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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第三部 魂の帰郷
62/185

18 「自走人形」

「な、何なんですか!?」


 部屋の窓を破り、現れた黒い影の集団。その異様な姿に、いの一番にハナコが驚きの声を上げていた。

 窓の外はテラスのような形になっており、正面に三人、左手に二人の計五人。人と数えてもよいのか不明だが、とにかく五つだ。

 その姿形はバラバラだが、一様に黒い霊気で覆われ、性別さえも判別できない。

 まるで本当に影から浮き上がって来たかのような異形であり、顔らしき部分からは、微かにではあるが鈍く光る虚ろな眼が、違わず室内の全員を捉えている。


 ハナコに限らず、想定外の出来事に真と珊瑚も言葉を失っていた。


「やれやれ、随分と手荒な登場じゃな」


 しかし、三人以外の面々は、突如現れたはずの闖入者に対し、驚きに類する反応を示してはいなかった。

 まるで、最初からこうなることを予期していたかのようである。


「まさか……」


 珊瑚の頬に冷や汗が伝う。彼女はこの状況で考えられる結論は、一つしかないと思い至っていた。


「考えたくもありませんが、この会談自体が餌だったということですか?」

「な……」

「そんな……」


 珊瑚の最悪ともとれる予想に、真とハナコが振り返って彼女を見る。

 それが正しいのであれば、真たちを利用する算段を話し合うどころではない。とっくに利用され、罠に嵌められていたということになる。


「それだけではないぞ、犬よ」


 そして、そのことを裏付けるかのようにシオンが言い、組んだ足を解いて席を立った。

 気が付けば、不動であったシオンの従者――エクスが彼女の傍で傅いている。彼女が彼の肩に手をかけると、彼は主の背と膝を包むように腕をかけ、その矮躯を抱き上げた。


「三組織が一堂に会することなど、滅多にあるものではない。そんな機会を知って、みすみす逃す手があるかのう?」


 本来がその位置であるかのように、シオンは高みから薄絹のような髪と笑い声を揺らす。更に、ラオと清言も続けて席を立ち、黒い影に対して振り返っていた。


「会談を前倒しにしたことが漏れているということは、やはり敵は身近に潜んでいそうですね。収穫です」

「……そのようですね」


 冷静に現状を分析するような言葉から、やはりこの状況は、彼らの予想を裏切るものではなかったのだろう。


「え、え? ど、どういうこと……なのでしょうか」


 状況に取り残されて狼狽えるハナコが、真と珊瑚の顔を交互に見る。その彼女の訴えに、真が重苦しく口を開いた。


「珊瑚さん、つまり、こういうことですか? 餌っていうのは俺とハナコだけじゃなく、ここにいる全員がそうだった……と」


 そこまで言われてしまえば、ハナコにも真が言わんとしていることが理解はできた。彼の質問に、珊瑚も無言で頷きを返している。


「そんな……でも……」


 しかし、状況の理解と、そんな状況を仕組んだ動機に対する理解は別だった。

 いずれも組織において地位のある者ばかり、シオンに至っては最たる者である。そんな者たちが、わざわざ自らを危地に追いやってまで暴かねばならないほど、無色の教団と言うのは度し難い存在なのか。


「ハナコさん、それには一つ思い違いがあります……。この状況が自らを害するものであると思っている者は、彼らの中には一人もいません」

「それは流石に買い被り過ぎですよ。千島さん」


 ラオは言葉とは裏腹に、余裕のある笑みを崩さずに言った。


「少なくとも、ここまであからさまに来られるとは思ってもいませんでした。策を弄せず、なりふり構わず突っ込んで来る手合いは、実は一番恐ろしいものですよ」


 ですが、と付け加えるラオの目が、絞るように細められる。


「釣れた以上、逃す手はありませんね」


 真は初めてラオに対し、背筋に冷たいものを感じる。獲物を見定める鋭く非情な意志が、瞳の奥から滲み出ているかのようだった。


「あんたたち、あれが何か知ってるのか?」

「予想はつきます。浅霧真さん、あなたも覚えはあるでしょう? 魔物になった者の特徴を」

「……じゃあ、あれは全員何かに取り憑かれてるっていうのかよ……」


 五体の影は、こちらの様子を窺うようにしており、いまだ攻め込んで来る気配はなかった。真は、まるでガスのように吹き出る霊気に覆われたその存在を前に、戦慄する。


 紺乃に操られた新堂進、暴走した自分自身、そして、両親を亡くした日に見た翼の姿。

 言われるまでもなく、その姿には覚えがあり過ぎて嫌になるくらいだった。


「で、誰が始末をつけるのじゃ?」


 そして、膠着状態に飽いたのか、シオンが言う。しかし、言った彼女自身はやる気がないようで、従者に抱かれたまま胸の前で両手を組み、顔だけを向けている有様だった。当然、そんな彼女を抱く従者も無言を貫いており、期待はできそうもない。


