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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第一部 死に損ないの再生者
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04 「闇夜の闖入者」

「それじゃあ、行ってきます」

「行って参ります」


 夕飯を終えて出掛ける準備を終えた真とハナコが、玄関先で揃って珊瑚に告げていた。


「はい、行ってらっしゃいませ……ふふ」

「どうしたんですか?」


 丁寧にお辞儀を返した珊瑚が、その直後に微かに笑みを漏らす。その様子に真が怪訝に眉を顰めて訊ねた。


「すいません。真さんが、『行ってきます』と挨拶をしてくれることを嬉しく思っておりました」

「そんな……反抗期の子供じゃないんですから挨拶くらいしますよ」

「へぇ、真さんはつい最近まで反抗期だったんですか?」

「それはもう、私も心を痛めていました」

「それくらいで勘弁してください。お前も余計なことを言うな」

「わたしは真さんのことを、もっと良く知っておきたいだけですのに」


 悪戯っぽく頬を緩める珊瑚に、バツの悪い顔をした真は視線を逸らしてハナコを軽く睨む。そんな二人の会話を楽しむように、珊瑚は笑みをより深いものとした。


「それはともかく、帰りは遅くなると思いますから構わず休んでいてください」

「承知しました。お気を付けて」


 そうして珊瑚に送り出され、真はハナコと共に出発した。


 夜道に自転車を走らせて住宅街を抜けて川岸に出ると、強めの風が頬を撫でる。少し肌寒く思いながら点在する街灯と自転車のライトを頼りに、真は漕ぐ足を強めた。

 闇を反映させたような暗い川の向こうには、開発区の街並みが輝いている。それは住宅街の家庭が放つ淡い光ではなく、夜を拒絶する、突き刺すような強い光だった。


「中々綺麗なものですね」


 ハナコの呑気な感想が背中越しに聞こえてくる。実際、彼女にとっては寒さも移動の疲れもないので景色を見ることくらいしかすることがないのだ。


「言っとくが、お前も働くんだぞ」

「わかってますよ。でなければ、わたしの存在意義がいよいよないですし。一緒にいる以上はお役に立ちます!」


 釘を刺すつもりで言った真の言葉に、気合十分とハナコは返す。


「変に構えることもないだろうけどな。何にせよ、やることは変わらないさ」

「わたしは真さんに従うだけですね」

「どの口が言うんだか」


 これから向かう現場は、数年前に火事があったという雑居ビルだ。

 真が凪浜市に引っ越して来る前の出来事であり、死傷者が出るという穏やかではない事件である。


 繁華街を外れた場所で人目に付きにくい場所にあるそのビルは取り壊すことが決定しており、その前に現場が安全であるかを確認することが今回の仕事の内容となっていた。

 何もなければそれで良い。だが、危険であれば原因を取り除くこと。それで仕事は完了する。


 そのまま十分ほど移動し、川を横断する大橋を渡る。夜間となれば大方の移動手段が車か電車となるため歩道には人がいない。

 真は遠慮なくペダルを踏む力を強めて勢いよく進んだ。程なくして橋の終点が見え、影を伸ばして立ち並ぶビルの群れが真たちを見下ろし始める。


 自転車を繁華街近くの駅前にある駐輪場に預けた真は、歩を進めて繁華街のアーケードをくぐった。

 人の流れと音が絶えず、雑然とした空気は静けさとは無縁だ。基本的に若者中心で、ゲームセンターをはじめとした娯楽施設が多く、二十四時間営業しているファミレスもある。

 何にせよ、学生が一人紛れていても違和感のない場所ではあった。真はバッグから取り出した地図を睨みつつ、件のビルの場所へと進んで行く。


「賑やかなものですね。人混みは落ち着きません」

「音が響くなら引っ込んでいてもいいぞ」

「いえいえ、せっかくの機会ですからこの目で色々と見ておきます。何が刺激になって記憶が戻るか分かりませんからね」

「そうか……。まあ、好きにしろ」


 人混みを眺めるハナコの横顔を一瞥して言うと、真は前に視線を戻した。


 幽霊と言えばこの世に対して何らかの心残り、未練、後悔などがあって留まっている存在というのが一般的な認識だろう。

 しかし、ハナコにはその記憶が欠けている。


「とはいえ、ろくな理由ではないのでしょうがねぇ」


 つまらなそうに言ってはいるが、彼女はあてどなく自身の記憶を探していた。

 今の名前は真が便宜上付けたものであり、本当の名前は思い出せていない。この若さで亡くなり自分の名前すらも忘れるとは親不孝にも程があると真は呆れたものだが、彼女自身もそれは大いに頷ける話だと思っている。


