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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第三部 魂の帰郷
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02 「姫君」

 日本の西部――関西のとある空港の到着ロビーにて、咲野寺現は人を待っていた。

 羽織った黒いコートのポケットに両手を突っ込み、横並びに数列用意された簡素な椅子の一つにもたれるように座りながら、ぼんやりと人の行き来を眺めている。

 はしゃぐ若者たち、寄り添う恋人、両親と手を繋いで無邪気に笑う子供、出張のビジネスマン、何かのツアー中の老人の団体。

 現の人生にとって、この先何の関わりもない、そんな記号を持つその他大勢。

 時節は年末ということもあり、早朝であるにも関わらずロビーは人で溢れかえっていた。あまりに酷い雑音に、現はこんな場所に来たことを早くも後悔していた。


 ……どいつもこいつも、無駄に生を謳歌していてなによりだ。


 腹の底から湧き上がる黒い感情を顔に出さぬように、現はコートを胸元に引き寄せるように掴み、僅かに顎を引いた。

 ここ数日は色々と動き回っていたせいか、少しばかり精神に揺らぎを感じる。

 命令であり、下っ端であるが故に仕方のないことではあるが、それもこれも、大本の原因はあのふざけた上長――紺乃のせいだ。

 不手際があれば逆らうこともできるだろうが、質が悪いのは指示に間違いがないということだ。万事抜かりがないため、指示が下されれば動かざるを得ない。


「まぁ、無能よりは遥かにましなんですがね……」


 誰にともなく呟いて、現は気を取り直して人の群れを注視する。予定の時刻であれば、そろそろのはずだ。

 彼女が遂行中の任務は、近々行われる三組織の会談のため来日する人物の出迎えだ。

 いったいどのような人物なのか、紺乃からその立場も、具体的な容姿も聞いてはいなかった。曰く、「見ればすぐにわかるじゃろう」とのことだった。くれぐれも丁重に扱えとも言われている。

 会談というくらいだから、少なくともそれなりに立場のある人物なのだろうが、何も教えないというのもあんまりな話である。

 よく紺乃は「自分で考えろ」などと言っているが、ここ最近はあえて何も教えず自分の反応を楽しんでいるのではないかと思っている。だとしたら、悪趣味極まりない。

 もっとも、それも今に始まったことではないのだが。


「……ん?」


 そんな風に思いを馳せていると、にわかにロビーの空気が引きつったように変化するのを現は感じた。

 思い思いの今日を過ごし、ばらばらだった人の心が、ある一点を中心に一つの色に染まっている。

 それは何らかの不審なものへの警戒だった。

 その一点はゆっくりと現の方へと向かいつつあり、人々は自然と避けるように道を開ける。そして、彼女の目にも違和の正体が見て取れた。


 二メートルはあるのではないかという巨躯もつ、壮年の男だった。

 黒い外套を翻し、同じく黒いブーツの踵を鳴らしながら歩く姿はまさに迫る壁と言っても差し支えはないだろう。

 鍔の広い帽子を目深に被り、そこからはみ出した前髪が更に目元を隠している。顎にある無精髭が、更に陰鬱な気を放つ手伝いをしていた。


「これは……また予想外ですね」


 現は呆気にとられて開いた口が塞がらなかった。しかし、それは男の風体に対してではない。それだけなら、彼女の中ではまだ変わった男で済む話である。

 男は両手に嵌めた白い手袋に、仰向けになった幼女を抱いていた。

 背中と膝に手をかけて抱き上げる、いわゆるお姫様抱っこというものだ。


 そして、幼女の恰好もまた、どこぞの姫君なのかと思わせる派手なものだった。

 フリルの散らばったワインレッドのドレスに身を包み、頭には薔薇の造花がついたヘッドドレスをしている。大きく膨らんだ裾から伸びる細い足には、ドレスと同色の厚底のブーツを履いていた。

