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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第二部 滅魔の刺客
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16 「帰る場所」

 緩やかな意識の目覚めを、ハナコは感じた。

 現在、自分がどのような状態にあるのかは、彼女自身も把握していた。霊体を保つほど霊気の余裕がなくなり、今は表に姿を見せるどころか、真と意思のやりとりをすることもできない。

 時に霊体を消して真の中――実際は、真の中に憑いている自身の魂に意識を戻すこともある。その場合は彼の目を通じて外の世界を見ることができているが、それも無理だった。


 ハナコは自分の魂が生きており、霊気を生み出せるということについて、実際のところあまりピンときてはいない。

 生きていると言われても、身体はない以上は死んでいる事と変わりはないのだろう。

 魂という概念もよく理解しているわけではないが、ともかく彼女が言えることは、どうやら自分は普通ではないということだけだった。


 今、ハナコは目覚めたばかりの意識を漂わせている。

 何か温かなものに包まれている気がした。

 まるで陽だまりにいるような気持ちの良い感覚に、二度寝したい誘惑に駆られてしまいそうだった。


 失った霊気が満たされている。

 だが、これはハナコの魂から湧き出したものではない。これは、いつもと逆だと彼女は感じた。真の魂を通じて、自分の元へと霊気が流れ込んできている。

 以前に咲野寺現から受けた不快なものではない。これは、一体誰のものだろうと考えようとした瞬間、不意に感覚が遮断された。

 温もりが消えた。真と繋がっているはずの魂の感覚もない。

 無音である。

 陽だまりであったはずの場所は、いつの間にか暗い檻のような空間に変わっていた。何も見えず、閉塞感に息が詰まりそうだった。


 ――そんなものは要らない。


 それは泥の奥底で這いずるような、濁り切った声だった。

 突如として意識に直接響くその声に、ハナコは悪寒に震える。


 ――持てば奪われる。失われる。


 声の反響は増し、意識が揺さぶられる。

 その声が、自分のものであることをハナコは疑わなかった。


 ――それは酷く悲しく、痛みを伴うから。


 そして、ハナコはここに至り自分の魂が生きているのだということを理屈もなく実感した。

 本能にも似た意識が、心――魂の奥底から湧き上がる。

 それは、死だ。

 死を感じることは生きている証左なのだと、鳴り止まぬ声に教えられているようだった。


 ――心は常に矛盾し、自分が何を求めているのかもわからなかった。


 だから、殺した。


 ――そう、あなたはわたしを殺した。


 何度も何度も、殺して、生まれて、また殺した。


 ――生まれる度に、殺し尽した。


 色々なものを切り捨てた。この魂の奥には、多くの意識の残骸が積み重なっている。

 その上に、今の意識がある。


 ――どうして、あなたは生きているの?


 霊体という外装を失ったことで、見えなかったものが、見ようとしなかったものが見えてしまった。


 ――許さない。


 声は次第に上って来る。そして、ハナコの意識の足元を掴んでいた。





 早朝の冷えた空気を感じながら、柄支は目を覚ました。まだ日は昇りきっておらず薄暗いが、視界に問題はない。

 隣に顔を向けたが、一緒に寝ていたはずの麻希の姿はなく、布団が綺麗に畳まれていた。枕元に置いてある眼鏡を掛け、壁に掛けられた時計を見るとまだ五時だった。

 起きるには早過ぎると言って良い時間だったが、柄支は布団から起き上がり廊下に出る。居間の前まで来ると、中に人の気配がしたため襖を開いた。


「あ、芳月先輩。早いですね」


 中にいたのは新堂進だった。特に何をするでもなく、彼は居間の一角に行儀よく座っている。


「おはよう、新堂くん。君も早いね」

「まあ、そうですね。のんびり寝ていられる心境でもありませんから」


 入口に立ったまま会話を続けつつ、柄支は首を巡らして他に誰もいないことを確認した。


「ところで、麻希ちゃん見なかった?」

「古宮先輩なら、三十分ほど前に出て行きましたよ」

「え、まだ外は暗いよ? っていうか何処に?」

「神社周辺をランニングしてくるとか。僕も誘われましたけど断りましたよ」


 呆れているのか感心しているのか、半々といった感じで進は肩を竦めて笑って見せた。柄支は友人の奇行を心配するも、するだけ無駄かとすぐに見切りをつけた。彼女なら、滅多なことは起こらないはずだ。


