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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第二部 滅魔の刺客
31/185

11 「魂の記憶」

 闇に泥を溶かしこんだような深く暗い場所で、真は目を覚ました。

 真は突然の出来事に戸惑いを禁じ得なかった。しかし、これが夢であると徐々に思い始める。

 というのも、意識はあるが身体がないのだ。暗いから見えないというのではなく、動かすべき肉体が存在しないということである。

 意識だけが切り取られて、宙に浮遊しているような不思議な感覚だった。周りには何も見えない。視界が遮られているという感覚はない。ただ、暗闇を見ているというだけのことだ。

 自覚のある夢を何というのだったかと若干寝ぼけた頭で真が考えていると、何かが動く気配がした。

 水面に浮かび上がる空気の泡のように、それは真の意識が存在する更に底からゆっくりと湧き上がってきていた。

 粘性を帯びた泥のように闇が滴り落ち、次第にその姿が露わになる。

 真の前方に、白いワンピースを着た長い黒髪の少女が立っていた。輪郭はおぼろげで、俯いた顔には前髪が垂れ下がり表情は見えない。


「ハナコ……なのか?」


 声になっていたかは分からないが、言葉を発したという感覚はあった。彼の声に反応したのかは定かではないが、少女の右手が持ち上げられ、細い指先が真に向けて突き出すように向けられる。

 すると、少女の指先が解け始めた。

 その様子はまるで細い糸であり、手の平、手首、腕へと彼女の身体は分解され、無数の白い糸となって真の意識へと伸びてきた。

 触手が獲物を捕らえるように、糸となった少女が真を搦め取る。意識だけの真に抵抗する術はなく、洪水に呑まれるように意識が縛り上げられていた。


 ――痛い……!


 途端、針に刺されたかのような鋭い激痛が真の意識を襲った。

 ボコリと、また何かが湧き上がる音が聞こえる。辛うじて見えた先には、同じ姿をした少女が起き上がっていた。

 その少女もまた、糸となって真を襲う。


 ――助けて……。


 それはもしかすると、それは闇の底に存在する何かの息遣いであったのかもしれない。


 ――どうして、そんなことをするの……。


 少女は次々に現れ、段々とその速度は増していった。


 ――もういやだ……!


 流れ込む思考の波は激しくなり、もう真の意識は無数の少女の影に取り囲まれるその光景を直視することはできなくなっていた。


 ――やめてッ!


 始めは悲痛な懇願だった。


 ――死ね……! 死んでしまえ!


 それはいつしか怨嗟へと変わる。


 ――憎い……殺してやる……!


 もはや思考を占めるものは憎悪しかない。


 ――どうしてやめてくれないの?


 それもいつしか摩耗する。


 ――終わらないなら……こんな身体死んでしまえ!


 おそらくそれが彼女の辿った思考の終着だったのだろう。


 ――壊れろ! 壊れろ壊れろ! いらないんだ……ッ! 苦しいだけの命なんていらないッ!!


