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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第三部 魂の帰郷
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26 「屍の暴君」

 巨人を構成していた骸たちは、一つの個に成ろうとしていた。

 互いに抱き合うように牙を突き立て、貪るように、徐々に肥大し、巨大な外殻を作り上げる。

 もはやどの個体が中心なのかは分からない。

 融解し、融合し、腐り果てた汚泥の山と化したそれは、もはや生物とも形容し難い。

 溶解された魂は直接泥の表面、あるいはその深部へと食い込み、複眼のような形状となり怪しい輝きを灯していた。

 その目玉の全てが、眼前に佇む封魔省総長に向けられる。


「一つ訊くが……お主は、封魔省に属しておったものか? それとも、滅魔か?」


 自分よりも遥かに巨大な泥の山を見上げながら、シオンはまるで臆さずに訊ねた。


「それを知ってどうするというのだ……?」


 泥の中から、押し潰された男の声が響いてくる。泥に口などないが、声が発せられる度に、泥のどこかで腐臭が撒き散らされている。


「なに……妾も組織の長であるからな。封魔省であるのなら、裏切り者の制裁として、少々気が入ろうというものじゃ」


 しかし、鼻にこびりつくような臭気を気にした風もなく、シオンは口角を鋭く上げて言う。


「無駄に妾を待たせるな。さっさと答えるがよい」

「……封魔省だよ、総長殿。丁度良い……研究の成果、あなたで試させてもらおうか……」


 泥の一部が開き、夥しい触手が生え始める。赤黒い濃霧の如き空気が漂う中、その様はさながら深海で蠢く磯巾着のようであった。

 汚泥の山は床を侵食し、穢しながら這いずるように動き出す。だが、シオンは半眼で汚らわしいものを見る目つきのまま、その場から動くことはなかった。


「かっ……妾を前にその図抜けた態度、余程自信があるようじゃが、思い上がるなよ、下郎が」


 そして、彼女の血色の双眸が見開かれる。その眼光に射竦められたかのように、泥は一瞬動きを止めた。


「大方、安全圏から高みの見物を決め込んでおるのじゃろうが、種は割れておるのじゃぞ」

「なに……?」

「あくまで肉体は、魂の受け皿に過ぎん。そこまで至っておるとは意外ではあったがな。お主の魂は、別にあるのじゃろう?」

「……なるほど……だが、それがわかっているのなら、勝ち目がないこともわかるのではないのか? どれだけあなたが強かろうと、俺を倒すことは不可能だ」

「ほう……。聞き捨てならんな」


 と、不意にシオンは両手を広げた。まるで無防備で、迎え入れるかのような姿勢のまま、彼女は凄絶に口を歪める。


「ならば、試してみよ」

「言われずとも、そのつもりだ……!」


 その矮躯からどのような理屈で発せられているのか、シオンの得体の知れぬ威圧を振り切るように、泥から触手の群れが伸ばされた。いずれもがドス黒い霊気を帯びており、浴びれば侵食される毒となる。

 そうでなくとも、シオンと泥の体格差は歴然である。触れただけでも彼女の枯れ枝のような肢体は、容易くへし折られるに違いない。

 下手に余裕を見せたことをあだとするように、土石流の如く圧倒的な物量をもって圧壊する。


「――かっ」


 だが、たった一つの哄笑で、それらは全て無に帰した。


「――……!?」


 一体何が起きたのか、その現象は男の理解の範疇を超えていた。シオンは変わらず両手を広げて立っている。彼女の整えられた髪、飾り立てられたドレスはこゆるぎもしていない。


