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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第三部 魂の帰郷
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11 「過去語り 前編」

 中庭から見える夜空は、薄暗い雲で霞んでいた。

 庭に面した外廊下で、ハナコは今にも降り出しそうなその景色を、膝を抱えて見つめていた。

 外気にさらされているため、廊下はずいぶんと冷え込んではいたが、霊体の彼女には関係ない。

 これでは頭を冷やせないではないかと思ったが、そう思えた時点で不意におかしくなり、気持ちの温度は次第に冷めていった。


「……どうして、あんなことを言っちゃったんでしょうか」


 気持ちはどんどんと沈んで行き、ハナコはそれこそ亡霊のような陰鬱な気を放ち始めていた。

 いじいじと廊下を指でなぞりながら、彼女は真の顔を思い出す。驚きと戸惑い、そして、とても悲しそうだった。


 どれだけ未来を見据えているのか。

 そんなこと、偉そうに言えた義理ではないというのに。


 どんよりとした気持ちから、顔を膝に埋めかけようとしたときだった。彼女は視界の端にちらつく白いものを捉えた。

 雪だ。

 夜空を覆う雲は、とうとうその身を千切りながら、地上へと落ち始めていた。

 一粒、二粒と数えられるのは最初だけで、瞬く間に勢いを増した雪は庭を濡らし、強まった風に流れてハナコのいる外廊下にまで落ちて来る。


「うわっ、ど、どうすれば!?」


 軒下で守られているとはいえ、このままでは廊下が水浸しになってしまう。と、慌て出すハナコの背後で、障子戸が開く音がした。


「おお、ずいぶん急に降り出したな」

「あ、礼さん!?」


 姿を見せたのは、濃紺の袷を着た礼だった。彼はハナコと目を合わし、軽く笑んで廊下の端まで落ち着いた足取りで歩くと、雨戸を閉め始めた。

 庭は見えなくなり、カタカタと風が雨戸を打つ音が廊下に響く。被害を最小限に抑えることに成功した礼は、やれやれと息を吐き、改めてハナコに顔を向けた。


「それで、どうしたんだい? こんなところで」

「え……と、ちょっとした、散歩です」


 優しく訊ねられ、ハナコは答えに迷った末、返答をはぐらかした。

 目を逸らして俯く彼女の様子に、礼は片手を顎にあてて何事か考える仕草を見せた後、「なら」と穏やかに微笑んだ。


「俺の部屋に来るかい? 少し、話をしようか」


 礼は今しがた出て来た障子戸の先へと入り、手招きをした。どうやら、そこが彼の部屋らしい。

 つまりハナコは、彼の部屋の前で延々と落ち込んでいたということになる。

 その事実に気付き、彼女は顔から火が出そうになった。散歩などという下手な嘘は、とっくに見抜かれているに違いない。


「遠慮することはないよ。取って食いやしない」

「はあ……」


 言われるがまま、おずおずとハナコは礼の自室へと入る。畳の敷かれた和室の中央には座布団が置かれ、極力物を置かないようにしているのか、他には本の積まれた低い木の机が角に置かれているくらいだった。

 天井から吊り下げられた四角い電灯からは、オレンジ色の灯りが温かく部屋を満たしている。よく見れば部屋の中に誰かいることなど、廊下からでも分かったはずだろうに、彼女はますます身を縮こまらせてしまった。


「座るといいよ」


 礼は押し入れから一つ座布団を出し、自分の座布団の前に置くと腰を落ち着けて胡坐をかく。ハナコは自分に座布団は不要だろうに、気遣われたことにむず痒くなりながら彼の前に座った。