 ゆるくウェーブがかかった透き通る紫色の髪は、抱かれた男の手から零れて、彼が歩を進めるたびにサラサラと揺れている。

 肌は蝋のように白い。男と同じく純白の手袋をした両手を胸の上で組んで、身じろぎ一つしていなかった。


 まるで、死体を埋葬しに行くようではないか。


 それほどまでに、抱かれた幼女からは生気を感じなかった。だが……いや、だからこそ美しいと現は見惚れていた。

 思わずかしずきたくなるような、幼い風貌からは想像もつかない香りがする。そういう意味では、まさに彼女は姫なのだろう。


 現は席から立ち上がり、近付く男の正面に移動する。やはり男は最初から現の存在に気付いていたようで、彼女の前で足を止めた。

 改めて対面し、見下ろされて男の大きさに圧倒されそうになるが、彼女は恭しく礼をしてみせた。一応の礼儀である。


「どうも、あなた方で間違いないですね?」


 聞くまでもないことだが、念のための確認として現は訊ねる。数秒の沈黙の後、男は口を開くことなく、その場でゆっくりと片膝をついた。

 そして、その体躯から想像できない繊細な手つきで、彼は腕に抱いた幼女を床に立たせた。幼女の瞳は閉じたままであり、まるで等身大の人形のようである。

 しかし、次の瞬間、彼女の口から息が漏れた。


「――お主が、サキノジか」


 蝋が溶けるような粘性を帯びた声。見開かれた瞳の色は鮮血のように美しく、溢れんばかりの魔性を宿して輝いている。

 たった一睨みで、現の心は完全に呑まれていた。自然と膝をつこうとする彼女だったが、幼女は片手をたおやかに持ち上げてその行動を制する。


「よせ。妾に対して臣下の礼などいらぬよ。組織の者は皆、共通の目的を持った同胞はらから。序列はあれど無理に敬う必要はない」


 現を見上げなら幼女は尊大な口調で語り掛ける。

 彼女は厚底のブーツを履いても現の腰ほどまでしか身長はなく、外野が見れば妙に偉そうな幼女にしか見えなかっただろうが、現にとっては関係のないことだった。

 この幼女は紛れもなく自分よりも立場が上の者であり、逆立ちしたところで敵わないという確信がある。


「はい。咲野寺現と申します」

「うむ、お主のことは紺乃の小僧から聞いておる。有望な若手がおるとな」


 幼女は楽し気に目を細めながら、口元に手を当てて微笑する。そして、あたりを睥睨するように見渡し、最後に現の瞳を覗くように視線を向けた。


「しかし、その腹の奥に溜め込んだものは今は抑えることじゃ。食欲旺盛は若くて結構じゃが、公の場で盛るでないぞ?」

「……お見苦しいものをお見せして申し訳ありません」


 その瞳の前では全て見透かされている。現は直接内臓をまさぐられでもしたかのような気分を味わい、頭を垂れていた。

 そんな彼女の様子を見て、幼女はころころと笑い声を上げる。そして、ふいに思い出したように手を打った。


「あぁ、そうじゃった。自己紹介をせねばいかんのう。どうせあの小僧は何も告げてはおらんのじゃろう? 単身、妾の出迎えなどさせられて、お主も災難よな」

「いえ、そんなことは。紺乃副長が何も言わないのはいつものことですので」

「ちなみに奴は、今日来られない理由をなんと言っておった?」

「所用と。それ以上の事は言っていませんでした」

「は、妾を出迎える以上の用とは、あいも変わらずこまっしゃくれた小僧じゃわ」


 そう言いながらも愉快そうに喉を鳴らし、幼女は「では、名乗ろうと」口の両端を吊り上げた。


「しかと刻め。妾の名はシオン――」


 その名を封魔省で知らぬ者などいない。

 やはりそうかと、現は目の前の幼女らしからぬ存在の正体に納得していた。


「封魔省総長、シオン・ラダマンテュスじゃ」


 組織の頂点にして絶対。紺乃に『麗しの総長殿』などと言わしめた怪物だ。


「あと、こやつも一応紹介しておこうかのう。滅多なことでは口をきかんから、ただの置物とでも思っておけばよいのじゃが」


 そう言ってシオンは背後に立つ巨漢を振り仰いで言った。


「こやつはエクス。妾の護衛として傍においておる者じゃ」

「そう……ですか」


 これまで一言も発していないエクスと呼ばれた男は、主であろう彼女の言葉にも無反応で、空虚な目はどこを見ているのかも判らなかった。

 その様子に、現は握手を求める気になることもできなかった。しかし、総長の傍に居る立場を与えられている以上、決して侮っていい相手ではないことだけは確かだろう。


「それでは、一旦ホテルまで案内させて頂きますね。会談まではどう過ごされますか?」

「そうさな……久々に起きたからのう。外界を視察するのも悪くないかもしれん」

「観光……ということですかね?」


 己の職務を思い出して言う現に、シオンは鷹揚に頷く。


「しばしの暇潰しといこうかのう。お主はこれから予定はあるのか?」

「はい。総長をホテルまでお送りした後は、凪浜市に戻ることになっています」

「ナギハマ……例の退魔師がおったという都市じゃな」

「ええ。現場の指揮を任されておりまして、付き合えず申し訳ありません」

「構わんよ。十分に任務を果たすがよい。では、行こうかのう」


 そう言われ、現は案内するため先導して歩く。その後にシオンが続き、彼女の背後に聳えるように立つエクスも足を動かし始めた。


「しかし、退魔省の若造めが、わざわざ妾を呼びつけるとはいい度胸じゃな。妾の貴重な時間と釣り合いが取れる内容になっておるんじゃろうな」

「例の少年の保護、でしたか。お認めになるのですか?」

「その小僧を見定めてからじゃな。何にせよ、妾を出し抜いて不死の研究なんぞを行う業腹な輩は、何としても炙り出さねばならん」


 獲物をいたぶり、舐めるような声に現は思わず振り返る。そこで彼女は、遠慮がちに気になっていたことを切り出してみることにした。


「失礼ですが総長。年はおいくつなんですか? ずいぶんとお若く見えますが」

「ふむ、さあのう。数えるのはもう止めたわ」


 訊かれ慣れているのか、はぐらかすようにシオンは口角を上げながらそう返した。

 やはり、見た目通りの年齢というわけではないのだろう。それだけ分かれば、現にとっては十分だった。

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