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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
幕間 束の間の休息
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07 「想いの在り処 4」

 核心に迫る質問をした凛の瞳に縫い付けられたかのように、珊瑚は身じろぎ一つ許されなかった。

 その問いがどういう意味かと、わざわざ問い返す必要はない。その意図は明らかだ。

 つまり、凛は姉と真が男女としてどこまでの関係を持っているのかと、問い質そうとしているのである。


「……あなた、やっぱり聞いていたのね」


 たっぷり間を置き、珊瑚はようやく言葉を返したが、それは質問への回答ではなかった。

 以前、真とのことで静にからかかわれたときのことだ。あのとき、脱衣所から逃げるように去って行った凛の気配を思い返す。


「全部は聞いてなかったよ。でも、決め手はそれだけじゃないから。姉さんを見てたら何となくわかるよ」

「わかるって、何が……」

浅霧家ここよりももっと身近で一緒に暮らすことになったんだから、そりゃあ今以上に仲良くはなるだろうさ。けどね――」


 ぐいと凛が身を乗り出し、湯に波紋を起こす。次の瞬間、彼女は珊瑚の肩の上を通すように両手を伸ばし、手の平を壁に突き立てていた。


「そういう類の親密さには見えないって言ってるの」


 ぴしゃりと湯が撥ね、凛の手首を伝って珊瑚の肩に数滴零れる。まるで錠前でも掛けられたような気分になり、爛々と燃える瞳に見上げられて珊瑚は慄いた。


 とうに凛の顔からは笑みは消え、口は引き結ばれている。二人の身体は密着しており、珊瑚が腹の底に感じていた冷たさはもう消え失せていた。

 凛の身体からは、彼女の感情を代弁する熱が珊瑚の奥へと食い込んでくる。その熱に酔わされるように、珊瑚の頬は朱に染まり出していた。


「凛、離れなさい」

「ダメだよ。姉さんが答えてくれるまで離さない」


 珊瑚が言うが、当然ながら言うことはきかれなかった。ここで押しのけることはできるだろうが、何故かそれは躊躇われた。

 これは予感である。ここで適当な言い訳をしてはぐらかしてしまえば、決定的に妹に負けてしまう気がするのだ。

 それだけの迫力が、彼女の瞳には宿っていた。


「……あなたの聞いた通りよ」


 故に、珊瑚は観念した。

 心を締め直し、凛の目を見つめ返して言う。


「つまり、どういうこと?」

「キス、したわ」


 無論、それは状況的に必要であるから行為に及んだということではあるのだが、あえて口には出さなかった。それを言い訳と思う時点で、後ろめたさは隠せていない。


「そ、それ以上は?」

「ありませんっ」

「じゃあ、付き合ってもいないの?」

「いません」

「本当に、キスだけ?」

「そうよ……何度も言わせないでちょうだい」


 矢継ぎ早に訊ねられて流石に羞恥を覚え、珊瑚は目を逸らした。


「じゃあ、これが最後の質問――姉さん、真くんのこと好きなの?」

「……わからないわ」

「ふぅん、そこは逃げるんだ……」


 凛は薄っすらと目を細めると、壁に突いた両手を降ろして姉から身を離した。

 解放された珊瑚は何か言おうと喉を動かそうとしたのだが、選べる言葉が出てこなかった。


「姉さんの――」


 と、珊瑚が悩んでいる内に、凛の方が先に口を開いた。かと思うと、彼女は突然に大口を開き思い切り息を吸い込み、勢いよく湯の中に顔を沈めていた。

 があっ、と何か滅茶苦茶に叫んでいるようだが、水中であるため聞こえない。

 空気の泡が激しく湯面で暴れる様子を、珊瑚は唖然として見つめていた。十秒以上はそうしていただろうか、ぷはっと飛沫を上げながら凛が顔を上げる。

 息切れに顔を赤くし、肩を荒く上下させながら息を整え、額と頬に張り付いた濡れそぼった髪を振り払ったところで彼女は目を開いた。


「あーもう! やっぱり姉さんはずるい! ずるいったらずるい! わたしの気持ちを知ってる癖に!」


 口調は怒りと非難に満ちているのだが、何故か凛は笑っていた。

 表情は明るく、幾らかすっきりとしているように見える。


「でもまあ、仕方ないよね。わたしが姉さんに勝てるところなんて、なにもないもん」

「り、凛?」


 そして、妹の笑みが不意に悪戯めいたものに変わるのを珊瑚は見逃さなかった。再び間合いを詰めた彼女は、じっと姉の顔を見上げ、口を開く。


「顔は姉さんのほうが美人だし」


 言って視線を下げた凛は、両手を素早く珊瑚の脇へと滑り込ませた。


「胸だって、わたしよりずっと大きいし」

「な!? ちょっと……!」