 だからこそ、自分の出自くらい思い出さなければ死んでも死にきれない。

 順序がおかしいが、それが未だ彼女がこの世に留まる理由の一つでもあるのだった。


「そろそろだな」


 しばらく歩いたところで真は小さく呟き、通りを外れた細い道に入る。途端に明かりが失せ、覆い被さるような闇夜が二人を出迎えた。


「いかにもって感じの裏道ですね……」


 こんな所は意識しなければ誰も通ろうとはしないだろう。ビルとの間にある隙間のような道だった。

 メインの通りから漏れる微かな明かりを頼りに進んで行くと、程なくして道は終わって少し開けた空き地のような場所に出る。


 その一角に、朽ち果てたビルが佇んでいた。


 このような場所で営業が成り立つのかと疑問を感じずにはいられないが、そこに需要を持つ店が入っていたと見るべきなのか。

 放置されたビルは廃墟然としており、かつて入口だった自動ドアのガラスは砕かれてぽっかりと口を開けている。


 入口前に立って真はビルを仰ぎ見た。肌を撫でる夜風に微かな焦げ臭さを感じたのは、果たして気のせいか。

 良くない空気だと直感が訴えている。


「ハナコ、霊視できるか?」

「はいはい、少しお待ち下さいね」


 呼び掛けに返事をし、ハナコは一度下から上へとビル全体に視線を走らせた。そして、表情を引き締めて集中する。

 すると、火が灯ったように彼女の黒い瞳が青白く揺らめき始めた。


「……五階に霊の気配ありです。後、屋上ですね」

「形はどうだ?」

「うーん、ここからだと視界が悪くて何とも。なんなら見てきましょうか?」

「いや、とりあえず数が判っただけで十分だ」


 真は片膝をついて荷物の中から自室で用意していた木箱を取り出す。


「警戒態勢ですね」


 自然とハナコの声が緊張したものになる。真は蓋を開け、その中身を手にした。

 それは、一振りの短刀だった。刃はなく、全てが木製である。

 木箱をしまって短刀を右手に立ち上がった彼は、一度目を閉じて静かに息を吐いた。


「よし……、行くぞ」


 開かれた真の瞳はハナコと同様に青白い揺らめきを灯していた。正確には、彼自身の霊気で視覚を強化したのである。


 真は一歩ビルに足を踏み入れる。建物内の電灯は当然壊れており真っ暗ではあるが、強化された視覚はそれを問題としていない。


 おそらく瓦礫などはある程度撤去されたのだろう。火事の際に焼け落ち、鉄骨が剥き出しとなった天井や煤けて変色したコンクリートの壁など廃墟らしい有様ではあったが、散らかっていないという意味では綺麗なものだった。


