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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第三部 魂の帰郷
58/185

14 「三つ巴の邂逅」

 山を背にして広がる巨大な池の向こう側に、白い建造物が見え始める。

 真たちを乗せた車は南下を続け、京の市内へと戻って来ていた。中心からは離れた、やや北寄りの位置にある、とある会館が会談の舞台だった。


 直径百メートル以上はある池の周囲は、山が近いこともあり、自然林を活かした公園になっている。

 団地の脇にあるような規模ではなく、カフェやレストランが建ち、ジョギングコースまである広いものだ。野鳥の観察なども行われており、四季折々の緑の変化も楽しめるようになっている。

 今日は日曜であることもあり、それなりに人が集まっているようだった。真は車中から、世界から隔絶されたような気分で、どこか遠くに見えるその光景を眺めていた。


 会館は、池に隣接する形でそびえていた。公園の喧騒から離れ、ひっそりとした静けさを保ちながら、優雅に地上を見下ろしているかのようである。

 本館に当たる棟の正面玄関に車は停まり、真たちを降ろすとそのまま去って行った。おそらく目立つため、別の場所で控えることになっているのだろう。


「時間的にはギリギリですね。申し訳ありません、昼食を取っている暇はなさそうです」


 腕時計で時間を確かめたラオが、少し眉を寄せた顔で謝罪した。彼の時計は十二時半を過ぎた頃であり、会談は午後一時を予定していた。


「いいですよ。そんな気分にはなれませんからね……」


 田舎と異なり、市内は雪が積もっておらず晴れやかなものだったが、真の気持ちは鉛色である。

 それは同行の二人も同じで、車から降りた珊瑚は警戒心を露に周囲に気を巡らしていた。ハナコは、これから会う要人たちに対してではなく、どちらかといえば珊瑚の様子におっかなびっくりしているくらいだった。


「では、参りましょうか」


 ラオに先導される形で、真たちは正面から建物の中に入る。受付らしきカウンターはあったが、完全に素通りだった。

 天井の高い廊下を歩くラオの様は堂に入っており、場慣れしていた。真は自分で言うのも悲しいものがあるが、退魔省なんて常識的に考えれば胡散臭いことこの上ないと思っていたため、その点は意外だった。


「不思議なことはありませんよ。私の表の顔は、とある商社の若き支社長ということになっていますので」


 訝しむ真の顔がおかしかったのか、ラオは歩きながら話し始めた。


「他の二組織と違って、退魔省は世間に迎合した組織ですから。いわゆる、表と裏を使い分けているのですよ」


 宴会場や大きな会議場などもあるようだったが、ラオはエレベーターで五階まで上がり、その先にある両開きの扉の前まで真たちを案内した。

 扉の前には警備のためか若い男が立っており、真はそこで担いでいた木刀を預けた。ここから先は、得物を見せびらかすような真似は慎めと言うことなのだろう。


「人数も少ないですから、会場を借りるほどでもありませんでした。ですが、眺めは中々のものですよ」


 警備の男が扉を開け、真たちは部屋の中に通される。

 中央には四角いガラステーブルが置かれており、四方を囲む形でソファが並べられていた。そして、入口正面と左側はガラス窓になっており、庭園をはじめその先にある山々を望むことができる造りになっている。

 現在、山は雪化粧で白く染まっている。これも、四季に応じて景色は顔を変えるのだろう。

 しかし、見応えがあることは認めるが、呑気に風景を楽しむ余裕が生まれるはずもない。真が壁の時計をみると、予定時刻の十分前となっていた。


「ラオさん、会談の前に、最後の質問をしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、なんでしょう?」


 と、ここまで黙っていた珊瑚が、ラオに向き直り訊ねた。ラオは頷き、彼女の質問を受け入れる姿勢を見せる。


「この建物に、私たち以外の来客はいないのでしょうか?」


 受付からここに至るまで、珊瑚はラオの後に続きながら周囲の観察を怠らなかった。制服を着たスタッフらしき男女は数名見かけたが、ラオのように背広を着た来賓らしき人物はついぞ見かけなかったのである。

