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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第二部 滅魔の刺客
39/185

19 「限界を超えた獣」

 真と沙也が命を削り合う光景を、フェイは固唾をのんで見守っていた。

 二人が打ち合う度に飛び散る霊気は、さながら血飛沫のように見えた。それもあながち、間違ってはいないと思えるだけの迫力がある。

 こうなると、互いに攻撃を受けていない箇所を探す方が難しいくらいだ。

 いくら防御が成立するといっても、沙也の太刀の殺傷能力は言うまでもなく、真の短刀とて木製にせよ、まともに当たれば骨は砕ける。

 それを紙一重で受けながら、なお攻撃は繰り返される。どんなチキンレースを繰り広げているというのだ。正気の沙汰ではない。霊気が衝突する歪な高温が鳴り響く度、彼は目を瞑りたくなる思いだった。


 沙也に手を出すなと言われている以上、我慢強く耐えていたが、どうするべきか迷いはあった。

 現状、二人の戦いは拮抗しているように見えたが、フェイはそれを崩すことが容易にできることに感付いてはいるのだ。

 彼は同じく戦いを見守っている珊瑚の姿を一瞥する。

 真が沙也の動きに合わせられているのは、接続者である珊瑚の存在があるからだ。また、珊瑚も真の意志と同調するため、かなりの集中を行っているに違いない。

 ある意味、沙也は二対一で戦っているようなものだ。ならば、自分が珊瑚の妨害を行っても文句を言われる筋合いはないだろう。


 と、そこまで考えた上でフェイは苦笑しつつかぶりを振る。それを承知の上で、沙也は戦いに臨んだのだ。

 ならば、よしんば妨害して彼女が勝ったところで納得はしないだろう。そうなれば、後で何を言われるか分かったものではない。それは彼の望むところではなかった。

 それに、あくまで拮抗しているように見えるだけだ。彼が迷うのは、単純に彼女の痛々しい姿をこれ以上見たくないと思ったからだ。


 フェイは沙也の勝利を疑わない。接続してようやく真は彼女と対等に立ち回れるようになった。だからどうした。

 それは結局のところ、そこまでしてようやく同じ土俵に立てたというだけだ。だからこそ、ここから先は純粋な力がモノを言う。


「やっぱ姉ちゃん、おっかねーよ」


 一思いにやるのではなく、傷口に塩を揉み込むような沙也の容赦のないやり方にフェイは口を歪める。

 真がどれだけ彼女の逆鱗に触れたのかは知らないが、こればっかりは同情せざるを得なかった。





 攻防の均衡が崩れる瞬間は、前触れもなく訪れた。

 沙也の太刀による刺突が、真の右腕を貫いていた。赤熱したように染まる切っ先が、彼の霊気の壁を砕き散らし、二の腕の肉を食い破る。

 息を詰まらせた真が足をよろけさせて後ろに下がると同時に太刀が引き抜かれ、鮮血が宙に飛び散った。


「くそ……ッ!」


 真は右腕をうまく持ち上げることができず、まともに構えが取れなかった。それを見越した上で、沙也は次の攻撃に太刀を使わずに、最初に斬り付けた彼の右脇腹の傷めがけて回し蹴りを放った。

 足の裏に肉がひしゃげるような感触を覚え、沙也は足を引く。直撃に真は声を上げることもできず、ついに両膝をついていた。


 押し負けたのは、結局のところ彼の霊気が先に底を尽きたことが原因だった。地力の差と言っても良い。

 確かに殴り合いは成立していた。沙也も決して傷を負っていないわけではない。パーカーとスカートの布はところどころ破れてはいるし、手足には打撲の痕も多くある。

 だが、緋に煌めく太刀の輝きだけは落ちることはなかった。対して、真の短刀は打ち合う度に木片を散らし、傷だらけとなってボロボロだ。

 互いの武器は折れてはいないが、その差は歴然としている。攻めるにせよ、守るにせよ、最終的には真の上を沙也が制した。


「もしかして、千島珊瑚の侵食で、あたしの太刀をどうにかできるとでも思った?」


 そして、とどめを刺さずに真をから数歩距離を取り、どういうわけか沙也は太刀を消した。

 真は曇りかけた瞳を上げる。彼の悔しげな表情を見て、彼女は不敵に口角を上げた。


「決定的に相性が悪かったわね。あたしの形成は、あんたの侵食じゃ崩せない」


 接続により珊瑚の技術を模倣でも真が扱えるのであれば、彼女の技の一つである他者の霊気を侵すこともまた、可能だと真は考えていた。攻撃に転じたのは、そうした計算もあったからだ。