 最初の目的を五階と定め、そこまでを一通り見回ることにする。幸い屋内にある非常階段が使えたので、問題なく移動はできた。

 各階のフロアの構造は同じであり、廊下を軸に各部屋が並んでいるだけだった。ビルの裏手となる廊下側には窓がなく、お世辞にも開放的とは言えない造りとなっている。


「ここまでは問題ないな」

「霊の残滓っぽいのは見えますけどね」


 四階の最後の一室の検分を終えたところで、二人の会話が闇に響く。


「死者が出たって言う話だから多分それだろう。五階の奴か、屋上の奴が取り込んでいたら面倒かもしれないな」

「えっと……、取り込むとは?」


 何気ない真の言葉に首を傾げるハナコに、彼は怪訝に顔を顰めた。しかし、すぐに「そうか」と思い当たって呟く。


「お前は霊体のくせに、霊のことを詳しくは知らないんだったな」

「そりゃ、もとは一般人のわたしにそんな知識を求められても困りますよ」


 ハナコは真の理不尽な言い草に頬を膨らませて抗議した。


「……まあいい、今は調査だ」


 真は一瞬考えかけたが話を打ち切って先に進むため歩き出す。ハナコも憮然としつつも彼の背中に追従した。

 二人は非常階段で五階へと上り、廊下へと続く扉の前に立つ。これまでと比べると空気の淀みが大きくなっており、真の胸は息苦しさに重くなっていた。


「ん、これは……?」


 そして、彼は扉の前に何かが落ちていることに気付く。屈んでみると、コンビニの袋らしかった。


「最近人の出入りがあったんですかね……?」

「わからないが、良い予感はしないな」


 中には飲み物とスナック菓子。見るからに新しく開封もされていない。少なくとも、ゴミを捨て置いたというわけではなさそうだった。


「とりあえずは、先に進むぞ」


 判断材料がない以上は立ち止まっていても仕方がない。右手の短刀を持ち直して周囲の警戒を強めながら、真は非常扉のノブへと手をかけた。


「――ッ!」


 が、すぐに異変に気が付いて反射的に手を離す。額から冷や汗が一気に噴き出し、自然と足が半歩下がった。


「ま、真さん?」


 固まった真の顔をハナコが覗き込む。彼が何かを感じとったことを察して扉へ視線を向けたところで、ようやく彼女も空気の変化に気が付いた。


「なんだか、熱い感じがします?」

「ああ……とにかく、行くぞ」


 覚悟を決めて再度ドアノブを慎重に握ると、焼けるような熱を手の平に感じる。それも錯覚だと割り切りながら歯を食い縛って扉を引くと、軋みを上げて開くその隙間から赤い光が漏れだした。

 まずいと思ったときには既に手遅れだった。扉を内側から一気に押し開ける熱風の圧が真を襲う。その勢いに負けて、彼は思わず尻餅をついていた。


 ハナコが何事か叫んでいるようだったが、ごうごうと空気を貪る咀嚼音にかき消され、彼の耳には届かない。

 全ては暴風に呑まれて流されていく。直線状に伸びる廊下は膨大な熱を持った炎の海と化していた。


 燃えて、溶けて、崩れて、ただ潰される死の音だけがそこにある。

 人の声などするはずもない。この中で助けを呼ぼうとした瞬間、喉は焼かれる。逃げようとする足も即座にその機能を失うはずだ。


 真は気圧されそうになった心を奮い立たせて立ち上がる。風は止んだため、なんとか目の前の光景を直視することはできた。


「真さん、これは……」

「騙されるな」


 動揺するハナコを庇うように、真は彼女の前に立つ。


「熱は感じるか?」

「は、はい……」


 ハナコは息苦しそうに表情を歪ませていた。それで真は、この現象の正体を確信する。


「行くぞ」


 そして一言告げて、勢いを衰えさせない業火の中へと躊躇いなく足を向けた。


「え、正気ですか!?」


 ハナコが止める間もなく、真は廊下へと足を一歩踏み入れる。

 そして、また一歩と問題なく前へと進む。燃え盛る炎は容赦なく彼を呑み込もうとするが、それらは彼を焼くことはなかった。


「ハナコ、お前は俺の中に一旦戻れ」

「は、はい!」


 言われ、ハナコはその場から姿を消す。すると、真は自分の胸の奥当たりに彼女の鼓動らしき熱を感じた。


「真さん……これは何が起こっているんですか?」


 そして、彼と一体となったハナコの声が同じく身体の奥から響いてくる。


「これは霊の魂が見せている記憶みたいなものだ。肉体のないお前の方が影響を受け易い」

「肉体と霊気――でしたっけ?」


 先ほどの霊に関する話の続きではないが、ハナコはそう訊ねていた。真は頷きながら、炎渦巻く廊下を進む。


「あとは魂だ。俺たち退魔師は、生命を大きくその三つの構成で分けて考えている」


 肉体は言うまでもなく、己の意志を示し体現するための器と成り得るもの。


「霊気っていうのは、生命力とか気力の概念で言えば解り易いだろうな。魂はその更に奥、霊気の源であり貯蔵場所とされている。魂が霊気を生み、霊気が肉体を支えているという関係だ」


