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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第一部 死に損ないの再生者
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06 「望まぬ縁」

 柄支の身体を借りたハナコは屋上の攻防を背に、真の無事を祈りながら地上を目指して駆けていた。


 今も頭上で地鳴りのような音が響いている。天井が崩れやしないかと気が気ではなかったが、今はこの身体を安全な場所まで運ばなくてはいけない。

 霊体のハナコに肉体の枠はない。そのため、意識がない生物の身体を一時的に間借りすることを可能とする。


 今の状態は乗り移り――柄支の身体をハナコが操っていると言う状態だ。


 現が見せたという霊視の影響により、柄支は霊気の大半を消費している。あの火事の幻覚が、彼女の生命力を焼いてしまったのだ。

 そのせいもあって、ハナコが柄支の身体を使う際に抵抗は少なかった。肉体を動かす霊気が消耗していればいる程、彼女自身の霊気によって動かしやすくなる。


 だが、この行為をハナコは好ましく思ってはいない。それこそ、悪霊にでもなった気分になるからだ。

 加えて言うなら、今こうして柄支の身体を動かしてはいるもののハナコ自身が肉体の疲労や痛みの度合いを判断することは難しい。

 外傷こそないようだが、もし柄支に無理な負担をかけているかもしれないと考えると、どうしても不安になる。


 あくまで慎重に、だが迅速にこの逃亡を成功させなくてはいけない。そして一刻も早く真の元に戻らなくては彼が危険だ。

 行きに来た時のような障害はなかったため、すぐに地上に出ることはできた。だが、あくまでハナコは真と繋がっているためここから遠く離れることはできない。


 不意に冷たい視線を背中に感じ、ハナコは一度ビルの屋上を仰ぎ見る。

 しかし、遠くて何も視界に捉えることはできなかった。


 気のせいと割り切り再び足を動かす。入り組んだ路地の中、なるべく人目に付きにくそうな場所を選ぶと無理のない姿勢で柄支の身体を横たわらせた。

 幸い魂は傷ついていないため、失った霊気が自然回復すれば目を覚ますはずである。自分の役割を果たしたハナコは柄支から離れ、急いでビルの屋上へと己の身体を浮遊させた。





 現の攻撃は苛烈を極めた。


 徒手空拳で繰り出されていた時ほどの繊細さはなくなったものの、両手両足に纏った霊気の形同様にその性質を暴虐なものへと変えている。

 これが本来の戦闘スタイルなのか、それとも真の攻撃に対する意趣返しなのかは不明だが、彼を徐々に追い詰める現の表情には嗜虐心が覗き始めていた。


 素手と比較にならないほどの重さを伴い襲い来る鉤爪を短刀で受けることはできたが、真の腕は軋みを上げ始めている。

 防御する度に吹き飛ばされそうになる身体を、両足を強化して支えながら真はなんとか状況を打開する術を考えていた。


 速さも巧さも相手が上。現状取れる策は肉体の強化しかないが、霊気は無尽蔵に湧き出るものではない。使い続ければいずれ枯渇する。

 柄支を逃がすための攻防で既に真は多くの霊気を消費していた。強化された現の攻撃を防御している今、残量は厳しいものになっている。


「顔色が悪いですね。そろそろ終わりですか?」


 削られ続けた真の霊気の色は薄まってきていた。身体強化を失えば現の攻撃に抗う術はなくなる。受ければ容易く肉体は破壊されるだろう。

 歯を食い縛って気合いを入れ、迫る左の一撃を短刀で受ける。しかし、気合で霊気が増えるわけもなく、とうとう真は力負けした。


 短刀がへし折られる前に真は引いて鉤爪を受け流そうとするが、それを待っていたように右の鉤爪が襲い掛かった。

 上着が裂かれ、左の脇腹に一本の赤い線が浮かび上がる。黒い霊気がその傷口を侵し、焼けるような痛みが肉体の内側で暴れた。


「――ッ!」


 飛び出しそうな叫びを堪え、打ち付けるように床を踏む。倒れればそれこそ終わりだ。

 まだ、無様を晒していい場面ではない。


「――真さん!」


 と、そこへ二人の間を割って入るように少女の声が飛び込んできた。


「ハナコ……来い!」


 その姿を見た現は、やはり人質を逃がしたのはこの少女だったかと確信に至る。

 しかし、今更戻ったところでどうなるものでもないだろう。現はとどめを刺すべく、構わず突っ込んで行った。


 が、息の根を止めるつもりで放った突きを繰り出す瞬間、彼女の背に怖気が走る。


 霊気の尽きかけた真に抗う術がないことは戦いながらに感じていた。故に、これはただの勘である。

 その予感を払拭するように現は速度を上げ、突きを真にぶち込もうとした。


 黒と青の飛沫が明滅する。しかし、現は手応えを感じることができなかった。

 真の胸の前で水平に構えられた短刀には強化の光が戻っており、鉤爪は完全に受け切られている。


 どのような手品を使ったのか現は一瞬判断に迷ったが、すぐに思い当たった。

 少女の霊が真と合流したことだ。霊体は言わば霊気の塊。離れていた少女が真の元に戻ったことで、一時的に霊気が供給されたに違いない。


「なるほど……ですが、一時凌ぎでしょう!」


 だからどうしたと、現は攻め手を緩めようとしなかった。やることは今までと変わらない。同じように霊気を削り続ければ状況は逆戻りになるだけだ。

 構わず空いた左手でもう一撃を繰り出そうと振り被る。

 しかし次の瞬間、現は盛大に吹き飛ばされていた。


「――!?」


 己の身体が宙に浮いている。あり得ない現象に混乱しながらも、彼女は姿勢を膂力で制御して足からの着地を成した。

 眉を上げて真を見れば、今までの霊気とは桁違いの量を纏っている。

 青い光が帯となって炎のように彼を取り巻いていた。夜の闇を食い破るようなその輝きが放出された衝撃で自分は飛ばされたのだと、彼女は理解する。


「隠し玉……? でも、これは――」


 現が戸惑っている内に、真は短刀を構えて踏み込みの体勢を作る。


 来る――反応してすぐに現は短刀の軌道を見た。


 斜めからの打ち下ろしを、半身を逸らして躱す動きを取る。短刀のリーチは既に把握していたため動作は最小限だった。そこへカウンターとして下から顎を狙って右手を突き上げようとする。