 しかし、沙也には通用しなかった。彼女の太刀は毛ほどの揺らぎもなく実体を伴っている。そこに霊気を差し込む余地などありはしなかったのだ。


「太刀さえ何とかできれば、あたしをやり込めることができるとでも考えたんでしょうけど。甘かったわね」


 そう言って彼女は右腕を上げ、手の平を真に向けて突きだした。


「とどめを刺してあげるわ。気付いていた? あたしが攻撃を仕掛けている最中に、あんたの周りに霊気を飛ばしていたことを」

「な――」


 真は首を回し、自分の周囲に広がる光景に言葉を失った。互いの攻撃で散っていたと思っていた沙也の霊気が、消えることなく空中に固定されたように留まっていたのだ。

 その数は優に数十を超えており、その一つ一つが、次第に姿を細長い形状へと変えていく。





「真さん――!!」


 その現象が起こす凄惨な未来を予期し、珊瑚は色を失い叫んでいた。あれは今の状況では、防ぐことも、避けることもできない。

 すぐにでも珊瑚は真のもとへと走り出そうとしたが、鋭い殺気を感じて足が止まる。視線を向ければ、瓦礫に腰かけたままの姿勢でフェイが彼女を見ていた。


「やめとけよ、千島珊瑚。直接手を出すっていうなら、オレも止めざるを得ないぜ」


 珊瑚は奥歯を強く噛んだ。これ以上踏み込めば、彼は躊躇いなく珊瑚に襲い掛かってくるだろう。

 負傷しているのはお互い様だ。容易に撃退できるものではない。例えできたとしても、それでは遅過ぎる。

 爪が食い込み、血が滲むほどに珊瑚は拳を握りしめた。冷静になれと己に言い聞かせながら、この場を打開できる策がないか、思考を巡らす。

 だが、無情にも真の周囲に広がる沙也の霊気は数秒と待たずに形を成した。





 無数に散りばめられた透き通る緋の刃が陽光を反射し、凄絶に煌めいている。真を包囲するのは、刃と光の檻だった。

 刃の切っ先はいずれも違わず真に向けられている。それがどういう意味かは、それを目にした瞬間に理解できた。

 これは全て沙也が形成により生み出したもの。彼女が合図を下せば、その全ては彼の身に降り注ぐことになる。

 そうなれば、歪なハリネズミの完成だ。冗談ではない話だが、真はこの檻から抜け出す術を思いつくことができなかった。


「これで理解できたでしょう。あんたの信念がどれだけ固くても、実力の壁の前にはどうしようもないってことが」


 万が一、正面からの打ち合いに負けていたとしても、沙也はこうして予防線を張っていたということだろう。

 彼女がわざわざこうして種明かしのようなことをしているのは、例えどう転んでいようとも、自分の勝ちは揺るぎないものだったと見せつけるためだ。


「あたし相手でこれなんだもの。ここで生き残れたとしても、この先、あんたは何も守れない。自分自身さえも守れないんだから、当然よね。

 封魔省とやりあって凌げたのも、敵の気紛れのところが大きかったんでしょうよ。掛け値なしの、あんたの実力で、本気の外道どもと渡り合えるはずがない」

「……まだだ」

「は?」

「まだ、負けてない。言っただろ。俺はまだ、殺されてない」

「……そう、あくまで折れないのね。ある意味、その鈍感さが羨ましいわ」


 震える膝で身体を支えながら立ち上がり、息も絶え絶えのくせに強情にも睨み返す真の姿を沙也は嗤う。が、すぐに口元を締め直し、瞳の輝きを強くした。


「もういいわ。そんな半端な実力で、何かを守ろうだなんて決意は無謀でしかない。それじゃあ、あたしが迷惑するのよ。だから、あんたはここで死になさい――!!」


 沙也が五指を曲げた瞬間、耳をつんざく高音を発し、刃の群れは空を切りながら真に襲い掛かった。

 真は右腕を捨てて短刀を左手に持ち替え、正面に迫る刃へと全力で振るう。いくつかの刃は弾かれたが、それが残された最後の一振りだった。

 全方位から迫る刃をそれだけで凌げるはずもなく、背中に強い衝撃を受けて真は上半身を仰け反らせる。そのまま倒れることを許さず、刃は次々と容赦なく打ち込まれた。

 操り人形のように宙で踊った真はやがて力なく地面へと墜落し、地面は刃による傷口から溢れる赤黒いものに染まる。その周囲には死に際を飾るせめてもの情けなのか、墓標のように刃の雨が突き立てられていた。


