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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第二部 滅魔の刺客
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21 「誰がために 後編」

 沙也の太刀は折れなかった。変貌を遂げた真を前にして多少面食らってはいたが、それでも彼女の意志は毛一つ程の揺るぎもなく、目の前の化物を倒すために注力されていた。

 折れないこと。それが一つの強さの証明になることに違いはなく、彼女は間違いなくその強さを持っている。

 しかし、だからといってそれが通用するかは話が別だ。

 真の血塗れた黒い霊気と打ち合う度、その衝撃に沙也の身体の芯はぶれていた。勢いのままに地面に叩きつけられそうになるところを、辛うじて受け流しながら体勢を保ち、薄皮一枚で命を繋げている。

 彼が振るっている力は、見た目の醜悪さもさることながら、一振りが凶悪に過ぎた。

 沙也からすれば強さと言うにはおこがましい。それはただただ、原始的な暴力である。

 斬るというよりも、巨大なハンマーで叩きつけられると同時に爆撃でも食らっているような気分だった。まともに鍔迫つばぜり合いなどしようものなら、たちどころに肉体が粉砕されるという予感すらある。


「この……! 調子に……乗るなぁッ!!」


 いったい何処にこれほどの霊気があるというのか。生半可な威力であるなら切り捨てるところだが、それも叶わない。

 単純な霊気の物量に対して、真の強化という霊気の相性は、この段階において沙也にとっては最悪なまでに合致していた。


 気迫と共に沙也は真の霊気と太刀を打ち合わせる。しかし結果は変わらず、彼の霊気は力技で彼女に向けて捻じ込まれる。それも、片腕でだ。

 やむなく太刀を滑らせ受け流すが、すでに幾重にも重ねた衝撃が蓄積され、彼女の身体は思うように動かなくなり始めていた。

 精神が尽きる前に、肉体が限界を迎えるのは時間の問題だ。しかも相手はどういうわけか限度を超えた霊気を保有し、彼女が付けた傷口から溢れるそれを見せつけるように全身にまとっている。


