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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第三部 魂の帰郷
54/185

10 「覚悟の重さ」

 夕食も終えて解散となった後、最後の片づけを終えた珊瑚は一人、浴室にて羽を休めていた。

 木で作られた浴室は二、三人であれば十分に一緒に入れる広さを有している。室内の半分を占める浴槽では足を伸ばすことも可能だ。

 やや高い位置に付けらた窓を背にする形で湯につかりながら、ほんの少しだけと気を緩めた珊瑚の吐息が、白い湯気に混じる。

 凛から久し振りに一緒に入ろうと言われたが、まだ幼い翼の面倒を見る役割を与え、今日のところは引き下がらせた。

 酒の席に長居させるのも良くはないだろうという判断もあるが、それに以上に、今は妹に肌を見せるわけにはいかなったためだ。

 髪をまとめ上げることで、熱を帯びたうなじの横から滴る汗が、首筋を辿って胸元へと流れ落ちる。

 その軌跡にある火傷の跡に触れ、珊瑚はもう一度吐息を零して浅く目を閉じた。


「ずいぶんとお疲れのようだな」

「え――」


 浴室のドアが開かれる音に、程よく緩んでいた珊瑚の気が飛び起きた。目を開けた彼女の視界には、一糸纏わぬ静の姿があった。


「入るぞ」


 口端を持ち上げて一言断りを入れると、静は浴室へと入り扉を閉める。

 風呂なので当然のことなのだが、裸体にタオルを肩に引っ掛けてただけの姿で悠々と歩く彼女の姿が、あまりにも恥じらいなく堂々としているため、珊瑚はつい目を逸らしてしまっていた。


「静さん、お休みになったのではないのですか?」

「少し飲み過ぎたかな。汗を洗い流しにきた」

「はあ……深酒でお風呂に入るのはどうかと思いますが」

「なら、もしものことがあればお前が介抱してくれ」


 そういう問題ではないだろうと珊瑚は思ったが、既に出て行けとも言えない状況だ。静は笑い、シャワーを手に取り蛇口を捻ると、立ったまま身体を洗い流し始めた。

 すらりと伸びる静の脚は引き締まった脚線美を描き、高い位置にある腰のくびれへと繋がっている。普段は一束にしている焦げ茶の髪は今は解かれ、濡れて艶めいた色を出して彼女の背を覆い隠していた。


 突然のことに乱れかけた気持ちを落ち着け、珊瑚は鼻歌混じりにシャワーを浴びる静を見つめる。

 珊瑚よりも年上ではあるが、瑞々しさを損なわない静の肉体は健康美に溢れていた。戦いにおける彼女の実力は珊瑚も知るところだが、傷一つ追っていないその身体は、どこか彫像めいたものを感じる。


