表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第三部 魂の帰郷
73/185

29 「藍の秘刃」

 フェイはぐらつく思考と霞む視界をもって、突如として現れた浅霧静の姿を見ていた。


「浅霧真の姉だと……? ったく……どーすんだよ、この状況」


 ビルの屋上から飛び降りてきたというだけで常識外れもいいところだ。しかし、咲野寺現を身構えさせたことといい、相当な実力者であることには違いないのだろう。


 頭を振りつつフェイは立ち上がり、相対する両者を観察した。彼の数メートル先に現の背中と、その向こうに静が立っている。

 これはもしかすると好機なのではと、彼が状況を分析しにかかったときだった。


「そうだ、勢い込んできたので一つ大事なことを確認するのを忘れていたな」


 と、思い出したように静が切り出した。現の肩が微かに揺れ、彼女が油断なく身構えていることがありありと判る。


「何ですか?」


 そして、訊ねる現から視線を外し、静はフェイへと一瞥をくれた。


「私の敵は、両方か?」

「……あー、そりゃ、そうなるわな」


 目を眇めての静の問いを受けて、フェイは苦笑を零す。

 敵の敵は味方とは限らない。彼女は必要とあれば、現とフェイを両方まとめて相手取る気でいるのだ。


「あの、お姉さん。あの子はわたしたちを守ってくれたんです。だから……」


 どうしたものかとフェイが返答を保留していると、静の背後から柄支の焦った声が届いた。

 どうやら、律儀にも柄支はこののっぴきならない状況に巻き込んだ張本人とも言えるフェイを庇おうとしているようだった。


「……は、なんだかんだで、根っ子は似てんのかねー」


 それで、彼は腹の内を決めた。もとからそのために来たのだ。ここで決断をぐずらせる必要はどこにもない。


「おい! 急に現れた姉ちゃん! オレは滅魔省に所属している! そっちの女は封魔省だ!」

「……ッ、あなた!」


 現が振り返りフェイを睨む。彼女はどういうつもりだと目で問いを投げていたが、知ったことかと彼は続けた。


「オレはアンタの味方じゃねーが、敵にもならねー! とりあえず、アンタが守ろうとしてくれている姉ちゃんたちを守れりゃそれでいー立場だ! だから――」

「なるほど。みなまで言うな、少年」


 言い募ろうとするフェイの言葉に被せ、静はにやりと気前の良い笑みを見せる。


「君はこう言いたいわけだな? この女を倒すことで、私たちの利害は一致すると」

「――! ああ、そういうこった……!」


 目で互いの意志を確認し合い、二人は笑みを交わす。一挙に挟撃される形となった現は、落胆の吐息を零していた。


「はぁ……、これは形勢不利、ですかね」


 諦めた風に呟きながらも、現の瞳は隙を作らず静とフェイ――主に静へと向けられている。

 彼女は静の実力を計り兼ねていた。

 不意を突かれたとはいえ、ビルから飛び降りた際に放った強力な霊気から判断するに、自分と同格か、あるいは格上。

 少なくとも、先ほど手玉に取った少年よりは油断ならない相手であることに間違いはない。


「……紺乃さんに倣うなら、ここらが引き際ですかね」


 呟き口角を上げた現の右手が黒く染まる。彼女は振り向きざまに形成した爪をフェイへ向けて薙ぎ払った。

 当てるつもりの攻撃ではなく、牽制である。こちらへ突っ込もうと身構える彼の動きを止めた現は、撤退するべく路地へと駆け出した。


「連れないな。私に活躍させないつもりか?」


 背中を向けるリスクは承知していた。油断していたつもりも毛頭ない。

 しかし、背中に声が張り付いたと思った瞬間に、現は何かに足を掬われ転倒していた。