「姉ちゃん……オレが時間を作る。その隙になんとかしろ!」

「フェイ!?」


 沙也の後方で援護の機会を窺っていたフェイが、たまらず前に飛び出してきた。彼女が止める間もなく、彼は果敢にも真に向かい駆けて行く。


「くそ……! やるしかないわね」


 フェイも腹を決めているのだ。議論の余地などなく、沙也もまた覚悟を決めた。

 彼女は一旦手にした太刀を消し、深呼吸をした。今から残った霊気を全て使い、新たな太刀を形成するためだ。

 刃の群れを射出する霊気はもう残っていない。それに、数に頼って個々の威力が下がれば、またあの黒い霊気に呑まれるのが目に見えている。

 狙うは一刀。沙也はフェイを信じ、意識を集中するため深く目を閉じた。





「ったく、羨ましいぜ。そんなに霊気を大量に放出できてよー!」


 愚痴にも聞こえる悪態をつきながら、フェイは真を正面から睨むように見上げる。もっとも、彼の目にそれは既に『浅霧真』として映ってはいなかった。


「次ハ、オマエカ……」


 戦う相手が変わったことを認識したのか、黒く染まった真の瞳がフェイを捉え、血色の瞳孔が細くなる。フェイは意識的に口角を吊り上げ、腰を落として身構えた。


「けっ、一丁前に、まだ意識があるのかよ」

「退クツモリハ、ナインダナ?」

「なんだそりゃ? オレらが退散して何か良いことあんのかよ。そんな成りして、まだ自分が人畜無害だとでも言うつもりか!?」


 真の質問に、フェイの感情に火が付いた。この化物を前にして、彼は確かに直感している。これは今の自分一人でどうにかできる相手ではない。

 例え万全の状態であったとしても怪しいところだ。だが、これも任務。おめおめと引き下がれるわけもないし、何より沙也が戦うことを諦めてはいない。

 一人ではどうにかできなくても、彼女と一緒ならば勝算はある。それを自分が必ず、作り出して託して見せる。


「来いよ化物。そうなっちまう前に始末できりゃ良かったんだが、目標には変わりねーんだ。殺してやるからかかってきな!」

「化物デモイイサ。ソレデ、守レルモノガアルナラッ!!」


 真が霊気に覆われた右腕を上げ、手の持つ短刀の切れ端から練り上げられた巨大な剣を振り下ろす。

 それは力任せのもので、いくらフェイが万全に程遠い状態ではないと言えど、避けることは難しくない一撃だった。

 しかし、フェイは迫る霊気の威圧に曝されながら、すぐにその場を動かなかった。迫り来る死の感覚に耐えながら、限界まで引き付けたところで彼は動いた。

 真の懐に飛び込むように足を捌き、紙一重のところで腕を避ける。だが、ほとんどフェイの足元を真の剣は打ち付け、地面は爆発するように激しく砕け散った。

 直撃を避けたとしても、その余波でさえ威力は凄まじいものだった。暴風の如く撒き散らされる衝撃に、フェイは火傷を負った肌に更なる熱を浴びせられ気が遠くなる。

 だが、死にはしなかった。


「取ったぜ、右腕」


 もとよりフェイは自分で勝負をつける気などない。だから、死ななければそれでいいと思っていた。

 彼は真の右腕にある、霊気が噴き出す傷口の一つを塞ぐように両手で握った。


「おらああああああああああッ!!」


 高らかに吼えながら、フェイはありったけの霊気を真の右腕へと放射する。目も眩むような閃光が迸り、次の瞬間には、真の右腕を覆い尽くしていた霊気が消えていた。

 フェイは作戦が成功したことに、してやったりとほくそ笑む。表層をなぞってもこうはいかなかっただろう。内側から、その根元を一時的にでも断つことができたからこそ、霊気が払えたのだ。


「ガァ……ッ!!」


 苦悶の声を上げた真は、自由が利かくなった右腕を震わせる。そして、持っていた短刀の切れ端を取り落していた。

 狙いは最大の障害である武器を失くさせること。後は、後ろに控えている彼女に託す。


「行けよ、姉ちゃん!」


 文字通り全霊を使い果たしたフェイは、落ちかける意識の中で振り返り叫ぶ。

 薄れゆく彼の視界には、荘厳な緋色の意志に染め上げられた太刀を構える、眩しい少女の姿が映っていた。





 太刀の再形成は完了した。刃はチリチリと大気を焦がす熱を放ち、その身が振るわれるのを待ち侘びるように獰猛な輝きで主の横顔を照らしている。

 対して、それを律する沙也の心は静かだった。左半身を前に突き出すようにやや前傾の姿勢を取り、両手に取った太刀の切っ先を前にして顔の右横に構える。

 フェイは自分の役割を果たしてくれた。ならば、自分もそれに全霊で応えるだけ。

 目の前の敵を、今度こそ討ち取る。


「今度こそ、終わりよ!!」


 このような存在を生かしてはおけない。沙也は眦を決し、いまだ怯んだ状態の真を目掛けて突き進んだ。

 太刀は鋭い緋の軌跡を描き、一際燃え上がらせたその先端が真の心臓部に突き立てんと繰り出された。真の身体を覆う霊気は太刀が放つ鬼気に押し流されるように払われ、その奥にある彼の肉体が露になる。