 狂っていた。心が壊れても身体が生きている。意識しようとしまいと、口は呼吸し、心臓は動き血は巡る。

 ただただ、吐き出される呪詛に真の意識は汚染されそうだった。自分を壊し続ける呪いの言葉に、いい加減気を確かに持つことが出来そうになかった。


 しかし、軋み、悲鳴をあげる真の意識に亀裂が走り、いよいよ砕け散りそうになったとき、絡みついていた糸は突如波が引くように彼を解放し始めた。

 朦朧とする彼の前には、顔を上げた少女がいた。

 やはりその顔は、真の良く知る彼女のものだった。

 けれど、その雰囲気は似ても似つかない。瞳は真に向けられてはいるがそこに光はなく、蝋のように白い肌には血が通っていない。

 いわばそれは、魂のない抜け殻だった。


「そうか……お前は――」


 それは断片で、一部でしかないのだろうが、真は彼女のことを理解できた気がした。

 ここは彼女が壊してきた意識の墓場だ。記憶は忘れ去られても、失くしていたわけではない。打ち捨てられたかつての彼女たちは、今もこうして呪いを吐き続けている。

 彼女は自分を壊していた。生きようとする自分の意志を壊し続けた結果、精神は擦り減り、自我は崩壊した。

 真の意識は、物言わぬ彼女に触れようとした。しかし、そこで夢は途絶えた。





「――ッ!!!」


 目を見開いた真は、飛び跳ねるように身体を起こした。

 激しく乱れた鼓動が耳朶を打つ。上手く呼吸ができず、口は喘ぐように酸素を求めていた。

 視界が白く明滅し、頭の中をグチャグチャにかき混ぜられたような気分だった。腹の底から嫌悪感が込み上げ、吐き気がする。


「……最悪の気分だな……」


 真は吹き出る冷や汗に身を震わせながら、鎮まらない鼓動を抑えつけるように胸に拳を当てた。

 気を抜けば今にも夢の続きに捕らわれそうな予感がある。否、夢という生易しいものではなかったと真は思っていた。

 十中八九……違う。真は希望的な己の憶測は捨てることにした。

 今しがた見たものは、ハナコの記憶だ。

 二人は魂が繋がっている。それは霊との同調以上のことであり、彼女の記憶を真が覗けないことがおかしかったのだ。

 真は、それはハナコが記憶を失っている影響だと思っていた。では何故、今になって記憶が垣間見えたかと言えば、彼女が霊体を維持できなくなったことが原因としか考えられない。

 それが無意識であれ、彼女の意識が蓋をしていたことは確実だ。彼女側から真の記憶を覗けないように、互いの意識が邪魔をして立ち入れない場所は存在する。


「それにしても……」


 気持ちの整理がつかないまま、そこで真は自分の置かれている状況を確認しようと辺りを見回した。そして、どうやらここが昨晩寝泊まりした場所であることに気付く。

 布団の上に寝かされていたことから、誰かが上手くここまで連れて来てくれたのだろうと想像する。真は誰もいないことに密かに安堵した。きっと、自分は酷い顔をしているはずだ。今見たものを、彼はひとまず胸の内に収めておくことに決めていた。


「浅霧くん、起きたの?」


 と、そのとき襖が開けられ、柄支が姿を見せた。


「先輩……」


 真の顔を見た柄支は安堵に表情を緩め、彼の傍まで来て正座した。


「大丈夫? 顔色悪いよ」

「ええ、なんとか持ち直しました」

「そう。なら良いんだけど。ここまで浅霧くんを運ぶのはちょっと苦労したよ」

「え、先輩が運んでくれたんですか?」


 予想外のことに真が訊ねる。が、柄支は首を横に振った。


「部屋まで運んだのは新堂くん。でも、神社まで来るのは大変だったんだから。浅霧くんは目を覚まさないし、珊瑚さんの服もボロボロで怪我までしてるし……でも病院に行くわけにもいかないって言うし、とにかく大変でした」

「それは……お手数をおかけしました」


 目を細めて睨む柄支に、真は頭を下げる他なかった。が、すぐに柄支はくすりと笑みを浮かべて機嫌を直した。


「ほんとだよ。これで、わたしの有用さがまた一つ証明されたわけだね」

「はは……そうですね」

「む、なんか実感がこもってないなぁ」

「そんなことないですよ。ところで、先輩は何ともないんですか?」


 話題をそらしつつ、真は柄支の安否を訊ねた。見た目は変わらず元気そうではあるが、気掛かりではあった。


「わたしは大丈夫だよ。少しの間気絶させられてたみたいなんだけど、怪我もなかったしね」

「そうですか。相手の顔は見ましたか?」

「見なかったよ。一瞬のことだったからね……でも、なんでだろう。今も、不思議と怖くはないんだよね」

「何を呑気なことを。一歩間違えたら殺されていたかもしれないんですよ」

「まあそうなんだろうけどね。うーん……」


 柄支は自分でも納得し兼ねており、しきりに首を捻っていた。真は注意らしいことは言ったものの、その理由に見当はついていた。しかし、約束であるためそれを柄支に告げることはしなかった。


