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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第二部 滅魔の刺客
42/185

22 「舞台裏の暗躍者」

「さて……」


 ハナコがようやく落ち着いたところで、真は立ち上がって沙也の方を振り返った。

 瓦礫に埋もれるようにもたれながら、沙也は真を睨もうとしたが、ようやく闘志も萎えたのか瞳を伏せると、諦めたように嘆息した。


「魔物を自分で抑え込むなんてね……信じられないわ……」


 一度魂を乗っ取られれば二度と戻れない。それが彼女にとっての常識だった。

 しかし、目の前で見せられては認めざるを得ない。過程はどうあれ、最後に自分は倒れ、この男が立っている。


「あたしの、負けね」


 相手に宣言されるのは癪だったため、仕方なく沙也は自らの敗北を受け入れた。


「あの……」


 精根尽きた様子の沙也に、真の背後からおずおずと顔を覗かせながらハナコが声をかけた。青白く透けた少女の姿に沙也は思わず身構えかけたが、身体が思うように動かず断念する。


「ごめんなさい。あなたにも、酷いことをしてしまいました。本当に、ごめんなさい」

「何を言うかと思えば……。あたしはあんたも殺そうとしたのよ。変な情けをかけないでもらえる? 惨めな気分に拍車がかかるわ」


 冷たく返す沙也に、ハナコはしゅんと項垂れた。しかし、謝られたところで沙也にはどうすることもできない。お互いに殺し合ったことに対して、許すも許さないもないだろうに。


「負けを認めたってことは、とりあえず、これ以上やり合うつもりはないんだな?」

「ええ……身体を動かすのもきついわよ。煮るなり焼くなり、好きにすれば?」


 真の確認に、沙也は微かに口端を持ち上げる。真は顎に片手をあててしばし考える素振りを見せた後、隣に立つ珊瑚に目を向けた。


「わかった。珊瑚さん、手当てできますかね?」

「車に一通り治療道具は積んではいますが……真さん、よろしいのですか?」

「約束通り話してもらわないといけないこともありますからね。ここじゃ落ち着かないでしょう」

「は……? ちょっと待ちなさい。治療? あんたバカなの? 本当に情けをかけるつもりなら、冗談じゃないわよ」

「好きにしろって言ったばかりだろうが。放っておけるかよ」


 抵抗の意志を訴える沙也に取り合わず、真は彼女に近付いてやや乱暴に手を取った。


「きついんだろうが、立てよ。話は手当てが終わってからだ」

「くそっ……なんであたしが、こんなやつに……」


 引っ張られて立たされた沙也に真は肩を貸そうとしたが、それを引き継ぐように珊瑚が割って入って来た。


「彼女には私が手を貸しましょう。真さんは、向こうで気を失っている彼の方をお願いします」


 倒れているフェイを見やり言う珊瑚に、真は何か言おうと口を開きかけたが、言葉を飲んで頷く。フェイの方へと向かう彼の背を見送り、珊瑚は沙也の身体を支えるように寄り添った。


