 狐のような細面に赤銅色の髪を持つ壮年の男――退魔省東アジア局長、ラオである。

 山道でありながら品の良いスーツを着こなし、慇懃な礼で真たちを出迎えた彼は、にこりと切れ長の目を細めて微笑んだ。


「真さんとハナコさんは、一週間ぶりですね。このような場所までお呼び立てして申し訳ありません」

「ええ。ラオさんは一人なんですか?」


 その貼り付けたような笑みに慣れず、真は首を巡らし訊ねる。見たところラオは共も連れている様子はなく、一人だった。


「はい。お恥ずかしい話ですが、割ける人員も限られておりますので。それに今回は、あくまで調査です。大掛かりな殲滅作戦とは違いますからね」

「能書きはいい」


 流暢に話すラオの前へと、短く一言割り込みを入れた静が進み出る。長身の彼女はラオとほぼ同じ目線で、彼の顔を正面から見据えた。


「……浅霧静様ですね。前回は、碌に挨拶もできず失礼致しました」

「心にもないことを。いいか、これだけは言っておく」


 ラオの笑みを静は憎々し気に睨みつけ、ぐいと顔を近づける。そして、伸ばした右手で彼の胸倉を乱暴に掴んだ。

 突然の凶行に真とハナコが息を呑む。咄嗟にハナコが止めようと身を乗り出したのだが、静は気配を読んで空いた左手を後ろに向けて彼女の行動を制した。

 決して怒りに身を任せているわけではない。それは、静がまだいくらか冷静である証拠とも言える。


「言っておきたいこととは、何でしょうか?」


 そして、首を絞められながらも口端を持ち上げ、ラオは静に問い掛けた。その笑いが心底気に食わないと、静は瞳に圧を込めて宣言する。


「次にまた、私の身内を罠に嵌めるような真似をしてみろ。組織など関係ない。私が、お前を潰す」

「……肝に銘じておきましょう。離してもらっても?」


 ラオに手首を掴まれ、静は振り払うように手を離した。襟元の乱れを正してネクタイを締め直したラオは、真とハナコへ向け、もう一度深く頭を下げた。


「会談の件は、お二人を騙すような真似をして申し訳ありませんでした」

「ふん……白々しい。真とハナコも、こいつを許す必要などないぞ。こういう手合いは、何を企んでいるか分からんからな」

「し、静さん。流石に大人気ないのでは……」


 ハナコは会談での一件の忘れたわけではないのだが、静のあまりの言いように少し戸惑った風だった。そんな彼女に静は鼻を鳴らし、憮然と腕を組んで口を閉ざした。


「まあ……許すとか許さないは抜きにして、こうして事態に進展はあったんだ」


 そして、いきなりの雲行きの怪しさに真が溜め息をつきながら言う。


「この機会は無駄にしない。ラオさん、早いところ現場に行きましょう」

「ありがとうございます。そう言って頂けると助かります」


 顔を上げたラオは笑みを見せ、「では、早速」と懐から折り畳まれた紙を取り出した。広げられた紙面には、山の名称らしき文字と、幾重もの歪んだ線による幾何学的な模様が描かれている。


