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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第二部 滅魔の刺客
35/185

15 「接続者」

 居間での話を終えた真は、一人で客間に戻り布団で横になっていた。


 ……何故こんなことに。


 落ち着かない気持ちで、自分に「準備があるのでここで待っていてください」と指示を出した珊瑚の帰りを待つこと既に数十分が経過している。

 明朝の戦いに備え、少しでも霊気の回復をする必要がある。そのためには睡眠が一番なので状況的には正しいはずなのだが、彼女を待つ以上、呑気に寝ているわけにもいかなかった。


 滅魔省と珊瑚の過去の話を聞いた皆の反応としては、概ね彼女に同情するものであった。少なくとも、彼女に対して負の感情を持つようなことにはならなかったと言って良い。

 そして、戦いは避けられないものだという結論も出た。神社を襲撃した封魔省のときのように、警察をあてにできるはずもない。命を狙われているなど、妄言と取られるのが落ちである。

 そもそも、それについては第三者の介入は避けるべきだという珊瑚の意見があった。基本的に退魔師の存在と活動は秘匿すべきものであり、おいそれと知られていいものではないからだ。

 真が敵の話に乗って戦いに赴くことについては意見が割れるところだったが、代替案もなくほとんど押し切る形で真が決めた。


 沙也の言っていたハナコと出会った場所。それについて彼が語ることはなかった。それをするには時間が足りず、また、夢が気掛かりだったせいもある。

 眠れない理由はそれもあるのかもしれない。心に深く絡みつく黒い感情の残滓が、真の胸中で火種となて燻っていた。


「真さん、入りますよ」


 真が物思いに耽っていると、控え目な声と共に襖が開かれた。顔を向けると、正座した珊瑚と正面から目が合った。


「失礼します」

「はい。準備はもう良いんですか?」

「ええ、準備と言っても、物が必要だったわけではありませんので」


 起き上がって訊ねる真に珊瑚は答え、襖を閉めて立ち上がり真の枕元まで近寄ると、再び膝を折って座った。


「……」

「ええと、珊瑚さん?」


 無言で珊瑚に見つめられ、真は戸惑いながら声を掛ける。気のせいか、彼女の表情は硬く、緊張しているように見えた。


「はい、なんでしょうか?」


 真顔で返されて真は返答に困り、仕方がないので順を追って現状を確認することにした。


「これから、俺と珊瑚さんの魂を接続するんですよね?」

「はい」

「そのために、珊瑚さんは今まで準備をしてくれていたわけですよね?」

「はい」

「で、準備は終わったんですね?」

「はい……いいえ、すいません……まだ少し準備不足だったかもしれません」


 歯切れ悪く、視線を反らす珊瑚に真はやはり困惑した。


「具体的に聞いてませんでしたけど、俺の方で何か準備する必要はなかったんですか?」


 接続を行うと決めたが真はその手法を聞けておらず、委細は珊瑚に任せることになっていた。


「私が先導リードしますので、真さんは身を委ねてくだされば大丈夫です。そうですね……少し痛みを伴いますが、それだけ心積もりをしておいてもらえればよろしいかと」


 いくらか落ち着きを取り戻しつつ、珊瑚は視線を戻して言った。とはいっても、表情にはまだ緊張が残っている。


「滅魔省が築いた技術ってことなんですから、やっぱり難しいことなんですよね?」


 今更多少の痛みでどうこう言うつもりはなかったが、その点だけは不安が残る。真は霊気の扱いに関して、自分がそこまで技術的に長けているとは思ってはいない。

 しかし、珊瑚は彼の疑問に対してかぶりを振った。


「技術面に関しては私がクリアしているので問題ありません。後は、真さんと私が、お互いをどれだけ受け入れ合えるかにかかっています」

「そうですか。なら、問題ないですね。大丈夫ですよ、きっと成功します」


 何故だか分からないが居辛い空気を感じた真は、それを取り除くように明るく言って笑って見せた。流石に珊瑚も気遣われたことに気付き、気を引き締めるために一度深呼吸をし、深く頷いた。