「浅霧くんと珊瑚さんは、まだ?」


 そして、壁の向こうを一瞥して訊ねる。居間に来るときに部屋の前を通りかかりはしたのだが、柄支は中の様子を見ることを躊躇していた。


「まだですね。今、永治さんが様子を見に行っていますよ」

「そっか……」


 早起きをしたと思ったが、結果としては自分が一番遅かったのかと柄支は申し訳ない気持ちになった。皆が真と珊瑚のことを気に掛けているのに、呑気に寝ている場合ではなかった。


「先輩が何を考えているのか、顔を見ればなんとなく分かりますが考え過ぎですよ。僕も起きたのはついさっきですから」

「あはは、ありがとう。その割には、きちんとしているよね」


 後輩にフォローされて複雑な笑みを浮かべる。寝間着から着替えて身なりを整えている進に対し、柄支はスウェットで髪も下ろした状態だ。


「支度をしてきたらどうですか? 永治さんが戻るまでには、まだ時間がかかると思いますし」

「……わかったよ。じゃあ、また後で」


 ひょっとしたら寝癖もついているかもしれないなと、今更ながら女子として不甲斐ない姿を後輩に晒しているのではないかと不安になった柄支は、大人しく彼の忠告を聞いて居間から退散することにした。

 寝起きの気分を吹き飛ばしたかったので、洗面所で柄支は冷水を思い切り顔に浴びせて気合を入れる。幸いにも寝癖はついていなかったので、軽くブラシをあてて麻希の部屋へと戻り、服装と髪を整えた。


「うむ、これでよし……ん?」


 柄支が持参の手鏡で最終確認を終えたところで、玄関から物音が聞こえた。もしかしてと思い向かうと、予想通り麻希が靴を脱いでいるところだった。


「なんだ芳月。もう起きたのか」


 麻希も柄支に気付き、顔を上げる。走るのに邪魔なため髪はポニーテールにしており、緑の蛍光色のジャージを上下に着ていた。前は開けられ、汗に濡れた黒いシャツがぴったりと肌に張り付き、引き締まった身体の線を浮かび上がらせている。