 珊瑚は身を捩るが、凛の両手は吸い付くように肌を滑り、躊躇いもなく腰のくびれへと這っていく。


「スタイルもいいもんねぇ」

「こ、こら! いい加減になさいっ!」


 堪り兼ねた珊瑚は両手を突き出し、凛を力ずくで離れさせた。拳骨をつくって軽く凛の額をこづくと、彼女はぺろりと舌を出して逃げるように距離を取った。


「凛! そこになおりなさい!」

「やだよーだ。もとはと言えば姉さんが悪いんだからね」

「どうしてそうなるの!?」


 同性とはいえセクハラ紛いの行為に怒り心頭となった姉を笑って躱しながら、凛は立ち上がると湯船の縁へと腰を下ろした。


「だってそうでしょ。真くんの監督役なんて言っておきながら、隠れてそんなことをしていたんだから」

「う……」

「姉さんを信頼して真くんを任せてくれた、礼さんや静さんに申し訳ないと思わないの?」

「だ、だから、それは……」

「わたしの気持ちを知っておきながら、裏切ったんだ」


 凛の言葉責めに珊瑚はみるみるうちに意気を挫かれ、萎れた花のように俯いてしまった。


「……ごめん。ちょっと意地悪言っちゃったね」


 と、凛は頬を指先で掻きながら、少しだけバツが悪そうに言って笑った。


「でも、姉さんの気持ちが少しわかってよかったよ。そうかそうか、ついに姉さんも恋を知ったか」

「ちょっと、何を勝手に……」


 一人で勝手に納得してうんうんと頷く妹を、顔を上げて珊瑚は睨んだ。しかし、凛は逆に姉の目を睨み返し、唇を尖らせる。


「じれったいなぁ。好きかもって思ったなら、もうそれは恋でいいじゃん!」

「そんな短絡的に決められるわけが……」


 言ってから珊瑚は目を開き、咄嗟に自分の口を手で押さえた。見れば、凛はにっこりと微笑んでいる。

 語るに落ちるとはこのことだ。珊瑚は顔から火が出る思いで、再び顔を俯かせた。


「ま、分からなくもないけどね。なんていうか、もっと単純なものだと思ってたんだけどなぁ」

「え?」


 さっきの言葉を即座に撤回するような凛の台詞に、珊瑚は視線を上向ける。凛は珊瑚から視線を外し、遠くを見つめるように顎を上げていた。

 曇ったガラス窓からは、深まった夜の闇が微かに覗いている。


「姉さん、覚えてる? わたしが真くんに振られたときのこと」

「……ええ。中学の二年のときだったかしらね」


 今からまだ二年ほど前の秋口ではなかっただろうか。真と凛は同じ中学に通い、当時はクラスも一緒であったため、帰宅のタイミングは同じの事が多かった。

 しかし、その日は珍しく凛が先に帰って来たかと思うと、乱暴に足音を立てて廊下を走り、部屋に飛び込んだのである。

 玄関に脱ぎ散らかされた靴を整え、何かあったのかと思う気持ちと、行儀の悪さを注意しなければという思いを半々にしながら、珊瑚は凛のもとへと向かった。


 部屋の襖を開けると、凛は制服から着替えるでもなく畳の上で突っ伏していた。両腕に埋めていた顔を上げ、振り向かせたその表情は、今でも鮮明に思い出せる。

 珊瑚の姿を認めた凛は、窓から差し込む茜色に照らされた顔をくしゃくしゃにして、瞳に盛り上がるものを必死で堪えていた。

 しかし、それも叶わず、その胸へと飛び込んで盛大に泣き崩れたのであった。


 いわく、「真くんに振られた」のだと。


 ちなみにその後、遅くに帰った真は静に道場に呼び出されて何やら手ひどい仕打ちを受けたらしいが、珊瑚も詳細は知らない。


「たはは、あれは色々と勢いだったんだよね。売り言葉に買い言葉、みたいな感じで……まぁ、古傷ですので詳しくは省くけど」


 はにかんだ凛は、合わせた両手を口に添えて背中を丸めた。


「それで……そのことがどうかしたの?」


 少しだけ気持ちに余裕を取り戻した珊瑚は立ち上がり、凛がしているように湯船の縁へと腰を下ろした。そろそろ頬も熱くなり、のぼせそうだった。


 先を促す珊瑚に、凛は「うん」と小さく頷いて続きを口にした。


「その、振られたときに真くんは言ったの。『俺のことを好きになる必要なんてない』って」


 凛の声には辛い感情は含まれていなかった。ただただ昔を思い返し、むしろ懐かしんでいる風でさえある。


「真くんが何を言ってるのか分からなかったけど、今ならなんとなく分かる気がするんだ」


 凛は隣に座った姉に顔を向ける。その目が、不意に切なげに揺れた。


「わたし、真くんのことは今でも好きだって思ってる。再会した姉さんが真くんを見る目が変わってて驚いたよ。でも……姉さんが真くんとっていうんなら、それもいいかな……なんて思っちゃったんだよ」


 そして、その感情を振り切るように凛が再び湯の中へと飛び込む。流れに身を任せながら器用に振り返って湯船に背中をもたれさせると、膝を抱えるように折り畳んで姉に問うように目を向けた。