 が、そこで沙也の動きは止まった。

 後ほんの数センチ押し込めば心臓を貫ける。だというのに、太刀はびくともしなかった。力を込めようとすればするほど、切っ先は震えるだけで一向に前に進まない。

 何故、と疑問が湧き上がるとほぼ同時に沙也はその原因に気付き、顔から血の気が引いていた。

 太刀の刀身を、黒い枯れ枝のような手によって掴まれていた。

 それは真の腹部から、わらわらと虫がたかるように数を増している。その現象に生理的な嫌悪感を覚え、彼女は顔を歪めた。


「約束だから、まだ殺させないわよ」

「な……!?」


 沙也の耳に聞こえたのは真の声ではなかった。声は彼の内側から響いたかと思うと、背後から立ち昇る霊気が像を成して人らしき影が姿を見せていた。

 霊気の色を相まって、血に塗れたような、どこか破滅的な印象を抱かざるを得ない長い黒髪の少女だった。

 少女は覆い被さるように真の首へと両腕を回して抱き締める。すると、彼の右腕と、今しがた沙也の穿ったはずの胸の霊気が見る間に再生した。


「それが……本性ってわけね。なによ……偉そうにしといて、結局乗っ取られてんじゃないわよッ!!」


 金縛りにでもあったかのように身体を動かせぬまま、沙也はせめてもの抵抗にと真へ向けて叫んでいた。その怒声も興味がないと言わんばかりに、少女は沙也を見下ろしながら、真の耳へと顔を寄せる。


「では、始めましょうか。『真さん』」


 少女の囁きに導かれるように、おもむろに真の右手が沙也の首を掴んだ。五指を牙でも突き立てるように食い込ませながら、彼女の身体は容易く持ち上げられる。

 太刀は沙也の手から滑り落ち、闇の群れに食い尽くされるように消えてしまった。


「浅……霧……!!」


 ろくに呼吸もできぬ状態に追い込まれてなお、沙也の瞳の色は落ちなかった。真の右腕に両手の爪を立てながら、忌々し気に、ただ怒りを燃やして彼を睨みつけている。

 そして次の瞬間、首への圧力が急激に強まったかと思うと、急激に沙也の視界がぶれた。真に全力で投げ飛ばされたのだ。

 少女とはいえ、人一人を全力で投げ飛ばせるなど人間業ではない。沙也はそのままどうすることもできず、廃墟の中に山積する瓦礫の中へとぶち込まれた。


 沙也は全身にひびでも入ったかのような激痛に襲われる。砂埃が舞い上がり、口の中に砂利と血が入り混じる気持ちの悪い感触がした。

 こうなると、瓦礫に突起物のようなものがなかったことがせめてもの幸運だと思う他ない。痛みに苛まされながら、沙也は半ば開き直った気持ちで動かぬ四肢を投げ出し、ゆっくりとこちらに向かってくる化物の姿を睨んだ。


