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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第三部 魂の帰郷
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17 「市街地戦線」

 凪浜市開発区、繁華街。

 本格的に冬休みに入ったことで、平日の昼下がりにも関わらず、街は若者で溢れていた。

 クリスマスの後日ということもあるのか、街はまだ浮ついた余韻を引き摺っているかのように、湧いた空気の残り香が漂っている。


 その一角、大通りに面したファーストフード店内の二階、窓際のテーブル席にて、芳月柄支は頬杖を突きながら、ぼんやりと人の流れを横目で見下ろしていた。


「平和だねぇ……」


 街は何事もなく、平穏である。彼女の呟きは、混雑した店内の喧騒に呑み込まれ、誰にも届くこともない。

 ふと前の席に視線を移すと、休憩中だろうか、サラリーマン風の中年男性が柄支に背を向ける形で新聞を広げていた。

 お仕事ご苦労様ですと、柄支はなんとなく心の中で男性を労い、再び窓の外を見る。その労いは、疲れ果てた自分に向けているものかもしれなかった。


「お待たせしました、先輩」


 どことなく枯れた雰囲気を醸し出す柄支の背に、声が掛けられる。彼女が頬杖をやめて振り返ると、席の前にはトレイを持った後輩と友人が立っていた。


「ご苦労様。悪いねぇ、新堂くん、麻希ちゃん」

「いえいえ、お安い御用ですよ」


 柔らかい笑みで後輩の少年、新堂進が答える。そして、「やれやれ」と、彼の隣で溜息を吐いた古宮麻希が、テーブルにトレイを置いて柄支の向かいに座った。進もトレイを置いて麻希の隣に座り、全員が着席したことになる。


「ピーク時は過ぎてましたが、混んでますね。席を取っておいてもらって正解でしたよ」

「私は持ち帰りで良かったんだがな。新堂、お前がこいつの誘いを受けるからだ」


 いかにも不機嫌な様子でなじる麻希に、進は苦笑いを返す他なかった。


「休みに入って暇だったもので……。それに、一応先輩からのお誘いですから」

「新堂くん、今一応って言った?」


 後輩の少年の言い方に引っかかるものを覚え、柄支が半眼になる。それに対しても、進は笑って誤魔化した。

 低身長の柄支に対し、進はそこそこ上背もある。スラックスにジャケットを着こなしている風情は、もともとがすっきりとした顔立ちで優等生然としていることもあり、本当に一年前は中学生だったのかと思ってしまうくらいだった。

 麻希もデニムにニットとという飾らない私服だが、非常に様になっていた。並んだ二人を前にすると、さしずめ柄支は、大人な高校生カップルとそのお付きの妹だろうか。


「ぐぬぬ……風紀委員め」


 柄支はトレイから自分の分のバーガーを手に取り、包装を解いて一口かじった。ファーストフード特有の、安っぽい肉とケチャップの味を、彼女は恨みがましく噛み締める。


「それで、何で僕は呼ばれたんでしたっけ?」


 柄支と麻希は冬休み中、追い込みで受験勉強をすることになっていると、進は記憶していた。根を詰めればよいというものではないだろうが、昼間からのんびりと過ごしていたよいのかと、つい余計な心配をしてしまう。