「――」


 動かなくなった真のその様を最後まで見届け、沙也は右手を降ろす。戦いを終えた後の静寂が、彼女の耳にやけ響いていた。

 そして、疲れ切った息を吐いた刹那、彼女は凄まじい殺気を感じ総毛立った。

 激しい攻防の後に生じた一瞬の気の緩み。目前に飛び出し、躍り掛かろうとする珊瑚の姿に、彼女は己の迂闊さに舌打ちする。

 砕けんばかりに奥歯を噛み締め、顔を紅潮させる珊瑚の瞳から零れる涙を沙也は見た。激情に駆られた珊瑚の視界には、真の仇となった彼女しか映っていない。


「やめとけって言ってんだろーが!!」


 沙也の失態をフォローするため、珊瑚の横っ腹に追って来たフェイがしがみつくように突進した。勢いに任せて二人は地面に滑り込むように倒れたが、珊瑚はすぐさま立ち上がろうとする。それを全力でフェイは止めた。


「悪かったわ。少し油断した。フェイ、少しだけ押さえておいて。すぐに済むから」

「この……!! どけぇッ!!」

「どくかよ……! 姉ちゃん、やるなら早くしてくれ!」


 辛うじて珊瑚の上を取っていたフェイだったが、大人と子供の体格の差で上手く押さえつけることができず、逆に上体を起こした珊瑚に掴みかかられることになった。

 きりもみ状態のように地面を転がりながら、フェイを振り解こうと珊瑚はもがく。鬼の形相で睨みつける彼女に沙也は顔を向け、冷たく言い放った。


「大人しく待ってなさい。あんたの相手は、浅霧真の魂を殺してからよ」


 真が沙也の刃を受けた時点で、彼と珊瑚の接続は切れていた。それが意味するところを、珊瑚は認められなかった。だが、胸の奥からは抉られたような痛みと熱が、とめどなく込み上げてくる。

 この痛みには覚えがあった。喪失だ。


「あああああああああああああああッ!!!」


 失うものが大きい程にその傷は甚大で、修復が不可能になってしまう。この傷を受け入れてしまえば、自分はもう立てなくなる。

 だから、珊瑚は吼えた。

 痛みも、熱も、涙も全て呑み込んで、ただひたすらに感情を爆発させる。例えここで命を燃やし尽くしても、沙也の行為は止めなくてはいけない。

 真を、ハナコの魂も奪おうなどと、そんなことを赦せるものか。


「ちょ……マジかよ!」


 ほとんどフェイを引き摺るような形で珊瑚は立ち上がっり、沙也の背中に追い縋ろうとした。が、そのとき偶然視界に映ったものに、彼女は足を止めた。

 沙也の向かうその先に見える倒れ伏した真の指が、地面を引っ掻くように微かに動いたのだ。それは珊瑚だけの見間違いではなく、沙也もまた真の動きを見て息を呑んで立ち尽くしてしまっている。


「真さん!!」


 フェイもまたその異常に気付き、珊瑚を掴む力が緩んだ。珊瑚はその隙を突く形で全力で彼を振り切り、沙也の存在にも目もくれず真のそばまで駆け寄る。周囲に突き立てられた刃が肌を掠めたが、気にしている余裕などはなかった。


「真さん! 私の声が分かりますか!?」


 真の背中に突き刺さる夥しい刃は未だ消えていない。地面に磔にでもされたかのような状態の彼が、何故まだ生きているのかはこの際どうでもいいことだ。珊瑚は彼の意識を繋ぎとめるため、必死で呼び掛けた。

