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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第三部 魂の帰郷
57/185

13 「会談へ」

 翌朝の天気は、快晴だった。


「うわあ! 積もりましたねっ!」


 誰も手を付けていない真新しい雪景色に、中庭へ出たハナコは歓声を上げていた。雪かきが必要とまではいかないが、足跡をつけるには十分なほどに積雪している。


「あはは、ハナコさん。子供みたい」


 踊るようにくるくると回る彼女の姿を見て、洗濯物を干すメイド姿の凛も笑顔だった。

 まるで昨夜のことが嘘であるのかのように、楽しそうに笑い合う少女二人を廊下からぼんやりと眺めつつ、真は違和感と言うほどでもないが、多少の戸惑いを覚えていた。


「真くん。おはよう! 良い朝だね!」


 しかし、そんな風に朝から洗濯籠を抱えた凛に、ピシッと敬礼でもしかねない勢いで挨拶をされてしまっては、彼も気持ちを引き摺るわけにはいかなかった。

 問題を棚上げしただけとも言えるが、今日は直近で別の問題が控えている。


「――その顔は、女心は良く分からんと言ったところか?」


 声を掛けられて振り返り、真は思わず顔を顰める。そこには、この家では女心から一番縁遠そうな姉が、朝から鬱陶しいほどに爽やかな笑みを浮かべて立っていた。


「なんだその顔は。おはようくらい言えんのか、お前は」

「あ、ああ。おはよう、静姉」


 笑みを引いて憮然とする静に、いちゃもんをつけられない内に真は素直に挨拶を返す。


「うむ。それで、翼はどうした?」


 満足して頷いた静は中庭に視線を移し、凛の傍に翼がいないことに気付いて訊ねた。


「居間で兄貴と一緒だよ」

「なるほど。それでお前は朝食が出来るまで暇だからと、ぶらぶらと少女二人を遠くから愛でて悶々としていたというわけだな」

「いらん注釈をつけるな。どうぜ、暇なのは静姉も一緒なんだろうが」

「失礼な奴だな。私は、朝食が出来たからお前たちを呼んで来いと、珊瑚から与えられた立派な仕事があるのだぞ」

「それを早く言えよ!」

「――あ! 静さん、おはようございまーすっ!」


 張り上げた真の声に、ハナコと凛も静の存在に気付いたようだった。笑いながら手を振る彼女たちの微笑ましい挨拶に、静も手を振り返して応える。


「さて、私は先に行っているが、遅れるなよ」

「あ……そうだ静姉。ちょっと頼みたいことがあるんだが……」


 用を済まして立ち去ろうとする静だったが、不意に真が呼び止める。静は振り返り、怪訝な顔を向けた。


「なんだ?」

「昨日の……あれだ。稽古をつけてくれるって話……受けるよ。いや、お願いします。俺に稽古をつけてください」


 真は少し言い淀みはしたが、実直に静の目を見据えて頭を下げた。静は僅かに目を見張り、弟の姿を意外そうに見つめた。


「――ふ……そうか。ならば、否応はあるまいよ。頭を上げろ」


 視線を上向けて見る姉の顔には、愉快で堪らないといった笑みが刻まれていた。


「言ったからには、泣き言は許さんぞ。覚悟は問わん。付いて来い」

「……ああ! 望むところだ」


 真は強い意気を込め、静の鷹の目を挑むように見返した。





「――真、気合を入れたところすまないが、その暇はなくなった」


 朝食を終えた後、出し抜けに礼はそんな風に話を始めた。

 上座で食後の茶を啜り、一見落ち着いているようだが、彼の眉間には深い皺が陰を作っている。