 もちろん、たまたまということもあるだろう。しかし、彼女はある程度の確信をもって訊ねていた。

 この建物は、あまりに静か過ぎるのである。

 それは決して静謐なものではなく、まるで口を開けた巨大な怪物の胃の中に、知らず迷い込んでしまったかのような、粘性を帯びた不気味な静けさだった。

 ともすれば、死へと誘われるような、不穏さすら感じさせる程に。


「ええ、人払いはしていますよ。あえて言う必要はないと思いましたが」


 それが何か、と言わんばかりにラオは首を傾げる。珊瑚は彼の態度に納得がいっていないようで、なおも続けた。


「そこまでする必要があったのですか?」

「さ、珊瑚さん、流石に穿ち過ぎではないでしょうか? 気を遣って頂いただけのことかもしれませんし……」


 珊瑚のらしくもない剣呑な雰囲気に、堪り兼ねたのかハナコが横槍を入れた。ハナコもこの短時間でラオのことを完全に信用しているかといえばそうではないのだが、あからさまな疑いを向けるのは抵抗があった。


「ねえ、真さん。そうは思いませんか?」

「……まあ、会談の作法なんてわからないが、そっちがその方が良いっていう判断でしたことなら、とやかく言う気はないが……」


 真も珊瑚の気の張り方は普通ではないと思っていたため、杞憂であって欲しいという願望もこめてそう返した。


「――甘いのう」


 だが、彼の言葉に、断じるような嘲笑を含んだ声が被せられた。

 振り返った真は、ぎょっとする。

 部屋の入口に、幼女と巨漢が立っていた。


小童こわっぱども。悪いことは言わん。そこな狐の言うことは、信用せぬ方が身のためじゃぞ?」


 フリルの散らばった裾の広い、目を突き刺すようなワインレッドのドレスを身に纏った幼女が、蝋のように白い肌に溶けるような笑みを刻み、血色のまなこで室内を睥睨した。

 言葉を失った一同の顔を見て笑みを深くすると、彼女はドレスと同色の底の厚いブーツを絨毯に沈めながら歩き出す。

 その後に続くのは、鍔広の帽子を伏せて顔を隠す、全身黒づくめの恰好をした巨漢だ。二メートルを超える外見からは見合わぬ繊細な足取りで、幼女の後ろを寸分たがわず一定の距離を保っている。


 彼女は当然のように入口正面の上座に置かれたソファへと向かい、深く腰掛けて優雅に足を組んで見せた。

 座った勢いで、波打つ紫水晶の輝きを誇る髪と、そこにあてがわれた薔薇の造花がついたヘッドドレスから、甘い香気が放たれる。

 巨漢はソファの背後に無言で立ち、そんな彼女の影であるかのように佇んでいるだけだった。


「真さん、ハナコさん。呑まれてはいけません」


 半ば呆然とする真とハナコの耳元で、囁くように珊瑚が言った。彼女の言葉に、二人は夢から覚めたように目を見開く。気が付けば、真は背中にじわりと冷たい汗を感じていた。


「封魔省総長、シオン様ですね」


 いきなりの訪問者にラオも驚いた様子であったが、すぐに気を取り直してソファでふんぞり返る幼女に対し、慇懃な礼をした。

 彼女はどう見ても子供で、背も真の胸ほどまでしかないが、この場に現れるという時点で無関係であるはずがない。それは真とハナコにも理解できてはいた。そもそも恰好からして、常識の埒外である。

 それでも、ラオの問い掛けには、まさかという思いはあった。

 頭を下げたまま、ラオは右手を差し出して握手を求めようとした。しかし、次に幼女が取った態度は、礼を尽くしたかに見える相手に対し、不遜極まるものだった。


「まずは名乗れよ、小僧」


 彼女はラオの下げた赤銅の頭をつまらなそうに見つめ、失笑した。どころか、純白の手袋をはめた右手を持ち上げたかと思うと、差し出された彼の手を払いのけたのである。

 室内の空気が一段どころか、氷点下まで下がったのではないかと真は錯覚した。幼女は相手を見上げながらも、完全に上から目線である。そして、その振る舞いが間違っているとは、微塵も思っていない。