「あんたが……その力で周りに災厄を撒き散らそうっていうのなら……!! あたしは地獄に落ちてもお前を殺しに行くぞ!!」


 潰れかけた喉で、血反吐を吐きながら沙也は声を搾り出す。背後に少女を従えた――いや、変わり果てた少年を従えた少女の霊には、そんな死の淵の叫びも届かない。

 無言のまま彼女を見下ろした黒い魔物は、右腕を引き絞るように掲げる。狙うのは頭蓋か、あるいは心臓か。どの箇所だろうと一撃で粉砕されれば終わることには違いない。


「……ごめん……お姉ちゃん……」


 せめて憎き敵の姿を最後までこの目に焼き付けるため、沙也は毅然と顔を上げる。が、そのとき彼女の前に立ちはだかる者がいた。


「決着はつきました。真さん、あなたの勝ちです」

「な……あんた……?」


 沙也を守るように、彼女と真の間に珊瑚が両手を広げて立っていた。沙也は何が起きているのか理解できず、半ば呆然としながら珊瑚の背中を見つめる。


「どういう……つもりよ」

「別にあなたを守ろうというわけではありません。真さんとハナコさんに、あなたを殺させたくないだけです。そんなことは、私が許しません」」


 珊瑚は振り返らずに、冷たく言葉を返した。

 殺させたくない、というのはそのままの意味だ。沙也が命を落とすこと自体に、別段彼女は頓着してはいない。真とハナコが、その凶行に走ることを許さないと言っているのだ。


「真さん。あなたとハナコさんは、私を止めてくださいました。同じ咎を、あなたは犯そうというのですか?」


 まっすぐに真の瞳を見つめながら、珊瑚は言った。底なしの黒に染まろうとも、その奥に隠された彼の本当の瞳に対し訴えかけるよう、彼女は優し気に微笑んだ。

 腕を掲げたままの姿勢で、真は固まっていた。掠れた呼吸音が彼の口から零れ、瞳は珊瑚に向けられ微動だにしていない。


「邪魔をしないで」


 動かない真に代わるように、彼の背後に浮かぶ少女が声を発した。珊瑚は彼女の方へと視線を向け、同じように微笑んだ。


「ハナコさんですね」

「あなたがハナコと呼んでいた子は、わたしの中よ」

「いえ。それでも、やはりあなたはハナコさんです」

「……どいてくれないの? ある意味、あなたのお陰で、わたしはこうして表に出ることができた。殺すなら、最後にしてあげてもいいのよ」

「どきませんよ。殺すというのなら、どうぞご勝手に。ですが、真さんを見くびらないでくださいね」

「なんですって?」

「ハナコさんが思うほど、真さんは弱くはないということです。そして、ハナコさん、あなたもです」


 珊瑚は笑みを不敵なものへと変え、一歩真へと詰め寄った。


「今の私にできることは、このくらいです。ここで私が殺されるというのなら、私も、あなたたちもそれまでの人だったということですね」

「何、それは……その言い方だと、あなたを殺せばわたしの負けみたいじゃない」

「そう思われるのならば、そうなのでしょう。どうぞ、真さん。その拳を振るってください。どのような結果になろうとも、私はあなたを信じております」

「……いいわ。そこまで言うのなら、真さん、やってください」


 少女の声に応じるべく、真は瞳に鈍い眼光が宿る。彼は引き絞った状態の腕を射出するように、黒く霊気に燃える拳を珊瑚の顔目掛けて撃ち放った。

 空気を切り裂く轟音が珊瑚の耳朶を打つ。遅れて巻き起こる旋風が彼女の左頬を僅かに切り裂き、激しく流される栗色の髪が一房地面へと散らばった。


「……珊瑚さん……無茶……し過ぎですよ」

「申し訳ありません。ですが、賭けは私の勝ちですね。本当に呑まれていたのであれば、外すわけがありません。あなたの意志は、確かに残っていました」


 真の拳は寸でのところで珊瑚の顔の横へと逸れていた。そして、声はか細くはあったが、間違いなくそれはいつもの彼のものだった。


「もし……俺が止められなかったらどうするつもりだったんですか?」

「そのときは、私の死をもって真さんが奮起してくださる予定でした――というのは、流石に冗談ですが」


 答える珊瑚は、にわかに真の雰囲気が剣呑なものに変わったのを感じ、取って付けた様に言った。どうやら本気の台詞らしく、豪胆を通り越したその言動に真は返す言葉が見つからなかった。


「ともあれ、勝算がなかったわけではありません。わざわざ彼女を投げたのは、絞め殺すのを咄嗟に避けようとしてのことだったのではないのですか? 意識的にせよ、無意識にせよ、そこには真さんの意志が働いたのだと判断しました

「は……? 何よそれ……」


 自分のことに触れられ、沙也は呆気にとられていた。そんなもの、ただ痛めつけるため行われたものだとしか思っていなかったためだ。


「……では、真さん。後は任せました」


 珊瑚は詰めていた距離を開けるため数歩下がり、一礼する。真は無言で頷き、背後の少女を振り返った。


「そんな……どうして? わたしを、受け入れてくれるんじゃなかったの!?」


 土壇場で裏切りにでもあったかのように、少女は狼狽えた声を上げていた。

 真の身体はまだ黒い霊気に覆われ、完全に自由を取り戻したというわけではない。しかし、彼は無理矢理にその場で片膝をつき、もう戦う意志がないことを示してみせた。


「嘘じゃねえよ。だが、お前だけを受け入れるんじゃないって話なだけだ」


 苦し気に息を吐きながら、真は挑むように少女の昏い瞳を見据えた。


「ハナコ」

「……何よ」


 名前を呼ばれ、不満げに少女は返事をした。血塗れたような霊気をまとう異質な姿でありながら、少し面影を見たような気がして思わず真は笑みを零した。


「お前は俺を信じられなかったって言ったよな。それはつまり、今のお前を知ることで、俺が幻滅するかもしれないとか、勝手に思ってたってことなのか?」

「そうね……汚いでしょう? あなたに生きろと言いながら、わたしはずっと死にたがっていたの。あぁ……もしかしたら、道連れが欲しかったのかもしれないわね。ほんと、最低だわ。わたしは、独りで死ぬべきだったのにね」