 咄嗟に両手を突き出し、その勢いのまま前転をしようとする。だが、その前にコートの襟首を掴まれ、後方へと放り投げられた。

 現の喉が引きつり、視界が空転する。彼女は膂力で姿勢を正してなんとか墜落を免れたものの、顔から流れる冷や汗を隠せないでいた。


「この先は通行止めだ。おい、少年。君は彼女たちを守ることに専念しろ。ここから先は、私の喧嘩だ」

「……アンタ一人で勝てんのか?」

「問題があるように見えるか?」


 逆に訊ねられたフェイはその態度の大きさに目を丸くしつつも、大人しく静の言うことに従った。彼女と位置を入れ替わるように、彼は柄支たちのもとへと移動する。


「君、大丈夫!?」


 すると、顔を痛まし気に歪め柄支が一番にフェイに声を掛けて来た。すっかり警戒心を解いている彼女の様子に、内心呆れながら彼は頷く。


「ああ。アンタらは自分の心配だけしとけ。しっかし、何なんだあの姉ちゃん。普通じゃねーぞ」

「そんなに……凄いの?」

「正確な実力までは分かんねー。けど、なんかヤバい感じってのは分かるもんだぜ」

「格、みたいなものか。確かにあの御仁……並々ならぬ気迫だが……」

「余裕そうな様がまた……頼もしいと言うべきですかね……」


 麻希と進も驚きから覚め、静の様子を見守りながら口を開く。フェイの言わんとするところの正体を、彼らもまた肌で感じ取ろうとしていた。

 格の違い。フェイは認めたくはないものの、それを静に感じている。おそらく、今の一連の攻防を繰り広げた咲野寺現もそのはずだ。


「……あなた、さきほど自分は柄支さんたちの友人の姉だと仰いましたね。浅霧とは、もしかして浅霧真さんのことですか?」


 現は立ち上がって構えを取りながら確認する。柄支の口をついて出た台詞をフェイと同様、彼女も逃さず聞いており、立ち塞がる静の素性を概ね察していた。

 だから、本来これは訊ねるまでもないことでもある。要は、目の前の敵に対してどう対処すべきか思考するための、ただの時間稼ぎだ。


「そうだが、お前は真を知っているのか?」

「ええ。紺乃副長との一件、聞いてはいないのですか?」

「ん……? ああそうか」


 問われ、そこで静は合点が言った風に眉を上げる。そして、口端に笑みを浮かべた。


「お前が珊瑚にやられたという、封魔省の副長の部下か」

「……その言い方は、傷つきますね」

「はっはっは、それはすまないな。もしかして、プライドを傷つけたか?」


 眉間に皺を刻む現に対し、静が大笑する。この上なく分かり易い挑発ではあったが、現の自尊心を逆撫でするには十分な威力を発揮していた。


「浅霧家、つまりあなたがここにいるのは、退魔省の差し金ということですね」

「ふん……勘違いするな。私は浅霧家を代表して弟の友人らを迎えに来たのだ。あの赤毛の局長の意志など関係ない」


 そこで静は胸の前で左の掌に右拳を打ち付け、拳を軽く鳴らした。獲物を狙う彼女の猛禽の瞳が鋭く光る。


「で、お前はいつまで時間稼ぎをするつもりだ? 私の喧嘩を買うのか? 買わないのか?」

「は……! 買いませんよ。バカらしい!」


 現が声を張り上げた瞬間、静は背後から立ち上がる気配を感じた。


「あなたこそ、余裕ぶったツケを払ってください!」


 柄支たちを襲い、現に突き倒されていた長身の男だった。相変わらず生気のない土気色の顔に、暗い眼窩が沈んでいる。

 現は保険をかけていた。使えないと捨て置きながら、もしものときのための駒として自分の霊気を埋め込み操る用意をしていたのである。

 静が背後に僅かに気を取られたと同時に、彼女は両手に宿した爪を獰猛に輝かせて前進した。この敵はここで討ち取る。容赦も一切なく、確実に命を刈り取らねばならない相手だ。