「誰が、誰に何をしたつもりでおるのかのう?」


 そこで、男は気付く。シオンの両手には、今攻撃を仕掛けた触手に含まれる魂が握られていたのである。

 更に、彼女の足元には両手に収まりきらなかった分の魂までもが転がっていた。泥からの接続を失ったそれらは、鈍色の影を落とし、完全に沈黙している。


「灰汁は取り除かねば食えぬからな」

「何を、した……?」


 明らかに動揺した男の声に、シオンは哄笑をもって答える。そして、右手に持った魂を見せびらかすように掲げてみせると、接吻くちづけをするかのように食らった。


「愚か者が。そのような汚泥で魂を汚す行為、万死に値する」


 その瞬間、彼女の周りに散らばった魂が震え出す。そして、緩やかに溶けるように、床へと波紋を広げながら沈んでいった。


「さあ、どうした? その魂、もっと妾に献上せよ」


 舌先で魂を転がしながら、シオンは艶めいた声で挑発する。泥は憤怒か、あるいは恐慌か、声にならぬ雄叫びをあげながら彼女に殺到した。





 その光景が、どういった理屈で起こされていることなのかは、真やハナコにとっては理解の外だった。

 過程を辿らず、結果だけを見させられているような気分だった。言葉もないとは、このことだろう。


 狂ったように押し寄せる泥の塊を、シオンはただそこに立つだけで往なしている。というよりも、泥が勝手に消滅していた。

 シオンに攻撃を仕掛ける行為そのものが自傷となり、自滅に追いやられている。その度に、剥ぎ取られた魂たちが彼女の周囲にばら撒かれる結果を生んでいた。


「あれは、略奪だ」


 清言がシオンの戦いから視線を反らさず、しかつめらしい顔で言った。


「異常ではあるが、理屈は通っているのだろうよ」


 略奪。つまり、相手の霊気を奪う行為。

 要するに、触れられる前にシオンは泥に埋め込まれた魂から霊気を根こそぎ奪い取り、維持できなくしているのだ。

 しかし、あくまで理屈の上では、である。


「あんなものが……赦されるというのですか」


 珊瑚の声は、生理的な怖気に震えていた。汚泥の化物にしても見た目の醜悪という意味では群を抜いているが、それを食らおうとするだろうか。

 あの矮小な身に、どれほど強靭な、ともすれば歪な魂を宿しているというのか、まるで想像もつかない。

 組織の頂点トップということを考えても、常識を超えた、更にその先にいるような存在だ。


「常軌を逸している。確かにそうだが、あんなものは総長殿にとっては力ではない。あれは、彼女の『世界』から漏れ出たものに過ぎないのだからな」

「世界……?」


 真が訊ねる。清言の言っている意味がどんなものであれ、額面通りのものではないことは疑う余地はなかった。


「従者殿は当然知っているだろうが……訊いても、答えてはくれないか」


 主を下ろして跪いた姿勢から立ち上がったエクスは、清言の言葉に見向きもせず、黙って主の戦いを見守っている。

 清言は肩を少し竦め、言った。


「後学のために見ておいて損はないぞ、少年。耐え切れるのであれば、の話だがな」





 泥の中の意識で、男はとうに余裕を失くしていた。

 はっきりと言えば、誤算であり、甘く見ていたとしか言いようがない。いや、そんな評価でさえ生温い。


 まさか、これほどまでとは思ってもいなかった。


 今はただ、吸い込まれるように泥から触手を伸ばすことだけを繰り返している状態に追い込まれている。

 それも、伸ばした端から悪戯に食われるという悪循環にしかならないのだが、止められるはずがなかった。


 少しでも手を緩めることが、己の死に直結する。そうした確信があるのに、どうして手を緩めることができようか。


「かっ……、ようやく潮らしくなってきたではないか。伝わるぞ、お主の心の叫びがのう」

「黙れ……!」


 変わらず両手を広げ、その場から一歩も動かぬまま、シオンは男を圧倒していた。凄絶な哄笑に煽られるように、泥から夥しい触手が彼女に向けて放たれる。

 しかし、その全て、悉くは彼女に触れる前に、覆う黒い霊気と魂を剥ぎ取られて霧散する。


 一見して紙一重にそれを行っているように見えるが、シオンは殊更にその行為を意識しているわけではなかった。


「やれやれ、しつこいやつじゃな」


 疲労というよりも、同じことの繰り返しに飽いたといった風に、シオンは笑いながら言った。

 彼女にとって略奪とは、特技と言うよりも、体質や習性に近い。

 多くの魂を食らい、それを当然とする内に、彼女の身体が適応したと言うべきか。

 見れば食らう。触れれば食らう。同じ空気を吸えば、たちどころに彼女の香気にあてられ魂を溶かされる。


 それ故、彼女が許さない限りは、誰もその身に触れることは叶わない。


「化物め……」

「失敬な奴め。どの面を下げて言うのじゃ」


 更に伸ばされる泥を消し去りながら、シオンはふと肩の力を緩めた。


「お主はこう考えておるかもしれんな。このまま悪戯に攻撃を続けても、妾を倒すことはできないと」


 そして、歪んだ笑みを消さぬまま語りかける。その間も泥は彼女に向けて放たれるのだが、言葉は続く。


「しかし、こうも考えておる。いかに妾とて、受け入れられる霊気の許容量というものがあるはずじゃと。妾の腹が満たされたとき、果たしてお主の攻撃を食らうことができるのか、ともな」


 男の返答はない。それは図星であり、この化物を倒す一縷の望みでもあることに間違いはなかった。

 汚泥はそれこそ数百の魂が埋め込まれているのだ。それらを全て一人で食らうなど、不可能だと。

 そうであってくれなければ、勝算はもはやない。でなければ、この化物に目の前に立たれた時点で、男は既に敗北していたことになる。


「もう少しお主の恐怖を煽ってやっても良いのじゃが、同じことの繰り返しでは互いの観客も飽きよう。そろそろ、終いにしてやろう」

「何……?」

「気付いてないとでも思うたか? お主、接続者から霊気の供給を受けておるのじゃろう。おそらくは、場の結界を張っておる者か」

「……だったら、なんだという……!? 霊気の供給を受けている以上、こちらが有利……お前の身体がもたなくなる方が先だ……!」

「かっ……、じゃから、せめてもの情けで終わらせてやろうと言っておるのじゃ。思い上がるなと言ったぞ、道化」


 そこでシオンは、視線を泥の化物よりも更に上へと向けた。吹き抜けの会議場の天井には、何もない。しかし、そこからこちらを見下ろす確かな意志に向けて、彼女は声を発した。


