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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第三部 魂の帰郷
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06 「浅霧翼」

「ねえ、真さん。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか?」


 診察室を出て廊下を歩く真の背中に、ハナコが質問を投げかける。


「何をだ?」


 真は首だけ振り向かせて彼女を一瞥して、すぐにまた前を向いてしまった。素っ気ない態度にハナコは眉を寄せつつも彼の隣に並ぶ。そして、彼の仏頂面を覗き込みながらさらに訊ねた。


「とぼけないでくださいよう。翼さんのことです。妹さんなんですよね」


 真は足を止めて、ハナコの顔を真顔で見る。ハナコは覗き込ませていた顔を上げて、首を傾げた。


「そんなに、言い辛いことなんですか?」

「……翼は、親父が拾ってきた子なんだよ」

「え?」

「養子なんだ。妹と言っても、血は繋がっていない」


 それだけ言って、真は再び足を動かし始めた。ハナコもそれ以上は口を出せる空気ではないと感じ、口を閉ざす。どの道もうすぐ本人に会うことになるのだから、そこで分かることもあるだろう。

 そして、如月に言われた通り、真は廊下の突き当りにある白い扉の前までたどり着いた。


「ここだな……」


 彼はまるで独り言のように呟くと、気持ちを落ち着かせるように一度深呼吸をして、ドアをノックした。


「翼、いるのか?」


 呼びかけてみたが、返事はなかった。それも当然かと真は思ったが、中には人の気配が確かにある。


「……入るぞ」


 わずかな躊躇いの後、真は扉を横に引き開けて病室へと足を踏み入れた。

 白い部屋は個室だった。入口正面から見える窓のカーテンは開けられており、穏やかな午後の陽射しが差し込んでいる。

 そして、清潔に整えられた窓際のベッドで眠る少女の姿を、真とハナコは見た。


 ちっちゃいとは凛の言だが正にその通りで、まだ小学生だろう。青みの強い黒髪を肩ほどに伸ばしており、少なくともハナコより年下であることは疑いようはない。

 少女は幼くはあったが寝顔は落ち着いたもので、シーツを乱すことなく行儀よく寝息を立てていた。真は少女を起こさぬよう足音を立てずにベッドに近付き、ハナコを振り返らずに言った。


「この子が、翼だ」

「ほぅ……可愛らしい子ですね」


 少女の寝姿は静かに風に揺れる可憐な花のようであり、ハナコは思わず見惚れるように溜息をついていた。真は彼女の反応に肯定も否定も示さず、眠り続ける少女に視線を落とす。

 すると、少女の長い睫毛まつげが微かに震えた。同時に、真が息を呑む。

 ゆっくりと開かれた瞼の奥には、空を思わせる青い瞳があった。真に向けられているはずなのに、まるで、どこか遠くを見ているようで焦点がまだ定まっていない。


「翼……その、ただいま」

「――!!」


 ぎこちない笑みを見せる真に、ようやく目の前にいるのが誰だか解ったのだろう。両目を目いっぱい見開いたかと思うと、翼は両手でベッドの掛布団を引っ張り上げて顔を隠してしまった。


