04 「浅霧家」
駅からタクシー(もともと交通機関を使って行くつもりだったのだが、凛の恰好では悪目立ちすることを珊瑚が危惧したためである)で北へ上ること一時間程度かけて、真たちは目的の場所に辿り着いた。
四方を小高い山に囲まれた、昔ながらという言葉が似合うような田園風景の広がる町。遠目に見える山頂はところどころ白くなっており、もう少し月日が経てば町も白く染まるであろうことが予感された。
「はい、ここが浅霧家でございます!」
そして、舗装された坂道を進んだ奥地にある、その家の門を前にして、凛は両手を広げて言った。
「え、実は真さんって、お坊ちゃんだったんですか?」
瓦の敷かれた白い塀に囲まれた屋敷だった。塀は数十メートルに及んでおり、端が小さく見えるほどに広い。
「そんなわけないだろ」
「なに、親父殿がたまたま無駄に土地を持っていただけだよ。畏まらなくても大丈夫だ」
ある程度初見での反応を予想していたが、真は溜息混じりにハナコに言葉を返した。その隣で、静が気軽に笑っている。
「はい。ではご案内しますね!」
凛が門を押し開き、「ささ、どうぞ」と促す。静を先頭に、真とハナコ、最後に珊瑚が門をくぐり、中へと進んだ。
石畳の道の先に構えるのは、中庭を囲むようなコの字型の平屋だった。木造で全体的に古めかしい雰囲気があるが、悠然と佇むようで土地に馴染んでいる。
また、中庭には剪定された庭木があり、短い芝生で覆われていた。一目で手入れが行き届いていることが分かり、季節ごとに、さぞかし風情のある景色をこの屋敷の内だけで楽しむことができるだろうことが容易に想像できた。
「礼さん! ただいま戻りましたよ!」
玄関の引き戸を開けて、凛が廊下の奥に届くように声を張った。
「おお、来たか」
そして、厚みのある声が足音と共に聞こえ、浅霧家の家主が姿を現した。
坊主頭に手拭いを巻いた長身の男だった。縦縞の柄のついた紺色の装束を着こなし、やや痩せ気味ではあるが、肩幅は広く体つきはしっかりとしている。
「遠路はるばる、ようこそ。待ちかねたぞ」
温和そうな顔立ちに歓待の笑みを浮かべながら、男――浅霧家長男、浅霧礼は玄関に立つ一同を前にして、慇懃にお辞儀をしてみせた。
「ふざけている場合か、礼」
が、そんな所作はどうでもいいと、静が無体にも下げた礼の頭に平手を打ちおろした。スパン、と小気味の良い音が廊下に鳴り響く。
「あた! 姉さん、あんた久し振りに会う弟にそりゃないでしょう」
「でかい弟は可愛げがない」
「まったく、あんたも十分でかいでしょうが……。凛、悪いが先にお茶の準備をしておいてくれ」
「はい! 了解しました!」
頭をさすりながらぼやく礼に、凛は元気よく返すとブーツを脱いで廊下をとてとてと駆けて行った。
「礼さん、お茶なら私がやりますのに……」
「まあそう言うな、珊瑚。あれの仕事をとってやるものではない。ともあれ、真も壮健そうで何よりだ」
「ああ、兄貴も無駄に元気そうだな」
若干の皮肉をこめた弟の挨拶に、礼は思わず噴き出した。
「まったく、うちの姉弟は一言添えなければ碌に挨拶もできんのか」
「ですが、最初におふざけを始めたのは礼さんですよね?」
「そして、使用人も変わらず手厳しい」
隙のない珊瑚の突っ込みが入ったところで両手を上げて肩を竦める礼に、静も真も閉口する。そんな姉と弟の態度に苦笑しつつ、礼は廊下の端に移動した。
「さて、場も温まったところで上がりなさい。我が家なのだから遠慮なんていらないぞ?」
「お前が勝手に引き留めていただけだろう。まったく」
靴を脱ぐ静に続き、真と珊瑚も玄関に上がる。
「ハナコ、お前も来い。兄貴も見えてるんだから何か言えよ」
ついて行っていいものか悩む様子を見せるハナコに真が言う。そして、続けて兄に向けて文句を言った。
「ああ、悪い。ハナコちゃんだったね。真の兄の浅霧礼だ。弟が世話になっているようで、感謝するよ」
「あ……はい。ハナコです。はじめまして」
静に会ったときと同じような感謝を述べられ、ハナコはむずかゆくなりつつも頭を下げた。礼も穏やかに微笑みつつ、ハナコに向けて改めて頭を下げる。
「話は落ち着いてからするとしよう。ようこそ、浅霧家へ」
◆
玄関を入ってすぐの居室にて、真、静、珊瑚が最初に行ったことは仏壇に手を合わせることだった。
畳が敷かれた和室に三本分の線香の香りがほのかに漂う中、このときばかりは静も落ち着き払った表情で黙祷していた。珊瑚も、背筋を伸ばして正座をし、どこか涼やかな気を放っているようだった。
真は色々と報告しなければならないことはあったが、言葉にしようとすれば途端に形を失くしてしまいそうに感じた。だから、二人と同じように手を合わせ、何も言わずに目を閉じた。
ハナコはと言えば、少し気後れしつつも、心の内でしっかりと真の両親に挨拶していた。
……真さんのお父様、お母様。ハナコと言います。どうぞ、よろしくお願いします……。
そして、黙祷が終わったタイミングで、人数分のお茶を用意した凛が襖を開け、姿を見せた。
「皆さん、お茶が入りましたよ」
