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序章 「反攻の狼火」

 浅霧真は離れにある道場にて、両手を引き絞るようにして竹刀を構えていた。


 午前十一時。窓から差し込む陽射しが古ぼけた道場の内部を照らし、褪せた景色に温かな色味を与えている。

 一昨日に一家総出で大掃除をしたばかりだ。埃の類は舞ってはいない。いつもよりも、空気が洗練されているような気さえした。

 今から再びこの場を汗と埃で汚すことにささやかな抵抗はないわけではなかったが、道場とはそういうものだ。


 どれだけここで汗を流し、埃に塗れ、己を研磨し続けたか。


 そして、その成果を示す場でもある。


「さて、そろそろ覚悟は決まったか?」


 緊張に沈殿しかかった空気を、十メートルばかり離れた位置で正対する相手の声が無遠慮に震わせた。

 野生の獣のような雰囲気を纏いながらも、瞳には理知的な光が宿っている。こちらの動きをつぶさに観察しているのが窺えた。

 右手の竹刀を無造作に肩に担ぎ、口端を鋭く吊り上げている様は気楽なものだ。気負う真とはまるで正反対であるはずなのだが、まるで隙が無いのも事実である。


「もちろんだ。新年一発目、景気よく勝たせてもらうぜ」


 真は足の親指の付け根に力を込めて床を踏みしめると、竹刀の切っ先を悠然と構える姉――浅霧静へと向けた。

 ピタリと額の正面を狙い、突き付けられる弟の気を静は心地よさそうに受けている。見えざる闘志の鍔迫り合いが、既に始まろうとしていた。


 真の首筋には汗が流れている。古びた道場は真冬の冷たい隙間風を抑えることができず、暑さとは無縁ではあった。

 しかし、それを押して余りあるほどの熱が彼の身体からは迸っているのである。

 気合の入れ具合が普段とは異なる。また、彼自身も今朝の自分は調子が良いと、はっきりと感じていた。


「いつでも来い」


 静は自ら動かず、受けの姿勢でそう言った。真は姉の鷹の目を見据えながら、息と共に雑念を深く吐き出す。

 そして、次の瞬間に目を見開き、疾走した。

 床を踏み鳴らす音が遅れて響いたときには、既に半分以上距離は詰めていた。当初の狙い通り、真の放つ打突が彼女の額へと伸ばされる。


 しかし、静は右足を一歩踏み込み、右半身を外側に開けるように動き、あっさりと攻撃を躱した。

 風に舞う落ち葉のような掴みどころのない足捌きで真の左側面に移動した静は、更に一歩踏み込み背後へと回る。そして、がら空きとなった背中へと竹刀を振り下ろした。


「――させませんっ!」


 だが、直撃の寸前、光が弾けた。

 甲高い第三者の声と共に、真の背中を守るために霊気で編まれた障壁が作られたのである。


 ハナコだった。真に取り憑いた霊の少女は彼の背後を見張る目となり、静の攻撃を受けたのだった。

 障壁は竹刀を押し返すように砕け散り、静を半歩後退させる。その隙に、右に上半身捻った真が振り向きざまに竹刀を薙ぎ払った。


 右腕を弾かれている静は、己の竹刀で防ぐことを即座に諦めた。彼女は上半身を仰け反らせ、空いた左手を伸ばす。そうして、掌で迫る真の竹刀を無理矢理受けて掴み取った。

 得物をぶつけている真の方が有利であるはずなのに、彼はこのまま押し戻されてしまいそうなほどの圧力を姉の掌から感じる。

 単純な力比べでは、まだ勝てる余地がないのかと内心舌打ちをしながらも、彼は次の手を打った。


 静が完全に体勢を立て直す前に、真は竹刀を手放した。押し切ることに注意を割いていた静は、武器を手放されたことで一瞬の隙を見せる。

 そこへ、左半身を前面に押し出した渾身の体当たりをお見舞いした。

 静が対応しようとするが、真は突っ切ってそのまま雪崩れるように押し倒す。そして、マウントを取ると彼女の眼前に拳を突き付けた。


 大の字に倒れた静と、彼女の腹に跨り見下ろす真。二人の視線がぶつかり合い、張り詰めた静寂が訪れる。

 息をつかせぬ攻防の末、二人の荒い呼吸の音が道場に浅く響いていた。


「どうだ……。取ったぞ」


 やがて、勝利の実感を得たように真は言った。姉に拳を突き付けている現状を、彼は未だ信じられない気持ちでいたのだが、どうやら嘘ではないらしい。


「ふ、この短期間で腕を上げたな」


 まるで悔しさの欠片も見せず、静は不敵に笑っていた。いかにも余裕ぶったその顔が気に入らないのだが、真は拳を更に数センチ押し出し、勝利を確実にさせるため口を開く。


「減らず口もそこまでだ。参ったのかよ」


 姉の顔から視線を外さず、真は彼女の口から言葉を引き摺り出そうした。

 しかし、不敵な笑みから零された言葉は、それとは真逆の言葉だった。


「お前の負けだ」