「はい。真さんは、私の過去を受け入れて下さると仰ってくれました。その言葉を信じ、あなたに私の魂を預けます」

「わかりました。俺の魂を、珊瑚さんの魂と接続してくだい」


 二人は覚悟を決めて頷き合う。が、出鼻を挫くように「その前に」と、珊瑚が口を開いた。


「真さんに一つ訊ねなければいけないことがあります」

「なんですか?」


 この状況で行われる質問なら、接続を行うに当たり必要なことなのだろうと、真は答える。しかし、次に出てきた珊瑚の質問は、彼が思い描く内容とは違っていた。


「真さんには、好きな方はいますか?」

「え……なんですかいきなり?」


 それは今する必要がある質問なのかと言うよりも、珊瑚の口からそんな質問が出てきたことの方に真は驚いていた。


「確認事項です。知っておいた方が、私としてもやりやすいので。ハナコさんや、柄支様は違いますか?」

「ハナコは幽霊でしょう……先輩は……先輩ですからね」


 真とハナコは今や切っても切れない関係と言えなくはない。だが、それと恋愛感情を絡めるのはまた別の話だ。

 幽霊と恋愛関係が成り立つのかという問題もあるが、真は自分がハナコに対して抱いている感情はそういった俗っぽく語れるものではないように思っている。

 柄支、麻希と身近な女子に対しては、学校の先輩で尊敬できる部分はあるが、恋愛絡みの好意を抱くことは今のところなかった。

 そういう意味で言うなら、一番近い感情を抱いたことがあるのは、目の前の珊瑚だった。いわゆる少年が抱く『憧れのお姉さん』的な立ち位置に彼女はいた。


「では、いないということで良いですね」

「ええ……はい。そうですね」


 とはいえ、本人を目の前にしてそんなことを言う度胸もなかったため、真は珊瑚の確認に頷いた。彼女に淡い感情を抱いていたのは昔の話だ。今となって思い返しても、それが本当の恋心であったのかも疑わしい。


「わかりました。それでは、前置きが長くなりましたが始めましょう」


 真の答えに気が済んだのか、珊瑚は表情を正して宣言する。真もいよいよかと、緊張から自ずと拳を握った。


「どうか、そのまま動かないでください」


 そう言うと珊瑚は両手を伸ばし、真の頬を撫でるように包んだ。


「え――」


 目を合わせたまま、珊瑚の顔が真の顔へと近づく。真が状況を理解する前に、珊瑚は彼の唇を奪っていた。

 真の頭の中は、その一瞬で真っ白になっていた。何をされているのかを理解する前にその思考を奪われ、まともに反応することもできなかった。

 頬に添えられた珊瑚の手が真の肩に触れ、そのままゆっくりと彼は布団の上に押し倒される。


 ……いや! ちょっと待て!


 流石にされるがままになっているわけにはいかないと、動転しながらも正気を取り戻した真だったが、唇は塞がれているので声は出せなかった。

 正面には珊瑚の顔がある。熱を帯びた瞳は、戸惑いしかない真に向けて何かを訴えているようだった。「どうか落ち着いてください」とでも言っているように見えたが、落ち着けるはずもない。むしろ、目が合ってしまったことで真の鼓動は跳ね上がってしまっていた。

 真は起き上がろうとしたが、肩を押さえられているため腕も動かすこともできない。控えめではあるが、しっかりと固定されているため本気を出さなければ珊瑚の拘束を振り解けそうにはなかった。

 しかし、本気を出そうにも間近に感じる珊瑚の濡れた吐息と甘い匂いに、真の力は完全に溶かされそうになっていた。

 そして、真に抵抗の意志がなくなったと見た珊瑚は次の行動に移る。

 彼女は真の身体に覆い被さるように移動し、まるで、お互いの心臓の位置を合わせるように上体を重ねた。

 珊瑚の柔らかな肉体に包み込まれ、真は心音の高まりを抑え切れなかった。それに合わさるように、珊瑚の鼓動もまた、彼に伝わる。


「ん……」


 珊瑚が微かに息を漏らす。ここまでの行為で既にのぼせ上がり限界が近い真だったが、まだ終わりではなかった。

 重ねられていただけの唇を彼女の舌が割り、より深く侵入する。甘噛みでもするように、珊瑚は真の唇の内側にいくどか舌を這わせた。

 もはや真の身体の感覚は麻痺していたといって良い。注ぎ込まれる熱は麻酔となり、彼の脳髄を甘くとろけさせるものとなった。


 が、小さく皮を破る音と、鈍い痛みに溶かされかけていた真の感覚は引き戻された。

 ジワリと濡れる何かが口に広がる。それは、血の味だった。

 気がつけば、真の下唇には珊瑚の歯が立てられていた。見れば、彼女の喉が小さく動いている。真の唇から流れる血を呑み込んでいるのだ。


 次の瞬間、真は心臓に強い衝撃を受けた。まるで杭でも打ち込まれたかのような重みに、心臓が潰れたのではないかと錯覚する。

 目を見開き、反射的に背中を仰け反らせる。それを予期していた珊瑚は、彼の背中を支えるように抱き締めた。

 フラッシュバックするように、見覚えのない映像が真の脳裏に次々と映し出されていく。



 ――ここが生き辛いなら、一緒に来るかい?