「どうせ見物しておるのじゃろうから、よく見ておくがよいわ」


 一言、それだけ言って視線を下げたシオンは、両手の指に僅かに力を込めて、浅く握る。

 すると、彼女の純白の手袋が、鮮やかな血色に染まり出した。


「何を……する気だ!」


 シオンが初めて見せる霊気の波動に、泥の中の魂が悲鳴を上げていた。

 今すぐ止めろ。あれを使わせてはいけない。

 死してなお本能を喚起させる、目を覆う悍ましくも美しい色。会議場を覆う空気の色など、彼女の放つ色の前にはどぶに等しい。


「括目せよ」


 そして、願いは聞き届けられず、シオンは己の世界を解放する。



「妾は食らう」


 それが放つのは圧倒的な死の臭い。


「幾千の魂を食らう業の果てに、妾は生きる」


 無数の屍の上に築いた命がそこ在る。


「拝謁を賜りたければ、この屍山血河を越えて見せよ」


 腐臭を滴らせながら、その頂きに君臨する魔性。


「さすればお主の全て、その魂、全霊をかけて愛してやろう」


 彼女は命の尊さを誰より理解している。そして、己の命を何よりも愛している。


「妾の命の中で、この身朽ち果てるまで、共に生きることを許す」


 他人の命を無価値だと思っていない。そんなもので、何より尊い己の命を支えようなどと愚かなことだ。


「故に同胞はらからよ、お主のすべて、この『世界』へ晒すがよい!」


 貪り尽くした魂の味は全て覚えている。全ては己の愛しい血肉であるが故に。



 暴力的で、壊滅的な霊気の血潮が、シオンの両手から溢れ出す。マグマの如く滾る霊気は彼女の足元から、歓喜の喝采を上げて瞬く間に広がっていった。

 そして、湧き立つ霊気から立ち昇る蒸気は霧と化し、空気を侵す。大会議場の全域、あますところなくシオンの霊気に満たされ、世界は艶やかな血色に呪われた。





 その世界を目の当たりにして、真は会議室で垣間見た、意識がバラバラになりそうな不快感を覚えていた。


「ハナコ……! 俺の中に戻れ!」

「ぅ……は、はぃ……」


 これは霊体のハナコがまともに浴びていいものではない。嗚咽を堪えるように顔をしかめ、ハナコはその場から即座に姿を消した。

 そして、珊瑚の右手が、真の左手を強く握る。しかし、珊瑚自身も、脳髄を揺さぶられるかのような原色の光景に、目の前が眩んでいた。


「これは……あの人は、何をしたというのですか?」


 息を吸うだけで、体内の何処かが溶けだしそうなほどの熱が宿る。その珊瑚の問いには、清言が答えた。


「形成だ」

「形成!? これが……!?」

「呼吸は最低限にしろ。一応、私たちは対象外として見られているようだが、この世界に容赦はない。レイナ、お前は大丈夫か?」

「……はい。ですが、このまま放置するのですか?」

「仕方あるまい。我々の戦力では、到底敵わない世界だ。呑まれぬようにするのが、関の山だな」


 顔をしかめつつも成り行きを見守る清言とレイナに対し、真は何故そんなに冷静でいられるのかが不思議でならなかった。

 不快の波がピークに達し、たまらず彼は床に膝をつこうとする。だが、清言が彼の片腕を掴んで無理やりに引き上げた。


「肚に力を入れろ。常に霊気を体外へ放出するイメージを持て。この床に倒れれば、それこそ命はないぞ」


 床は一面、屍に埋め尽くされている。食い尽くされ骨となった亡者たちが、流れ出る血の霊気に染め上げられ、眼窩に炯炯とした輝きを宿しながら新たな仲間を迎え入れる悦びの声を上げていた。 

 よろめき、後ずさった真の足元で、パキリと骨が砕ける乾いた音が響く。その感触に、彼は震えた。


「なんなんだ……これは、これを全部、あいつが創り上げたっていうのか……!?」

「そうだ。形成とは、武器を作り出すことだけではない。これは、限られた者にしか行えない……形成の最終型。世界の創造とは、自己投影の極致だな」

屍世界しせかい、魂の煉獄……噂には聞いていましたが、これほど厄介な代物だとは……」

「ああ……だが、評価には早い。総長殿は、まだ動いてすらいないぞ」


 かばねの世界を見渡すレイナに、清言が言う。

 彼の言葉通り、形成を終えたシオンは、まだその場から一歩も動いてはいなかった。


 いや、正確には、動く必要などないのだ。

 この世界において絶対の君主となった彼女は今、己の鮮血の霊気で編まれた玉座に腰を据えている。

 そして、玉座を持ち上げるように、周囲に屍の花が咲いた。

 連鎖するように咲き続ける屍は、やがて小高い丘を作り、玉座をその頂上へと高らかに掲げる。


 今この場で最も高き位置にて、シオンは緩やかに足を組み、頬杖をついて世界を睥睨していた。

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