「どういうつもり?」


 支えられながら沙也は居辛そうに言う。あれだけ殺気を放たれたというのに、献身的な姿勢を見せる珊瑚に不信感しか抱けなかった。


「勘違いをしないでください。真さんが望んだからそうするだけです。私は、あなたのことを許そうとは思いません」

「そりゃ、そうでしょうね。ま、あの男がそれほど仕えるのに値する奴だとは思えないけど」

「その無駄口を黙らせてから運んでさしあげましょうか?」

「勘弁してよ。もう口くらいしかろくに動かせないんだから」


 声を低くする珊瑚に苦笑をもって沙也が応じる。そして、「ただ」と沙也は言葉を続けた。


「先にネタばらしをしておくと、あたしがこの廃墟で知り得たものは何もないわよ」

「……そうですか。それは期待外れですね。ですが、それでも真さんはあなたを助けるでしょう。あと、知り得たものがないというのは嘘でしょう」

「嘘じゃないわよ。ここには、あたしが欲しい情報は何もなかった」

「それは、正確には『何も残されていなかった』の間違いではないですか?」


 瞳を覗かれてのその問い掛けに、沙也は思わず舌打ちして目を逸らした。


「ち……流石に誤魔化し切れないわね」

「例えここにあなたが知りたかったものがなかったとしても、あなたが何を知りたがっていたのか、その背景は語ってもらいます。そこから推察できることもあるでしょう」

「はいはい……けど、後悔するわよ」


 観念して息を吐きつつ、しかし、まるで憐れむように沙也は言った。


「あたしの推測が正しければ、あんたたちは滅魔省も、封魔省も敵に回すことになる。覚悟しておくことね」




 日本の首都の中心部、とある市街地のホテルの一室にて、一人には余りあるベッドに男が長い足を組んで寝そべっていた。

 街並みを一望できる高層にある部屋ではあったが、昼間であるにも関わらずカーテンは閉め切られ室内は薄暗い。男は白のワイシャツに黒のスラックスと、一見して標準的なサラリーマンのような恰好をしていたが、ネクタイはしておらずシャツのボタンも胸元近くまで開けられており、全体的にくたびれた印象が強かった。

 部屋の鍵が開けられる音を耳にし、彼は閉じていた切れ長の目を薄く開く。視線を向けた先には、黒いコートを羽織った女性がいた。


「おぉ、首尾よく事は運べたか?」

「ええ、まあ。とりあえず紺乃さん、ふんぞり返ったまま話すのを止めてもらっていいですかね?」


 色白の秀麗な顔を溜息で曇らせながら、自らの金髪を掻き上げて咲野寺さきのじうつつは上長である封魔省副長、紺乃こんのごうを睨むように見た。


「やれやれ、難儀じゃのぉ」


 おかしそうに口を裂きながら、紺乃は足を解いてベッドの脇に腰を下ろす形で部下を出迎えた。何かおかしなポイントがあったのか現には理解できなかったが、この男の腹の内を探ることはとっくに諦めている。ドアを閉めてコートを脱ぐと、彼女はガラス窓の正面にあるソファにどかっと何かを発散するように勢いよく腰掛けた。


「何か飲み物でも頼むか?」

「いいえ、今はいいです。先に報告を済ませましょう。とりあえずこっちに来てください」


 上長の気遣いをすげなく断り、現は対面のソファを指した。紺乃はベッドから立ち上がり、促されるままに彼女の前に座って足を組む。


「では、その報告を聞かせてもらおうかのぉ」


 前の長い黒髪の間から覗く切れ長の目に見つめられ、現は多少やりにくそうにしながらも咳払いを一つするのを合図にして口を開いた。


「滅魔省の動きについてですが、紺乃さんの睨んだ通りでした。芳月清言の私兵が凪浜市に向かったとのことです。既に市内では交戦の跡があるみたいですね」

「交戦相手については?」

「確たる証拠はありませんが、十中八九、例の少年ではないかと。あぁ、そういえば滅魔省の名目としては裏切り者の始末、ということらしいですが」

「坊主のお付きの嬢ちゃんじゃな。お前が負けた」

「……次があれば負けませんよ」


 からかうような口調の紺乃に、現は彼を軽く睨んだ。彼女は少しむくれながらも、報告を続ける。


「それから、これは最新です。市の北にある山中で、今しがた戦いが終わったようです。死者はなしとのことです」

「ほぉ、死者はなしか」


 紺乃は興味深そうに片眉を上げ、くくっと笑い声を漏らした。


「つまりは、坊主は私兵とはいえ滅魔の手先を退けよったというわけじゃな。結構、結構。そいつぁええわい。報告は以上か?」

「え、ええ。監視は引き続き行いますが、現状で報告出来ることは以上です。あの、紺乃さん。質問しても良いでしょうか?」


 機嫌良く笑う上長に戸惑いながら、現は彼の内心を計り兼ねて訊ねる。そんな部下の表情がなおさらおかしいのか、紺乃は笑みを深めて頷いた。


「なんじゃ、言うてみぃ」

「あの少年が殺されなかったことが、そんなに嬉しいんですか?」

「そうじゃな。坊主が生き残ったっちゅうことは、滅魔の連中も本腰を入れざるを得なくなるじゃろう。芳月清言がどう事態を持って行くかにもよるが、確実に事は動く」

「そこなんですよね。紺乃さん、なんでわざわざ彼らの情報を滅魔省に流したんですか? 口外しないって約束までしておいて」


 凪浜神社での戦いの後、取引として紺乃は彼らのことを組織には漏らさないと約束していたはずだった。その取引が敗北した自分の身柄の引き渡しだというのは、現にとっては苦い記憶の一つである。