「もちろん勉強はしてるよ。今日は、わたしの家で二人でやってたんだけど、お腹は空くでしょ」

「まぁ、そうですね」

「だから、気分転換も兼ねて新堂くんも呼んだわけ」

「え?」


 いきなり話が飛んだ気がして、新堂は聞き返した。顔を背けた柄支は唇を尖らせ、正面でブラックのホットコーヒーを飲んでいる麻希を横目で見る。


「だって、麻希ちゃんと二人だと勉強の話ばっかりなんだもん。気分転換にならないじゃん」

「お前は本当にやる気があるのか?」

「あるある。あるけど、メリハリは大事でしょ。結局、クリスマスだってチキンを食べ損ねたし」


 柄支は終業式の日のことを思い出す。彼女の言葉に、麻希と進も脳裏にある人物の姿を思い浮かべていた。


「浅霧くんのお姉さん、強烈だったねぇ……」


 ぽつりと呟く柄支の感想に、異を唱える者はいなかった。

 たいして言葉を交わす暇もなく、あの日、真は突如現れた姉に引き摺られるように去って行ったしまった。実家に帰省しているらしいが、いったい今頃何をしているのか。


他人ひとのことを心配している暇はないだろうがな。今は自分のことを考えろ」

「うぅ、だからご飯のときくらいは勉強の話はやめようって言ってるのに……」

「じゃあ、時事的な話でもしましょうか? 最近のニュースとか」

「ニュース? なんだか勉強と似たり寄ったりな気が……」


 コーラに挿したストローを咥えつつ、それでも数式を考えるよりかはましかと、柄支は最近どんなことがあったっけと思案する。そして、思いついたように口を開いた。


「最近と言えば、行方不明者のニュースとかって多くない?」


 柄支としては何の気なしに言ったつもりだったのだが、麻希と進は怪訝に眉を顰めていた。食い付きの悪い反応に彼女は別の話題をと考え直そうとしたが、先に麻希が疑問を口にする。


「どういうことだ?」

「いや、具体的にどうとは言えないんだけど。その手のニュースをよく聞くなぁって、なんとなく思っただけだよ」


 どこの誰が、いつからか、などという具体性を帯びた話ではない。ニュースを見たのも今朝かもしれないし、昨日か、もっと以前のことかもしれない。そんな記憶の端に触れるような、曖昧な感覚でしかなかった。

