04 「想いの在り処 1」
「荷物持ちですか?」
真はおうむ返しに珊瑚に訊ねていた。
ある日の晩、そろそろ寝ようかという頃だった。
自室の前の廊下で呼び止められた彼は、急にそんな話を持ち掛けられていたのである。
「はい。こんな時に急で大変申し訳ないのですが、お願いしてもよろしいでしょうか?」
目の前では眉をハの字にした珊瑚が、見ている方が申し訳なるくらいに済まなさそうな顔をしていた。
彼女の用向きを要約すると、正月に向けての主に食材の買い出しであった。
浅霧家の人員に柄支、麻希、進と三名が加わり、単純に人数が増えたこと。そして、もてなしの意味も込めて手抜きなど出来ようはずもないという、使用人としての珊瑚の使命感の表れなのだろう。
真としては珊瑚の役に立てるなら付き合うのに吝かではない。彼も家人として客人をもてなそうという彼女の気持ちには大いに賛成しようというものだ。
しかし、疑問があった。
「いいですよ、それくらい。というか、今更遠慮なんてする必要ないでしょ」
こう言ってはなんだが、凪浜市では学校帰りのついでにと珊瑚からお使いを頼まれることは度々あった。真からすれば、今の彼女の態度は不自然に映る。
「そうなのですが……いえ、私としては真さんとハナコさんを無闇に遠出させるのもどうかと思うのです」
珊瑚は顔を真面目なものに切り変えて彼の疑問に答えた。
会談の一件で無色の教団に真のハナコの存在が知れた以上、いつどこで誰から狙われているか分からない。
彼女としては慎重になり過ぎて困ることはない、という結論に達しているのだった。
真はなるほどと一定の理解を示した。ではしかしと、また疑問が起こる。
「じゃあ、なんで俺に頼んでいるんですか?」
噛み合わない珊瑚の言動に真は首を捻る。「それは……」と珊瑚は再び眉を寄せ、言い難そうにもごもごと珍しく何か言い淀んでいる様子だった。
「それが、礼さんと静さんにも、断られてしまったので……」
先ほどとはまた違った意味で、気まずそうに珊瑚は視線をそらしていた。
真は兄と姉の家での様子を思い返す。
兄はああ見えて退魔省と何やら連絡を取り合い裏で忙しくしているようであった。しかし、姉に関しては例の度胸試しの訓練は続行しているものの、それ以外は暇人そのものだった。
「そうなんですか。静姉なら喜んで手伝いそうですけど、何か用事でもあるんですかね」
女性ではあるが、荷物持ちなら静でも何の問題もなくこなせるはずだ。珊瑚が相手なら断る理由もない気はする。
ますます首を捻る真ではあったが、珊瑚が続きを口にしたことで疑問は解消された。
「そういうわけではなさそうでした。ですが、お二人ともそういうことなら真さんに頼めと……」
「…………」
いったい何を企んでいるのだと真は内心呟いた。彼の訝しむ気持ちが沈黙となって表れる。
その沈黙を別の意味で捉えたのか、珊瑚が取り繕うように言葉を重ねた。
「すみません。真さんを頼りにしていなかったわけではないのです」
「あ、いえ。別に怒っているわけじゃありませんよ。でもまあ、二人が俺に頼めって言うことは、外出はそこまで危険だとは思われてないってことですよね?」
「ええ。そのようですが」
だからこうして声をかけられているわけなのだろうし、最初から真に断る理由などはなかった。
これ以上珊瑚に心苦しい思いを抱かせないためにも、彼は首を縦に振った。
「なら行きましょう。明日ですね」
「はい……よろしくお願い致します」
まだ珊瑚の眉は寄り気味ではあるものの、その顔にはようやく微笑みが戻っていた。
「そうでした、言い忘れておりましたが凛も一緒ですので」
「……わかりました。じゃあ、そういうことで」
「はい。おやすみなさいませ」
最後に挨拶を交わし、真は自室へと戻る。そして、彼が襖を閉めたところでひょいと目の前にハナコが姿を現した。
「真さんっ。わたし、すごいことに気付いてしまったのですが」
「何だよ」
若干興奮気味のハナコに対し、半眼となった真が訊ねる。
そう言えばハナコは先の会話に加わっていなかった。普段なら真っ先に食い付いてきそうなものだが、何かよからぬことを思っていそうである。
その彼の予感に違わず、鼻息荒く彼女が口にしたのはくだらないことであった。
「これは俗に言うデートというやつなのでは?」
「そんなわけないだろ。聞いてたんなら分かるだろうが」
真は断定的に言葉を返す。しかし、それでハナコのにやついた表情を消すことはできなかった。
「まあまあ、たとえそうでないとしても気の持ちようでなんとでもなりますよ。うふふ、ご所望でしたらわたしは黙って姿を消していますのでご安心ください」
「余計なことをするな。どうせ黙ってても話は聞いてるんだろうが」