「勘違いするなよ。ツケを払うのはお前の方だ」


 現の殺意は真っ直ぐに静の胸へと突き刺さろうとしていた。しかし、その寸前で彼女の動きはピタリと止まった。

 背後から静を襲おうとしていた男も両手を伸ばし、前傾姿勢になったまま静止画のようにその場で固定されている。


「何を……!?」


 不意の出来事に現は混乱し、声を上げる。口は動き手足にも力を込めることはできた。だが、四肢に何かが絡みつく感覚があり、一切動かすことができない。


「わざわざお前に教える義理があるのか。それくらい自分で見抜け」


 静は動きを止めた現に攻撃を仕掛けるでもなく、泰然と言い放つ。その言い方が更に現の神経を逆撫でしたが、この状況で逆上する程彼女も愚かではなかった。

 彼女は自分の周囲を注意深く観察する。すると、動きを止められた種をすぐに見つけることができた。

 辛うじて視界に映る程の細い糸状の何かが、いつの間にか手足に絡まっている。深い藍色の微光を放つそれは、静の指先へと繋がっていた。


「糸……ワイヤー? どこからそんなものを!?」

「これは糸でもワイヤーでもない。私の身体の一部に霊気を延長させたものだ」


 軽く静が左手を上げると、現の手足に絡まったそれが引き絞られ衣服越しに肉へと食い込む。抵抗を試みるが、まるで切れる様子がない。


「未成年への教育上よろしくないから、これ以上の締め付けはやめておいてやろう」


 からかいの口調で言うと、次に静は右手を浅く握って肩越しに裏拳を放つように軽くかざした。

 そうすることで彼女の背後の男の上体が後ろに傾ぎ、どうと倒れる。男の中の現による霊気の支配は、もうないものとなっていた。

 そして、倒れゆく男の腕に絡まっていたものが解かれ、はらはらと舞い落ちる。現はそれを見て、ようやくその正体に気が付いた。


「そうか……髪の毛……」


 地面に落ちたのは、微光を消した幾本かの焦げ茶色の髪。それは、今もなお悠然と構える静の髪に違いなかった。


「自分の身体ほど霊気を通すのに相性の良い得物はないな。まあ、手入れには少々気を遣うが……」


 後ろ手に右手を背に流す髪の束へと差し入れた静は、そこから一本の髪を抜き取る。彼女の手に握られた髪は藍色の霊気を閃かせ、直立して固まった。


「私の霊気を灯せば、強度も自在に操れる。手足を縛る糸にもなれば、一本の鋭利な刃にもな」


 そう言い、静は右手で固まった一本の髪を無造作に地面へと放る。霊気を纏うその髪は、鋭い破砕音を立てて床へと突き刺さった。

 現は生きた心地がしていなかった。静が示した意味。それはつまり、彼女がその気になれば現の手足に絡みつく髪の強度を上げ、いますぐにでもバラバラにできるということだ。


「安心しろ。血生臭い光景は趣味ではないからな。命までは取りはしない」

「じゃあ……なんですか? 大人しく逃がしてくれるとでも?」

「いや、だったらこうしてわざわざお前を捕えたりはしていない。言ったぞ、お前にはツケを払ってもらうとな」

「何ですか、それは……私はあなたとは初対面のはずですが?」

「そう言うな。お前には、弟が世話になったみたいじゃないか。さっき、自分で言っていただろうに」

「……ああ、そういうことですか。厳しそうに見えて、過保護なんですね」


 精一杯の皮肉を込めて現は言った。しかし、言われた静は口元を緩めて涼風の如く言葉を受け流している。


「そんなつもりはないさ。あいつも男だ。買った喧嘩でどんな結果を出そうが、私が口を出すのは野暮と言うものだ。それくらいの分別は持ち合わせているよ」

「だったら――」

「だがな、あいつは男である前に、私の弟だ」

「は……?」


 細められた鷹の目がにわかに殺気を帯びる。手足を縛る髪の光が、鈍く深いものへと変わっていた。


「家族を傷つけられて黙っているほど私はお人好しではないのだ。単純にお前は気に食わん。これは、それだけの話だよ」

「……はは、そうですか」


 現は思わず笑みを浮かべていた。静の冷たい怒りの炎に炙られ本来ならば慄くべき場面なのだろうが、不思議と心が浮いている。ここまできっぱりと言い切られてしまえば、もはや認めるしかないだろう。