「傷は戦う者にとっての勲章……などと言う輩がときどきいるが――」


 シャワーを止めた静が、不意に言葉を紡ぐ。彼女は濡れた紙を軽く振って湯を切ると、無造作に持ち上げて頭にタオルを巻いた。

 そして、珊瑚に顔を向けて意味ありげに口を斜めにし、湯船へと足をつける。彼女は緩い波を立てながら珊瑚の隣まで歩くと、深く湯に身体を沈めて手足を思い切り伸ばした。


「女の私から言わせれば、身体に傷などない方が良いに決まっている。そうは思わないか?」

「……静さん、仰りたいことがあるのでしたら、はっきりと言ってください」


 らしくもない回りくどい静の言いように、珊瑚は半眼で静を睨んだ。


「ふむ、そうか。ならば、遠慮なく」


 その時、妖しく光る静の目を見て珊瑚は身の危険を感じた。が、すでに珊瑚が動く前に、伸びをしていた静の手が動き、おもむろに珊瑚の胸を鷲掴みにしていた。


「お前のそのけしからん胸についた傷の話だ!」

「き――ッ!!」


 珊瑚は反射的に悲鳴をあげようとしたが、間一髪のところで思い止まった。そ

 ろそろ日も跨ごうという時間に差し掛かっている。それに何より、静のペースにのまれてはいけないと、理性で衝動に抗う。

 静の手を振り払った珊瑚は両腕で胸を隠しながら飛沫を上げて立ち上がり、下手人を思い切り睨みつける。それでも、静はにやけた表情を引っ込めたりはしなかった。


「どうした珊瑚。顔が赤いぞ。湯あたりでもしたか?」

「どの口が言いますか……ッ!」

「すまんすまん。あまりに魅力的な胸だったので、ついな」


 この状況では何を言っても墓穴にしかならない気がしたため、珊瑚は静を睨むことだけに注力した。

 だいたい、傷跡があるのは胸そのものではないし、大きさなら静も自分と大差はないだろう。そんな褒められ方をしたところで、嬉しさは一ミリたりとも湧き起こらない。


「……お先に失礼します。どうぞ、静さんはごゆっくりとなさってください」


 そうして珊瑚が下した結論は、この場からの退散だった。しかし、


「連れないな。今は二人きりだぞ」


 ふいと顔を背けて湯船から上がろうとする珊瑚の背中に、静が呼び掛ける。珊瑚が首を振り向かせて見ると、彼女は自分の隣を指して肩を竦めた。


「お前は、数少ない気の置けない友人だ。頼むよ」

「……では、今は友人として言わせてもらいます。静、照れ隠しであるのなら、もう少しましな形でやってください」

「なんだ、ちゃんと分かってくれていたんじゃないか」


 嬉し気に目を細める静の顔を見て、珊瑚は退散を諦めると彼女の隣に移動し、もう一度湯に身体を沈めた。いつでも逃げられるよう、さっきよりも距離は取っている。

 それからしばしの間、静は一言も発せず湯浴みを楽しんでいた。

 そして、珊瑚の気持ちの波がおさまりかけた頃を見計らっかのように、言葉が響く。


「で、その傷のことは聞かせてくれるのか?」


 何気ない口調で特に気遣う風でもなく訊ねられ、珊瑚は内心苦笑する。


「いつから気付いていましたか?」

「お前が何か隠そうとしていることくらいは、見ていれば察しはつく。裸になれば隠しようもなかろうと思ったが、まさかそんな傷をつけているとはな」

「……治した方がいいと思いますか?」

「当然だ。逆に聞くが、治さない理由があるのか?」

「それは……」


 問う静の声には、微かな怒りの色が滲んでいるようだった。

 このままだんまりを決め込んでも、先にのぼせてしまうのは自分だろうと考えた珊瑚は、観念した思いで自分の思いを語るため、口を開いた。





 真と膝をつき合わせる形となった凛は、勢い込んで彼の部屋まで来たは良いものの、いざ何から話すべきか迷っていた。


「えっと、そういえば、ハナコさんは? いつも一緒じゃないの?」


 そして、視線をさまよわせた後にハナコの不在に気付いた彼女は、真に訊ねた。ハナコのことに触れられ、真は気まずさが顔に出ないように視線を外しながら、浅く頷く。


「今は外しているよ。少しくらいの距離なら、離れても問題はないからな」

「そう……」


 畳に視線を落とし、凛は口をつぐむ。心では何を黙っているんだと己を励ます部分と、何か話してくれてもいいじゃないかと真を責める部分が半々くらいでせめぎ合っていた。


「……凛は、兄貴とはうまくやってるみたいだな」

