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01 「生存者」

 元日。年が明け、冬休みも後半となった。

 両親の喪が明けていないため、浅霧家ではしめやかに過ごすことになっていた。とはいえ、その事情とは無関係の柄支たちに暗い気持ちを抱かせないため、料理を振る舞うなどの配慮はあった。

 何より、何もないのは父と母も寂しかろうという思いがその上にはある。必要以上の飾り立てこそ行ってはいないが、家族は晴れやかに新年を迎えることに決めていた。


 静との稽古を終え、道場の片付けを終えた真は節々に残る痛みを感じつつ、その足で兄である礼の自室へ続く縁側を歩いていた。

 午後の明るい陽射しとは裏腹に、彼の顔には仄かな陰りがある。姉に負けて落ち込んだ気持ちを引き摺っているわけではなく、これから話されるだろう内容について、あれこれと考えを巡らせていたためだった。


 無色の教団。

 およそ一週間前に行われた三組織の会談で明かされた、これから打倒せねばならぬ組織の名だ。

 ふと隣から感じる視線に気づき、ちらと真は目を動かす。すると、こちらを心配そうに覗き込んでいるハナコの顔があった。


「真さん、あまり思い詰めないでください。わたしなら、大丈夫ですから」


 陽だまりに透ける霊体を煌めかせながら、ハナコは柔らかく微笑む。「わかってる」と、真は返して頷くのだが、彼女のそんな顔を見てはますます教団に対する感情の火は消せそうにもなかった。

 しかし、それでも今は平静であれと、兄の部屋の障子戸の前までたどり着いた彼は、大きく一度深呼吸をした。


「兄貴、入るぞ」

「やっと来たか。いいぞ、入れ」


 呼びかけるとすぐに応答があったため、真は間を置かずに戸を引き開ける。

 和室の奥、部屋の片隅に置かれた文机ふづくえの前に座す兄――浅霧家当主、浅霧礼は真とハナコの姿を認め、温和な笑みを作った。


「まあ座れ。お前で最後だ」


 礼の他に、先客は二人いた。彼の正面には座布団が四つ並べられており、左端には先に道場を去った姉の静が座っていた。

 そして、右端で胡坐をかくもう一人の人物に、真は僅かに目を見張った。


「先生?」


 真の声に、白髪を後ろにすき流した老人が顔を振り向かせる。


「おう、真。邪魔してるぜ。さっさと座りな」


 老医師――如月健一は、わざとらしく片手を当てた首を回し、顎をしゃくった。


「ったく、たまの休みに呼び出しやがって。俺も暇じゃねえんだぞ」


 彼の恰好は診療所でよく見る白衣ではなく、上はワイシャツと駱駝らくだ色のセーター、下は灰色のスラックスだった。

 老人とは思えぬ張りのある声からは、不機嫌さがにじみ出ている。どうやら礼が無理を言って呼び出しらしいが、悪びれもせず横柄な態度を取る様は中々に図抜けたものだった。


「まあ、そう言わないでください。お茶も出しますから」


 如月の厳しい視線に晒されながら、礼は苦笑しつつ言った。老医師を兄が宥めている隙に、真とハナコは中央に空けられた席へとそれぞれ腰を落ち着ける。静の隣に真、そしてハナコの順だ。