「礼、良くない報せか?」


 その右隣に腰を落ち着けている静が、横目で彼を見て訊ねる。彼女の更に隣に座った真も、兄から漂う良くない雰囲気を感じていた。


「ああ。三組織の会談についてだ。本来なら、もう数日は猶予はあったはずなんだが、先方から打診……というか、もはや強制だな。日にちを前倒しにしろという要請があった」

「……その要請を、のんだのですね?」


 静の向かいに座る珊瑚の表情に緊張が走った。静と真も同様な面持ちで礼を見る。

 珊瑚の隣では、凛と翼が話の行き先が見えず、戸惑った顔をしていた。

 そして、わからない代表として、真の隣にいるハナコが首を傾げつつ、疑問を呈した。


「え……と。それは、悪いことなんですか?」

「前倒しが一概に悪いとは言わないが、今回の場合は最悪の部類だろうね。なにせ、会談は……今日の午後に行われることになったからだ」


 礼の言葉に、場の緊張が驚愕に変わった。


「おいおい、礼。いくらなんでも、それは急過ぎるだろう。こちら側に準備をさせないつもりか?」


 眉を吊り上げた静が、剣呑な目つきで礼を睨む。礼は、俺に言わないでくれと姉を見返し、閉口して鼻から息を吐いた。


「まあ、それが狙いなんでしょうよ。要請は封魔省側からあったみたいですよ。役者が揃ったのであれば、さっさと顔を出せとね」

「封魔省側……礼さん、それでは、滅魔省もそれを了承したということですか?」


 珊瑚の問いに、礼は頷いた。


「滅魔省側も異存はないそうだ。もしかすると、口裏を合わせている可能性もありそうだな」

「断れなかったのかよ。いくらなんでも……」

「会談はこっちから持ち掛けた話だからな。断って、それまでだと帰られても困る」

「頭が痛いですね……つまり、そう脅しをかけられたということですか」


 珊瑚が苦い表情で視線を下に向ける。封魔省側が行っていることは、要請と言えば聞こえはいいが、事実上選択肢を与えていない。これではただの脅迫だ。それに便乗する滅魔省も、退魔省を軽んじていることは明らかだろう。


「同感だ。それで早速だが、これから退魔省の迎えが来る。すまないが、真とハナコは準備を頼む」

「いや……準備って言われても、何をすればいいんだ?」

「基本的に、二人は顔見せで済むだけだろうが、用心するに越したことはない。流石に現場に持ち込みはできんだろうが、護身用に武器は持って行った方がいい。後は、迎えの者が説明してくれるはずだ」


 それから、と礼は珊瑚に顔を向けた。


「珊瑚、お前も真と一緒だ」

「私、ですか?」


 指名されたのが意外だったのか、珊瑚は問い返していた。

 滅魔省は彼女の古巣だ。命を狙われたことも記憶に新しいというのに、その組織の者と同席すれば話がこじれるのではという懸念が彼女にはあった。


「心配はない。むしろ、これは滅魔省側からの要請だ。遺恨を断つために同席を求める、とのことらしい」

「……そうですか。わかりました」


 白々しい言い分ではあったが、要請であれば断ることはできないのだろう。珊瑚はそれ以上反駁することなく頷いた。


「礼、私は同席出来ないのか?」

「許可されていませんね。まあ、姉さんには折り入って頼みたいこともあるんで、今回は遠慮してくださいよ」

「ほう……なら、お前の采配に期待しようか」


 意味ありげに礼に目配せされ、静は少し不満げな顔を見せたが、そう呟くと腕組みをして深く息を吐いた。ごねられずに済んで胸を撫で下ろした礼は、改めて真とハナコ、珊瑚を順に見る。