「なんじゃ、案外律儀じゃのぉ。しかし約束は破っとらんぞ。あくまで儂は封魔省には漏らしとらん。それだけのことじゃ」

「屁理屈な気もしますが……。まぁ、彼らがどうなろうと、知ったことではないですけどね。質問を戻しますよ。どうして滅魔省に情報を漏らしたんですか?」

「前も言ったかもしれんが、少しは自分で考えてみたらどうじゃ」


 現の質問は今回の事の発端とも言えることだ。紺乃が浅霧真、千島珊瑚の情報を滅魔省に流した結果、滅魔省は彼らを始末する動きに出た。


「もしかすると、儂が漏らさんとも別口で情報は得ていたかもしれんがな。儂らがちょっかいかけた嬢ちゃんが、まさか芳月の姪じゃったとは、これはどんな奇縁じゃ」


 さしもの紺乃も芳月柄支の素性については予想の埒外だった。思いの外滅魔省の動きが早かったことも、それで納得がいくというものだった。

 現はその件については、特に思うところはなかったのでコメントは挟まず、紺乃が情報を流した意図を考えてはみたが、やはり理解が及ばなかった。


「間接的に、紺乃さんは彼らを始末しようとした……? でも、さっき死者はなしって報告に喜んでましたよね」

「ああ、こうなったら、坊主には早いとこ舞台に上がってもらわんといかんのぉ。とことん場を掻き回して欲しいもんじゃわい」

「はぁ……降参ですよ。もったいぶらないで教えてくださいよ。というか、考えるにあたる前提条件すら教えてもらっていない気がするんですが」

「おっと、ばれたか」


 笑みを絶やさぬ紺乃に現の苛立ちが頂点に達しかけたところで、不意に彼は表情を正して言った。


「我らが麗しの総長殿から直々に命令オーダーが下ったんじゃわ。裏切り者を炙り出せとのことでのぉ」

「は……? 裏切り者、ですか?」

「別に珍しいことでもなかろうが。今回の滅魔省の動きにしても、名目は裏切り者の始末じゃとお前も言ったじゃろ。組織なんてもんは、大きくなるほど一枚岩にするのは難しい。封魔省うち滅魔省むこうも、そこんところは同じよ」


 そう言われると確かにそうだが、現はいまひとつ釈然としない気持ちだった。封魔省に裏切り者というのは、なんというか彼女の中ではイメージが湧かないのだった。

 決して組織のメンバーの絆が強いとか、そういう肌が寒くなるような理由ではない。むしろその真逆だ。


「お前の言いたいことは解る。普段から好き勝手しとる連中ばかりの組織に、今更裏切りも何もないじゃろうと……まぁ、身も蓋もない言い方をすれば、儂らは一枚岩以前に、重なり合える相手すらおらんからのぉ」

「組織としては破綻してますよね、絶対」

「じゃから、比較的まともな儂が副長なんぞを押し付けられとるわけじゃが……その話はええわい。しかし、そんな儂らが組織として成り立っているのは、総長殿の一つの理念があってこそじゃ」


 紺乃に目で問われ、現はその答えを口にした。


「不死、ですか」

「そう。それがどんな形にせよ、あの人は命に執着する者には鷹揚じゃ。それが儂らを惹きつける」


 現は深く頷いた。そこに共感したからこそ、彼女もまたこの組織に身を置いているのだ。


「それじゃあ、裏切り者はその理念に反したっていう意味ですか?」

「いや、そうじゃないわな。行き過ぎたと言ったところかのぉ。儂らは切った張っただけが活動じゃない。その理念に基づいた研究をする部署っちゅうもんも存在する」

「へぇ、そうだったんですか。それは初耳です」


 組織に入ってまだ日が浅い現にとっては、まだ封魔省の底はようとして知れないものだった。


「研究のテーマは不死……もう少し突っ込んだ言い方をするなら、肉体と魂の劣化に関するものじゃ」

「いわゆる『老い』ってやつですか」

「そうじゃ。しかしこの研究、長い間行き詰っておってのぉ。捕食で魂の強化は行えても、それは不死とは程遠い。時間と共に老いは加速するからのぉ。魂を食い続けたところで、それはいたちごっこにしかならん。それはお前も、知っての通りじゃ」