 そっと彼女は、上目遣いで礼の顔を見上げる。彼は穏やかな雰囲気で目を細め、しばらく何も言わずに黙っていた。そうしている内に、ハナコの心は不思議と凪いでいた。

 まるで、心に浮き上がっていた様々な感情が、ろ過でもされたかのようだった。


「さて、何から話したものかな」


 そうして、彼女の気持ちが落ち着いたのを見たのだろう。礼は口を開き、つと天井に視線を向けて言葉を選ぶようであった。


「ハナコちゃん。君は真と珊瑚から、うちのことについてどれくらいのことを聞いている?」

「え……聞かせて、もらえるんでしょうか?」


 問い返すハナコの真摯な眼差しを受けて、礼はゆるりと頷いた。


「真や、姉さんは柄ではないだろうからな。珊瑚も、勝手に話す性分でもなし。なら、これは俺の役目だろう。酷な話になるが、それでもいいかい?」

「はい……! お願いします。聞かせてください!」


 ハナコは両手を畳につけて身を乗り出し、食い入るように礼を見つめ、力強く頷いた。

 彼女は事件の結果、真の両親が亡くなったという以上のことは知らない。

 この家でいったい何が起きたのか。それを知ることで、真の心に少しでも近づけるような気がする。

 礼の申し出は、願ってもない機会だった。


「そう……あれは、二月も終わりだというのに、丁度今みたいに吹雪いた日の後のことだった」


 それは礼にとっても辛い記憶のはずだった。しかし、まるで子供に絵本の読み聞かせでもするかのように、彼は穏やかな口調で語り始めた。


 されど、この話には救いもなければ得るべき教訓などもない。

 幸せになった者はただの一人もおらず、不幸が連なるだけの昔語りだ。

 それはもう、変えられない過去であり、結末が物語っていることである。





 今からおよそ四年前、二月の末。

 浅霧家に翼がやってきたのは、冬の冷たい風が、ほのかな春の兆しをはらみ始める頃であった。

 ある者にとっては出会いがあり、またある者にとっては別れとなる。

 誰にでも等しく訪れるであろう、門出の季節。


 父である浅霧信の分厚い胸板に抱かれる、毛布にくるまった幼児を見て、静、礼、真の姉弟はそれぞれ異なる反応を示した。

 静は、自分が千島姉妹を抱え込んだことを棚に上げ、またぞろ父が面倒なことを始めたなと思った。

 礼は、死んだように眠っている幼児の安否をまずは気に掛けた。

 真は、いったい父が何を連れて来たのか理解が追い付かず、呆然としていた。


 三者三様ではあったが、行き着くところの感情は困惑の他なかった。

 それは、当時から既に浅霧家に居候の身となっていた珊瑚、凛も同様である。


「この子を養子にする。今日からこの子は、お前たちの妹だ」


 家族の驚きさめやらぬうちに、更にそんなことをのたまったのだから、それも当然のことだった。

 反発はあったし、議論もなされた。しかしながら、最終的に父の言葉は決定事項となる。

 その一番大きな要因は、母が父の言うことを委細承知の上だったことだろう。


 姉弟の母、浅霧ゆい

 素朴ではあったが、三児の母として逞しく、厳しくも優しい芯の強い女性だった。

 留守がちな信と、自由闊達な彼の影響を色濃く受けた長女に対しても大らかであり、珊瑚と凛に関しても、あっさりと受け入れてくれた経緯がある。


 成人した静に対してどれだけ信頼があったのかは定かではないが、珊瑚と凛に、結は姉弟と分け隔てなく接していた。

 特に、まだ真と年の変わらぬ凛に対しては、気に掛けていたように思われた。家に女の子が増えて嬉しいと、暗に静をからかったりもしていたくらいである。





「一言で表すなら、母は包み込んでくれる女性ひとだった」


 胸の内に大事な想い出に、懐かしさに目を細めながら礼は語る。

 ハナコは彼の表情を見ただけで、見も知らぬ真たちの母がどれだけ子供たちを愛し、愛されているのかが分かる気がした。


「それで、翼さんもこの家に?」

「そう。万事がそんな調子だから、母さんは養子のことも、あっさりと認めた」