「うおおぉ……何か色々と凄い敗北感が……」

「……? 何を言っている?」


 麻希は白い息を吐きながら、蒸気した頬に流れる汗を首に掛けたタオルで拭う。危うく膝をついて完敗を認めかけたが、柄支は寸でのところで踏みとどまった。


「いいよ、持てる者はいつだって無自覚なんだよ。色っぽいんだよ! こんちくしょう!」

「……」

「あれ、突っ込みはなし?」

「やれやれ、ふざけている場合ではないだろう。御爺はどうしているか知っているか?」


 柄支の言葉を無視して麻希は玄関を上がる。不満げに頬を膨らませながら、柄支も彼女の後に続いた。


「浅霧くんと珊瑚さんの様子を見に行っているみたいだよ。もう少ししたら戻るんじゃないかな」

「そうか」


 そう短く答え、麻希は居間の襖を開ける。中に居た進が、彼女へ顔を向けた。


「お帰りなさい、先輩」

「その様子だと、御爺はまだだな?」


 居間に進以外いないことを確認し、麻希が訊ねる。進が首を縦に振るのを見た彼女は、自室の方向へと身体の向きを変えた。


「芳月はここで適当に待っているといい」

「麻希ちゃんは何処に行くの?」

「先にシャワーを浴びてくる。その後で朝食くらいは作ってやろう」


 片手を振って足早に立ち去る麻希を見送り、柄支は閉口して仕方なく居間に入った。


「何だろう……麻希ちゃん、焦ってるのかな?」

「昨日のことをまだ気にしているのかもしれませんね。いや、というよりも、まだ諦めてはいない感じですか」


 言葉を交わして違和感を覚えた柄支は進に水を向けてみる。彼もまた同様の感想を抱いているのか、麻希の背中を追うように壁越しに視線を向けた。


「やっぱり、退魔師って身体が資本なのかな? あの様子じゃ、わたしには止められそうにないかなぁ……」


 呟きながら柄支は居間を横切り、縁側の方へ向かうため障子を開けた。

 肌を刺すような冷たさに、思わず身震いする。しかし、明け方特有の青みがかった景色と静けさの中、柄支は胸一杯に息を吸って全身に心地良さを感じた。

 すると、隣の部屋からも障子が開かれる音がし、中から白装束姿の永治が縁側に姿を見せた。


「おや、早いね」

「あ、おはようございます。目が覚めてしまったもので」


 柄支は振り返って頭を下げる。永治の声を聞いた進も、立ち上がり縁側へと顔を出した。


「永治さん。浅霧と千島さんの様子はどうでしたか?」


 訊ねる進に、柄支も同じく気になるという視線を永治に向けた。永治は顎髭を撫でつつ、いましがた出てきた客間を一瞥する。


「相変わらずだね。だが、そろそろ終わりが近いかもしれないな」

「あの、わたしも様子を見ては駄目ですか?」

「いや……そうだね。特に柄支君の場合は、直接見た方が早いかもしれないな」


 そう言って永治は柄支と進に道を譲るように移動した。彼の言葉に首を傾げながらも、見て良いと言うのならと柄支は客間の障子を少しだけ開けた。


「先輩、そんな覗き見するようにしなくてもいいんじゃないですか?」

「う、うるさいなぁ。気分だよ、気分」


 猫背になる柄支の背後に立ちながら、進もまた部屋の中を見る。部屋は明かりを点けておらず、その中央には布団に横たわる真と、枕元に正座した珊瑚がいた。

 柄支は二人の周囲に白く漂う光のようなものを見た。光は珊瑚を中心として発生し、真へと流れているように見える。


「綺麗……」


 その輝きに魅せられ、感嘆の言葉が漏れる。力強くも優しい、生命の光がそこにあった。


「先輩には、何か見えているんですね?」

「新堂くんは見えていないの?」

「ええ、まったくもって」


 柄支が見ている光は珊瑚の霊気であり、以前の霊視による後遺症のようなものだ。柄支には、麻希や進と違うものが見えるようになっている。

 昨日の話し合いの後、真と珊瑚は二人で客間にこもり、この状態を保っていた。食事も休息も取ることなく、珊瑚はただ真に霊気を流すことだけに集中し、今に至る。

 その献身の姿勢は、誰も寄せ付けない決意に漲り、柄支は神聖さにも似た空気を肌に感じていた。とても立ち入れそうな雰囲気ではない。


「あ……」


 しかし、目の前の光景に変化が見え始めたことに柄支は気付く。光は徐々に弱まり出し、やがて完全に消えた。


「どういうこと?」


 柄支が疑問に思ったとほぼ同時に珊瑚の状態が揺らぐ。そのまま彼女は脱力したように畳の上に倒れていた。


「珊瑚さん! 大丈夫ですか!?」


 障子の残りを思い切り開けて、咄嗟に柄支は飛び出した。

 駆け寄って珊瑚の肩を持ち上げて上体を支える。気温は間違いなく冷え切っているはずなのに、珊瑚の身体は驚くほどに熱かった。額には玉のような汗が浮かび、呼吸も少し荒い。


「柄支様、ですか……私は大丈夫です」


 目を開けて柄支に気付いた珊瑚は、きつそうにしながらも柔らかな笑みを作った。柄支に支えられながら身を起こし、息を整えていくらか持ち直した様子を見せた。


「それよりも……」


 珊瑚は額の汗を拭い、眠る真の両肩に手に置くと軽く揺すった。


「真さん。起きてください」


 その珊瑚の言葉を合図にして、まるで決められていたかのように真の瞼が開かれる。真の目がゆっくりと動き、珊瑚の顔をとらえた。


「お疲れさまでした。私にできることは、ここまでです」

「はい。ありがとうございます」


 真は礼を言って起き上がり、自身の身体を見下ろす。気力も充実し、ほぼ万全と言えるだろう。


「浅霧くん、もう平気なの?」

「ええ、俺は……ですが」


 ただ一つ懸念があるとするなら、ここまで回復したにも関わらず未だ姿を見せないハナコの存在だった。真は何度か呼び掛けてみてはいたが、返答はない。


「どうやら無事に終わったようだね。千島さん、あなたはすぐに休んだ方が良いでしょう」


 柄支の後について客間に入った永治が珊瑚を気遣って言うが、珊瑚は首を横に振った。


「それには及びません。私も、真さんについていくつもりです」


 珊瑚の言葉に真は彼女の顔を見る。そこに浮かぶ意志は、生半なものではなかった。


「俺が言うのもどうかと思いますが、無茶じゃないんですか?」

「消耗はしていますが、身体を動かすことに支障はありません。微熱程度のものだと思ってもらえれば結構です。接続の効果は距離が近い方が良いですし……それに、真さん一人では、現場に向かうまでの足がありませんでしょう?」

「足……ああ、それは……」


 問われて真は考える。向かう現場は交通機関を使って行ける場所ではなく、せいぜいバスで街まで出ればタクシーくらいは拾えるだろうくらいには考えていたが、具体的にこうしようという案は練ってはいなかった。