「あー……いきなりで悪かったな」


 決して歓待されるとは思ってはいなかったが、久し振りに見た義妹の顔に、真の腹はようやく決まった。彼は真剣な眼差しで背筋を伸ばすと、深く頭を下げていた。


「お前を置いて家を出ていってしまって、すまなかった」


 その彼の謝罪にどのような悔恨が含まれているのか、ハナコには推し量れるものではなかった。彼女には、この場で彼が謝ることが正しいことなのかも判らない。

 しかし、真摯さと、ひたむきさだけは事情を知らぬハナコにも伝わった。それは、ベッドに隠れてしまった少女にとっても、きっと同じことだろう。


「じゃあ、俺は行くから。久し振りに、お前の顔を見れてよかったよ」

「え? ちょっと、真さ……」


 言うだけ言って引き返そうとする真を、ハナコは止めるため声をあげようとした。

 だが、その前に真の足は止まっていた。ベッドの横から伸びた少女の右手が、彼の服の裾をつかんでいたからである。

 真が振り返ると、翼は布団から顔の上半分だけを覗かせ、彼の顔をじっと見つめていた。空色の瞳は微かに揺れ、顔を赤くしているようである。


「早合点し過ぎです。きっと、恥ずかしがっているだけですよ」

「そう、なのか?」


 真は翼と目を合わせようとしたが、そうすると翼はまたベッドの中に顔を引っ込めてしまった。しかし、裾をつかむ手はそのままだ。

 どうしたものかと真は困惑しながら、裾をつかむ小さな手に触れた。すると、びっくりしたように手は震えたが、つかむ力はより一層強まってしまった。


「……翼、わかった。行かないから、手を離してくれないか?」


 翼は再びそっと顔を覗かせ、今度は真の目を正面から見つめた。真は頷き、それを証明するようにベッドの脇に置かれているパイプ椅子に座った。

 それでようやく真が立ち去らないと確信したのか、翼の手が裾から離れる。変わらず顔は半分隠したままだが、少女の目は笑っていた。





 診察室のベッドに腰掛けた珊瑚は、手に持った大き目のタオルを神妙な顔で見つめていた。

 真の診察が終わり、次は自分の番だと如月に言われたわけで、ベッドに移動することはまだいい。

 しかし現状、ベッドは天井のレールに吊り下げたカーテンで仕切られており、如月もその外にいる。彼は珊瑚を待っているのだった。


「先生、本当に脱がなければいけませんか?」


 珊瑚は自分でも往生際が悪いことを自覚しながらも、如月に問いかける。が、返ってきた答えは予想通り、無情にも厳しく否定するものだった。


「いいから、さっさと上を脱いで横になれ。別に下着まで取れとは言ってねえだろ」

「……」


 如月に聞こえないように小さく溜息をついて、珊瑚は覚悟を決めてコートと、下に着ていたセーターを脱ぎ始めた。脱いだ服は、几帳面に畳んで籠へと入れる。

 残る肌着に手を掛けようとしたが、わずかな躊躇いを覚えて動きを止める。その気配を察したのか、如月が声をかけてきた。


「安心しろ。真のやつには黙っておいてやる。そのために、あいつは先に行かせたんだからな」

「……真さんのことは、関係ないでしょう」


 見透かされたような気がして言葉を返したが、抗弁にもなっていないことは珊瑚にもわかっていた。

 医者である如月に肌を見せることに羞恥を覚えているわけではない。しかし、己の内情を見られることは、他人に肌を晒すことよりも耐え難いものがある。

 これ以上思い悩むことは一旦止め、彼女は肌着に掛けた手を動かして一気に脱いだ。少し乱れた栗色の髪を払って背に流し、肌着も同様に片付ける。

 そして、最後に下着の肩紐だけ外し、胸にタオルを掛けてベッドの上に横になった。


「準備はできました。どうぞ」

「おうよ」


 珊瑚の許可を得た如月は、カーテンを引いて中に入って来た。そして、横たわる彼女の姿を見て、呆れたように息を吐いた。


「は、やっぱりそうか。その傷、わざと残してやがるな?」


 ベッドに近付き、如月は珊瑚の肩から胸へかけて視線を走らせる。本来なら白い柔肌であるはずのそこには、赤く広がる火傷の跡が残っていた。

 その傷跡は、凪浜市の埠頭で滅魔省の少年、フェイと交戦したときのものだ。間近で霊気の放射を熱として浴びた結果である。


「ずいぶんと派手にやられたもんだ。処置は自分でやったみてえだな」

「痛みはもうずいぶん前に引いています。治療は必要ないと思いますが」

「珊瑚、いい加減観念しねえか。お前はわざと傷跡を残すように処置していやがるな? まったく、治せる傷を治療の必要がないたあ、医者を馬鹿にしたことを言いやがる」


 苛立ちを含んだ声で如月は言うと、珊瑚の火傷跡に手を触れた。


「自分で治せる技量をもっておきながら、やらねえなんてのも腹が立つな。わざと傷を残して何になる」

「先生、本当にいいのです。これは、私が残さなければならない戒めなのですから」


 滅魔省の存在――珊瑚は自分の過去のせいで真とハナコを危険に曝すことになり、一度は彼の元を去ろうとした。

 結局は追いかけてきた真の手で連れ戻されることになったが、この傷はそのときの感情を忘れないようにするためのものでもあるのだ。

 今にして思えば、自分はきっと逃げていたのだと珊瑚は思う。

 誰かが自分のせいで傷つくことが辛い。なのに、自分が傷つくことはいとわないのは、傲慢なのだ。自分を同じように想ってくれる人がいる限り、自己犠牲は自己満足でしかない。