 真は隣で正座する姉を盗み見る。彼女は真が部屋に入ってから一瞥もくれず、どこか剣呑な顔つきで太腿の上で拳を握り、じっと話の開始を待っていた。

 そこに普段の気楽な雰囲気は見る影もない。話しかけるのも躊躇われるほど厳しい空気を放ちながら、弟の視線に気付いているだろうに、彼女は口を開こうともしなかった。


 静の放つ空気はじわじわと室内に染み入るように広がり、濃密な緊張感となって場を包み込む。その重みに呑まれ、まだ何も始まっていないというのに、真は疲労を感じていた。


「し、失礼します」


 そして、部屋の緊張感は外にも漏れ出していたのだろう。若干上擦った声がして、中庭に面した障子戸が開かれた。


「お茶をお持ちしました」


 浅霧家の使用人である姉妹の妹、凛がゆっくりと頭を下げ、笑みを見せる。涼やかな風が部屋を通り抜け、僅かだが空気が弛緩したようだった。


「ご苦労だったな。入ってくれ」


 礼は少し安堵して息をつき、手招いて凛に部屋に入るよう促す。


「よう、凛。新年早々、相変わらず奇天烈な恰好をしてやがるな」

「如月先生、奇天烈はやめてくださいよっ。これは、家庭における戦闘服と自負しているんですから」


 砕けた調子で言う如月に凛が言い返す。彼女の恰好はメイド服姿であり、如月の感性では理解が及ばないところなのだった。


「凛、翼はどうしている?」

「居間で大人しくしてくれていますよ。姉さんたちと一緒に行けなくて、ちょっと残念そうでしたけどね」

「そうか……悪いことをしたかな。後はこっちでやるから、相手をしに行ってやってくれ」

「はい。そろそろお昼の準備にもとりかかりますね。先生も食べていかれますか? おせちですけど」

「そうだな……ま、相伴にあずかるかね。ついでに翼の経過も診ておきたいからな。後で顔を出す」

「わかりました。では、皆さん失礼します」


 湯のみを乗せた盆を置き、凛は緊張を解いた控え目な笑みを残して部屋を後にする。そして、彼女の気配が遠ざかったのを見計らい、如月がおかしそうに笑みを漏らした。


「ちったあ、如才無く振る舞えるようになったか。珊瑚に似てきたんじゃねえか?」

「そうですね。若者は成長が早いですから」

「違いねえ。真、お前も苦労するんじゃねえのか?」

「先生、俺は関係ないでしょう」


 真は少し顔を顰める。彼は凛の置いた盆を引き継ぎ、各人に茶を配って居住まいを正すと如月を横目で睨んだ。


「そうか? ま、当人がいいならそれでいいがよ……。しかし、真が最後だって言ったが、珊瑚は来ねえのか?」


 幸い如月はそれ以上追及せず、ふと気づいた風に疑問を呈した。

 教団について話をするのならば、会談において直接遭遇した珊瑚はこの場にいるべき人物のはずである。

 しかし、その疑問には礼がすぐに回答した。


「珊瑚は客人を近くの神社まで案内していますよ。初詣、ですかね。彼女には事の次第は事前に話していますから、問題ありません」

「客人……あぁ、真の学友の嬢ちゃんたちか」

「ええ。家に閉じこもってばかりだと息が詰まるでしょうから」


 柄支、麻希、進の三人は浅霧家を留守にしている。本当なら真が案内役を買って出るべきだったのだろうが、今の話もあるため珊瑚に任せることになっていたのだった。


「……そろそろ頃合いだろう」


 その時だった。茶を一口含んだ静が不意に口を開き、湯飲みを漆器の茶托へわざと音を立てて下ろした。


「礼、話せ」


 彼女の鋭利な声音に、解けかけた緊張が再び引き締められ、水を打ったように室内が静まり返る。


「そう怒らないでくださいよ、姉さん。話しますから」


 せっかく空気を和らげようとしていた努力を無に帰され、礼は刈り上げた頭部を掻きながら諦めた風に嘆息した。