 赤黒い染みが広がる中、珊瑚は膝をついて真の顔を覗き込む。しかし、彼の瞳は濁り、何も映し出してはいなかった。


「……そうよ。生きているはずがないわ」


 今しがた見たものを否定するようにかぶりを振り、沙也は真への距離を詰める。彼女の右手には新たに形成した太刀が、その存在を主張するように燃える輝きを放っていた。


「させません……!」


 真の前に立ちはだかろうとする珊瑚を見据えながら、突き立つ刃の前で沙也は立ち止まる。そこでふと、沙也は足元に広がる赤黒い染みの感触に違和感を覚えた。


「何……これは……」


 それを彼女は真の血だと思っていた。しかし、間近に見てそうではないと、驚愕に目を見開いた。


「千島珊瑚! そいつから離れなさい!!」

「何を……! 聞けるわけがないでしょう!」

「気付きなさい! そいつが流しているのは血じゃない! 霊気よ!」


 そう言われ、珊瑚はようやく沙也の言わんとしていることを理解した。真の生死に気を取られる余り、周りが見えなくなっていたのだ。


 そして、その現象は起きた。


 真の身体に突き刺さる刃が、その傷口から流れ出る霊気に侵されるように黒変する。まるで根元から腐り、朽ち果てるように刃は崩れ出し、跡形もなく消え去った。

 地に根を張るように広がった霊気を源泉とし、そこから更に色を濃くしたドス黒い霊気が蒸気のように湧き上がる。地面に突き立った沙也の刃は、全てその霊気に侵され、同様に消えた。

 眼前の光景のおぞましさに、沙也の足が半歩下がる。死体のはずの真に何が起こっているのか、無数の傷口からは何かを燃やすように、激しく黒い霊気が噴出していた。


「真さん! いったいどうしたというのですか!」


 尋常ならざる事態であることは疑いようもなかったが、珊瑚は真から離れるわけにはいかなかった。

 彼女は彼の肩に触れようと手を伸ばす。噴き出す霊気の熱さに反射的に手を引きかけたが、本能は意志で押し殺した。

 手の平に焼け付くような痛みを感じながら、珊瑚は真の肩を揺すった。その懸命な想いが伝わったのか、ぴくりと、彼の身体が僅かな反応を示した。

 やはり、真はまだ生きている。それを知ることができて珊瑚は危うく再び涙しそうになっていた。

 この状況が何を意味するのかは判らないが、少なくとも相手にとっても想定外の出来事なのは確かだ。しかし、この黒い霊気が真にとって有効に作用するものだとも思えない。珊瑚は現状を打開するため、今一度冷静になろうとした。


「――オオオオオオオオオオオォォッ!!!」


 だが、珊瑚の思考は獣の如き咆哮に打ち砕かれた。

 その声はひび割れたような異質な音を含んでいたが、真のものだ。彼は地面に爪を立て、ゆらりと幽鬼のごとく立ち上がっていた。


「何よこれ……」


 真の変貌に沙也は震えていた。感情として恐れていてわけではない。目の前の現象を理解する前に本能が反応していたのだ。


「浅霧真……あんた、まさか、本当に魔物になったっていうの!?」


 真はおもむろに動き出し、沙也の刃の群れに埋もれ、既に折れてしまった短刀を拾い上げた。すると、血の代わりのように傷から溢れる霊気は彼の右腕伝わり、短刀をも覆い始めた。

 それは刀身と呼ぶにはあまりにも歪な出来だった。しかし、間違いなくそれは剣なのだろう。

 沙也の太刀が洗練されたものであるのなら、折れた短刀から伸びるその黒い光は醜悪と言わざるをえない。全てを吸い込むような昏い輝きが大気を汚染し、荒々しい気を曝している。


「負ケラレナイ……」


 見開かれた真の眼球は黒く染まり、瞳孔は深い血色の光を宿していた。その様は鬼か、悪魔か、珊瑚は膝をついたまま呆然と彼を見上げることしかできずにいた。

 真はそんな彼女の前に進み出て、右腕を左肩へ向けて斜めに持ち上げる。


「――ハアアアアアアアアアッ!!!」


 そして、気迫と共に薙ぎ払われた黒い光が空間ごと削ぎ落とすかのような威圧を放ち、巻き起こる衝撃の波が沙也とフェイを襲った。


「フェイ! あんたは下がってなさいッ!」

「そんなこと言ってる場合かよ! 見りゃわかる……アレは、本物の化け物だろーが!!」


 沙也は振り返って叫んだが、フェイは構わず彼女の隣に並んだ。

 これを相手に一人で立ち向かわせるなど、フェイの気持ちが許さなかった。沙也も消耗し全開には程遠い状態であることに違いはない。ならば、二人で戦うべきだと彼は決断していた。


「行クゾ!!」


 喉の奥から絞り出したかのようなひび割れた声に、沙也とフェイは目前の敵を睨み据える。

 この化物は、この場で必ず滅ぼさなければならない。疾駆する黒い影を迎え撃つべく、沙也は太刀を振りかざした。

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