「面白いですね、あなた。そう言う抜き身のわかり易い敵意、嫌いじゃありません」

「そうか。私はお前が嫌いだよ」


 静の右手が振りかざされる。霊気の強化で固められた拳は、動きを封じられた現の顔面目がけて容赦なく打ち抜かれようとした。


「む……!」


 だが、寸前で現は静の拘束を振り切り、かざした両腕でそれを受け止めた。


「種が分かれば手段も見えます……よッ!」


 髪が武器として使用に足るのは霊気による強化。ならば、略奪により霊気を吸い上げればいいだけのことだ。

 現は他者の霊気を奪うことには慣れている。触れているのだから行うことは容易だった。


 ――だが、


「そうだったな。封魔省はその手の行為を得意とするのだった」

「が……ッ!!」


 静の勢いは止まらなかった。彼女の拳は現の両腕の防御を抉じ開け、そのまま盛大に振り抜かれる。

 二人の霊気が瞬間混ざり、相反する爆音を轟かせる。顔面への直撃は免れたが、現の身体は爆発の余波により激しく吹き飛ばされた。


「これでチャラにしておいてやる。さっさと任務に失敗したとでも、報告に帰ることだな」


 地面に転がった現は、いかれた両腕に走る激痛に歯を食い縛りながら静を睨む。

 敵を見ることで戦意を燃え上がらせようとせんがためだったが、こちらを見下ろす静の頭上に広がる光景を見て、にわかに彼女の戦意は鎮火した。


 おそらくビルから飛び降りたときにでも仕込んでいたのだろう。断頭台の如き冷えた輝きを放つ藍色の刃の群れが、路地裏のビルの間に張り巡らされている。

 それは静が号令を下すだけで、容易く落ちて来るものだ。


「戦意を失った獣の目だな。さっさと行け」

「……次は、こうはいきませんよ」


 現は負けを認めざるを得なかった。この場に登場してきたから、何から何まで上を行かれている。

 よろめく膝を奮い立たせ、すれ違いざまに捨て台詞を吐き捨てた彼女は、大人しく路地を去って行った。

 そして、その背中が完全に消えたのを見届け、静はふっと息を吐く。それを合図として、彼女の霊気を纏っていた髪は余さず地面へと散らばり落ちた。


「……やりやがった。本当に」


 戦いの一部始終を見届けたフェイは、空恐ろしい気持ちになって呟きを漏らす。そんな彼の視線に気づいた静が、彼に意味ありげな笑みを向けた。


「少年、君の服にもいくらか私の髪が付いているから払っておけよ」

「げ……!」


 ぎょっとなってフェイはボロボロになったジャケットを脱ぎ、足を振る。その事実に彼はまったく気付いておらず、確かに長めの髪がいくらか見つかった。


「アンタ、いつの間にそんなことしてやがったんだ!」

「ビルから飛び降りて霊気を放射したとき、適当にばら撒いておいたのだよ。誰が敵とも判らん状況だったからな」


 呵々と小気味よく笑い、静は焦るフェイの頭を乱暴に撫でる。妙に手慣れた馴れ馴れしい手つきだった。


「気安く触ってんじゃねーよ!」

「くく、そういうな」


 眉を顰めて振り払おうとするフェイの耳元に彼女は顔を近づけると、柄支たちに聞こえぬ声量で言った。


「まあ、許せ。珊瑚を傷つけたことは、これでチャラにしておいてやる」

「……! 気付いてたのかよ」

「その容姿ではな。滅魔省と言われてピンと来た」


 フェイの頭から手を離した静は腰を伸ばし、笑みを柔らかなものへと変えた。そこに敵対する意思は感じられず、彼は調子が狂う思いでその顔を見上げる。


「わかんねーな。アンタの身内を傷つけたってんなら、オレも同罪じゃねーのかよ?」

「なんだ? 君は私に殴られたいのか? だとしたらとんだ変態だぞ」

「ちげーよ! んなわけあるかっ!」

「冗談だ。に受けるな」


 拳を作って前のめりになるフェイをかわして、静は笑って両手を上げた。


「組織がどうあれ、そこにどんな意図があろうとも弟の友人を救ってくれたのだ。それで貸し借りはなしだよ。それに……」

「何だよ」

「素直な子は好きだよ、私は」