 どこか退廃的に、少女は自身を蔑むような口調で言った。それは紛れもなく、彼女の中で眠っていた本心なのだろう。


「思わねえよ」


 だからこそ、真は怒気を孕んだ声で言った。


「正直こうしてお前の意識を全身に感じて苦しいし、辛い。想像以上だ。これでもまだ、お前の一部なんだろ? 分かるなんて軽々しく言えねえよ……死にたくなって当然なのかもしれないし、その気持ちを俺は否定できない」


 それでも、命を救われたことは嘘ではないのだ。


「だがな、お前は生きたいって願ったんだよ。それだって、お前の気持ちには違いないんだろ!?」


 ハナコは確かにそこにいる。目の前の死にたいと願って止まない彼女と共に、間違いなく存在しているのだ。


「生きたいって思うことの何が汚いんだよ。それこそふざけるなって話だろうが。お前に何があったかは知らない。けど、そこまで悲惨な思いをしながらも、お前は生きたいと願ったんだろ!? それは、誇ってもいいことだ! 蔑まれるようなことじゃ、決してない!!」


 真は己の胸を激しく殴りつけた。この痛みも、込み上げる熱も、生きている証だと言わんばかりに。


「この先、お前が死にたいなんて言うんなら、その時は俺も一緒に死んでやるよ。けど、お前以外の全員が死にたいって言っても、お前が生きたいって願う限り、俺はお前を支持してやる!」


 彼女の全てが死を願うのであれば否定はしない。だが、この命はそんな願いから生かされたものじゃないことは、真は誰より理解している。それを否定することが、どうして彼女を受け入れることになるというのか。


「だから、独りきりで死にたいなんて、寂しいことは言うな。お前は、俺と一緒に生きろよッ!」


 真の言葉は果たして届いたのか、少女はしばらくの間沈黙を保っていた。


「――はは……参ったわね。あの子が、起きちゃったわ」


 やがて、乾いた笑いが彼女の口から零れる。その姿が微かに揺らぎ、真を覆っていた霊気もまたその色を薄め始めた。


「今日のところは引いてあげる。でも、忘れないで。わたしも、あの子も、全部含めて『わたし』なの。あなたの言う通り、あの子が生きたいと願う心も本当……でも、わたしの心も本当なのよ。目覚めてしまったから、この気持ちはもう止めることができない」

「……そのときは、また説得してやるよ」

「どうかしらね……また……会えるときを待っているわ……」


 少女は消え去り、血塗れた霊気は完全に消失した。真は傷だらけではあったが、暴走した際の作用なのか傷口はほぼ塞がりかけている。気を抜けばすぐさま眠りに落ちそうなほどに体力は奪われていたが、彼は息を吐き、気力を振るって前を見据えた。

 消えた少女と入れ替わるように、そこには真の良く知る少女がいた。何かを必死に耐えるように口をへの字に曲げて、睨むように真を見つめている。


「やっと戻って来たな。遅いぞ」

「真さん!!」


 笑む真の顔を見て、わっとハナコは泣き声を上げて彼の胸に飛び込んでいた。


「ごめんなさい! わたし、真さんにとんでもないことをしました! 酷い事を……!」

「いいんだよ。お互い、生きているだけで儲け物だ」


 かじりつくハナコをあやすように、真は彼女の頭に手を添えた。


「まったく、情けない。俺はお前を不安にさせてばかりだな」


 ハナコは真の胸の中で激しく首を横に振る。その後はただ、泣き声を上げ続けることしかできなかった。

 肉体のないハナコが涙を流すことはない。しかし、真は彼女の魂の震えを、確かに感じていた。

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