「そういうわけだ。正直、何が起こるか俺にも予想はつかない。どうか、くれぐれも気を引き締めて臨んでくれ」


 三人はそれぞれ了解の意を口にする。そうして、準備をするべく腰を上げた。


「姉さん……大丈夫なの?」

「凛、そんな顔をしないで。留守は任せるわよ」


 珊瑚は不安気に見上げる凛の頭をそっと撫で、優しく微笑む。姉に励まされた凛は、なんとか口を横に引き延ばし、笑みらしきものを顔に浮かべて首を縦に振った。


「そうだよね。別に危険なことをしに行くわけじゃないんだもんね」

「ああ。翼のことも、任せたぞ」


 翼の肩に手を置いて、真も凛へと頼む。凛は振り向き、もう一度強く頷いて見せた。


「うん! 任せておいて! 翼ちゃん、良い子でお留守番していようね」


 真の手に触れて翼も頷く。すると、彼女はハナコの顔を見上げ、右手を差し伸べた。


「どうしたんですか? 翼ちゃん」

「お前のことも心配してくれているんだろ」

「うーん。そうなんですか? だとしたら、ありがとうございます」


 空色の瞳に見つめられ、ハナコは右手を翼と重ねる。そして、身を屈めて彼女は翼の耳元に頬を寄せた。


「大丈夫ですよ。皆、ちゃんと無事に帰って来ますから。約束です」


 翼は一瞬驚いた顔をしてみせたが、すぐに目を細めて何度も頷く。気持ちが通じたようで嬉しくなり、ハナコも心から笑顔になった。





 退魔省の迎えは、程なくして到着した。

 浅霧家の門の前に停められたのは、片田舎に似つかわしくない黒塗りの高級車だった。真はどこか世界観の異なる車を前に、別の意味で緊張していた。

 ハナコなどは感心しているのか、「ほー」と気の抜けた声を発している有様である。

 しかし、徐々に組織の要人との会談という事実が、真の中で現実味を帯び始めてきていた。


「見せつけてくれるな。まったく」


 静は不遜な態度で高級車を見ていた。それは財力を持ち、相応の権力を持っているという、ある種の圧を放っている。彼女は鋭敏に、その気配を感じ取っていた。

 そして、後部座席のドアが開き、真たちを迎えに来たという退魔省の人物が姿を現す。


「初めまして、浅霧家の皆さん」


 慇懃に礼をする男に対し、真が感じた第一印象は、狐だった。

 まだ三十には届かないであろう、短く切り揃えられた赤銅色の髪を持つ男で、細面に釣りあがった目をし、薄く横に裂いたような笑みを浮かべている。

 細身に着こなす濃い灰色のスーツと黒の革靴。そして、髪と同色のネクタイもまた、高級車と同じく見るからに上質な雰囲気をまとっていた。


 対する真はスーツなど持ち合わせていないため、普段着に毛が生えた程度の、あくまできれいめな恰好しかできていない。彼は静から譲り受けた黒い木刀を袋にしまって肩に担いでいたが、見咎められることはないようだった。

 珊瑚は白いパンツにシャツを合わせ、控え目だが綺麗にまとめた格好をしていた。髪も下ろし、普段は滅多にしない化粧を薄くあて、ベージュ系の口紅も塗っている。

 非公式とはいえ、会談の場である。それなりに恰好には気を付けた方が良いという判断であった。


「ラオと申します。この度、三組織の会談の進行を務めさせて頂くことになりました。若輩ではありますが、退魔省、東アジア局長に任命されております」

「東アジア? 局長……? 退魔省って、そんなに手広くやってる組織なんですか?」


 ラオの自己紹介を聞いたハナコが、こっそりと珊瑚に耳打ちする。珊瑚は目線だけ振り向かせ、小さく頷いた。


「規模は地域、組織毎に大小異なるでしょうが、存在します。もちろん、滅魔省もです」

「このような辺鄙な場所まで出向いてもらってすいませんね。どうか、彼らをよろしくお願いします」


 ラオの自己紹介に対し、礼が代表として握手を求めた。ラオはそれに応じ、浮かべていた笑みを更に横に伸ばして鷹揚に頷く。


「構いませんとも。こちらこそ、無理を言って申し訳ありませんんでした。何分、相手が相手ですので、無下に断るとどうなることか予測がつきませんので」

「ええ……そのあたりのことも、道中で説明して頂けると助かります。本来なら、私の方から説明すべきでしたが」

「承知しました。では、時間もないことですので、早速参りましょうか」


 ラオは言って後部座席のドアを開けると、真とハナコ、珊瑚に対し、一礼をもって入るよう促した。


「それでは、皆さん。行って参ります」


 見送る家族に珊瑚が頭を下げる。ハナコも彼女に倣ってぺこりとお辞儀した。


「……行ってきます」


 そして、真も頭こそ下げなかったが、やはり心配そうな顔をしている凛と翼に対し短く言う。三人は門に背を向け、車へと乗り込んで行った。


「真くん! 行ってらっしゃい!」


 閉じられたドアのガラス越しに響く凛の声に、真はもう一度彼女と目を合わせて頷く。低いエンジン音を唸らせ、振動を感じさせずに車は発進した。


「ふふ」


 聞こえた笑い声に、真は前を向く。正面に座ったラオが、目を細めて微笑していた。


「いえ、失礼。良いご家族をお持ちのようですね」

「ええ……どうも」


 車の後部はボックス席のような形になっており、真と珊瑚の間にハナコ、その正面にラオが座る形を取っていた。

 ラオの背後にある運転席はこちらから見えなくなっており、広さも相まってちょっとした個室のような雰囲気となっている。

 高級車になど乗ったことがない真は、肌触りの良い黒布で覆われたシートに、どのような体勢を取ればよいのか些か迷っていた。更に足元にはふわふわとした感触の白いカーペットまで敷かれているため、足元も妙におぼつかない気分になる。