「人を好きになるって、そんなに簡単に割り切れるものなの? わたし、自分の気持ちがわからなくなっちゃった」

「凛……」

「もしかしたら、わたしは自分の居場所が欲しいだけで、真くんを利用しようとしているのかもしれない……そんなの、やだよ」


 唇を震わせる妹の姿に、珊瑚はどこか自分を重ねた。

 凛もまた自分の立ち位置について悩んでいる。やはり姉妹なのだなと嬉しく思う反面、呆れもした。


「ねえ、凛。あなた、さっき私に怒ったのは本気だったのよね?」

「え……う、うん。本気だったよ。でも、それは……」

「言い訳はなしよ。だったら、あなたの気持ちは本物よ。正直、ちょっと怖かったわ」


 くすりと姉に微笑まれて、凛は眉を寄せて今更ながらにとんでもないことをやらかしたと表情に出していた。


「泣いて、怒って、笑って……全部、本気なんでしょう? だったら、それが偽物であるはずがないわ」

「そうかな……?」

「そうよ。それだけ心を砕いていることが、どうして嘘なものですか」


 心細そうに訊ねる妹に、珊瑚は力強く頷く。すると、凛の瞳は、更に問い質すように光を灯した。


「じゃあ、姉さんも?」


 二度目の問い掛けに、珊瑚は一瞬息を詰まらせる。

 情けない、と彼女は心の内でひとりごちた。

 妹は黙って返答を待っている。彼女にここまで諭すようなことを言っておきながら、自分は知らぬ存ぜぬでは、もはや通用はしないだろう。

 きっと、悩んだところで結果は変わらない。悩む振りはただの逃げだ。


 ここが、覚悟の決めどきか。


「……そうね。私も、真さんのことが好きよ」


 何が正しいのかを考える前に、今は己の気持ちを信じるままに、そう告げた。


「ずるいなぁ。そんな顔されたら、文句も言えないや」


 告白を終えた姉の顔を見つめる凛が、特大の溜息を吐いて頬を緩める。珊瑚は自分がどんな顔をしているのか確かめようもなく、気恥ずかしさに熱くなる頬に手を触れさせた。

 心を締め付けるような感覚は抜けきらず、今しばらくは気持ちの整理は必要だろう。しかし、口に出してしまえば、その言葉はすんなりと胸に落ちた気がした。





 その後、これ以上はのぼせると風呂から上がった珊瑚は、凛とともに寝間着に着替えて自室へと引き上げた。

 化粧台の前で髪を乾かし整えた後、就寝の準備のため押し入れから布団を出そうとした――のだが、


「凛、どうしたの?」


 何故か凛は自分の布団を用意することなく、胸に枕を抱えて珊瑚の布団のそばで両膝をついていた。

 そして、訊ねられた彼女は上目遣いで姉の顔を見て言った。


「今日は、一緒の布団で寝よ」

「……まったく、どっちがずるいのやらね」


 珊瑚は呆れて吐息を零す。風呂場であれほどの顔を見せておきながら、今は甘えて擦り寄る猫のような雰囲気を醸し出しているのだから敵わない。


「甘えん坊ね。翼さんに笑われるわよ」


 そうは言いつつも、「好きになさい」と珊瑚は掛布団と毛布を捲り上げた。自分も相当に甘いと自嘲を禁じ得なかった。


「誰も見てないからいいんだよ。それに、今日は特別だもん」


 許可をもらうや、凛は先にそそくさと布団に潜り込んだ。すっかりご機嫌な妹の様子に微笑みながら、珊瑚は消灯すべく部屋の入口にあるスイッチまで歩き、振り返る。


「もう消すわよ」

「あ! ちょっと待って!」


 突然に凛は声を上げると、枕元に置いていた携帯を手に取った。風呂に入っている間にきていた着信に気付いたのである。

 その内容を見て、凛は満足げに口元を綻ばせて携帯を閉じると、再び枕元へと置いた。