 その瞬間に、真は後頭部に強い衝撃を受けた。何かが上空から飛来し、彼を凄まじい勢いで殴打していたのである。

 一体何が起きたのか彼には皆目見当がつかなかったが、殴打したものの正体はすぐに分かった。幾度となく打ち据えられた感触は忘れようもない、竹刀である。


「――……ッ!」


 衝撃に思考が明滅する中、真は奥歯を噛んで意識を呼び起こそうとする。だが、時すでに遅く、身体を捻った静に彼は体勢を崩され、逆にマウントを取られてしまった。

 そして、広げられた静の左手が彼の顔面を握り締めた。


「参ったか?」

「……だ、誰がッ!!」

「ほほう。では、どこまで我慢できるか試してやるか」

「ン……ガアアアッ!!」


 嗜虐心に溢れる悪魔の笑みを見せた静の五指が、万力のように真の頭蓋を締め上げる。彼はあまりの苦痛に雄叫びを上げ、彼女の左腕を掴んで引き剥がそうとするのだが、まるで外れる気配はなかった。


「し、静さんっ! もうこれ以上は! 参りました! わたしたちの負けです!」


 見兼ねたハナコが色を失い、降参の声を上げて静に縋りつく。じろりと静が目を向けると、射竦められたようにハナコは喉を引きつらせた。


「やれやれ、仕方ないな」


 悲愴な顔をする少女に、静は口端から息を漏らすと指を開けて真の顔面を解放した。


「女に助けられるとは不甲斐ない。参ったくらい素直に言え」


 わざと体重をかけるように真の腹から立ち上がると、静はおもむろに右手を頭上にかかげる。すると、見計らったかのように落ちて来た竹刀の柄が、彼女の手に収まった。

 上体を起こして尻餅をつく姿勢で、真は竹刀と静の指先を結ぶ藍色の糸の存在に気付く。目を凝らさねば見えぬほどの極細のそれが、頭上から真を強襲した仕掛けだった。


「てめえ、を使ったのかよ」


 静は真に倒されたとき、既に竹刀を放り出していたのだ。そして、霊気で強化した髪を幾本か竹刀へと絡ませ、人形でも操るようにして頃合いを見計らって叩き下ろしたのである。


「大甘に見ても引き分け、ということにしておいてやろう。及第点だな。私にこれを使わせたのだから、もっと誇ってもいいぞ」


 霊気を解いた髪を手の平から落とすと、静は竹刀を真の胸へと放った。それは、もう手合わせは終わりという合図――つまり、片付けておけということだった。


 真とハナコは以前の約束の通り、静から稽古をつけてもらっている。これはその一環であり、静いわく、昇段試験のようなものらしかった。

 合否はどれだけ彼女を本気にさせるか、その一点につきる。

 引き分けというのがどういう採点なのかは不明だが、上機嫌そうな姉を見る限り、そこまで悪い結果ではないということなのだろう。


 しかし、褒められているはずの真の顔は、不服そのものだった。


「ふざけやがって。何が引き分けだ……ハナコ、すまない。せっかくお前が隙を作ってくれたのに、無駄にしたな」

「え、いえいえ。わたしこそ、静さんが竹刀を手放したことに気付けなくて……周りが見えていませんでしたから」


 悔し気に俯く真に寄り添いながら、ハナコが首を横に振る。そんな二人の様子を見下ろしながら、静は片手を顎に添えて笑みを零した。


「そう落ち込むな。ハナコも霊気の扱いが上達したな。いささか驚かされたぞ」

「そ、そうですか? だとすれば、静さんのお陰ですね、きっと」


 今回の手合わせで、ハナコは初めて実戦の中で自分の意志で霊気を形成して壁を作った。

 これは、この冬休みの間にハナコが霊気の扱いに関する鍛錬を集中的に受けた賜物である。


 真がわざと攻撃を躱されることで隙を見せ、相手の不意をつく防御で逆に隙をつく。二人の連携は見事にはまっていた。

 その後の結果は残念に終わったが、これは静が一枚上手だったとしか言いようがない。


「まだまだ研鑽は必要だろうが、この調子で励めば二人分のバランスは取れるだろう。今後も励め」

「はい。ありがとうございました」


 午前中の稽古の締め括りに総評を述べる静に、ハナコは素直に頭を下げる。静に一瞥され、真も不承不承に頭を下げた。


「よろしい。では、片付けが済んだら礼の部屋に来い。やつから話を聞かねばならんからな」

「ああ……そう言えば、何の話か静姉は聞いてるのか?」


 道場に来る前のことである。兄である礼から、三人は稽古が終わったら彼の部屋へと来るように言われていたのだ。


「なんだ。聞いていなかったのか」


 静は眉を顰め、疑問を呈する真を見る。ハナコも彼と似たような顔で頷いた。


「……封魔省伝いに、退魔省から連絡があったのだとさ」


 そして、表情を引き締めた彼女は、そう告げた。


「無色の教団の情報がようやく入ったらしい。その詳細を聞くんだよ」

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