 その姿は黒く影になって鮮明に見えない。声は乱暴ではあるが、どこか優しさを含んだものだった。


 ――なんでこんな因果な商売をやってるかって? たまーにこうして、お前みたいなのを拾えるからかもしれないね。



 激しく明滅する頭の中で繰り広げられるその嵐が過ぎ去ったとき、不意に胸の痛みは治まった。

 珊瑚は抱擁を解き、唇を離す。血に薄く染まった糸が引かれ、二人は今見たものを共有するように瞳を合わせた。


「それが、私の過去の一部です」


 端的にその意味を告げ、彼女は身体を起こした。真は胸に受けた衝撃が薄れていくにつれ、今度は頬がすさまじく熱くなっているのを感じた。


「接続は成功しました。真さん、気分はどうですか?」

「え、ええ……」


 何故そんなに冷静になっていられるのかと疑問に思いながら、真は珊瑚の顔をまともに見ることができずに上体を起こした。


「気分は悪くないです。胸の痛みも引きました……あの、それで、珊瑚さん。今の行為は……?」


 唇に残った余韻はまだ消えておらず、真は気恥ずかしさを堪えて質問した。訊かずに済ませることは不可能だった。


「接続には、繋がる者同士の体液の交換が必要なのです。この場合は、血液が一番手早く済ませられるのです」

「だ、だったら他にもやりようがいくらでもあったでしょう!」


 なるほどと納得しかけたが、やはりそうはいかずに真は叫んでいた。まともに顔を上げられず、真の視界の端に映る珊瑚の下唇には自ら噛んだ傷痕がある。知らないうちに、彼も彼女の血を飲まされていたのだ。


「前もって教えておいてもらえれば……いや、やっぱりいきなりキスとか、やり過ぎ――!」

「真さん。私の目を見てください」


 真の言葉を遮るように珊瑚が声を発した。その声に有無を言わさぬ気迫のようなものを感じ、真は反射的に顔を上げた。

 珊瑚の頬は赤く染まり、抗議するように彼を睨む瞳は潤んでいた。何かを我慢するように唇は引き締められ、微かに震えている。


「酷いです」

「え?」

「わ、私だって恥ずかしかったのですよ!! そんな言い方、あんまりです……」


 顔を真っ赤にしながら珊瑚は半ば喚くように叫んでいた。そこで真は、珊瑚が冷静に振舞っていたのはただの振りであったことにようやく気付いた。

 彼女がここまで感情を曝け出して声を荒げたところなど見たことがない。思い返せば部屋に入ったときから彼女の様子は変で、無理をしているということは考えればすぐに分かることだった。


「いや! その! すいません。キスは嫌じゃなかったですし、嬉しかったというか……じゃなくてですね」


 すっかりしょげた様子で俯いてしまった珊瑚に真は弁解を試みるが、女性に泣かれそうになるという人生初の経験に上手い言葉を見つけることができなかった。


「もういいです。真さんのお気持ちは、よくわかりましたので」


 珊瑚は「よく」の部分を強調しつつ、目尻を拭いながら目を細めて真を睨んだ。


「勘弁して下さい。この通りですから」


 真は両手を合わせて頭を下げる。すると、彼の耳に微笑む珊瑚の声が聞こえた。


「頭を上げてください。事前に説明出来なかった私にも非があるのは当然ですから。ですが、もう少し優しい言葉が欲しかったです」

「はい……勉強させて頂きました。それで……成功したんですよね?」


 数分の出来事で精神力を使いきった気分に陥りつつ、真は改めて訊ねる。身体に変化はあったのだろうが、今一つ実感が湧いていなかった。


「ええ、今はまだパスを繋げただけで接続は切っていますので、そう変化は感じ取れないはずです」

「なるほど。常時ってわけじゃないんですね」

「今から私が接続を開きます。感じ取ることができれば、真さんも同様に開いてください。そうですね……自分の中に、電気のスイッチができたとでもイメージしてください。慣れれば、オンとオフを切り替えるようにできるはずです」