「……失礼致しました。お許しください」


 ラオは手を引き、改めて自らの名と役職を述べた。幼女はそれで満足したのか、赤い口内を見せて「はっ」と声を漏らした。


「まぁ、よかろう。いかにも、妾が封魔省総長――シオン・ラダマンテュス」


 結局握手には応じず、尊大な幼女は足を組み直して告げた。

 その名は質量を伴い、粘り付くように真たちの胸に刻まれる。


「こやつはエクス。碌に喋らんから、置物と思えばよいぞ」


 そして、シオンは振り返ることなく、事のついでのように背後に控える従者を紹介した。

 主の紹介を受けても巨漢は微動だにすることなく、本当の置物にでもなったかのように存在感を消していた。彼に握手を求めても無駄だろうとラオは見切りをつけ、短く首肯して「よろしくお願い致します」と言うに留めた。


「で、そこな小僧、小娘よ」

「――!」

「あ……」


 興味を目の前のラオから反らしたシオンが、真とハナコへ顎を向ける。彼女の笑みに曝され、視線が交わった瞬間、二人の全身は竦んでいた。


「どうした? 借りて来た猫ではあるまい。口がきけんのか?」


 シオンはソファの肘掛けに右肘を立て、頬杖を突きながら笑みを濃くする。それは、面白い玩具を見つけ、虫を潰す子どもが浮かべる残酷なものだと、真は連想した。

 距離を置いて見上げられているのにも関わらず、巨大な影に覆われるような重圧に喉がうまく動かない。


「――戯れもそこまでにしてください」


 そのとき、守るように珊瑚が二人の前に進み出た。間に割って入られたことで視線が外され、二人に掛けられていた圧が和らぐ。


「珊瑚さ――」


 真は再開した己の鼓動を煩く感じながら、珊瑚に声をかけようとした。しかし、彼の声は彼女と対峙するシオンの気に、呆気なく呑まれた。


「人の話に割って入るとは躾のなっておらん犬じゃのう。下がるがよい。おまけに興味などない」

「二度も悪戯に圧力をかけるなど、不調法なのはそちらでしょう。場を弁えたらいかがですか?」

「ほう……?」


 シオンは秀麗な顔の左半分を吊り上げ、瞳に冷たい輝きを宿す。言葉の圧に対し言い返されたことが意外だったのか、彼女はようやく、まともに珊瑚を視界に捉えたようだった。


「ささ珊瑚さん! や、やめましょう! 喧嘩をしに来たわけじゃないんですから!」


 と、息詰まる空気に限界を感じたハナコが、舌をもつれさせながら必死の形相で訴え始めた。ハナコの身体はまだ竦みから解けきっておらず、あわあわと口を震わせている。


「千島さん。どうか下がってください。シオン様も、ここは引いて頂けますでしょうか? 彼らとの対話の場は、後程設けさせていただくつもりです」


 そこへラオが助け舟を出したつもりなのか、両者の間に立ち、そんなことを言い始めた。


「なにせ、まだ会談は始まってもいないのですから。事を急ぐこともないでしょう」


 彼は言って目を細めると、部屋の入口に向けて深くお辞儀をした。つられて全員がそちらに視線を向けると、そこには新たな来訪者が二人いた。


「どうやら、お揃いのようですね」


 軍人然とした濃紺の衣装をまとった偉丈夫が口を開き、室内に視線を走らせた後に一礼すると、中に足を踏み入れてきた。

 灰色に染まった短い髪と口元に刻まれた浅い皺は年期を感じさせ、黒い眼光は鋭く、泰然とした様は彼が歴戦のつわものであることを物語るには十分な空気を醸し出していた。


 そして、彼の後ろに控えるのは、下はタイトなスカートだが、同じデザインの衣装を着た士官風の美女だった。

 身長は一般男性よりもやや高い。陶磁の如き白い肌に、肩程まで伸ばされた煌めく白金の髪。細い眉に伏せがちな灰色の瞳が、どこか物憂げな色を湛えていた。


「滅魔省より、芳月清言。お集りの皆さま、此度の会談、どうぞよろしくお願い申し上げます」

「……同じく、レイナ・グロッケンです。お見知りおきを」


 芳月清言。

 その名を聞いた真の鼓動が、一つ跳ねる。

 芳月柄支、沙也姉妹の叔父。刺客をけしかけられた経緯もあるため、どのような人物かと思っていたが、第一印象はそれほど悪いものではなかった。

 もっとも、油断ならない相手であることは確定しており、見た目の評価がどこまで当てになるのかは言うまでもないことなのだが。


「おい、お主らの名前などどうでもよい。首領はどうした?」


 美しい一礼とともに名乗りを上げる滅魔省の二人だったが、そんな二人を歯牙にもかけない物言いをシオンが放った。問われた清言はシオンに向き直り、臆することなく返答する。


「申し訳ありませんが、首領は出席致しません。私が代理という形を取らさせて頂きます」

「代理とは、異な事を言うものじゃな。封魔省こちらは、総長である妾が出向いておるのじゃぞ? ならば、滅魔省そちらも相応の立場を寄越すのが礼儀じゃろうが」

「御冗談を。あなたと首領が会えば、話し合いどころではなくなるのは目に見えています。しかし、あなたがそう言うであろうと予見はされておりましたので、書状を預かっています。レイナ、お渡ししろ」


 清言は顔を振り向かせ、控えるレイナに指示を出す。彼女は何か言いたげに微かに目を彼に向けたが、懐から折り畳まれた書状を取り出し、ソファから立とうともしないシオンの前まで進み出た。


「お納めください」


 シオンがその書状を受け取ると、レイナは清言の後ろへと戻る。書状を広げたシオンは、ざっとその内容に目を走らせ、つまらなそうに口元を歪めた。


「なるほど……ヨシヅキ、つまりお主は、お主らの首領と対等な立場として、正式に妾と相対することを任されたというわけじゃな」

「ご理解いただけましたか?」

「致し方あるまい。しかし、相応の覚悟あってのことじゃろうな?」

「もちろんです。身に余る大役ですが、果たさせて頂く所存です」

「ふん」


 そこでシオンは鼻で笑うと、おもむろにぐしゃりと左手で書状を握り潰した。見れば、彼女の純白の手袋が血色の霊気に染まっている。

 霊気はまるで炎のように書状に広がり、ぐずぐずと腐敗するかのように紙を朽ちさせていった。やがて滓となった紙片が絨毯へと散らばり落ち、その滓さえも跡形も残さず消え果てる。