 二度と真とハナコの傍を離れず、二人を守ること。そして、二人の力を疑わずに頼ること。

 だからこの傷は、助けられた責任から二度と逃げ出さないようにするための、いわば重しのようなものだと珊瑚は思っていた。決して消してはいけないものだと。


「やれやれ、浅霧家の女どもは逞し過ぎる。これじゃあ、真も苦労するぜ。覚悟は買うが、はっきり言っちまうと重いんだよ」

「重い?」

「ああ、重い。気持ちだけならまだしも、肌に傷を残すのはやり過ぎだ。経験上言わせてもらうが、重たい女は面倒なんだよ」


 如月は本当に面倒くさそうに珊瑚を睨むように見た。珊瑚は肌に触れた彼の手の平から気の流れを感じる。どうやら、治療の手を止めるつもりはないようだった。


「それともあれか? お前はこの傷を理由にして、気持ちに枷をつけたつもりかよ?」


 思いもやらぬ如月の言葉に、珊瑚は見開いた。彼女の反応が意外だったのか、如月はからかうような笑みを作る。


「なんだ、無自覚だったのか。そいつは、悪いことを言っちまったか?」

「先生……これ以上、女の内情に土足で踏み入らないでいただけますか?」


 声を低くする珊瑚だったが、如月にとってはそれもどこ吹く風だった。どころか、愉快そうな笑い声を上げる始末である。


「小娘がご立派に粋がるんじゃねえよ。俺の仕事は治すことだ。治るものを放っておくような碌でもない患者には、相応の仕置きが必要だ。ま、あえて傷を持つことなんかねえよ。男に見てもらうんなら、綺麗な方がいいに決まってらあな」


 珊瑚は赤面していることを自覚しながら、心をなんとか落ち着かせようとした。

 接続した真の魂との繋がりは、自分を強くしたはずだった。しかし、同時に自分の心の弱い部分が浮き彫りになったようでもある。


 ……以前ならば、こんな風に感情に乱されることなどはなかったのですがね。


 そうして彼女が耽っていると、治療を終えたのか如月は珊瑚の肌から手を離していた。


「気の流れは調整しておいてやった。後は自然に任せておけば跡は消えるだろうよ。だが、もし今度俺が診て経過が思わしくなけりゃ、無理矢理にでも治してやるからな」

「……承知しました。もう、服は着ても?」

「ああ、さっさと着替えな。翼の様子も見に行かねえとだしな」


 言うと如月は珊瑚に背を向け、カーテンの外に出て行った。

 そして、ベッドから身を起こした珊瑚は、服を着直しながら気になっていたことを口にした。


「先生、そのことですが……翼さんは、まだ口が聞けないのですか?」


 静、礼、真の三姉弟の義妹、浅霧翼。

 浅霧家の先代である姉弟の父、浅霧しんが、とある筋から養子にしたという少女だ。

 後天的に言葉を話すことができず、如月は心因的なものだろうと診断していた。身体の機能に障害があるわけではなく、心に傷があるのだと。


 翼が浅霧家にやってきたのは、珊瑚と凛が浅霧家に招き入れられてからおよそ二年後のことだ。珊瑚は、真と凛が中学生になったときだと覚えている。

 日本人であることに間違いはないが、髪は青に近い黒であり、瞳の色も今でこそ澄んではいるが、当時はずいぶんと濁った色をしていた。

 信が退魔省の任務で家を留守にすることが多くなっていた時期と重なることもあり、おそらく何らかの霊、魔物の被害者なのだと予想できるが、信は多くを語らなかった。

 ただ、「珊瑚と凛を迎え入れたのだから、二人も三人も変わるまい」と豪快に笑い飛ばす信の姿に、姉弟たちは呆気に取られていた。

 珊瑚と凛のように居候ではなく、養子――本当の家族として迎え入れなくてはいけないのだから、それも無理からぬことだろう。

 当然、それなりの反発はあった。特に真は思春期に入ろうかという頃だ。いきなり妹ができましたなど、心情としては受け入れ難いものがあったに違いない。


「翼の心は、ほぐれてはいる。だが、まだ時間はかかりそうだな」

「そう、ですか」


 服を着終えた珊瑚がカーテンの外へと出る。如月はデスクに置かれていた飲みかけの缶コーヒーをあおると、「じゃあ、行くか」と歩き出した。


「しばらくはこっちにいるんだろ? だったら、ゆっくりと相手をしてやれ。今は穏やかに過ごすのが、一番の薬になるだろうよ」

「はい。だといいのですが」


 珊瑚は答えながらも、少しだけ後ろ暗い気持ちでいた。翼のことは浅霧家に戻って来た理由の一つではあるが、それが最たるものではない。

 真とハナコを保護するという退魔省。そして、合意を取り付けるための滅魔省、封魔省との会合は迫っている。

 せめて懸念が顔に出ぬように、珊瑚は心を締め直し、如月の後に続いた。

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