「――私がやりましょう。清言、倒しても?」


 そんな中、名乗りを上げたのはレイナだった。彼女は控えていた上官の隣に進み出て、横目で問う。


「任せよう。あまり手荒にならないようにしろ」

「善処します」

「……お一人で大丈夫なのですか?」


 気遣うような台詞をラオが言ったが、レイナは彼を一瞥して浅く頷いただけで、足音を立てることなく前に出た。シオンも高みの見物を決め込んでおり、既に戦況から一歩引いた場でレイナの背を見送っていた。


「おい、仲間なんだろ。大丈夫なのか?」

「心配は無用だ。少年、それより君たちも下がっていた方がいいぞ」


 一人で立ち向かおうとするレイナを黙って見送る清言に、真が訊ねる。しかし、清言は部下を心配するよりも、真たちを気遣うような言葉を吐いた。


「彼女の気性は、少々荒い。せいぜい、巻き込まれないことだ」




 レイナは破られた窓からある程度距離を取ったところで足を止めた。

 五体、いずれも自発的な意志のようなものは感じ取れない。完全に、呑まれている状態だと判断する。

 それはつまり、手詰まりで、手遅れであり、手の施しようがないということだ。


 彼女の心は凪いでいた。風に白金の髪を揺らしながら、無感情に固定される灰色の両眼を、人の成れの果てとなった者たちへと向ける。

 そして、その彼女の動きを検知するかのように、影は室内へと足を踏み入れて来た。

 影は聴く者の心を掻き毟る慟哭にも似た咆哮を上げながら、統一された意志を持つかのように、五体同時にレイナへと襲い掛かる。

 黒い霊気が床を這い、宙に踊り、あらゆる方向から彼女の全身を余すことなく侵略せんと伸ばされていた。


「胸がすくことはないですね。いつも」


 レイナの冷えた吐息が零れる。彼女はその場から動かず、指を広げた右の掌を、眼前に突き出すように掲げた。

 瞬間、彼女に食らいつこうとしていた黒い霊気が、固まった。それと同時に、動き出していた五体の影も、まるで時が止まったかのように動きを止める。


 レイナの掲げた掌を中心に、彼女が放つ霊気が波紋を生んだ。キン、と空気が冷えて固まる音が金属を打ち鳴らすように鳴り響き、美麗とさえ思わせる調べを奏で始める。

 黒い霊気は、その先端から白く染め上げられ、最終的に氷像の如き姿を晒していた。

 冷えて、凍らせ、魂さえも塗り固める。彼女に侵された肉体は血の流れを止め、身体機能を停止する。


「消えなさい」


 発せられるレイナの声は、絶対の凍てつきをもって紡がれた。

 一瞬の内に輝きが掌に収束し、爆散した。その圧に、彼女の白金の髪が煌びやかに踊る。

 瀑布の如き霊気の奔流が、一気に影を食い潰していた。

 そして、彼女の霊気が消えた先には、黒い霊気を剥ぎ取られ、倒れる五人の姿が残されるだけとなった。




「――かっ……猟犬が。まさか侵食の使い手とは、傑作じゃな」


 レイナの戦いぶりを見たシオンの反応は、嘲笑だった。


「対象を侵し、生体活動までも支配するとはのう。しかしやっておることは、嫌悪しておる霊と大差ないではないか。ここまでくると、取り憑くのと変わりなかろうに」


 嗜虐心を覗かせるシオンの言葉に、レイナは無表情のまま反応を示さなかった。清言は部下の戦いを当然のものとしており、ラオは大したものだと感心した表情を見せている。


 そして、真とハナコは圧倒されていた。

 この場にいる誰よりも自分の力が劣っていることは、彼自身も認めざるを得ない。シオンの気配を目の当たりにしてしまった今、どんなに隔絶された実力差を見せつけられても致し方ないと思うところもあった。