「妾の名において、認めよう」


 彼女がそう短く告げた時には、手袋は穢れのない白へと戻っていた。


「……では、芳月様もお掛けになってください。定刻は過ぎました。会談を始め――」

「いや、待て。まだじゃ」


 両者のやり取りは平和裏に済んだかと思い、ラオがそう切り出そうとした。だが、またしてもシオンが話の腰を折りにかかってきた。


「シオン様、まだ何か不服がおありですか?」


 流石に少しばかりうんざりとした色を笑みに滲ませながら、ラオが訊ねる。彼女は席に着こうとする清言に底意地の悪い笑みを向け、言った。


「妾を待たせたことに対する詫びがなかろう。立場が対等であろうと、それなりの礼儀は見せよ」


 その要求には、ラオも呆気にとられた様子だった。清言らは遅刻したわけではないし、彼らに非があるわけではない。

 ただ、シオンは自分が先にこの部屋に着き、待たされたことが不愉快だから謝れと言っているのだった。


「封魔省総長、控えなさい」


 そんな言い掛かりにもなっていないような無茶苦茶な要求に異を唱えたのは、清言ではなく彼の後ろに控えるレイナだった。

 彼女の冷たい美貌には変化こそなかったが、透き通る声には静かな怒りが込められている。


「控えろとは、どういうことじゃ?」


 レイナを見据えるシオンの瞳が細められる。が、物怖じすることなく、むしろ怒りを更に募らせた声で、彼女は言葉を紡いだ。


「……幼き頭にもわかり易く申し上げましょう――調子に乗るなと言っている」

「――」


 音もなく、美貌の女士官の言葉は引鉄を引いた。シオンはしばし言葉を失くし、理解不能なものを見るようにレイナを凝視していた。


「……かっ」


 そして、漏れ出た凄絶な哄笑が、室内を閉じ込めた。


 瞬間、まずい、と真の本能が警鐘を鳴らした。だが、時すでに遅く、強烈な衝撃が彼の脳髄を揺らした。

 衝撃は一度ではなく、立て続けに二度、三度と繰り返され、彼の意識を粉々に砕かんばかりに鳴り止むことはなかった。


「――が……!」


 視界はドス黒い血色に染まり、何も見えなかった。

 足元が存在するのか、肉体が維持できているのか、意識がある以上生きてはいるのだろうが、真の意識はそれすらもあやふやで掴めない。

 なんとか痛みに抗おうと意識を総動員しようとしても、集めた先から砕かれる。やがて思考をするための細胞も軒並み殺され、魂までもが――。


「真さん!」


 真は右手に力強く絡む指の感触に、飛び出さんばかりに目を見開いた。気付けば、珊瑚がきつく彼の右手を握り締めていた。


「接続を開きます。どうか、お気を確かに」


 言うや否や、珊瑚の霊気が手の平を通じて真の中へと流れ込み始めた。細切れになりかけた彼の意識は、彼女の霊気に守られるように徐々に形を取り戻し、どうにか息を吹き返す。

 真の背後で蹲っていたハナコも、彼が意識を取り戻すことで腰を上げるまでに持ち直した。気を抜けば震え、崩れそうになる膝を気力で支えながら、二人は言葉を発することも出来ないままに、場の状況を確かめようとする。