「凛、手伝うわ」
「うん、ありがとう姉さん!」
それから礼を上座にして、右手に静と凛。その向かいに真、ハナコ、珊瑚が座る形となった。黙祷の続きではないが、それぞれが神妙な顔つきで、礼の言葉を待つ。
「さて、父さんと母さんへの挨拶も済ませたところで、早速本題といきたいところだが……」
お茶を一口啜り、礼は真と珊瑚を順に見た。
「真、珊瑚、お前たちは一度、先生に診てもらいに行け。今から行けば日暮れには戻れるだろう」
「先生って……如月先生か?」
「それ以外に誰がいる」
「あの、礼さん。私も、なのですか?」
「そうだ。お前たちは、封魔と滅魔と戦ったときの傷も完全には治ってないだろう。一度専門家に診てもらった方がいい。特に真、お前はな」
そこで礼は、凛の方を意味ありげに一瞥して言った。凛はその礼の目線には気付いておらず、大人しく自分でいれたお茶を啜っている。
「ん、どうかした? 真くん」
「いや、なんでもない。そうだな……先生にも挨拶はしておかないとな」
「ああ。来て早々に悪いが、そうしてくれ。珊瑚もいいな?」
「……承知しました」
今のやり取りで概の事情を察した珊瑚は、短く頷いた。
「ふむ、では私は手持無沙汰ということになるか。礼、腹ごなしに久々に手合わせでもするか?」
「あんたの手合わせは扱きにしかならんでしょう。嫌ですよ」
「そういうな。やはり、当主を名乗るのであれば私如きに遅れをとるようではいかん。おい、真。帰ったらお前も付き合え」
「勘弁してくれ、静姉……それより、話し合いの方が重要じゃないのか?」
「おいおい、お前に拒否する資格はないぞ。これは、姉としてじゃない。師匠としての命令だ」
口角を上げて静は厳しく真を睨め付ける。彼女の瞳にゆらめく闘気とも言える気迫に、真は思わず背筋を伸ばした。
「死線をくぐって、どれだけお前が成長したか見てやると言っているんだ。逃げることは許さん」
「ふぅ……真、諦めろ。火のついたこの人を止めることなど、土台無理な話だ」
もはや笑うしかないといった風に口を歪める兄に、真は額に手を当てて天を仰ぐ。
「珊瑚さん……師匠って、静さんが?」
真の様子を横目に、こそっとハナコが珊瑚に訊ねる。珊瑚は苦笑しつつ、「ええ」と頷いた。
「そうです。真さんに幼少の頃から退魔師としての修業をつけたのは、静さんです」
「ははぁ、なるほど。だから、真さんは静さんに頭が上がらないんですね」
ハナコの顔に理解の色が浮かぶ。ただ姉というだけではない。静は師匠という立場もあるからこそ、ここまでの強権を振るえるのだろう。
「つまり、静さんの真さんに対する数々の仕打ちは、師匠からの愛の鞭的な……?」
「そんなわけないだろ。面白がってやってるだけだ」
と、仕打ちを受けている真が突っ込みを入れた。そして、観念して息を吐き、表情を正して姉を見据える。
「はぁ……わかった。静姉、胸を借りるよ」
「ふふん、姉の胸を借りるとは、いやらしい奴め」
「……このクソ姉貴、絶対一本取ってやるからな」
こめかみを押さえ、口を引きつらせながら真は言った。
「あぁ、そうだ。真、あと一つ頼まれて欲しいことがあるんだが」
「なんだ、兄貴。まだ何かあるのか」
「先生のところに、翼が行っている。いっしょに連れて帰ってきてくれ」
「は……」
あくまで思い出したかのように、ごく自然に使いを頼まれ、真は思わず目を開いた。
「本当は凛に付き添いを頼みたかったのだが、お前たちを迎えに行くために飛び出したからなぁ。今朝、俺が連れて行ったきりなんだ。そういうわけで、頼んだぞ」
何か言いたげに兄を睨む真だったが、受ける本人はどこ吹く風と笑っている。
「あの、気になっていたんですが、翼さんというのは……?」
前から気になっていたが、訊くタイミングを逃していたハナコが訊ねた。彼女の疑問に、そう言えばと珊瑚が気付き、穏やかな調子で口を開いた。
「翼さんは、真さんの妹です。年が少し離れていますが、利発な方ですよ」
「ふふ、翼ちゃんはですね、ちっちゃくて可愛いんですよ。抱き心地抜群ですから、お勧めです!」
「……凛、あなたも後で私の部屋に来なさい。少しお話をしましょう」
「え……? やだなぁ、姉さん。冗談に決まってるじゃないですか」
溜息を吐き、すっと目を細める姉に危険を感じ、渇いた笑いを上げて凛は立ち上がった。
「さてと、それではわたしは皆さんの荷物をお部屋に運んでおきますね。いやぁ、忙しくなってきたなぁ!」
「礼さんも、凛のことで後でお話をしましょうか。特に、その恰好についてですが」
「聞くだけ聞こう。一応先に釈明をしておくが、合意の上だぞ?」
どこか楽し気な風に微笑む礼に、珊瑚はまた一つ息を吐いた。
「では、真さん。私たちも行きましょうか。先生を待たせているのであれば、早い方がいいでしょう」
「そうしてくれ。悪いね、ハナコちゃん。大したもてなしもできなくて」
「あ、いえ。その翼さんに会えるのが、ちょっと楽しみになってきました」
謝る礼に、珊瑚と真に続いて席を立つハナコは笑みを見せて言った。