 不意を突いた静の一言にフェイは言葉を詰まらせる。微笑む彼女の顔を凝視して固まりかけた彼は、慌ててかぶりを大きく振って憤慨したように大股で歩き出した。


「バカ言ってんじゃねーぞ。今回戦わなかったのはたまたま利害が一致したからだ。次があるとしても、こうなるとは限らねー」

「行くのか?」

「身柄の確保までは言われてないからいーんだよ。アンタ強いしな。これでオレはお役御免だ」


 それだけ言うと、フェイは振り返ることなくその場を後にしようとした。


「フェイくん!」


 が、その前に彼の背中に声がかかる。首だけ振り向かせると、切羽詰まったような顔をした柄支の真剣な眼差しが、彼の瞳を捉えていた。


「助けてくれてありがとう。えっと、また……ね?」


 そこでようやく戦いの緊張が解けたのだろう。緩やかに相好を崩す柄支を見て、フェイは微苦笑した。


「は……会わない方がお互いのためだぜ、姉ちゃん。じゃーな」


 前に向き直って片手を振ると、フェイは今度こそ立ち去った。


「どうやら振られてしまったようだな。さて、君たちもよく頑張った……と言いたいところだが」


 溜息交じりにフェイを見送った静は柄支たちへと身体を向け、不意に声を落とした。


「一応、けじめはつけておこう」


 隙のない足取りで静は麻希の前まで進み出る。


「顔を上げろ」

「え……」


 有無を言わさぬ静の声音に麻希は言われるまま、ほとんど反射的に顔を上げた。

 そして、彼女が反応する間もなく、パンと乾いた音が耳の奥で響く。

 左頬を叩かれたと気付いたのは音がやみ、痛みと熱がじくじくと広がり始めてからだった。


「命を粗末にするな。どんな理由があれ、死んでは何にもならん」

「それは……!」

「仮に私が間に合わなくても少年がなんとかしていただろうさ。あれは、それくらいの実力はある子だったよ」


 言い返そうとする麻希を、静は厳しく睨み返した。


「文句があるのなら後でいくらでも聞こう。しかし、友人たちに詫びるのが先だ」


 静が目配せした先では、柄支と進が心配そうに麻希を見つめている。二人とも現に立ち向かおうとした麻希の無謀さには内心怒ってはいたのだが、静の剣幕にすっかりその意気を挫かれてしまっていた。


「……すまない」


 二人の顔を見ていられなくなった麻希は、呟くようにそれだけ言って背を向けた。彼女の微かに震える肩を見てどうしたものか二人は顔を見合わせたが、先に柄支の方がふと笑みを漏らし、肩を竦めた。


「まったく、泣かれちゃ仕方ないなぁ。今回だけだよ」

「そうですね。先輩の失態なんてそうあることではありませんし、大目に見ましょう」

「……く、泣いてなどいない! お前たち、後で覚えておけよ」


 振り返れないことをいいことに好き放題言う二人に、麻希の低く唸るような声が響く。その様子を見て、静はひとまず安堵の息を吐いた。


「それだけ言えれば心配はいらないな。では、私たちも行くとしよう」

「え……、どこに行くのでしょうか?」

「決まっている。私の実家だ」


 訊ねる柄支に、静はあっさりとそう答えた。


「薄々勘付いているだろうが、状況としてこのまま君たちを家に帰してそれまでというわけにはいかないのでね。なに、移動に関しては心配いらない。便利な足を用意している」

「え、いや、そういう問題……なの?」


 助けを求めるように麻希と進を見る柄支だったが、いずれも似たような反応だった。

 反論の余地がないと言うか、言うだけ無駄と言うべきか。静の言葉からはそんな強引さが溢れ出ている。いったいこの場の誰が逆らえようというのか。


「また家が賑やかになるな。歓迎するよ」


 困惑する三人を他所に、静の高笑いが路地裏に響く。

 当座の危機は去ったが、何やら別の問題が目の前に立ちはだかっているように思えるのは果たして気のせいなのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