 だがら、圧倒されていたのは彼女の実力というよりも、その躊躇いのなさによるところが大きい。


 いくら魔物と化そうとも、人であることに変わりない。手の施しようがなくとも、手が付けられなくなっていようとも、例え、それを殺さなくてはならないのだとしても、変わらない。

 だが、レイナは対峙した瞬間から、それをそうすべきものとして切り分けているように見えた。

 非情に徹するというべきか、そもそもかけるべき情など一片も残さず切り捨てているのか。あるいは、そうしたものを感じなくなるほどまでに繰り返してきたのか。

 その精神の在り方を垣間見た気がして、気圧されたのだ。


「恐ろしいか? マコト、ハナコ。まぁ、安心するがよい。少なくとも、こやつらは『今は』お主らに力を向けるつもりはないようじゃからな」


 シオンが二人に憐憫の情を込めて囁く。彼女は殊更に『今』を強調し、口を下弦の形にして音もなく笑った。


「皮肉は結構です。検分と行きましょうか」


 清言が言い、戦いを終えたレイナの元へと歩み寄る。既に彼女は倒れた五人の内、一人の前で片膝をつき、首筋に手を添えているところだった。


「……死んでいますね」


 近づく清言を振り返らずにレイナは告げた。そして、立ち上がった彼女は残りの四人の息も確かめたが、結果は全滅だった。

 霊気が消えた事で露になった五人の姿は、てんでバラバラだった。背格好も、性別も、肌の色さえも違う。共通点があるとすれば、見開かれた目に輝きはなく、枯れ木のように痩せこけていることくらいだろうか。


「お前が殺したのか?」


 転がる五人の死体を見下ろしながら、清言が訊ねる。その問い掛けにレイナは首を横に振り、彼の肩越しにシオンの方へと目を向けた。


「いいえ、元から死体だったのです。封魔省総長、そうですね?」

「何故、妾に訊く?」


 眉を上げて驚いた顔をするシオンだったが、台詞の調子や態度からも、それはあからさまだった。「とぼけるな」と、レイナの目つきが鋭くなる。


「他者に霊気を通わせ、操る技術。これは、封魔省の『自走人形じそうにんぎょう』そのものでしょう」

「……何だ、その自走人形って」


 忌々し気に吐き捨てられる彼女の言葉に真は不穏なものを感じ、思わず口を開く。この場で人形と言う響きを、決して良い意味合いに捉えることはできなかった。


「要は、霊に取り憑かれた状態を意図的に作り上げることですよ」


 その真の疑問には、ラオが答えた。


「術者の霊気を相手に侵食させ、意志と共に魂に植え付ける。そうすることで、ある程度の思考の方向性を与えることができるのです」

「方向性……」

「霊は意志を持たないというのが通説ですからね。取り憑かれた者もまた、同様です。そこへ、簡単な指令を出すわけですよ。特定の誰かや、もっと単純に、動く者を襲えとか、ですかね」


 そういえば、以前に紺乃に操られていた進も、ハナコを狙っていた節があった。あれも、そういうことなのかと真は思い返す。


「そこそこに勉強はしておるようじゃな。しかし、そこな猟犬の言うことには疑問を挟まねばなるまいよ。既に死んでいると、そう言ったな?」

「ええ。詳しくは判りませんが、数日は経っているでしょうね。少なくとも、今死んだのではないことは間違いないでしょう」

「それはおかしいのう。意志の器は魂。すなわち、魂の抜けた死体を操ることは不可能じゃ」

「では、この状況をどう説明する?」

「知ったことか。もしかすると、死体を動かす業を、教団は会得したということかもしれんが、なんとも言えんわ」


 納得のいかない顔で食ってかかるレイナを、特に興味も無さそうにシオンは床に転がった五人と共に見下ろす。そして、彼女は従者をテラスの方まで歩かせると、窓の外の景色を眺め始めた。


「それよりも、次の手を考えた方がよいぞ。まさか、これで終わりと思っておるわけではなかろう?」


 酷いものじゃな、とシオンは窓から臨める地上の庭園を見下ろしつつ、皮肉交じりの笑みを浮かべていた。そして、一体何が見えたのかと彼女の後に続き、その光景を見た全員は顔を歪めた。

