02 「地獄の雪合戦 2」
雪合戦を開始するにあたり、静と真たちは互いに十数メートルの距離をとった。
凛と翼は真たちの更に後方へと離れ、様子を見守る態勢に入っている。
「それで浅霧くん、勝算はあるの?」
開戦前の作戦会議として、真たちには五分の時間が与えられていた。早速疑問を呈する柄支に、真は短く首肯する。
「人数差はこっちが圧倒的に有利です。条件も一発あてればそれでいいわけですからね」
いつの間にかチームのリーダーは彼だと言う共通認識が生まれていた。自然と彼を中心に円陣を組むような形で話し合いは進められていく。
「でも、いっせいに僕たちが玉を投げたらそれで終わる……なんていうほど、簡単なことじゃないんだろうね?」
「そうだな。まぁ、これくらいの距離、静姉ならなんなくぶん投げて来そうだが……」
進の言葉に真は同意を示す。距離的に届かせることはできても、コントロールを見込めば悪戯に投げてあたるものでもない。
「とりあえず、玉の投げ役は俺がやります。皆は玉を作って俺に回して下さい」
「え、それだけでいいの?」
「はい。中途半端な策を弄してもあの人は正面からぶち破って来るような人ですから」
「なるほど……しかし、浅霧は経験者なのか? ご家族も何か察していたようだったが」
柄支と麻希に訊ねられ、真は苦笑いで応じた。
「ええ、毎年何回か修行と称してやってることです。ここまでのハンデを言い渡されたのは初めてですけどね」
「勝ったことはあるのか?」
「ありません」
誤魔化しても仕方のないことなので、真はあっさりと認めた。
「けど、やるからには負けるつもりでは臨みませんよ」
が、そのすぐ後に付け加えて不敵に笑って見せる。
実家を出てからそれなりの修羅場はくぐって来たのだ。そろそろ一本くらい取らなければ、弟子としても面目が立たないというものだろう。
「とにかく、作戦は以上です。皆はなるべく下がって玉を作りながら、防御に専念してください」
「一人くらいは攻撃に加わってもいいのではないのか?」
「いえ、やめた方がいいです。武器は雪だけだと言ってましたけど、これが修行である以上霊気の使用は認められているんです」
「真さん、それってつまり……」
ハナコが息を呑む。そういうことだと、彼は首を縦に振った。
「間違いなく強化した雪玉を投げてくる。当たれば痛いじゃすみません」
柄支、麻希、進の顔が強張る。真はこちらの様子を仁王立ちで見ている静を一瞥し、真剣な目で全員の顔を見た。
「静姉はやると言えば容赦はしない。ここは俺に任せてください」
彼の気迫に押されるように全員頷く。こと霊気を使った戦いとなれば、素人の彼らに異論を挿むことはできなかった。
「――さて、そろそろ五分だ。作戦は決めることができたか!?」
そして、頃合いを見計らったように静の声が遠くから響く。真たちはもう一度顔を寄せて頷き合い、持ち場へとつくため動き出した。
「ああ! 今日こそ静姉に勝ってやる! 覚悟しろ!」
「それは楽しみだな。なんなら、勝ったら褒美にキスでもしてやろうか?」
「気色の悪いことを言ってんじゃねえよ!」
「くく、傷つくじゃあないか。では、始めるとしよう!」
軽口の応酬をそこそこに、静は声を大にして開戦を告げた。
「真さん! そう言えば、わたしはどうすれば!」
「お前は上から戦況を俯瞰してくれ。何か異変があったら教えてくれればいい」
「わかりました!」
言うやハナコは上空へと飛び上がって行った。そこで、彼は改めて正面から放たれる気を感じる。
「お前一人が私の相手をし、他の者は玉の補充に専念と言ったところか。お前らしい考え方だな」
「何だと?」
「そうやって一人で格好つけようとするところだ。今にそれを分からせてやろう」
「――浅霧くん! 用意できてるよ!」
柄支の呼び掛けに足元を振り返ると、既にいくつか雪玉が出来ていた。
「ありがとうございます!」
真は両手にそれぞれ雪玉を持ち、静を見据える。挑発なのか余裕のつもりなのか、仁王立ちのまま彼女はその場から動こうとしていなかった。
ならば遠慮なく先制させてもらうまで。色々と言われたい放題だが、今は好きなだけ言っていればいい。
勝ってその減らず口を黙らせてやると、指先に力を込めて雪玉を霊気で覆う。上半身を捻り右手を振り被った真は、そのまま勢いに任せて振り下ろした。