 が、現は突き上げのために落とした右肩に打撃を受けた。衝撃に息が詰まり片膝が崩れる。


 現は、真の短刀が伸びるのを見た。


 実際に木の刀身が伸びたのではなく、強化で覆った霊気が刀身の延長となったのだ。現の鉤爪同様に、彼の霊気は物理的な破壊力を有している。

 油断と言えばそれまでだ。こちらにできることが、相手の手札にないと侮っていた。

 そして、体勢を崩した現に対して追い打ちをかけるべく、真は上体を弓のようにしならせて渾身の突きを放つ。

 現は両手を交差させてそれを受けたが、彼女の黒い霊気は丸ごと穿たれ砕け散った。殺しきれない衝撃に彼女は吹きとばされ、一度床にバウンドして仰向けに倒れる。


「……はぁ……ッ!」


 起き上がる気配のない現を見て、真は溜めていた息を吐き出した。まだ油断はできないが、確かな一撃を食らわせることができたはずである。


「真さん……今のうちに逃げましょう」

「ああ……」


 ハナコの提案に真は頷いた。現が何者なのかは気掛かりではあったがこちらの消耗も激しい。

 柄支の安全も確保しなくてはならないため、これ以上関わるのは危険だ。


「逃がすと……思っているんですか?」


 だが、仰向けのまま唸るような現の声が低く響いた。


「痛いですね……くそぉ……私の霊気が、散ってしまったじゃないですか……」


 コンクリートの床に爪を立て、現はゆらりと立ち上がる。

 その間に真が攻撃を再開できなかったのは、その気配がこれまでに増して異様だったからだ。立ち竦んでいたと言っても良い。

 彼女の両手の平の皮膚は破れ、赤い血が滴り落ちていた。左右に裂いた口からは、感情が触れたように断続的な笑いが漏れている。


「許しませんよ」


 砕ける程に奥歯を噛み、現は真を睨み据えた。両手には再び鉤爪を形成する霊気に覆われる。

 流れる血が混ざっているのか、赤みを帯びたその黒は禍々しさを増していた。

 強烈な殺気をぶつけられ、真は今までのことは遊びだったのだと悟る。猫が鼠を弄っていただけのことでしかない。

 それが、自分の反撃を受けたことで本気に変えてしまった。


 死を感じることで背筋が凍りそうになる。身体は熱を帯びているのに感覚だけが冷たくなっていた。

 それは、死を恐れている証拠だ。

 自分はまだ、死にたがってはいない。

 そこに不思議な安堵を覚え、真は開き直ったような笑みを浮かべた。


「ハナコ、悪いがもう少し付き合ってくれ。ここは必ず乗り切る」

「……了解です!」


 真を覆う霊気が短刀に集中される。相手に遊びがないのなら一撃で止めを刺しに来るだろう。それに対抗するためにも、速さよりも威力を取った。


「ありがたいですね」


 迎撃の姿勢をみせる真を見て、現は目を見開く。


「では、死んでください!」


 二人が飛び出したのはほぼ同時だった。青と黒の軌跡が交錯するまで数秒もない。

 その中で――不意に声が落ちた。


「――そろそろやめじゃ」


 カーキ色のコートを羽織った長身の男が、二人の間に立っていた。

 音もなく、突如として湧いて出たかのように、何の前触れもなく。

 故に、その存在に気付いたとしても既に攻撃態勢を取っていた二人の動作は止められない。


 男の低温の瞳が伸びた前髪の間から覗いでいる。


 そして、現れたときと同じように、無造作に男は両手を広げて二人の攻撃を受け止めた。

 二人とも手加減などしている余裕などなかった。互いを戦闘不能とするための一撃を放っていたのである。

 にもかかわらず、二つの霊気の光は男が手を触れた瞬間に霧散し、夜に溶けた。

 右手に短刀、左手に拳。まるで飛んできたボールを投げ返すように男は軽く弾くように手を離す。


「中々やるもんじゃのぉ」


 それは何に対しての感想なのか、両手を下げた男は真を見てそう言った。次に彼は現の方へと振り向き、呆れたように息を吐く。


「一発どつかれた程度で取り乱すな。いつから相手を見下せるほど強くなったつもりなんじゃ」

「……ッ! すい、ません……」


 真に対する怒りは覚めてはいないようだが、現から殺気は消えていた。この闖入者と彼女は知り合いなのか、真は数歩下がって警戒する。

 彼の動きに気付いて、男は再度真の方へ顔を向けた。