「お前が焦らすような真似をするからだろうが。私の気が長くないことは、お前も知っているはずだが?」


 殺気立ち礼を睨む静に、真とハナコは内心冷や汗を禁じ得なかった。この話に際して二人も心中穏やかではないものの、静の気の立ちようは異様であるように思えた。

 だが、それも無理からぬことだろう。静にとっては先の会談の話自体がもとから気の進まぬことだったし、結果として真たちは危険に曝されたのだ。

 各組織の謀略により、真たちは利用されたと言っても過言ではない。

 彼女は身内が傷つけられることを、何より嫌うのだ。


「わかりましたよ。では、話します」


 礼は静に一瞥をくれてから、袷の襟元を正して一度咳払いをした。

 そして、瞳に力を込めて、ようやっと本題を話し始めた。


「三組織の会談の顛末は、皆も知っての通りです。教団の襲撃を退け、表面上はこちらが勝利を収めました」

「表面上ってえのは?」

「結局のところ、倒した相手が蜥蜴の尻尾だということです。過去に行われた拠点の襲撃でもそうだったようですが、こちらが得たものは無いに等しい。むしろ、勝利のために割いた戦力分、こちらが浪費させられただけとも言えますか」


 如月の問いに答え、礼は続けた。そこへ、静が今回の話の主題へと切り込むべく口を開く。


「だが、今回は違うのだろう?」

「ええ。封魔省総長……シオン殿。彼女が、食ったという敵の魂から記憶の断片を探り、新たに拠点らしき場所がいくつか判明したそうです」

「……そりゃあ、とうとう切られた尻尾の先を掴んだってことか?」


 如月の目に鈍い剣呑な光が宿る。しかし、礼の表情は浮かないものだった。


「どうでしょうね。何せ、情報を得るために日が経ち過ぎていますから。当然、教団もこちらが情報を入手し得るであろうことは予想しているはずです」

「連中も馬鹿じゃなけりゃあ、引き払われている可能性は高そうってことだわな」


 そういうことです、と礼は頷く。


「だが、調査をしないわけにもいきません。そこで、各組織でチームを組み、各個その拠点へ踏み込むことにするそうです」


 そこで、礼は真とハナコに視線を向けた。その目は真剣で、覚悟を問い質すような鋭さを孕んでいる。


「真にハナコちゃん。二人とも調査に同行する気はあるか?」

「おい、礼。そいつは無茶なんじゃねえのか?」


 その兄の問いに真が答える前に、如月が反駁する。彼は真とハナコを一瞥し、更に言葉を重ねた。


「またぞろ罠の可能性だってないわけじゃねえんだろ。第一、こいつらは病み上がりだ。またどんぱちをやらかして、取り返しのつかないことになっても俺は責任を取れねえぞ」

「それは承知しているつもりですよ。ですが、先も言った通り既に日数が経っている。全ての事情を勘案している暇はないんです」


 如月に言葉を返した礼は、「それに」と一瞬、静の方を見やり、肩を竦めた。


「どんぱちなら、とうに毎日やらかしてますよ」

「失敬だな。程度は弁えているよ。爺にあれこれと言われるのは面倒だからな」


 静は微かに殺気を内に収め、足を崩すと「それで?」と話の先を促した。


「その拠点の場所は何処なんだ? まさか国外まで飛べと言うんじゃないだろうな」

「いいえ、それは流石にないですよ。こちらが受け持つ拠点場所は、京にある」

「京だと!?」


 静が目を見開く。にわかに彼女から放たれる圧力を受け流しつつ、礼は目を細めて姉を見た。


「そうですよ。灯台下暗し……ですね。俺も驚いたよ。だが……真たちの話を聞く限り、連中は膨大な量の霊気を扱っていたようですからね。そう遠く離れた場所ではないことは、予想できたことかもしれない」