「山の地図、ですか」

「ええ。現場はここから歩いて二時間ほどかかります」


 さらりと言ってのけるラオに真は顔を顰めた。事前に聞いてはいたことではあったが、これから登山を行わなければならないとなると気が滅入る。

 真と静は水と食料を入れた小さめのナップサックを背負っており、ラオはスーツの腰にポシェットを巻いていた。登山としては全員軽装ではある。


「既にお聞きかと思いますが、改めて申し上げます。ここから尾根伝いに、二つ峠を越えます。その先にある廃村が、目的地です」

「間違いないんだな?」


 睨みを利かせる静に、ラオは鷹揚に頷く。


「シオン様の掬い取った記憶から調べましたところ、間違いはありません。他にご質問は?」

「戦闘になる可能性はあるのか?」

「ないとも言い切れませんね。しかし、教団の者が待ち構えている……という事態は考えにくいでしょう」


 これまでに拠点に攻め入ったときも、もぬけの殻であったのだ。今回もその公算が高いと言わざるを得ないところである。


「ですが、奴らは自ら仕掛けてきた。今まで身を潜めていた者が、とうとうその尻尾を見せたのです。期待は幾分できるのではないかと」

「信憑性はないが……まあいい。さっさと案内しろ」


 静の向ける敵意を目で往なしながら、ラオは「では、参りましょうか」と踵を返して歩き出した。




 そして、一同はラオに先導され、いくつかの上り下りを繰り返しながら山道を進んだ。

 山の標高は百メートル程であり、尾根の斜面から見える小さな街並みの風景は開放的なものだったが、曇天の空の下、何処か寒々しく思えた。


「そう言えば、なんで今回は退魔省だけなんだ?」


 峠を一つ越えたあたりで、真が不意にそんな疑問をラオに向けた。


「どういう意味でしょうか?」


 ラオは歩く足を止めず、少し首を振り向かせて問い返す。


「他の組織の連中も、手分けして拠点の調査を行っているんだったよな。だから……あんたたち、お互いのことは信用していないんだろ」


 真は上手く言葉に言い表せないでいたが、そこまで聞いてラオは彼が何を懸念しているのかを察し、薄く微笑んだ。


「なるほど。つまり、各々が調査で知り得た情報を隠蔽……あるいは虚偽をもって独占しようとするのではないかとお考えなのですね?」


 登山の疲れとは違う意味で表情を歪める真に、ラオは苦笑を漏らす。彼のその言いように、真は思わず視線を逸らした。


「いや……そこまで露骨なことは言わないが……」

「ご心配痛み入りますが、大丈夫ですよ。今回各々の組織でチームを分けたのは、時間もないため単純にその方がやり易かったです。確かに我々は他の組織を必ずしも信用しているわけではありません。ですが、協力体制を敷いている以上、裏切ればどうなることかは各々弁えてはいますよ。もちろん、この私もね」