 それは記憶の隙間に刷り込まれたような、霞のような印象だった。


 国内には何らかの事故や災害で行方不明になったとという人は数多くおり、国外にまで目を向ければ、それこそ人攫いだの人身売買だの物騒な話まで出て来る話だ。

 そう考えると、気分転換とする話題としては不向きで、不謹慎だったかと柄支は反省する。


「あ」


 そして、麻希と進の後ろに視線が逸れたとき、思わず柄支は変な声を上げていた。彼女の頓狂な声に、二人が揃って背後を振り返る。


「先輩? どうかしましたか?」

「いきなり変な声を出すな。何もないじゃないか」

「あ……うん、ごめん。何でもない」


 二人の後ろの席には、誰も座っていなかった。柄支が一人でいたときに見た、中年のサラリーマンは姿を消していたのである。

 隣の席なのだから、気配であったり、視界の端にでも立ち去る姿が映ってもおかしくはないはずなのに、まるでそんなものは感じもしなかったし、見えもしなかった。

 普通に考えて店から出て行っただけで、たまたま話し込んでいて気付かなかっただけなのだろうが、柄支は何とも形容しがたい気味の悪さを感じていた。


 と、その時、不意にブブ、と微かに響く振動音がした。柄支が音のする方へ顔を向けると、進がズボンのポケットを探っているところだった。


「すいません。僕ですね」


 どうやら携帯の着信のようだった。もしかすると、ここにいない後輩の少年からだろうか、などと柄支は妙な期待を思い抱く。

 しかし、液晶に表示される相手を見る進の怪訝な表情は、どう見ても友人からの連絡を受けたものではなかった。


「父からみたいです。すいません。ちょっと失礼します」


 そう言って席を立った進は、店内の喧騒を気にしてか早足に階段を下りて行った。


「新堂くんのお父さん……凪浜市の市長さんか」

「そうだな。緊急の用だとしたら、呼び出したのはまずかったかもしれんな」

「えー!? それって、わたしが悪いってこと?」

「そこまで言ってはいないが」


 むぅ、と柄支は頬を膨らませる。ころころと表情を変える友人に内心呆れつつ、麻希は窓の外へと目を向けた。


「……おい」

「へ?」


 と、唐突に低く響かせる麻希の切り付けるようにな声に、柄支は彼女の顔を見る。瞬間、彼女の心臓は跳ね上がった。

 麻希は眉間に深く皺をよせ、真剣に目を細めて窓の外、店の前の大通りを睨みつけるように見ていた。彼女は無言で指をさし、柄支にも見るように促す。

 一体何事かと、柄支は促されるまま大通りを見下ろす。路肩に白いワゴン車が停まっており、その前で数人の男女が一人の少年を囲むようにして、何かを話しているようだった。


「って、あれ、新堂くん?」


 その少年はさっき別れたばかりの進だった。ここは二階で、地上とさほど距離も離れていないため、見間違いではない。


「なんだろう。トラブルかな……?」

「わからんが……見てこよう。お前はここで待っていろ」

「え、ちょっと、大丈夫? 警察とか呼んだ方がいい?」

「そこまで大事かは判らんだろう。そうだな、もしも危ないようなら手を挙げる。お前はここから見張っていろ」


 そう言うや否や、麻希は颯爽と席を立つと階段を下りて行ったしまった。柄支は荒事には向いていないので妥当な役割分担と言えたが、不安が募る。

 仕方なく柄支は、かじり付くように窓から外の様子を窺うことに専念した。


 改めて観察してみると、ワゴン車の前にいるのは男三人、女一人の計四人だった。

 背丈はバラバラで、中には日本人離れした長身もいる。そして、共通点として全員がコートを羽織り、フードで顔を隠していた。


 進は身振り手振りで集団に何か訴えかけているようだが、相手の反応を見る限り、通じているのか怪しかった。

 もしかすると、日本人ではないのかもしれない。そう考えると、柄支は無性に怖くなってきた。

 通行人も幾らかいるはずなのだが、反応は遠巻きに見るか素通りの二パターンしかない。冷たい反応に柄支がやきもきしていると、店から出て来る麻希の後ろ姿が見えた。


 そして、進が振り返り、麻希を見ようとしたときだった。


「え――」


 柄支は間の抜けた声を漏らしていた。四人組の中の長身の男が動いたかと思うと、いきなり進の後頭部を殴りつけたのである。

 振り下ろされた拳は柄支の目から見ても手加減などしていなかった。進は前につんのめり、麻希が彼を受け止める。彼女は何か叫んでいるようだが、男は無反応だった。

 店内の雑然とした騒がしさを他所に、柄支は震える手で腰に掛けたポーチの中から携帯を探ろうとした。麻希の合図を待つまでもない。これは間違いなく傷害事件だ。


 柄支は落ち着けと心の中で何度も繰り返しながら、指先に触れた携帯を掴み上げようする。

 そのとき、進を殴った男が不意に顔を上げた。

 フードが影となり、はっきりとはしなかったが、柄支の目が、男と合う。

 わけものわからないまま、柄支は全身に怖気を感じた。気が付けば、せっかく掴んだ携帯は手の平から滑り落ちてしまっていた。


 男の動作に麻希も気付き、振り返って二階を仰ぎ見ていた。進を抱きながら右手を振りかざすように上げる友人の姿に、柄支は正気を取り戻す。

 長身の男は、店の中へと進もうとしてた。麻希は止めようとしたようだが、あっさりと振り払われ、残りの三人に囲まれてしまっていた。


 まずい、と柄支は凍りつきそうになる身体を懸命に動かそうとした。警察に電話をしなければならないと思い、落とした携帯を探そうとテーブルの下を覗き込んだが、見つからなかった。

 床に落ちた携帯は、滑るように廊下の方までいってしまっていた。彼女は慌てて立ち上がろうとしたが、どうしたわけか膝に力が入らなかった。


 警察を呼ぶ前に助けを呼ぶべきだと声を出そうともしたが、それも駄目だった。まるで呼吸の仕方さえも忘れてしまったかのように、喉がうまく動かない。

 何かがおかしい、と思ったときには既に遅く、胸が苦しくなってくる。男の目を見たときから感じていた怖気は強まる一方で、身体に何か変調が起こっていることは明らかだった。