「くらえッ!」
青白い霊気の尾を引きながら、雪玉は一直線に静へと向かって疾走する。
狙いは膝下だった。積もった雪の上は歩くのも一苦労だ。受け止めようにも屈まなければならないし、いずれを取っても態勢は崩せるはずだ。
静の次の行動を見極め、真はもう一球放り込むつもりでいた――ーのだが、
「ふんッ!」
静は雪玉を躱しも、受け止めもしなかった。彼女は霊気で強化した右足で無造作に雪を蹴り上げたのである。
鈍い爆音が轟き大量の雪が上空に舞う。陽光に燦然と輝く雪に柄支たちは驚きながらもしばし見惚れた。
しかし、スローにも見えるその光景は次の瞬間一気に圧倒的な重量で落下し、巨大な防壁と化して雪玉を押し潰すのだった。
「……滅茶苦茶しやがるッ!」
「そら! お返しだッ!!」
そして、雪の壁が全て落ち切らない内に、その向こう側から静の声がした。何かを振り被る態勢に入っている影も薄く見える。
「来るなら来やが――ッ!?」
地を這う殺気を感じ、真は身構えようとした。
だが、口を開けた瞬間に彼の真横を凄まじい勢いで何かが通り過ぎた。
「な……ッ!!?」
「温いんだよ。やり方がな」
風を切り裂く剛速球が、真の後方の地面に突き刺さるように着弾する。それと同時に雪玉に込められた静の霊気が暴発し、周囲の雪を盛大に爆散させていた。
真は泡を食って振り返ったがもう遅い。彼の後方にいた三人は悲鳴を上げる間もなく爆発に巻き込まれ、雪の中に埋もれてしまっていた。
「てめえ! 殺す気か!」
「ちゃんと狙った。死にはしない」
あっけらかんと言い放つ静に背を向けて、後ろへ全力疾走した真は雪を掘り起こしにかかる。
「せ、先輩! 大丈夫ですか!?」
一番に柄支を発見した真は彼女を抱き起したが、彼女は完全に目を回していた。
「うぅ、遊びたいなんて言いません。ごめんなさい、わたしが悪かったです……」
ぶつぶつとうわ言を繰り返していたが、意識ははっきりとしていない様子である。とりあえずその場に寝かせて他の者の救助を優先した。
「真さん! 危ないですよ!!」
上空からハナコの声がする。振り向けば、静が次の投球の体勢に入っていた。
「戦いの最中に敵に背を向けるとはいい度胸だ。どうやら本当に死にたいらしいな」
「ちょ……何言ってんだ、このクソ姉貴……!」
「敵はいつでも真正面から攻めてくれるとは限らない。だからお前は甘いのだ!」
振り被った静の右腕がしなり、豪速の発射台となって雪玉を投擲する。
雪を裂き割る霊気の強化は先ほどの比ではなく、その威力はもはや雪というよりも巨大な鉄球をぶつけられるに等しかった。
振り向きざまに胸に受けた真の身体は、迸る霊気の閃光と共にあえなく宙にぶっ飛ばされる。
「……ぐはっ!」
肺が押し潰されそうな衝撃に息が漏れ、視界には爽やかな青空が一杯に広がった。
「ま、真くん! 大丈夫!?」
「り、凛……か」
と、そこへ心配そうな凛の顔が割り込んできた。ふらつく意識を抑えるように額に手を押し当て、なんとか立ち上がる。
「問題ない。平気だ」
「そ、そう? とてもそうには見えないけど……なんていうか、ドカーンって感じで飛ばされてたし……」
どうやらだいぶ無様な姿を見られていたようである。しかし、今はそんなことに構っている暇はない。柄支たちを救出することが先決だった。
「待って、わたしも手伝うよ」
「いや、でも翼はどうした?」
「翼ちゃんは向こうで静さんに言われた通り、雪だるまを作ってるから……」
ちらりと顔を後ろに向けて凛が言う。確かに、少し離れたところでせっせと雪を丸めている翼の姿があった。
「というわけだから……。静さん! タイムです! タイムを要求しますっ!」
そして、交差させた両手を頭上に掲げながら、凛は大声で静に呼び掛けた。
「……仕方がないな。では、第一ラウンドは私の勝ちだな」
静は凛の要求に応じ、腕を組んで口端を吊り上げる。真が同じ要求をすればどうなるかは目に見えてはいたが、無抵抗を示す凛にまで無体な真似をするつもりはないようだった。
「よし、交渉成立。さ、真くん! 今のうちに皆さんを助け出そう!」
それから真は凛とともに残る麻希と進を掘り起こした。柄支を含めた三人はしばらくすると息を吹き返し、凛を含めて二度目の作戦会議となった。
「すいません、完全に俺のミスでした」