 真剣な表情で押し黙る現を見ながら、紺乃は続ける。


「そこでその部署の連中、ある技術に目をつけてのぉ。それが滅魔省の『接続』じゃ。繋がった魂での霊気の共有、意識の同調。これを応用すれば、また違った手法で研究が進められるのではないかとな」

「まさか、封魔省うちから滅魔省に結託を持ち掛けたってことですか?」

「それがのぉ。折しも滅魔省の方にも、儂らの不死という研究に興味を持った輩がいたようでな」


 さも愉快とばかりに、紺乃は組んだ足を解いて膝を叩いた。


「どちらが先かはわからん。しかし、滅魔が不死に、封魔が魂の共有に、それぞれ興味を持って結託しよったわけよ。それも、各々の組織には秘密裏にな」

「え……それって……」


 滅魔省側が秘密にするのは理解できる。そもそも魂の捕食など認めておらず、不死に興味を持った挙句に敵対組織に自らの技術を開示するような真似は、間違いなく裏切りだろう。

 しかし、封魔省側はどうだ。今の話を聞く限りでは、あえて組織に秘密にする必要などないだろう。どのような条件があるのかは分からないが、封魔省側にうまみがあり過ぎではないか。


「まぁ、そこが封魔省うちの質が悪いところじゃな」


 紺乃は肩を竦めて軽く息を吐く。


「研究を成功させて別の組織でも立ち上げようとでもしたのか……今となっては知る由もないがのぉ」

「は?」


 まるで過去のことを語るような紺乃の口調に現は怪訝な表情を浮かべる。部下の疑問に、当然のように紺乃は頷いた。


「研究自体はな、数年前に潰れとるんじゃ。まぁそう怖い顔をするなや。話はここからが重要でな。潰れた理由自体は定かではないんじゃが、そこで行われとった研究自体は断片的にではあるが判っとるんじゃ」

「何なんですか? それは」

「生きた肉体から魂を引き剥がす」


 間を置かずに紡がれた紺乃の声音に、現の背筋に冷たいものが走った。


「肉体の死と魂の死は同義じゃ。それを覆す方法が存在し、生きた魂を肉体から意図的に取り出すことができたなら……」

「その生きた魂を接続して、劣化した魂への霊気の供給源にするとでも? それが、不死?」

「さあのぉ……まぁ、この件を追って行けばそれもいずれ判るかもしれん。当面の儂の仕事が、事の真相を探ることなわけよ。そこで偶然にも行き当ったのが、坊主と言うわけじゃ」


 生きた魂という鍵に、真とハナコの存在が浮かび上がる。現は知らず、唾を呑んでいた。


「まだそうと決まったわけではない。しかし、坊主らの存在が明るみになれば、そうした研究が行われたという証拠になるかもしれん。だから、滅魔省へ情報を流したのよ」

「あ……じゃあ、今回彼らを始末させようとしたことって、もしかして……」

「証拠隠滅、と言ったところかのぉ。そして、もしまだ封魔省と滅魔省が繋がっとるんじゃとすれば、必ずもう一度封魔省こっちにも情報が流れるじゃろう。そうなれば、釣れる阿呆もまた出てくるかもしれん。種は蒔いたんじゃ。後は大人しゅう育つのを待っとればええっちゅう寸法よ」

「……私には少し整理が必要ですが、話はわかりました。それで、裏切り者を見つけた後はどうするんです?」

「総長殿としては、研究成果は是非とも欲しいところじゃろうな。その後のことは儂にもわからん。ただ、一つ言えることは――」


 紺乃は右手の人差し指を立て、陰惨な笑みを浮かべた。


「滅魔省はこの件を潰す気で、封魔省は掠め取ろうとしとる。反目し合いながらも保っていた均衡が崩れるぞ、こりゃ」

「紺乃さん、なんでそんなに楽しそうなんですか? それって、抗争が今以上に激しくなるってことでしょう」

「なんじゃ、現。お前は祭りが嫌いか?」

「比べる対象がおかしいですよ。祭りは嫌いではありませんがね」

「そんなら、楽しんだもん勝ちじゃろう。まだしばらくは雲隠れが必要じゃろうが、いずれ暴れられる時がくる。そんときまで、存分に力を蓄えておけ」


 とことんまでの快楽主義な上長に辟易とするものの、現は僅かに口端を吊り上げた。

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