「……だ……れか……」


 無理矢理に絞り出そうとした声も、口の中を出る前に霞んで消える。懸命に立とうとするほど力は抜け、次第に意識さえもあやふやになりそうだった。


「――落ち着けよ、姉ちゃん」

「え……?」


 そのときだった。やや高めの声が柄支の耳元で響き、彼女の意識を引き戻した。


 赤いダウンジャケットを着た少年だった。

 見た目は中学生くらいで、柄支と背丈はあまり変わらない。特徴的なのは、いずれも天然である褐色の肌に白い髪だった。

 少年は左手で柄支の右肩を強く掴んでおり、右手には彼女の携帯を持っていた。彼は携帯を差し出すと、幼さの残る風貌に、どこか獣じみた笑みを浮かべた。


「ほら、深呼吸しな。抵抗がねーんだから、直接見たらそうなっちまうのも仕方ねーけどよ」

「あ……ありがとう……。君は?」


 柄支は携帯を受け取り、礼を言う。彼の言う通り深呼吸をすると胸の苦しさは嘘のように消え、身体に巡る血の感覚がはっきりとわかるまでになった。


「オレのことはいーんだ。訳あって説明するわけにはいかねーし、今はそれどころじゃねーからな」


 短く刈り込まれた髪を無造作に掻き乱しながら、少年は柄支の肩から手を離して背後を振り返る。そこには、既にフードの男が立ちはだかるように二人を見下ろしていた。

 男の姿を間近で見て、柄支は得も言われぬ不気味さに息を呑む。目元は隠れて見えないが、頬がこけており、肌も土気色。一言で印象を語るなら、生きているという感じのしない男だった。


「アンタ、いたいけな女子高生に何しよーってんだよ」


 少年の質問に男は答えず、壁のように佇んでいる。男の目は、少年を素通りして柄支へと固定されているようだった。


「無視かよ。んじゃ、質問を変えるぜ。アンタ、退魔省か? それとも、封魔省か?」

「え……? 君、それって」


 次の少年の問い掛けに、男ではなく柄支が反応した。そして、その彼女の動きに合わせたかのように、男が動き出す。

 ほぼ予備動作なしに、男はバネのように上半身を仰け反らせると、少年目掛け、ほぼ垂直に拳を振り下ろした。そこに感情らしきものはない。ただ、障害物を排除するがためだけの、破壊の一撃だった。

 おそらく初見では反応さえ許さないものであったはずだが、少年は予期していたのか、後方へと飛び上がり攻撃をかわした。

 結果、少年はテーブルの上に土足で乗り上げる形となり、食べかけのポテトや飲み物が盛大に撒き散らされてしまう。計算されたのかは不明だが、柄支の方への被害はなかった。

 くうをきった拳を引いた男は、フードに隠れた暗い瞳を、ようやく少年に向ける。


「姉ちゃん、こっちへ来い!」


 そして、少年が柄支に呼び掛ける。が、いきなりの展開に柄支は再び思考停止状態に陥っており、彼の声に反応を返せずにいた。

 それをもどかしく思った彼は、「じれってえ!」と舌打ち交じりの苛立った声をあげると、ひったくるように彼女の腰に片腕を回し、自分の右半身に引き寄せた。


「え!? ちょっと、君!?」


 少年の行為に石化の解けた柄支が声を上げる。彼女は両手をばたつかせたが、少年の力は強く引き剥がすことはできなかった。踵は宙に浮き、ほとんど肩に担ぎ上げられるような形になってしまっている。


「文句なら後で聞く! 今は逃げることが先だッ!」

「に、逃げる!?」


 彼は睨み合う男に背を向ける。その前には、一面に貼られた大型のガラス窓がある。


「とりあえず、顔は伏せとけよ!」


 言った瞬間、少年は窓に目がけて思い切り蹴りを放った。一瞬の爆音の後、粉々に吹き飛ぶガラスが飛散し、ぶつかり合う音が店内に鳴り響く。

 そのときになって、初めて店内にいる客も事態を把握したようだった。喧騒の中に驚愕の声と悲鳴が入り混じり、視線が柄支たちに集中する。


「じゃーな。逃げさせてもらうぜ」

「は!? ちょ、待って! ここ二階だからッ!」


 少年は男に言うと、風穴の空いた窓枠に足をかける。彼の行動の意味を知った柄支は、色を失って叫んでいた。

 しかし、彼は聞く耳を持たなかった。


「黙ってないと舌噛むぜッ!」


 言うが早いか少年は膝を曲げて弾みをつけると、勢いよく窓から地上へと飛び降りた。ふわりと重力を感じなくなったのは一瞬で、落下の速度に柄支の感覚だけが置いてけぼりを食らっていた。