「ともかく、無事で何よりでした。珊瑚さんはどうしていますか?」

「珊瑚さんは麻希ちゃんに手当してもらって、今は安静にしてるよ。そうだ、浅霧くんが目を覚ましたって伝えてくるね」

「じゃあ、俺も行きますよ」

「いや、大丈夫だよ。浅霧くんは寝てて」


 立ち上がろうとする真の肩を押さえ、柄支は急に真剣な顔をして言った。


「ちょっと今立て込んでるというか、ほとぼりが冷めるまで浅霧くんは寝てて。ハナちゃんも疲れて姿を見せられないんだよね」

「え、ええ……そんな感じですけど。あの、俺が出ていくと何かまずいんですか?」

「まずいね。あれは、過去最高にまずいかもしれないね」


 同じ台詞を繰り返して強調しつつ、柄支は真の肩から手を離して立ち上がった。


「とにかく、浅霧くんは安静にしていること。いいね!」


 そう言って柄支はそそくさと小走りに部屋を出て行ってしまった。一体何がどうなっているのか真に思い当たるところはなかったが、言われた通り大人しくしておくことにした。

 改めて布団に倒れ込み、真は短く息を吐いた。柄支と話したお陰か、ずいぶんと気持ちは楽になっていた。


「なんか、落ち着かないな……」


 誰にあてるわけでもなく呟きを漏らす。こんなとき、いつもならハナコが何か適当に話し掛けてくるのだが、それもない。

 独り言など、どれだけ人恋しいのかと自嘲気味に笑ってみたが、真の胸の疼きは消えはしなかった。





 社務所の居間にて、古宮永治と孫の麻希がテーブルを挟んで正対していた。

 永治は胡坐をかき、難しく顔に皺を寄せて目を閉じている。対する麻希は正座し、背筋を伸ばして祖父を見据えていた。

 二人がそうしてどれほど時間が経過しただろうか。深海のごとき静寂の中で、正午を回った時計の針の音だけが麻希の耳に響いていた。

 やがて、永治が身じろぎする音が聞こえる。永治の瞼が上がり、普段の温厚さとは掛け離れた瞳が鋭く麻希をとらえた。


「麻希、本気で言っているのか?」

「本気だ」


 永治の問い掛けに麻希は即座に返した。その顔には確固たる決意があるようだったが、永治の目には焦りの色の方が濃く見えた。


「ならばなおさら、首を縦に振るわけにはいかんな」

「何故だ!?」

「今更理由を話さなければ解らないほど、お前も馬鹿ではないはずだ」

「そう思うなら、その理由を知ってなお頼んでいる私の気持ちも解かってくれないのか?」


 麻希は立ち上がるとテーブルの横へ移動し、永治から全身が見える位置に立つ。そして、再度正座をすると揃えた両手を畳に付け、深く頭を下げた。


「頼む、御爺。私を退魔師にしてくれ」

「やめなさい。孫の土下座など見るに堪えん」


 永治は麻希の姿を正視せずに言う。しかし、彼女は頭を下げたまま微動だにしなかった。頑なな孫の態度に吐息し、永治は彼女に向き直る。


「顔を上げなさい」

「私の頼みを聞いてくれるのか?」

「それとこれとは話が別だ。何をそんなに焦っている?」


 唐突な孫の頼みに、永治はほとほと困り果てていた。退魔師になりたいなどと麻希が言い出したのは、気を失った真を運び、怪我を負った珊瑚の手当てをした後のことだった。


「見ているだけというのは、歯痒いのだ」


 麻希はようやく顔を上げた。彼女の瞳は微かに揺れ、ついた両手は拳に変わって震えていた。


「御爺は今更と言ったな。その通りだ。今更引き返せるわけもなかったのだ。私に出来ることは、これで終わったと過去に対して目と耳を塞いで安穏と過ごすことじゃない。今回のことで分かったのだ。私は目の前で友人を失いそうになった時に、何も出来ぬ案山子になりたくはない」

「もう一度考え直せ。お前は焦り、一時の感情に流されるべきじゃない」

「私は冷静だ。それに、時間を置いて出した結論が正しいとは限らないだろう」

「結論を急ぐなと言っているのだ!」


 食い下がる麻希に対し、先に声を荒げたのは永治だった。

 互いに譲らず、瞳は強い意志でぶつかり合う。麻希はこれ以上は平行線だと判断し、目を伏せ立ち上がると永治へ背を向けた。


「何処へ行く?」

「表だ。少し頭を冷やしてくる」


 感情を押し殺した硬い声で麻希は言い、廊下へと出て襖を強く閉めた。


「……まったく、誰に似たのか……」


 遠ざかる孫の荒い足音を聞き終えて、永治は嘆息した。

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