 礼は微苦笑を浮かべながら、頷いて続けた。





「小さな子どもを守ることに、理由は必要ないでしょう」


 結のそんな台詞で、信の連れ帰った幼児は浅霧家に受け入れられた。

 幼児には名前がなかったため、結が『翼』と名付けた。

 素性もわからぬ幼子だが、頼れる身内がいないことだけは確からしく、それ以上のことは信も語らない。

 ただ、「この子は守らなければならない」と、普段子供たちの前では見せぬ、怒りを滲ませた声で言っていたことが印象的だった。


 翼を家に迎えたはいいが、最初、彼女はそのほとんどを如月診療所で過ごすことになった。

 訳ありなのは言うまでもないことなのだが、彼女の魂には、異常なまでに多くの霊が取り憑いていたのである。

 多くの死者の魂が、生きた翼の魂に繋がっていた。

 その様を見た如月は、「蟻の大群が獲物に群がっているみたいなものだ」と評した。

 一つ一つは大したことはないが、数が尋常ではない。それらはまるで、一つの意志であるかのように、翼の魂から霊気を貪り尽くそうとしていたのである。

 本来ならばとうに自我を乗っ取られ、手遅れになってもおかしくはない。その責め苦に、幼き少女が耐えられる道理はないはずだった。


 しかし、翼は生きていた。

 言葉を発することも、ろくに身動きさえできない状態ではあったが、翼の魂は彼女のままであり、意志の光を灯していた。

 まだ幼く弱い魂を傷つけぬよう、絡みつく魂たちを、一つ一つ、時間をかけて引き剥がし、浄化するという気の遠くなるような治療が行われた。

 そのときから、信は暇ができたと言い、以前ほど留守がちにはならず、診療所と家を往復する日々を送るようになっていた。

 ベッドに横たわる翼は、虚ろに濁った瞳で天井を見上げ、肌は蒼白となり生気など欠片も感じられない状態だった。

 危険もあるため、如月と信以外は頻繁に顔を出すことはできなかったが、時折治療の手伝いに出ていた静は、家に帰って来ると決まって苦々しい顔をしていた。


「このような腐った所業が、許されてたまるか」


 そういった日は、決まって礼と真はいつもの三割増し程度に扱かれる羽目になる。理不尽な仕打ちではあるが、静は他に捌け口を見つけることができなかったのだろう。

 所業とは、つまり、翼の状態は自然とそうなったものではなく、人為的なものということだ。

 何者かが、幼い翼の魂に無数の魂を繋げ、侵そうとした。

 その行為にどのような意味があるのかは、今も不明のままだ。

 既に終わったことであり、知る術もない。そのときはただ、翼のために治療に専念することだけが考えられていた。


 治療は、一年間にも及んだ。


 魂の浄化は順調に行われた。

 数が多い初期の段階では抵抗も激しかったが、徐々に数を落とすにつれ、浄化の工程は楽になっていた。

 翼は寝たきりで見た目こそ容体は変わらなかったが、時折自発的に手足を動かしたり、瞳を動かすようにはなっていた。

 そして、信と如月はとうとう最後の霊を翼の魂から引き剥がすことに成功する。

 その後はリハビリなどもありながら、すぐに晴れて自由の身というわけにはいかなかったが、どうにか一人で歩けるようになった翼は、浅霧家で暮らすようになった。

 翼は言葉を取り戻すことはできていなかったが、如月の見解では、それも時間が解決するだろうということだった。





「それから二年余りかな。姉さんも放浪癖を一時止めて家に留まっていたし、そのときは、家族全員が揃っていた」


 そこまで語り、礼は一息ついた。

 廊下の方では、風が雨戸を揺らす音が響いている。心なしか、さっきよりも強まっているようだった。


「さて……もう、だいたい察しはついているとは思うが、ここからが核心だ」


 そこで、礼は浮かべていた笑みを消した。

 感情を消したような彼の表情に、ハナコは緊張に身体を震わせる。


「翼の経過は順調のはずだった。だが、まだ終わってはいなかった」

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