 霊視などで見ずとも、その黒さは見ただけで判別ができた。庭園を所狭しとひしめき合い、静かに煌々と黒い輝きを発するそれらは、燃え上がるのを待つ熾火のようであった。

 正確な数など、考えるだけ無駄だろう。庭園だけではない。もはや気配など隠す必要もないのか、会館全体が死に覆われでもしたかのように、昏い気配が溢れ始めている。


「この建物は、既に包囲されているといったところか。なるほど、どういう理屈かはわからぬが、死体であれば気配などしようもないからのう」


 事前に気付かなかったのも当然か、とシオンが納得した風に言ってのける。それに対し、会談の主催者であるラオは、眉を寄せて頭を下げた。


「面目次第もありません。しかし、厄介ですね。ここまで数で圧倒されると、流石に骨が折れそうです」


 真はラオの言葉に耳を疑った。こちらはハナコを入れても八人だ。庭園に溢れている影に加え、建物の中にもどれだけ潜んでいるかわかったものではない。

 だというのに、眉間に皺こそ寄せてはいるが、ラオの顔からは笑みは消えていない。強がりなどではなく、どこかこの状況を楽しんでいるようにさえ見えた。それは、シオンも同様である。


「全てを倒す必要はありません。この場でやるべきことは一つですよ」


 焦慮を顔に滲ませる真に対し、ラオは構わず笑みを向ける。流石に笑う気はないようだが、清言もまた、彼の言葉には同意の頷きを見せていた。


「術者を探し出し、捕えることだな。死体が口を割らないことは経験済みだ」

「では、手分けしましょうか。ぞろぞろと動くのも非効率ですし、チームワークなど望むべくもありませんからね」

「好きにするがよい。妾はお主らの手並みを見物させてもらうとしよう」


 ラオの提案に、シオンが返す。働く気を一切感じさせない言葉に、訝し気な視線が彼女に集まる。すると、彼女は口角を吊り上げて再度口を開いた。


「妾は、会談中に力は使わんと言ったぞ。まぁ、それでも手助けが欲しければ言うがよい。貸しは高くつくがのう」

「そんなことを言ってる場合かよ!」


 苛立ちを募らせた真が叫んだが、シオンの顔は涼しいもので、今の言葉を撤回する気はないようだった。


「構うものか。死者を食らわれるより、余程いい」


 そんなシオンを蔑むように一瞥したレイナが言う。清言も異を唱えることはしなかった。

 封魔省と滅魔省の考え方の違いもある。もしかすると、無用の衝突を避けるためには、どちらかが引いた方がよいという判断もあったのかもしれない。


「では、私はシオン様たちに同行しましょう。後は、各々のチームで行動するということでよろしいですね?」

「……それは構いません。しかし、術者を見つけた場合はどうするのですか? お互いに連絡を取り合う手段はないようですが」

「かっ、面倒じゃな。そんなもの、早い者勝ちで良いではないか」


 ラオの提案に一応の頷きを返し、成り行きを見守っていた珊瑚が疑問を呈する。が、そんなものは取るに足らないと、シオンの笑いが横から入った。


「これだけの数がいるとなると、術者も一人や二人ではあるまい。そして、術者が力を失えば操られておる人形どもも動きを止めるじゃろう」


 それぞれのチームが術者を見つけ出して無力化する。そうして、状況が終息したときが、勝利の合図と言うことだ。


「マコトにハナコ。お主らにも期待しておるぞ。力を見せよ。見事生き残れたのであれば、少しは認めてやろうではないか」

「……上等だ」

「ま、真さん……頑張りましょう。わたしも、精一杯力をお貸しします」


 ハナコは声に怯えを潜ませながらも、両手を握り締めて真に意気込んで見せる。ここに来て、隅で震えて待つという選択肢はなかった。


「ああ、頼む。珊瑚さんも、どうか力を貸してください。この場を、何としても乗り越えましょう」

「はい、もちろんです。無事に帰ると約束しましたからね。皆様に、きちんと『ただいま』と言いましょう」


 珊瑚は真とハナコに一礼し、柔らかく微笑む。三人の意志が一つのまとまりを見せたところで、ラオが口火を切った。


「それでは各々方の覚悟も整ったようですので、開戦と行きましょう。ご武運を祈ります」


 ラオが慇懃に頭を下げる。もはや鼻白むしかない彼のその行為に見送られながら、真は部屋の外へと出るため自ら先陣を切った。

 誰かの背中を追うのではない。ここから先は、一歩でも引けばその時点で負けとなる。

 その覚悟に応えるように、ハナコと珊瑚も、彼の背中に続いた。

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