「わかりました。電気のスイッチ、ですね」


 珊瑚は意識を集中させるため瞳を閉じる。すると、彼女の全身から淡い白の霊気が滲み出るように発生し始めた。霊気は彼女の胸の中心から幾重にも束ねられ、一つの細い光の柱となって真の胸へと伸びる。

 真は自分の中にできたスイッチをイメージし、オンにする。それで成功したのか、霊気の柱は真の胸の内へと侵入し、彼の身体に熱を宿した。


「霊気が満たされる感覚……すごい、これが……」


 僅かな重みを真は胸に感じたが、それを問題としないくらいに力が回復しつつあった。珊瑚もそれを見届け、満足そうに頷く。


「ありがとうございます珊瑚さん。これなら、俺はまだ戦える」

「はい。ですが、この状態が最大だと思って下さい。距離が離れるほど接続の強度は落ち、流せる霊気の量も少なくなります。今はこのままお休みになってください」

「珊瑚さんはどうするんですか?」

「私は出来る限り真さんの霊気が回復できるよう、おそばにいます」

「……わかりました。よろしくお願いします」


 寝顔を見られるのもまた別の意味で恥ずかしい気もしたが、真は大人しく横になる。


「あの、ところで珊瑚さん。前にパートナーがいたって言いましたけど……」

「ええ……少々乱暴でしたが、優しい方でした」


 懐かしむように、しかし確かな哀しみを滲ませながら珊瑚は目を伏せる。彼女のそんな顔を見てしまった以上、真はそれ以上訊くことはできそうになかった。

 彼女の言った通り、垣間見た映像は記憶なのだろう。真は少しだけ胸に棘が残ったような、微かな疼きを感じてしまっていた。その感情に彼は戸惑い、気付くことで自己嫌悪に陥りそうになった。


 ……馬鹿か俺は。


 過去を受け入れると調子の良いことを言っておきながら、いざ訊こうとすると尻込みしてしまう。珊瑚を気遣うふりをして、知ることを躊躇う自分を誤魔化しているのだ。

 真が感じていたのは、小さな嫉妬心である。それを珊瑚に悟られまいと、彼は寝返りをうって彼女に顔を見られないようにした。


「真さん。あなたが何を考えているのかは存じませんが、一つお伝えしておくことがあります」


 が、そんな真の胸中を見透かしたかのように、珊瑚はからかうような口調で言った。


「私のパートナーだった方は女性です。そういった関係にはありません」

「そ、そうなんですか?」


 映像の中の人物は言われてみれば線が細かった気もする。しかし、それはそれで問題があるのではと真は思ったが、それも杞憂だった。


「接続に関しては、杯に互いの血を注ぎ、飲み干すという方法を取っています。少々血生臭いですがね」


 真はその光景を想像しようとしたが、すぐに止めた。


「ですから、真さんが心配するようなことは何もありません」

「いや、ちょっと待ってくださいよ。俺は何も心配なんて――」


 勝手に自分の気持ちを結論づけられているような気がして、堪らず真は抗議のため彼女に向き直ろうとした。が、いつの間にか文字通り目と鼻の先までの距離に近づいていた彼女の顔を見て、動きが止まる。


「隙ありです」


 愛しげに目を細め、珊瑚は一瞬だけ、唇が触れるだけのキスをした。


「お忘れですか? 今、私と真さんの魂は繋がっているのですよ。言葉はなくとも、心の内は見通せます」


 それはつまり、珊瑚の心の内も真には分かるということなのだが、それをするのは無粋だろう。正直なところ、これ以上何かされてしまうと健常な男子としては色々とまずいと思い始めているところだった。


「もっと深く繋がる方法もありますが……それは流石に、私も経験がありませんので。ですがご安心ください。今日より私、千島珊瑚はあなたに全霊を捧げます。浅霧家のめいではなく、私の意志であなたにお仕えすることを誓いましょう」

「……ありがとうございます。俺も期待に応えられるよう、全力を尽くします」


 並々ならぬ珊瑚の決意を感じ、真もまた気合を入れ直して覚悟を決める。何か危うい発言もあった気がするが、極力気にしないようにした。

 絶対に負けるわけにはいかない。そして、ハナコの出自についても聞き出してみせる。

 胸中にあったはずの黒い火種は鳴りをひそめ、今は感じることはなくなっていた。次第に真の意識はまどろみ、包むような温もりの中に落ちていった。

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