「すまんかったのぉ坊主。しばらく泳がせとったが、ぼちぼちこっちからもちょっかいくらいかけてええと思ったんじゃが……こいつが短気なせいで酷い目に遭わせたな」

「……介入してきたってことは、もう戦う気はないってことか?」


 男が現の仲間であることは会話から判断できた。戦いに割って入った理由は、仲間にこれ以上被害が出るのを防ぎたかったからか。それとも、


「そういうことじゃ。儂としてはあくまで試しのつもりじゃったからのぉ。坊主が殺されるところまでは望んでおらん。興味も湧いてきよったからな」

「結局、あんたたちは何なんだ?」

「坊主は退魔のもんや言うたな。じゃが、まるで何もわかっちょらん顔をしとる。そんな質問が出る時点で論外よ」


 真の質問を煙に巻きながら、男は短く笑う。


「ここで名乗れば恰好もつくんじゃろうが、そういうわけにもいかんから勘弁せぇよ。じゃがまあ、坊主の言い方に倣えば封魔師(ふうまし)と言ったところか。後は自分の仲間にでも聞くんじゃな。まさか、独学で退魔師を志したなんて言わんじゃろ」


 封魔師と言う言葉に聞き覚えはない。真が質問を重ねる前に、男は背を向けて右手を上げた。


「そういうわけじゃから儂らは退散させてもらうぞ。ここは痛み分けってことにしとこうや」

「な……ちょっと待て!」

「真さん!?」


 さっきまでは逃げる算段を立てようとしていた真だが、咄嗟に声を出していた。


「やめましょう……碌なことになりませんよ……」


 もしここで男の気が変わって戦いが始まれば今度は二対一となる。真はここで二人を止めるべきではない。

 そう思ってハナコは彼を諌めようとするが、もう遅かった。男は振り返り、残念そうな表情で頭を掻いた。


「まったく、決まらんのぉ。しかし坊主、そこんところ判らんか。儂は坊主に『貸し』を作らせてやろうと言っとるんやぞ?」

「あんたたちを見逃して貸しを作ってどうなるっていうんだ?」

「何を見当違いしとるんじゃ。よぉ考えてみろ。儂がこうしてのんびり登場したんは観察しとったからじゃ。当然、坊主が逃がした嬢ちゃんのことも見とったわけや」

「……脅しか」


 男はあからさまに呆れた表情を見せる。彼は最初から真と現のやりとりを隠れて観察しており、ハナコが柄支を逃がすところも見ていたということだ。

 つまり、戦いの最中、常に真は見逃されていたことになる。


「『貸し』や言ったじゃろうが。大人しく行かせてくれたら何もせんよ」

「……嫌だと言ったらどうするんだ?」

「阿呆が。そんなことは言わせんよ」


 即座に問いは跳ね返され、今度こそ真は掛けるべき言葉を失った。

 彼の表情を認めて男は口端を上げると、今度こそ踵を返して背を向ける。


「そら、行くぞ。切り替えていけ」

「いたっ。あの、私一応怪我人なんですが」


 現の襟首を掴むようにして押して男は歩を進める。そして、屋上の端まで達するとそこから躊躇うことなく飛び降りた。


「――おい!」


 予期しない二人の行動に咄嗟に真は追い駆けたが、すでに地上にその姿はなかった。

 荒れた屋上の床だけが今まで戦っていたことを証明する痕跡となっている。ハナコも姿を見せて周囲の気配を窺ったが、何も発見することはできなかった。


「真さん、怪我は大丈夫ですか?」

「ああ……なんとかな」


 危機は去ったと、霊気による強化を解除した真はその場で腰を下ろす。心配そうに見つめるハナコに軽く笑みを見せるだけの余裕はなんとか残されていた。

 結局、相手の名前も立場も知ることができなかった。ただ、貸したというのであれば、いずれその貸しを取り立てにくるということかもしれない。

 それとも、自分が突き返しにいくことになるのか。いずれにしても奇妙な縁を残されてしまった。


「そうだ、先輩は無事か?」

「ええ、一応見つからないように隠したつもりです」

「なら、のんびりはしていられないな」


 屋上を後にするため真は下ろしたばかりの腰を上げる。今回の事の顛末をどう処理するかはひとまず置いておくことにした。

 夜はまだ終わっていない。

 ハナコは彼の様子に気を揉みながらも、黙って従いその背に続いた。

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