まずは真が深く頭を下げる。静の攻撃を許したのは、自分の不手際としか言いようがないものだと彼は感じていた。
「いや……浅霧は悪くない。私たちも油断していた……覚悟のほどが足りなかったな」
腕組みをして麻希は俯き気味にそう漏らした。柄支も進も意気消沈しており、表情は暗い。というよりも、恐怖に青ざめていると言った方が正しいか。
「み、皆さん元気出して下さいよ! このまま黙って引き下がるんですか!?」
「ハナちゃん……そうは言っても、わたしたちじゃ浅霧くんの足を引っ張るだけだよ。静さん本気過ぎるし……いや、あれはそもそも本気なのかな?」
「確かに……僕たちでは、どう足掻いても勝てそうにないね。明らかに格上相手には逃げろって言われていたけど、今が正にその状況のような気がするね……」
ハナコが元気付けようと努めて明るい声を出すものの、柄支と進はお通夜のような空気を漂わせるばかりだった。
「……真くん。何か考えてる?」
そして、黙りこくっている真に気付いた凛が彼の顔を覗き込む。頭を下げた後、彼は右手の人差し指の背を顎に当ててじっと物思いに耽っていた。
彼は指を顎から離し、視線を上げて口を開いた。
「静姉は、勝率はお互いにあると言っていた。言動はいい加減に見えるが、あれはそんなことで嘘を吐く人じゃない」
実の姉を「あれ」呼ばわりするのはさておき、真は静の言葉をしっかりと受け止めて冷静に状況を再分析しようとしていた。
「でも、どうするっていうんですか? 武器が雪玉で、直接の攻撃は禁止でしたよね。わたしじゃお役に立てそうにもありませんし……」
結局一戦目は何もできなかったハナコが、とうとう暗い雰囲気に逆らえずにしょげて言う。
その彼女の顔を見て、真ははっと何かに気付いた風に目を開いた。
「いや、待てよ。ハナコ、お前の力を借りれば何とかなるかもしれない」
「え? でも、わたしは雪も投げれませんし……」
「わかっている。お前にやってもらうのは別のことだ。それから、芳月先輩」
「うん? 次はわたし?」
「はい。ある意味先輩には一番危ない橋を渡ってもらうことになるかもしれませんが、頼めますか?」
首を傾げる柄支に、真は真剣な眼差しを向ける。彼の目を見た柄支はその詳細を聞くまでもなく、暗い顔にようやく笑みを戻した。
「いいよ。何か秘策があると見たね」
「ありがとうございます。それから……」
「私に出来ることなら何でもやろう。このままやられっぱなしも性に合わないからな」
「……そうだね。僕も男だ。女性がやる気になっているのに引っ込んでいるようじゃ格好悪いしね」
麻希と進へ視線を移すと、二人も頷きを返す。いつの間にか暗い雰囲気が闘志に変わっており、真もこれなら行けると希望を見出し始めていた。
「あとは凛、お前は翼に話を通しておいて欲しいことがある」
「翼ちゃんに?」
「ああ、今から作戦を話す。まずは――」
自然と顔を寄せ合う形で、全員が真の話に耳を傾ける。
そして、彼の腹案を聞いて一番驚いたのはハナコだった。
「真さん、本気ですか!?」
「多分これが正解だ。静姉の裏をかくにはこれくらいしないとダメだ」
「それでも……柄支さんは平気なんですか?」
「うーん……浅霧くんが言うんだから、危険はないんだよね?」
「はい。ハナコと息を合わせてもらう必要はありますけどね。そのための時間は稼ぎます」
真は首肯し、続けて麻希と進を見た。
「そのための私と新堂か。捨て駒というわけだな」
「先輩、その言い方は身も蓋もないですよ。けど、僕たちにそれが務まるかい?」
「静姉も俺に投げつけたみたいな威力を二人には向けないはずだ。加減はしてくれるさ。きっと」
「ふ、不安だなあ」
言葉とは裏腹に進は引き下がるつもりはないようで、肩を竦めて苦笑した。
「それでは、わたしは翼ちゃんのところに戻るね。皆さん、頑張ってくださいっ!」
凛は敬礼の真似をして踵を返し、翼の元へと急ぎ足で向かった。そこへ、静の呼び声が響く。
「そろそろ作戦は決まったか!? それとも、尻尾を巻いて逃げるか!?」
「やるに決まってるだろ! 続行だ!」
真は大声で言い返すと、口を引き結び決然と姉を睨んだ。絶対に勝つと瞳の奥で意志を燃やす。まずは気持ちで負けてはいられなかった。
「覚悟は十分とみた。では、第二ラウンド開始だな!」