「え? あ、うん。礼さんは、よくしてくれてるよ。翼ちゃんが家に帰って来れるようになったのが、だいたい一ヶ月前くらいかな。それまでは、二人で暮らしていたからね」


 そんな彼女の胸中を察したわけではないのだろうが、真の口から話題を振られ、凛が答える。

 一度言葉を出してしまえば、後はどうしてつっかえていたのだろうと思う程、あっさりと話すことができのだから、凛は不思議に思うばかりだった。


「礼さん、庭木の手入れは得意で手先は器用な方じゃない? だけど、家事はてんでダメなんだよね」

「兄貴は、基本ものぐさだからな。あえてやってない節もありそうだ。あまり甘やかさない方がいいぞ」

「ふぅん。そういう真くんは、ちゃんと姉さんのお手伝いをしているのかな?」

「子供扱いするなよ。まぁ、世話になっているのは兄貴と変わらないかもしれないが……」


 眉を寄せて言い淀む真の顔を見て、くすくすと凛は片手を口にあてて笑った。


「あれで姉さんも甘やかしなところがあるからね。真くんも、男らしく姉さんを支えてあげなきゃダメだぞ」

「それを珊瑚さんが聞いたらどう思うかねぇ……」

「あー、わたしには厳しいから言っちゃダメだからね!」


 バツの悪い笑みを作り、今度は凛が言葉に困る。穏やかな雰囲気に、真は自然と笑えていることを自覚していた。


「真くんは、向こうでは上手くやってるの?」

「向こう?」

「引っ越し先のことだよ。凪浜市だっけ。友達はできた?」


 なんでいちいち聞くことが母親染みているのかと真は思ったが、口に出さずに真は頷いた。


「なんとかな。それなりに上手くやっているとは思うぞ」

「なんとか……それなり……、じゃあ、好きな人はできた?」


 と、次に凛の口から出た問いに、真は思わず渋い顔になった。そして、自分が何を口走ったのか自覚していなかったのか、質問していたはずの凛までも表情を強張らせ、見る間に顔を赤くし始めた。


「あいや! その、ち、違うんだよ!」

「待て、落ち着けよ」


 妙な外国人みたいな口調になりながら両手を振る凛の姿を見て、逆に冷静になった真が宥めにかかる。ここは早く鎮火させなければ、余計に被害が広がりそうな予感があった。


「ちょっと驚いたが、別に変な質問ってわけでもないだろう」

「そ、そうだよね。わたしたち、高校生なんだし、恋バナくらい普通だよ!」


 真のフォローに乗っかり、凛はうんうんと頷く。そして、「で、どうなの?」と、真剣な眼差しを真へ向けた。今までの慌てようからは考えられないくらいの変わり身の早さである。


「……いないな」

「本当に……?」

「そんな余裕はないんだよ。わかるだろ?」

「あ……、ごめん……」


 真の言いたいことを理解し、凛は項垂れて言葉を零した。

 真が両親を亡くしてから、まだ半年程度しか経っていない。表面上は繕うことはできようとも、深い部分の傷は癒えてはいないのだ。


「いや、俺の方こそすまん。この話はやめよう」


 だが、凛も事件の当事者である。真は変に思い出させてしまったことを後悔し、頭を下げた。


「いいよいいよ! わたしなんかより、真くんの方がずっと辛いんだし……無神経なこと言っちゃってごめんね」

「……すまん」

「うん……。でも、ちょっとだけわがままを言っちゃうとですね……、真くんと一緒の高校に通えるの、楽しみにしてたんだよ」

「大袈裟だな。中学も一緒だったんだから、そんなの今更だろ」

「わかってないなぁ。中学が一緒だったから、高校も一緒が良いんじゃない」

「確かに、気心が知れている奴がいる方が、気楽だとは思うが……」

「それだけじゃないんだけどね……。あ、なんなら見ちゃう? わたしの制服姿」

「待て待て、そこまでしなくていい。お前のコスプレは、メイド姿だけで十分だ」

「むぅ、コスプレじゃないぞ! なんか、そう言われるといかがわしい感じがして嫌なんだけど」


 不満そうに頬を膨らませ、調子を取り戻した様子の凛に、真は胸を撫で下ろしながら苦笑を返す。


「まあいいや。でもさ……」


 そこで凛が言葉を切り、顔に微かな期待の色を滲ませながら真を見た。


「真くんは、近い内にちゃんと帰って来るんだよね?」

「ん? どういうことだ?」

「真くんが、色々大変なことを抱えているのは聞いてるよ。でも、それは組織の偉い人が解決してくれるんでしょ? その話し合いをするために、真くんは帰って来たんだよね?」