「そういうわけですので、永治様。車を貸して頂けませんか? 私が運転します」

「ほう……確かに、下に一台止めてはいますが……ううむ」


 永治はどうしたものかと唸って見せるが、断るだけ無駄だろうとも思っていた。利き腕が折れている自分では運転はできないし、万が一のときのためにこの場に誰かが残る必要もある。


「これは私の問題でもありますから、真さんだけに任せるわけにはいきません。自分の身を守るくらいはできます。どうか最後まで見届けさせてください」

「……わかりましたよ。けど、どうか無茶だけはしないでください」

「かしこまりました。お約束致します」

「……うーん」

「――? 先輩、どうかしましたか?」


 と、そこで真は何か考え込んでいる様子でこちらを見つめてくる柄支の視線に気づく。彼女の様子に何となく不穏なものを感じたが、気付いてしまったため仕方なく声を掛けた。


「なんだか、珊瑚さん、少し強引になったんじゃないですか?」

「そうでしょうか? そう感じられたのでしたら、もしかすると真さんと繋がった影響かもしれませんね」


 その返答にあんぐりと口を開ける柄支を他所に、「それでは支度をして来ます」と、珊瑚は立ち上がり客間を出て行ってしまった。


「あ、浅霧くん……」


 残された柄支は、錆び付いた機械にでもなかったかのように首を小刻みに動かしながら真を顔を向ける。真は今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られたが、とてもそれを許してもらえそうな雰囲気ではなかった。


「具体的に聞いてなかったんだけど、接続って何をしたの?」

「霊気を分け与えてもらっただけですよ。そのための、契約みたいなことはしましたが」

「契約って何?」

「……」

「え、どうして黙るの!?」

「まあまあ、柄支君。今は細かいことはいいのではないのかね?」

「永治さんは、何か知ってそうですね?」

「まぁ……聞き及んだことはあるよ。滅魔省で一般的な方法は、血液の交換らしいが……」


 仲裁に入ろうとした永治だったが、柄支にじっと細めた目で睨まれ、得も言われぬ迫力を感じてたじろいでしまっていた。


「血……ふぅん。なんだか怖いね。でも、やっぱり、なんか怪しいなぁ」

「根拠はなんですか」

「女の勘?」

「とりあえず、これ以上この件についてはノーコメントでお願いします」

「いや、この件はもっと詳しく調べる必要がありそうだよ。そういうわけだから、浅霧くん、君は絶対帰って来るんだよ?」

「あ……はい。それは、必ず」


 不意に表情から険を取り除き、柄支は笑いながら言う。彼女なりの激励に、真は力強く答えた。


「それで、浅霧。すぐに発つつもりなのかい?」


 そして、成り行きを縁側から遠巻きに見守っていた進が真に声を掛ける。真は彼に顔を向け、首を縦に振った。


「ああ、珊瑚さんの準備ができ次第な。お前も、何かあるのか?」

「いや、僕じゃなくて……」


 進は真から縁側の方へと顔を向けた。すると、シャワーを浴び終えた麻希が現れた。騒ぎを聞きつけて来たのか、彼女の髪は中途半端に濡れた状態だった。


「あ、古宮先輩」

「ずいぶんと間の抜けた挨拶だな。まだ寝惚けているのではないのか?」


 いきなり辛辣な言葉を食らい、思わず真は苦笑する。麻希はその笑いが気に入らなかったのか、来て早々に踵を返し、真に背を向けた。


「私からは何も言うつもりはない。だが、朝食くらい食べていけ。腹が減ってはなんとやらだ」


 それだけ言うと麻希はすたすたと来た道を引き返していった。一体彼女が何をしに来たのか良く分からないまま、真は柄支に向き直る。


「あれ、機嫌が悪いんですかね?」

「違うんじゃないかな。ちょっと尖がってるけど、いつも通りだよ」


 付き合いの長い柄支が言うのなら、きっとそうなのだろう。真はひとまずそう思っておくことにした。


「麻希のことは、ひとまず私に任せておいてくれ。それはともかく、朝食は食べておいた方がいいな。今一度、君の守りたいというものを噛み締めておくべきだよ。帰って来てもらわないと困るからね」

「……そうですね。わかりました、そうします」


 そう言われては断る術もなく、真は頷く。これはきっと、帰る場所を確認するための儀式のようなものだ。

 ハナコは珊瑚を守った。そして、珊瑚は自分に力を分け与えてくれた。柄支、麻希、進、永治も支えてくれている。

 自分のためだけではない。それ以上に、彼らを裏切らないためにもこの戦いに負けるわけにはいかない。

 真は今まで以上に思いを強くし、決意を固めた。

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