 前に進むにつれて炎の勢いは更に増すが、真の足取りに乱れはない。


「魂から生み出される霊気の総量は生きている時間と共に減っていく。霊気の尽きた魂は肉体と共に死に至る――寿命ってやつだな」


 ハナコは黙って彼の話を聞いていた。これは、彼女自身の話にも直結すると感じていたためである。


「肉体、霊気、魂は密接に繋がっている。一つが尽きれば連動して他も死ぬんだ。それでも、不慮の事故なんかで例外が生じて、霊気がその場に留まって死んだはずの魂を捕えてしまうことがある。それが霊体と言われる状態だ」

「つまり、わたしのことですね」


 そういうことだな、と真は頷いて続けた。


「死んだ魂に意志はないが、霊気は肉体を動かしていたときの名残がある。その者にとって一番想念が深い場所なんかで現れることが多い。事故死の現場なんかに霊が出るっていうのは、悪い意味で一番印象深い場所ってことなんだろうな」


 廊下の中ほどまで到達したところで彼は立ち止まる。そこには、壁の崩れた一室があった。


「そして、肉体を失った霊同士は混ざることがある」


 言いながら真は部屋の中へと入る。

 その奥には、炎の中でなお鈍い赤銅色の光を放つ何かがいた。


「さっき取り込むって言ったのがそれだよ。単純な足し算ってわけでもないが、混ざり合った霊の力は大きくなる」


 それは、鋳造される金属のように煌々と輝く、男女の区別さえもできないが辛うじて人と判別できる形を保った霊だった。

 部屋へと入った真に気付いたのか、顔らしき部位が動く。その中ほどに窪んだように空いた二つの穴が彼へと向けられていた。


 はっきりと、お互い目が合ったと認識する。


 炎に食われる流れとは別に空気が揺れた。

 ひゅうひゅうとただ漏れるような声にならない叫びを上げながら、その霊は燃える四肢を広げ真へと襲いかる。


 真は暗い眼窩の奥にある感情を読み取り、霊気に刷り込まれた凄惨な記憶の一部を追想した。

 焼け焦げ爛れ崩れ落ちる肌に、目、鼻、耳という身体の穴は塞がれ、熱に侵された内臓は炭と化している。

 身体として機能する部分は一分たりとも残されてはいない。もはやこれは息をしているだけの肉の塊だ。

 助かる見込みなど万に一つもありはしない。

 ただ、それでも――最後まで救いを求めていた。


「真さん……これ以上は!」


 触れられる目前となり、ハナコの叫び声が真の意識を突き上げる。彼は右手の短刀を強く握った。


「悪いな!」


 一歩後ろへと飛びずさる真を、霊は愚直にも追い縋ろうとする。そこへ、彼は上段から斜めに短刀を振るった。

 青白い霊気の軌跡が描かれ、燃える霊の胸を裂く。霊体を削り取られたその霊は、悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。


 真の短刀は、彼の霊気に覆われて仄かな輝きを放っている。

 肉体を動かすための霊気を意図的に操り、武器に付与することで霊に対する攻撃を可能としている退魔の技の一つだった。

 霊気は物理的に肉体に干渉できないが、霊気同士がぶつかりあえば弱い方が食われるのである。


 そして、削り取った霊の深部に真は目的のものを見つけた。彼は霊気を集中させた左手を振り被り、一直線に貫くようにしてそれを鷲掴みにする。

 その瞬間に、霊の身体を構成していた霊気とともに炎の景色が掻き消えた。熱の余韻はある気がしたが、身体を焦がすような熱は引き、室内は階下と同様暗い空間へと戻っていく。