 凛の言う『大変なこと』が、何処まで真の事情に踏み込んでいるのか、詳細は彼自身も把握していないところだった。しかし、少なくともハナコとの魂の関係までは知らないはずだ。

 だから、彼女の問いは当然のこと。

 真は依頼で凪浜市に出向いているだけで、用が済めばきちんと帰って来るし、また一緒にいられると信じて疑っていないのだ。


「あ、ああ……そうだな。今の問題が解決すれば、必ず……」


 真は辛うじてそこまで言ったが、その先に言うべき決定的な言葉を口にすることができなかった。


「え、どうしたの?」


 凛の浮かべていた期待に影が差す。彼女は、真の口から聞けて当然のはずの言葉が聞けなくて、怪訝に眉を顰めていた。


 ……必ず、なんだ。


 真は今、自ら吐き出そうとした欺瞞に満ちた台詞に、心底嫌気がさしていた。

 ハナコの言う通りだ。自分は何も、周りの人の気持ち、想いに、何一つ応えようとしていない。

 そもそも、気付こうともせずに、目を逸らしていることに対して、何を応えられると言うのか。


「いやだよ、真くん」


 強張った凛の声は、迫るように真の胸へと突き刺さった。


「礼さんは優しいし、翼ちゃんも可愛いから、わたしは寂しくないよ。姉さんも、静さんも、真くんも家にいなくても、大丈夫」

「凛……」

「でもね、それは、皆がいつかこの家に帰って来てくれるからって思ってるからなんだよ? 皆、今は離れ離れでも、ちゃんと帰ってこれる場所があるって……それをわかってるって信じてるから、寂しくないんだよ?」

「おい、勘違いするなよ」


 縋るように見つめられ、真はいたたまれずに膝を立て、凛の両肩を強く掴んだ。その痛みに、彼女も表情を取り戻したように真を見上げる。


「真くん……?」

「誰も帰らないなんて言ってないだろ。ただ……ほら、向こうの高校でも知り合いが出来たからな。少なくとも、卒業するまでは向こうで暮らすのもありかなって思ってたんだ。それだけだよ」


 自分でも酷い嘘だと真は思ったが、他に言い訳らしいものは浮かばなかった。


「……真くん、手を離してくれる? 痛いよ……」


 真を見つめていた、凛の深い茶色の瞳が伏せられる。彼が手を離すと、凛はもう一度彼の顔を見上げ、緩く口元を綻ばせた。


「そう言うことなら、ちゃんと礼さんにも相談しないとダメだよ。学校に通うのもタダじゃないんだから。さて、そろそろ寝ないとだから、行くね」


 立ち上がった凛は微笑んだ顔のまま、廊下へと出て真を振り返り、「おやすみ」と手を振って襖を閉めた。

 きっと、凛は真が嘘を吐いていると見抜いている。その上で、笑ってくれた。いや、笑うしかなかったのかもしれない。

 嘘を――自分の弱さを、彼女に背負わせてしまった。

 真は遠ざかる凛の足音が聞こえなくなるまで、懺悔するかのように俯いたまま、その場から動けずにいた。





「――ふん、あの爺め。女の覚悟を重いときたか」


 珊瑚の傷に関する話を聞き終えた静の第一声は、如月医師に対する悪態だった。


「静は、私の気持ちは重いと感じますか?」

「珊瑚、自分からその傷を重しと捉えている以上、重くないとは言えんだろう。胸糞は悪いが、爺の意見には同意せざるを得んな」


 口汚い静の言葉に珊瑚は苦笑を返すくらいしかできなかった。そして、静にも言われたことで、やはりそうかと納得する気持ちだった。


「要するにお前は、自分の弱さを忘れたくはないんだよ。また逃げ出してしまわないか不安で、臆病にも傷を抱え込もうとしているのだ」


 肩を揉みながら静は苛立ったように吐息し、面倒臭さそうに言ってのけた。


「戒めなんてものは強さではないし、まして弱さを克服したことになどならんよ。本当にここに居たいと言うのなら、お前が持つべきなのは傷などではない。傷がなくとも、最後まで強く立っていられる心だ」