「お二人とも、直視しないことをお勧めします。また、食われますよ」


 だが、それをラオは封じるように、二人の前に背を向けて立ち塞がった。同時に、真の頭の中を駆け巡っていた衝撃も薄らいでいく。


「まったく、話し合う気があるんでしょうかね」


 ぼそりと苦笑交じりに呟いたのは本音なのか。そうは言いつつも、まだ余裕を崩そうとしないラオは、場の進行という役目をまだ捨てる気はなく、状況を見極めようとしていた。


 しかし、状況は既に終息に向かっていた。


「やめろ、レイナ。話し合う前からこじれさせてどうする……。総長殿、非礼をお詫び申し上げる。許して頂けるだろうか?」」


 清言が部下を咎め、シオンに向けて頭を下げる。それで、彼女が発する気はいとも簡単に消え去っていた。

 そもそもが戯れであったのか、さほど気分を害した様子もなく、彼女は頬杖を突いた姿勢を崩すことなく首肯する。


「かっ……、命を拾ったのう小娘。温情で一度は聞き逃してやるが、次はないと思え?」


 シオンに酷薄な笑みを向けられたが、レイナはそれに応えず、席に着く清言の背後に静かに佇むだけだった。


「さて、総長殿。私はあなたに非礼を詫びましたが……」


 そして、清言は微笑を湛えながら、口を開いた。


「であれば、あなたにも一つ詫びねばならない相手がいると思いますが、いかがでしょうか?」

「なんじゃと?」


 疑問の声を上げるシオンに対し、清言は真たちの方へ顔を向けた。


「彼らは、この国で暮らす私の姪を助けてくれた恩人でしてね。そんな彼らに、あなたは圧をかけた。少々遊びの範疇を逸脱しているでしょう」

「……お主の顔を立てよと、そう言うのか?」

「一言で結構ですよ。ただ、それすらも出来ないと言うのでしたら、こちらも、あなたのことを相応に評価するだけです」

「小癪な……。じゃが、よかろう」


 シオンは面倒そうに鼻を鳴らすと、清言と同じく視線を移した。


「小僧、小娘、こちらへ来い」


 そう言われ、真とハナコは顔を引きつらせた。こちらへ来いとは、今しがた壮絶な殺気を放ったこの幼女の前に、のこのこと出向けと言う事なのか。

 真は珊瑚を横目で見る。何を馬鹿なことを言っているのだと言わんばかりの表情だった。


「安心するがよい……もうせぬよ。これ以上は、そこの狐が痺れを切らすじゃろうからな」


 シオンはおどけるように肩を竦めた。しかし、そんなポーズをされたところで安心できるはずもない。

 だが、ラオはふと溜息をつくと振り返り、すまなさそうな顔で真たちを見た。


「真さん、ハナコさん、申し訳ありませんが応じてください」


 いきなり梯子を外されたような状況になり、真は絶句した。ハナコも見るからに狼狽している。彼の右手を握る珊瑚の力も、強くなろうというものだった。


「あの方は気分屋ですが、自分の言葉を曲げることはしません。千島さんも、ご理解ください」


 珊瑚は険しい顔でシオンを睨むように見たが、当の本人は相変わらず珊瑚のことなど気にもかけていない様子だった。

 確かに、珊瑚の目から見てもシオンの纏う威圧は消えていた。今の彼女は、派手な格好をした異国の幼女ということなのかもしれない。しかし、それでも危険人物には変わらないだろう。