姿を消して聞き耳を立てているハナコの姿は容易に想像がつく。そっちの方が居心地が悪い。
「まったく、もう寝るぞ」
これ以上むきになっても仕方ないと経験上判断した真は溜息を吐き、早々に布団に潜り込むことにした。
凛もハナコもいるのだから、デートなどと呼べるものでは断じてない。
しかし、楽しみではないと言えば嘘だった。
◆
翌日の午前十時半、本宅から離れた車庫の前で、真は珊瑚と凛を待っていた。
陽気ではあるが吐く息は白く、厚手のジャンパーを羽織ってはいたが寒風に身体は自然と縮こまる。
これから珊瑚の運転で町から足を伸ばし、都心近くにあるショッピングモールへと向かうことになっていた。
買い足し程度なら田舎町の店でも事足りるのだが、今回は少々大掛かりになるというのが理由だ。
「何事もないとは思うが、気をつけて行ってこい」
車庫のシャッターを開けた礼が振り返る。一応見送りということで、彼はここまで真に同行していた。震える真とは対照的に、寒さに動じている様子はまるでない。
「わかってる。あ、そういえば兄貴……」
「どうした?」
待つ間に手持無沙汰となった真は、ふと思ついて兄を見る。問い返されるままに、彼は続けた。
「荷物持ちなら俺に頼めって珊瑚さんに言ったんだろ。静姉もそうだったらしいけど、どういうつもりなんだ?」
「どういうとは何だ? それでは、まるで俺と姉さんが何か企んでみているみたいな言い方だな」
「違うのか?」
真の口調が詰問するようなものへと変化する。そんな弟の剣呑な態度に、礼は「おいおい」と口端に笑みを浮かべて肩を竦めた。
「別にからかっているわけじゃないぞ。まあ、あれだ。ごたごたが一段落している今が、良い機会だと思っただけのことだ」
「……何の話だ?」
具体的なことを言わず、煙に巻くような台詞に真は眉を顰める。だが、礼はそれ以上言うつもりはないようだった。
「まったく、家長というのも楽ではないな。ほら、来たみたいだぞ」
そう言われ振り向いた真の視界に、こちらに歩いて来る姉妹の姿が映る。珊瑚と目が合うと、ふわりと心が温まるような微笑みと共に軽く会釈を返してくれた。
「お待たせしました」
彼女の恰好は白いコートにスカートと淡色系でまとめたものだった。今日は栗色の髪を右側でゆるく三つ編みにまとめており、いつもよりしっとりとした空気を醸し出している。
そして、当然と言えば当然なのだろうが、凛もメイドから私服に着替えていた。
「今日ばっかりは、流石に普通の格好だな」
チェックのミニスカートにニーソックス、上は赤いダッフルコート。帰省してからメイド姿以外の恰好を見る方が稀だったため、真は何やら新鮮な気分だった。
「むぅ、普通ってことはないでしょ。ちゃんとおめかししたんだからね」
彼の感想がお気に召さなかったのか、やや目を細めて凛が文句を言う。
彼女の栗色のくせっ毛は整えられており、耳の上にはいつもは見ないヘアピンで髪がまとめられていた。彼女なりに気合を入れているということなのだろう。
「悪い悪い。似合ってるよ」
「今更言ってもおそーいっ!」
「相変わらず二人とも仲が良いな。では珊瑚、後は頼んだぞ」
役目を終えた礼は珊瑚に車のキーを渡し、愉快な笑いを残して去って行った。一礼をして彼を見送った珊瑚は「では、行きましょうか」と車庫へと向かう。
「ほら、行くぞ」
むくれる凛に苦笑を返しながら、真は珊瑚の後に続いた。
すると、すぐに小走りで追いつこうとする気配を背中に感じる。道中どうやって幼馴染の機嫌を取るべきか、早くも真は考え始めていた。
そうして、およそ一時間程かけて真たちは目的地に到着した。
件のショッピングモールの前の駐車場はほぼ満車であり、年末の慌ただしさに追われるように人でごった返している。
「流石に人がいっぱいだねー」
車中で世間話などをしている内に、彼女の機嫌はすっかり直っていた。車から降りた彼女は、建物やら人混みやらへと視線をさまよわせながら感嘆の声を上げている。
ちなみにハナコはと言えば、昨晩の言葉が本気であるのを証明するかのように無言を貫いていた。
とはいえ、真は自分の中に存在を確かに感じているため、彼女の身に何かがあったというわけではない。あまり意識し過ぎるのも癪なため、努めて彼女のことは気にしないようにしていた。
「まずは行きたいところがあるので、良いでしょうか?」
「――え? 姉さん、何か別の用事があったの?」
「ええ、そうよ。真さんも、申し訳ありませんが付き合ってください」
「わかりました。何処へなりともお供しますよ」
もともと荷物持ちなので自分の用件は特にない。真と凛は珊瑚に導かれるまま建物へと足を踏み入れた。
中の熱気と人の多さは外の比ではなく、館内放送や雑踏の音が混然となって騒がしい。一人行動するとあっさりとはぐれてしまいそうだった。