「ごめん、姉さん。もう消していいよ」

「ほどほどになさいよ。くれぐれも夜更かしして寝坊なんてしないように」

「わかってるって」


 スイッチが切られ、部屋の照明が落ちる。暗がりの中、珊瑚が布団に入ると、凛はすぐさま抱き付くように身を寄せた。

 珊瑚は凛の項と背中へと手を回し、あやすように髪を撫でる。すると、彼女は気持ちよさそうにますます胸元へと頭を擦り寄せてきた。


「ところで姉さん……」

「何……? 早く寝なさい」


 そう言いながらも、珊瑚は穏やかに訊ねた。凛は顔を上げず、彼女の胸に顔を埋めたまま言った。


「これからどうするの?」

「……ちゃんと何のことか言わないと、わからないわよ」

「わかってるくせに。真くんのことだよ」


 ちょっとだけ拗ねたような声音に珊瑚は苦笑する。

 気持ちを自覚した姉が、果たしてこの先どうするのか。凛にとっては、その事こそが重要なのだろう。


「何もしないわ」


 だが、珊瑚はそれだけ言って口を噤んだ。夜の静寂が二人の間に緩やかに広がり、やがて凛の深い吐息が布団の温もりの中に広がる。


「……はぁ、そっか」

「不満かしら?」


 訊ねる姉に、凛は首を横に振った。


「ううん……真くんも言ってたもん。今は、そんなことを考えられないって」


 決して臆病から珊瑚は行動しないと言っているわけではない。凛にもそれは伝わっていた。

 微かに震える妹の背中を、珊瑚が優しく撫でる。


「姉さん……真くんは、生きてくれるよね?」


 より強い温もりを求めるように、凛の両腕が珊瑚の背中に回された。


「命を助けられて……真くんがハナコさんを一番に考えなくちゃいけないっていうのは、わかるよ。でも、それで……」


 凛はその先を言えずに口を閉ざす。言えばそれが現実になる――そのようなことがないと信じてはいるが、その先は間違っても口にしたくはない言葉だった。

 珊瑚は何も言えず、妹の髪を撫で続けた。大丈夫だと、安心しろと言葉を尽くすのは簡単だ。しかし、それが気休めに過ぎないことは分かっている。


 幾度となく真にも言っており、彼の中にも迷いはある。それでも、彼は決定的な言葉を返してくれたことは未だにない。

 それが本心の一端であったとしても、やはり嘘なのだ。彼は何処かで自分の命を諦めている。


 いや、それはそういう後ろ向きの感情ではないのだろう。

 彼の命は少女のもの。それを誰より理解しているからこそ、彼は彼女と共に生き、そして――


「わたしたちに、真くんが今よりも……もっと生きたいって、思わせることができるかな……」


 ぽろぽろと零れ落ちるように言葉を紡ぐ凛の気配は、緩やかに静まっていく。


「礼さんに、静さんに、翼ちゃん……真くんも、みんな大好きだよ。幸せだもん……。わたしにできることなら、なんだって……したいよ……」


 そうして、彼女の言葉は、抱かれる姉の胸へとゆっくりと染み入り溶けていった。珊瑚はまるで赤子のように寝息を立てる妹の首筋にそっと触れ、優しく抱き締める。

 思っている以上に、妹の芯根は熱く、強い。そのことを思い知らされた気がして、姉としては忸怩たる思いだった。


「そうね……頑張りましょう、凛」


 ようやくのこと、囁きを返した珊瑚は瞼をおろす。

 冬の寒さはまだまだこれからだ。風邪をひかぬよう、姉妹は互いの熱を分け合うように身を寄せて眠りについた。

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