「……珊瑚さん、ありがとうございます。でも、行きますよ。まだ、何も始まっていないんですから、ここで躓くわけにはいかないでしょう。ハナコも、いいな?」

「う……は、はい。真さんが言うのでしたら……」


 ハナコも観念したのか、声を上ずらせながらも、気丈に頷いた。真はゆっくりと珊瑚の手を解くとラオの前に進み出て、改めて正面からシオンと対峙する。ハナコも、彼の隣に並んだ。

 珊瑚はせめて、有事の際にはすぐに動けるよう、気を張り詰めて二人の背中を見据えた。


「小僧、小娘、名はなんと言う?」

「浅霧真……です」

「ハナコです……」

「マコトに、ハナコか……」


 まるで味わうように二人の名前を舌の上で転がし、シオンは飲み下すように喉を鳴らした。


「良い響きじゃな、特にマコト。気に入ったぞ」

「は、はあ……」


 何がシオンの琴線に触れたのかは不明だが、彼女は上機嫌な笑みを浮かべると頬杖をやめ、右手の手袋を外した。その下は変わらず蝋のように白い肌で、整えられた爪は瞳と同じ血色に塗られている。

 その右手を、シオンは真に向けて差し出した。


「脅かしたことを謝罪する。そして、約束しよう。会談中において、妾は力は使わんとな」


 真は少し躊躇いはしたが、ここまできたのだと覚悟を決め、差し出された手を取る。


「妾に触れるなど、特別じゃぞ。光栄に思うが良い」


 シオンの腕は細く、このまま捻れば折れるのではないかと思う程に繊細だった。

 そして、驚くほどに冷たかった。

 氷のような、自然の冷たさではない。それはまるで死人のような、生気のなさから発せられるもののように思えた。

 しかし、その感覚を確かなものとする前に、手は離された。シオンは手袋をはめ直して再び頬杖をつくと、「もう行って良いぞ」と微笑を湛えた。


「お主らも席に着け。話し合いとやらを、始めようではないか」

「……では、僭越ながら、ここからは私が進行役を務めさせていただきます。お三方も、どうぞ席へ」


 ラオに促され、真は入口側の慣れない高級なソファに浅く腰掛け、ハナコも彼の隣に陣取る。珊瑚は他の従者と同じ立ち位置を望み、二人の後ろに控える形で立つことを選んだ。

 最後にラオが入口から左手にあるソファに座り、これでテーブルの四方には各陣が揃ったことになる。


 封魔省、滅魔省、退魔省。揃った三組織を目の当たりにし、真は今更ながら自分の存在がとんでもなく場違いであることに、内心失笑を禁じ得なかった。

 封魔省の総長は言うまでもなく、彼女に前にして冷や汗一つかかずに言葉を交わす滅魔省の二人も只者ではないことは明らかだ。

 それは、ラオも変わらない。彼は下手にこそ出ているが、決して屈服しているわけではない。あくまでも会談を円滑に進めるために、そういう態度を取っているに過ぎないのだろう。


 自分たちを除き、この場には怪物しかいない。

 だが、屈するものかと真は腹に力をいれた。分不相応だろうと、連れてこられた高みから見えるものをここで見据えなければ、本当に居る意味がなくなってしまう。


 そんな真の決意が顔に現れたのを見て取ったのか、ラオが「では」と口火を切る。


 時刻は午後一時十分を経過。三組織による会談が、始まりを告げた。

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