「……もう出て来ても大丈夫だぞ」

「わかりました……あの、それはもしかして」


 恐る恐るハナコは真の背後に姿を現すと、彼の左手に収まったものを見て言う。


「ああ、今の霊の魂だ」


 鈍色に深く沈んだ球体のようなもの。完全に沈黙したそれは、死を迎えたことを主張しているかのようである。


「こいつに刻まれていた記憶が、霊気を通じて俺たちにあんな光景を見せていた。お前にも熱さを感じていたのは、そういうわけだ」


 肉体で触れることは出来ずとも霊気同士なら可能ということ。

 故に、炎は実体を伴って真の肉体を焼きはしないが、代わりに彼の有する霊気を蝕もうとしていたのである。


「記憶って言いましたけど……じゃあ、今までのは……」

「たぶん、二年前に起こったっていう火事なんだろう。最後に見た景色がこんな地獄だなんてな」


 真は今しがた追想した記憶を思いながら、左手に握った魂を軽く放り投げるように手放した。


「次は迷うなよ」


 宙に浮かんだ魂は微かに揺らめきを見せる。そして、静かに形を砂のように崩して消え去った。

その残滓が消えるまで見送った真は、一息吐いて振り返る。


「……ついでに説明しておいてやる。これが魂の回帰させるための『浄化』という行為だ」

「ええと、回帰って何です?」

「輪廻転生って言えば解るか? 平たく言えば生まれ変わりとも言うが」

「あー、はい。なんとなくは」

「そういうことだ。この世に留まっている魂を正しく次の生に導くこと。そして、今みたいに肥大化して人に害を及ぼすようになった霊を未然に浄化することも、活動の目的になる」


 霊が混ざり合い、より強大になったものは人の目に触れやすくなる。霊など存在しないと思っていても、一度見てそこに存在すると認めてしまえば話は別だ。

 認識するということは相手からも同じくみられるということだ。互いが存在すると意識を持てば、そこには干渉が起こる。


「悪霊と言えば解り易いかもな。基本的に生者の方が霊気は強いし取り込まれることはない。精々背筋が寒くなったとか、視線を感じるとかそんなレベルの干渉で終わるが……今みたいなやつは例外だ。放っておけば生者の霊気さえも食われ、肉体が乗っ取られることもある」

「そうなると……どうなるんです?」

「その前に動くのが俺の仕事だ。そろそろ行くぞ」


 真は短く首を横に振り、部屋を後にした。まだ屋上の検分が残っている。気を抜くにはまだ早かった。


「待ってくださいよ!」


 ハナコは慌てて彼の後を追いかける。が、真は廊下の途中で足を止めていた。


「真さん、どうかしましたか?」


 彼は眉間に皺を刻み、天井を――正確にはその先にある屋上を睨んでいた。


「霊の気配が消えている」

「え?」


 ビルに入る前の見立てでは、屋上にも霊がいるはずだった。だというのに、間近に迫った今、屋上からは何の気配も感じられない。


 この階で霊とやり合っていたこともあって気付けなかったのだろうが、これは明らかに変だ。


 真は自身の油断に舌打ちし、急ぎ足で進み非常階段の前まで行く。遅れて付いて来るハナコを振り返り、彼は無言で頷いて階段を上り始めた。


「すいません。気が付かなくて……」

「いや、大丈夫だ。ひとまず慎重に行くぞ」


 崩れ落ちている扉を抜けて屋上へと出ると、開発区のビル群の明かりに照らされた夜空が見えた。

 裏道に位置する場所のため、そこまで開けた場所と言うわけでもない。周囲は背の高いビルに囲まれているため、むしろ閉塞感の方が強かった。


「――どうも、こんばんは」

「なに?」


 と、二人が出て来るタイミングを見計らったかのように、場違いなほど呑気で明るい声が唐突に響く。


 それが女性のものだと気付き、真は顔を向けた。

 夜の闇の中に、黒い出で立ちをした何者かが立っている。


「真さん……あの人!」


 真は背後でハナコが息を呑む気配を感じる。彼は彼女の視線の先を辿り、絶句した。

 声の主は、咲野時現。

 彼女は足元で気を失っている芳月柄支を見せつけながら、夜の影を背負うようにして二人を出迎えた。

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