「それでは、しっかりついて来て下さいね」
しかし、この程度の事は慣れたものなのか、珊瑚は人の間を縫うように華麗な足さばきで進んで行った。凛も躓くことなく姉の後にピタリとついて行く。
経験の差というやつか、真は女性二人に逞しく先導されながら大人しく最後尾についた。
そして、すし詰め状態のエレベーターを避けてエスカレーターで四階まで上がり、とある店舗の前に来たところで珊瑚は足を止めた。
「え……と、姉さん?」
凛が戸惑いの声を姉の背に投げかける。珊瑚は振り向くと、店内を一瞥してから妹へと微笑んだ。
店内の中央、壁にはいくつも棚が並び、色とりどりの手の平サイズの端末が展示されている。客層は若者から年配まで様々で、彼らに店員が懇切丁寧に説明をしている姿があちこちで見られた。
辿り着いた場所は、携帯ショップである。
ここまで来れば珊瑚が何をしたいのか、真には分かった。
凛も姉の意図を理解はしているのだろうが、何も知らされてはいなかったのだろう。彼女は困惑しきった顔で視線をさまよわせるばかりだった。
「好きなのを選んでいいわよ。今日ここに来たのは、そのためでもあるの」
凛は自分の携帯というものを持ってはいなかった。
いまどきの女子高生がどうだとか、彼女自身に隣の芝を羨む気持ちはない。
それで困ったことはないし、優しい姉に温かい家族。帰れる家と寝床と食事があればそれで十分に満たされて幸せだとさえ彼女は思っていた。
しかし、その状況は圧倒的に少数派であることは確かだろう。
「そんな、駄目だよ。誰がお金を払うのさ?」
目を白黒させて両手を振る凛の様子からも、彼女の気持ちはありありと伝わって来るようだった。
「心配はいりません。私がお給金を頂いていることは、あなたも知っているでしょう」
「で、でも……」
珊瑚は浅霧家の使用人という立場であるため、少なからず収入は得ている。
ただし、居候として衣食住の二つは提供されている形のため、額自体はそれほど多いものではない。必要以上のものは珊瑚が固辞している理由もある。それは真も凛も知るところではあった。
「本当は入学祝にでもしたかったのだけれどね。すっかり遅くなってしまったけど」
困り果ててとうとう俯いてしまった凛の肩に手を添えて、珊瑚は優しく言い聞かせるように言った。
「それにこれは、もしものときのための連絡手段にもなるわ。だから、あなたには持っていて欲しいの」
真はそこで、ちらりと窺うような珊瑚の視線を感じた。目が合うと、彼女は困ったような、申し訳なさそうな微笑みを浮かべる。
珊瑚は凛の性格を考えて、きっと連れて来ただけでは拒否されると思っていたに違いない。
ここで駄目押しが必要というわけだ。
「そうだな。俺も凛が携帯を持つことには賛成だ」
彼の言葉に凛が顔を上げ、見開いた目を向けた。予想以上の効果に真は内心驚きつつも、続けて言う。
「連絡手段があるに越したことはないしな。知り合いも増えたことだし、別れた後が寂しいってもんだろ」
柄支たちは少なくとも冬休みが終われば凪浜市に帰さなければいけないだろう。それは真も例外ではない。いざとなれば休学して実家に留まる手もあるだろうが、それはあくまで最後の手段だ。
そうなれば、必然的に珊瑚も彼についていくことになる。今度会える時は、何時になるかもわからない。
「それにまあ、俺もお前と気軽に連絡が取れた方が嬉しいしな」
直接会えないにせよ、連絡を取れるというのはそれだけで心強いものだ。そう思って多少気恥ずかしくはあったが、真は素直な気持ちを口にした。
「…………ん?」
そして、顔をゆでだこのようにした凛に見つめられていることに気付く。
ばっちりと目が合ってしまうと、彼女は咄嗟に珊瑚に抱き付くようにして己の顔を隠そうとした。
「凛、どうするの?」
「う、う~……!」
姉のコートの裾を力強く握り、凛は声にならない唸り声をあげる。その懊悩する様は見ていて気の毒になるくらいであり、彼女の中で様々な感情の天秤が目まぐるしく揺れ動いていることは容易に見て取れた。
「……なら、いいよ」
「え?」
そして、長いようで短い時間が経過し、凛は一つの結論を導き出した。
ぱっと珊瑚から身を離した凛の顔は、何故か怒ったように目を吊り上げたものだった。両手に腰を当てた彼女は真に向き直り、自分の要求を口にする。
「真くんが選んで。それなら、いいよ」
「あの……凛さん?」
「いいよね!」
「お、おい!」
有無を言わさず言い放った迫力と勢いのまま凛は真の手を取り、店内へと進んだ。半ば引き摺られるようになりながら、真も慌てて足を動かす。
周囲からは迷惑半分――しかし半分は何やら微笑ましげな視線を感じながら、珊瑚は苦笑して二人の背を追った。