 そして、じろりと静は鷹の目を珊瑚へ向ける。


「そんな考えは重苦しくてかなわん。そういう意味では、重いよ。だが、覚悟としては軽過ぎる」


 珊瑚は静の言葉を噛み締め、胸の傷跡に触れる。

 戒めなどで縛る必要などない。自分はここに証を立てるから、一緒に居させてくださいなどという考えは、本当に信頼してくれている人たちに対する侮辱になる。

 だから、静は怒っているのだろう。裏を返せば、それは珊瑚が彼、彼女たちを未だ信頼し切れていないということになるのだから。


「私も、まだまだですね。わかりました……この傷は、消すようにします」

「それがいい」


 静は珊瑚の答えに満足したのか、機嫌を戻して頷いた。


「で、だ」

「え?」


 かと思うと、彼女は何やら、にやりと音が聞こえてきそうな意味深な笑みを浮かべ、珊瑚に視線を注いでいた。

 もう話は一区切りついたろうに、彼女の無遠慮な視線を受けた珊瑚は、まだ何かあるのかと不穏な気配を感じる。


「珊瑚。お前、真に身体を許したのか?」

「――」


 想像を二歩も三歩も飛び越えた静の質問に、珊瑚はまるで鯉にでもなったかのように口をぱくぱくと開けていた。


「な、何を言っているんですか!」

「夜に女同士が語り合うことと言えば、色恋沙汰以外にないだろう。しかし、その反応を見る限り一線は越えていないようだな。安心したぞ」

「静!」

「なんだ? ふふ、こうもお前が取り乱すとは、まだまだ可愛いところがあるじゃないか」

「だ、だいたい、何で真さんの名前が出てくるんですか!?」

「何でも何も、接続したのだろう? パスは閉じているようだが、真と手合わせしたときに感じたぞ。気の流れを見抜くのは、爺の専売特許ではないからな」

「それは……!」

「まあ、それ以前に昨日からのお前たちの様子を見ていれば、何かあったのかと勘繰るなと思う方が無理な話だ。見知らぬ他人ならいざ知らず、私だぞ? 家族の目を欺けると思うなよ」

「うぅ……」

「そういうわけで、お前と真の間には、繋がりを得るために何らかの行為があったはずだ。肉体交渉がなかったとすれば、後は血だな。しかし、お前の慌てようから察するに、身体は許さなくても、唇くらいは――」

「も、もう頼みますから許して下さい!」


 矢継ぎ早に繰り広げられる静の考察に、語るに落ちる間もなく珊瑚は叫ぶと、真っ赤にした顔を半分湯に沈めた。珊瑚の降伏宣言に、静の呵々とした笑い声が浴室に響く。


「据え膳食えぬとは真もヘタレだな。だが、お前を繋ぎ止めたことだけは褒めてやらねばなるまい」

「だから、もうその話は――」


 いい加減に口を止めない静に、業を煮やして珊瑚が身を乗り出そうとする。

 そのときだった。


「うひゃあ!」


 脱衣所の方から、盛大に何かがぶつかる鈍い音が聞こえた。同時に叫び声が聞こえたので、おそらく誰かが転倒した音だろう。


「誰だ!?」

「え、ええと! ご、ごめんなさい!」


 鋭く刺すような静の声に、転んだ人物の泡を食った声が聞こえる。その声を聞いて、静と珊瑚は互いの顔を見合わせた。


「凛なの?」

「あ、姉さん……うん、そうだよ。静さんも一緒なんですね。いや、わたしは二人が脱いだ服をお洗濯に出そうとしただけですので! どうぞごゆっくり!」


 それ以上何かを追及される前に、凛は慌ただしい足音を残して行ってしまった。彼女の気配も消え、しんとした静寂が浴室に響く。


「……聞かれたか?」

「…………わかりません」


 とは言ったが、それは希望でしかなかった。珊瑚は妹があらぬ誤解が生まぬことを、ただ祈るばかりだった。

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