 柄支は割れた窓を視界に映したまま、「あ、死んだかな」とどこか自分の状況を俯瞰する。しかし、それもまた一瞬で、突き上げるような衝撃に彼女の感覚は戻って来た。


 少年はワゴンの上に着地していた。というよりも、彼はワゴンに向けて二階から飛び蹴りを食らわせた、と言った方が正確だった。

 その小さな身体からどんな重さを発揮しているのか、ワゴンの屋根は突き破られんばかりにひしゃげ、フロントガラスには蜘蛛の巣のような亀裂が走っていた。

 金属とガラスの破砕音が混ざり合って不協和音となり、盛大に鳴り響く。その轟音に、通行人たちの視線は一挙にワゴンに向けられた。


「芳月ッ!?」

「ま、麻希ちゃん……、た、助けて……!」

「助けたのはオレだろーが! 一応味方だっつーの! とりあえず、アンタら伏せろ!」


 少年は柄支を放り出すようにワゴンの屋根から地面へ降ろすと、麻希と進に向けて叫ぶ。

 そして、彼は二人が行動を起こすのを待たずにワゴンから跳躍すると、二人を取り囲む男女に向けてもう一度飛び蹴りを放っていた。

 麻希は状況こそ理解不能に感じていたが、ほとんど進を押し倒すような形で地面に伏せる。

 次の瞬間には少年の蹴りが男の片割れの顔面に沈み、鼻と口から盛大に血を噴きながら、男はもんどりうって倒れていた。

 そして、男の顔面を踏み台にした少年は、そこから更に浅く前傾姿勢で飛び上がり、もう一方の男の首を右手で掴んだ。着地の勢いを利用し、そのまま男をコンクリートの上に叩き伏せる。


「立って走れッ!」


 ワゴンの前で放り出されたままへたり込む柄支と、伏せた麻希と進に少年は叫びながら、最後に残った女の一人に迫り、鳩尾に肘打ちを食らわせていた。


「い、いや、警察を……」

「そんなもん無駄だ! それに、不意をついただけた! これでくたばるほど、こいつらも軟じゃねーよ!」


 戦慄く柄支を少年がどやしつける。見れば、彼の倒した男二人は既に起き上がろうとしていた。店内に残してきた長身の男もいる以上、多勢に無勢は変わりない。派手に大立ち回りを演じているが、一人で四人を相手にするのは厳しいものがある。


「芳月、立てるか?」


 そして、状況判断は麻希の方が早かった。彼女は進を抱き起し、肩を貸しながら柄支の元まで早足で向かっていた。


「ご、ごめん。腰が抜けてる……」


 柄支は踏ん張って立とうとするが、膝が笑ってどうしようもなかった。流石の麻希も、二人を抱えて走れる程の力はない。


「……先輩、僕は大丈夫です……。行きましょう。ここは、彼の言う通りに」


 すると、進が呻くように声を漏らし、麻希から離れようとした。彼の顔はすっかり青ざめ、無理をしていることは目に見えて判るものだった。


「……わかった。芳月、掴まれ」


 だが、目で強く押され、麻希は後輩の気概を買った。今は、この場を逃れることが先決だと腹を決めた彼女は、柄支に背を向けて屈む。


「お、おんぶですか」

「ごちゃごちゃ言うな。さっさとしろ」


 有無を言わさぬ友人の迫力に、柄支は躊躇いながらも麻希の背にもたれるように身を預けた。麻希は立ち上がって柄支の身体を一度背負い直すと、彼女の太ももをしっかりと脇に挟んで固定した。


「おい、少年! どこに行けばいい!?」

「なるべく目立たねーところがいーが、とりあえずどこでもいい! 逃げることだけ考えろッ!」


 普通は逆じゃないのかと麻希は思ったが、二階から躊躇いなく飛び降りて来たことなどから少年が普通ではないことを薄々感づいてはいた。


「新堂、きつくなったら言えよ」

「はい。大丈夫です」


 ならば、常識的な考え方は一旦捨て、麻希は従うことにした。今は、疑問を差し挟む余地などない。

 彼女は先頭を切り、雑踏の中へ向けて走り出す。それを見た少年も、集団を牽制しつつ振り切り、並走することに成功した。


「君は、何者だ?」

「フェイだ。説明はできねーが、任務なら教えてやるよ。オレは、芳月柄支を守れって言われて来たんだ。それだけ信じてくれればいい」

「わ、わたしを?」


 繁華街を突っ切りながら器用に麻希に背負われる柄支を一瞥し、少年――フェイは眉を寄せて褐色の肌に白い歯を浮かべて見せた。


「ああ。なにせ、姉ちゃんに何かあったら、俺がぶっ殺されかねねーんだからよ」

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