 最後に少しおどけた調子で言われ、真は変な顔になる。すると、彼の背後からハナコが僅かに身を乗り出してきた。


「その手分けしている方の中には、会談にいた方々もいるのでしょうか?」

「ええ。清言様、レイナ様……それから、彼の姪御さんも今回の作戦には参加されているようですね」

「姪御だと?」


 訊き返す真に、含みを持たせた笑みを作ってラオは頷く。


「芳月沙也様ですね。お会いしたことはありませんが、中々の手練れとお聞きしています。そういえば……」


 と、芳月の名が出たところで彼はふと思い出したように言葉を繋いだ。


「浅霧家で匿われている柄支様……、彼女にはお話されたのですか?」


 何をとは言わなかったが、言葉に含まれる意味は十二分に伝わった。真が返答に窮すると、その気配を察した最後尾を歩く静が口を開いた。


「伝えてはいない。まだ、そこまで話す状況ではないと判断した」


 柄支が教団と思しき者に狙われた理由――それはおそらく、彼女の叔父である清言の存在によるところが大きいというのが浅霧家の見解だった。

 人質とするためか、あるいは狙われたという事実をもって彼の行動を牽制とするためなのか、いずれにせよ彼女の存在は無視できなくなった。

 それは、進と麻希についても同じである。真にとって近しい者に危害が及ぶ可能性がある限り、予断を許さない状況は続くことになる。


「無駄口を叩いて余計な体力を使うな。今は前に進め」

「ああ……分かったよ」


 厳しく言い放つ姉に背を押されるように、真は歩く足を少し速めた。ラオも口端を軽く持ち上げ、革靴とは思えぬしっかりとした足取りで尾根道を進む。



 それから更に一つ峠を越え、一行は尾根から谷へと下った。道らしき道はなく、しんとした静寂の中で立ち並ぶ裸木はだかぎが、冷えた上面で四人をただ見下ろしていた。

 そして、下り続けることに二十分程度のところで、足音と息遣い以外の音が聞こえた。耳を澄ませてみれば、それが小川のせせらぎの音だと分かる。


「もうすぐですね。川を渡れば、入口が見えてくるはずです」


 ラオの言った通り、ほどなくして幅が五メートにも満たない浅い小川の流れがあった。透明な水の流れは、歩き疲れた心にふとした清涼感をもたらしてくれた。

 水面に覗く岩の上を渡って向こう岸へと渡ると、何かの建造物跡らしき石垣が見え始める。その脇には、朽ち果てた木材や藁らしきものが無造作に積み重なっており、ここでかつての人の暮らしがあったことを無言で主張していた。


「ここが、村の入口のようですね」


 足を止めて振り返り、ラオが言う。四人は一度頷き合い、集落の中へと足を踏み入れた。


「……しかし、何の気配も感じんな」


 静は目を光らせながら周囲を見やる。廃村なので人がいないのは当然にしても、廃屋などもなく、繁茂する草木に覆い隠されるように家の基礎となっていた石組みが点在するだけだった。


「あの、拠点っていうのは、どういうものなんでしょうか? もっとこう、分かり易い建物とかがあると思ったんですけど……」


 まるでうらぶれた広い公園のような集落跡を練り歩くも、目ぼしいものは見つけられず、ハナコが疑問を呈する。彼女の前を行く真も、ここまで来て肩透かしをくらったかのではないかと若干不安を覚え始めていた。


「我々が過去に潰した場所は、施設のような場所が主でしたね。ですが、今回シオン様が得た記憶の映像では、どうやら地下らしいです」

「地下って……この集落の中に、隠し扉でもあるっていうのか?」

「いえ、目的の建物はあるのです。と――そう言っている内に、見えてきたようですね」


 すっとラオが右手を上げて前方を指さす。その先には、荒地にポツンと佇む三角の建物があった。

 高さ二、三メートル程の、トタンで造られた小さなピラミッドのような小屋である。元は白かったのだろうが、長い年月を経て全体的に赤茶けた錆が頂上から滴るように広がっていた。

 正面には縦長の扉のない入口がある。中は見えず、暗闇がぽっかりと口を開けていた。


「これが……入口なのか?」


 小屋の前に立った真がラオに訊ねる。ラオは頷くとポシェットから小型のマグライトを取り出し、一同を振り返った。


「私が先導して灯りを使用しますが、各々視覚の強化は行っておいてください。何が起こるか分かりません」


 ラオは顔から笑みを消して言うと、小屋の入口に向けてライトをかざす。大人が数名程度入れるほどの内部は殺風景なもので、トタンの壁に空いた小さな窓らしき隙間から、僅かに外の様子が窺えるくらいだった。

 と、入口から中ほどまで歩いたところで、真は何かに躓いた。


「わ、大丈夫ですか! 真さん?」

「ああ、大丈夫だ。大袈裟に声を出すな」


 真は誤魔化すように空咳をする。彼が躓いた原因を見るべく足元に視線を落とすと、既に静が屈んで床を調べていた。


「真、そこをどけ。これは、取っ手だ」


 咄嗟に真が飛び退き、ラオが静の手元に灯りを向ける。そこには、四角い木枠に扉がはめ込まれていた。

 年期が入って入るようだが朽ちてはおらず、廃村と共に放置されていたというわけではなさそうだ。おそらく、最近まで使われていたはずである。


「……開けるぞ」


 静は顎を上げて真たちを見て言うと、躊躇うことなく取っ手を持ち上げた。ぎぃと耳を不安にさせる音を立て、扉が開く。

 生温かく、かび臭い空気が這うように漏れ出し、舞い上がった。真は口に手を当て、細めた瞳で開かれた扉の先を凝視する。

 だが、その先はまだまだ深く、底が見えなかった。

 真っ直ぐに地下へと階段が伸びており、その先は遥か闇に沈んでいたのである。

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