 ちなみに珊瑚はと言えば、膝に両手を乗せて落ち着き払い、目の前の男を油断なく観察しているようだった。ラオは彼女の視線にとうに気付いており、苦笑めいた笑いを一つ漏らして口を開く。


「さて……では、浅霧真さん。千島珊瑚さん。そして、ハナコさん。早速本題に入らせてもらいますが、よろしいですか?」


 膝の上で両手を組み、シートに浅く背を預けながらラオは順に三人と目を合わせた。自己紹介は不要と言うことだろう。やおら漂い始める痺れるような空気に、三人は固く頷いた。


「会談の概要はご存知ですね。目的は、浅霧真さんと、ハナコさんの身柄を退魔省で保護する。これを封魔省と滅魔省に確約させるというものです」

「その点ですが、質問してもよろしいでしょうか?」


 珊瑚が僅かに視線を強め、ラオを見る。いきなり話の腰を折られる形になったが、彼は不快そうな素振りもみせず、笑みのまま頷いた。


「ええ、構いませんよ」

「何故、お二人を同席させる必要があったのですか。保護と謳うのであるならば、お二人を遠ざけるのが自然のはずでしょう」

「それは既に聞いているはずですよ。かの二組織に、直接お二人を見たいと言われたからです」

「だからといって、交渉の余地はなかったのですか?」

「ありませんね」


 ラオはきっぱりとした口調で、首を横に振った。


「実際問題として、我々は下に見られていますからね。向こうの要求を突っ撥ねることは難しいのです。それに、保護という題目こそ立てていますが、本音を言ってしまうと、お二人を巡って滅魔省と封魔省の争いが激化することを防ぐ意味合いの方が、意図としては強いのですよ」

「……やはり。そんなことだろうとは思っていましたが」

「珊瑚さん?」


 真は何かを理解したふうに呟く珊瑚を見やる。彼には、ラオが何を言いたいのかがまだピンときていなかった。


「つまり……退魔省は、真さんとハナコさんを保護することが、目的ではないと言うことです」

「え? でも、それが今回の話の趣旨だったのでは?」

「ハナコさん、それは建前です。あくまでも、聞こえの良い題目を立てているだけに過ぎない……そう言うことでしょう?」

「そこまで言われると心外ですね。お二人のことはお守りします。そこに間違いありませんよ」


 ラオは笑みを崩さぬまま、「それはさておき」と話題を変えるべく続けた。


「話が逸れましたが、まだ事前に言わねばならないことがあります。これから会う相手のことです」


 話を打ち切られて珊瑚は厳しい目つきのままだったが、これから相対する者の情報とあれば聞き逃すわけにはいかず、仕方なく口を閉ざした。


「封魔省と滅魔省からはそれぞれ代表一人と、護衛が一人。二人ずつ出席します。封魔省の代表は、総長であるシオン・ラダマンテュス」

「総長……って、一番偉い人ですか?」

「そうですね。見目麗しい姫君のような方だそうですが、私も直接お目にかかったことはありません」


 訊ねるハナコにラオが答える。真はまたぞろ普段の生活で聞かないであろう単語に、耳を疑いかけた。


「次に、滅魔省からは、芳月清言せいげんが出ます。現在は北欧の支部に在籍しているそうですが、この度来日したとか」

「え、ちょっと待ってください」


 そして、ラオから出て来たその名前に、真は今度こそ本当に耳を疑った。口を挟まれるのを予想していたのか、ラオは彼へゆっくりと視線を向け、質問される前に答えを口にした。


「そうです。貴方のご友人の芳月柄支さんと、死闘を繰り広げた芳月沙也さんの叔父ですよ。そして、十中八九、貴方がたに刺客を向けたのは彼でしょう」


 三人は押し黙り、ラオを見る。彼はそれ以上は言うことはないのか、困ったように軽く肩を竦めた。


「そんなに怖い顔をしないでください。まあ、心配はしなくても大丈夫ですよ。話し合いの体裁を取る以上、滅多なことはありません」


 そう言われるが、どこまで信用してよいものか、真にはラオの真意を見抜くことはできなかった。

 珊瑚に至っては、彼のことを最初から不審に思っている節もある。分かってはいたことだが、一筋縄では行きそうにないことは確定したと言ったところだろう。

 真は気を引き締めろという兄の言葉を思い返し、膝の上で拳を握った。

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