「つまりは、そこが会談を襲撃した連中が実際にいた場所である可能性が高いということだな」


 そう結論を出すと、静は「ならば話は早い」と口にした。


「その調査には、こちらの他に誰が行くことになっているのだ?」

「あの局長……ラオ殿が直々に出るとは聞いています。大掛かりな対応をしている暇はないとのことで、迅速に少数で向かいたいと」

「静姉、まさか……」


 会話の流れにようやく追いつこうと、真は静を見て言う。そして、次に姉が口にした言葉は、彼の予想通りのものだった。


「私が行く。あの局長には、一言言ってやりたいこともあるからな」

「姉さん、あんたが行けば浅霧家ここの守りはどうするんですか?」

「珊瑚に任せれば問題ない」


 礼の問いを一刀両断し、静は顔を横に向けて真を見た。


「なあ、真。たまには私と一緒に行動を共にするのも悪くはないと思わんか?」

「……静姉は、俺が行くことを止めないのか?」


 問い掛ける姉の顔を見返し、真は訊ねる。彼女はこの場において、やっと苦笑ではあるが口端を歪めた。


「お前が決めろ。止めはせん」


 真は隣に座るハナコの顔を見やる。すると、彼女もまた彼の顔を見ようとしており、互いの視線が交わった。

 彼が目で問うと、彼女は力強く頷く。意志の確認は、それだけで事足りた。


「行くに決まってるだろ。教団の拠点ってことは、そこへ行けばハナコの記憶に関する手掛かりがあるかもしれないってことだからな」

「わたしも同じです。行かせてください」


 二人はやや前のめりとなり、礼の目を真っ直ぐに見据えて願い出る。

 礼は二人の瞳を見つめ返し、ややあってふと息を吐き出した。そして、如月に対して苦い笑みを見せる。


「そういうわけです、先生。申し訳ありませんが、ここは二人の意志を尊重したいと思います」

「……ちっ、好きにすりゃいいがよ。医者の意見を無視したんだ。どうなろうが俺は知らねえぞ」


 そのわざとらしい仕草に、如月は舌打ちをする。とはいえ、彼も答えなど始めから決まりきっていることは分かってはいたのだろう。それ以上反対意見を述べることはしなかった。


「そのときはどうぞ寛大な処置をしてくださると助かります」

「どうだかな。静、てめえも無茶をしでかすんじゃねえぞ」

「ふん、私の心配より、爺は自分の心配をしたらどうだ」


 如月の注意もどこ吹く風で、静は煩わしそうに彼を睨んだ。


「いつもは巻き込むなと言っておきながら、のこのことこんな場に出席して大丈夫なのか?」

「お前はこの間俺のことを引っ張り回したことを忘れてんのか? ぶっとばすぞ」

「なんだと」

「お、お二人とも! 落ち着いてください。礼さんも真さんも、なんで黙って見てるんですか!?」


 無駄に喧嘩腰になる如月と静に、焦って顔を左右に振りながらハナコが声を上げる。だが、礼と真は我関せずと首を横に振るだけだった。


「放っておいて大丈夫だ。すぐにおさまる」


 真のいった通り、一頻り火花を散らす睨み合いを終えると、静は憮然と如月から目を逸らした。如月は胡坐をかいた膝に片肘を立てて頬杖をつき、やれやれと大仰に肩を上下させる。


「昔はちっとは可愛げがあったんだがな」

「余計なお世話だ」

「は……まあ、今日はお前と言い合いに来たわけじゃねえんだ。話しを戻すが、同席しねえわけにはいかねえだろうが。教団はハナコのことだけじゃない。翼のことだってあるんだからな」


 そう切り出した如月の言葉に、一瞬の静寂が落ちた。


「先生……」


 それを厭うように眉を顰め、礼は口を開こうとしたのだが、如月は即座に目で制した。


「お前もそれがあるから俺を呼んだんだろうがよ。まどろっこしいのは嫌いなんでな。とっとと話させてもらうぜ」


 老医師は胸の内から澱でも吐き出すかのように深く息を吐く。そうして次に、彼は真とハナコへと向き合うように身体を向き直らせた。

 老人の黒い瞳は二人を見ているようで、何処か遠くを見ているようにも思えた。真は彼の口から発せられる前に、鉛のような事実を背負わされているかのような気分になる。


「ま、改めて言うことじゃねえとは思うがよ。ここまで来たんだ。翼のことは、はっきりさせとこうじゃねえか」


 そして、皺の刻まれた顔を微かに歪め、如月は言った。


「あいつは、お前たちの親父――浅霧信が教団の拠点から救い出した、生き残りだよ」

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