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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第一部 死に損ないの再生者
3/185

01 「放課後の出会い」

 浅霧真、凪浜(なぎはま)高校一年に所属する、十六歳の男子。


 四月、入学と同時期に他県からこの凪浜市に引っ越してきた。

 現在は学校から電車で一駅ほど離れた住宅地にあるマンションで暮らしている。


 職業、退魔師。


 それが、進が凪浜市の市長である父――新堂誠二せいじから聞かされた浅霧真に対する情報だった。


 市庁舎にある市長室、デスク越しに父と向き合いながら、進は真に関する情報がまとめられた書類を眺めて鼻白む。

 自分の職業が何かと聞かれれば、一応学生とでも答えるだろう。しかし、退魔師とは一体どういうことなのだろうか。


 息子が感じた当然ともいえる疑問に、革張りの椅子を軋ませながら、デスクに肘をついた父は息子を見据えた。

 職業柄気苦労もあるのだろう、四十の後半になり頭髪には白いものが目立ち始めていた。老い始めたというのが、進が最近の父に抱く印象だ。

 しかし、未だに父に睨まれると彼は喉が詰まりそうになる。これは、嫌悪感と言っても過言ではない。


「霊魂に関する話だ」


 父の発言に、やはりと思いながら進は内心で辟易とした。

 この手の話を父がするのは今に始まったことではない。進が幼い頃から事あるごとに押し付けられてきた価値観の話だ。


 父は不器用な人間だと進は認識している。彼の記憶で思い出す限り、父が冗談を言っている場面はなかった。

 故に、今父がしようとしている霊魂の話もまた、冗談ではない。


 しかし、進にとってはそれこそ冗談ではない話だ。うんざりとした思いで彼はかぶりを振った。


「そんなものは、ありえないでしょう」


 俗に言う幽霊とか、この世ならざる化け物だとか――そういう霊を扱った娯楽は世の中に溢れているが、それはあくまで娯楽としてでしかない。実体験に基づいた話というものもあるが、進自身そういう経験はないし、信じる要素など皆無だ。

 死んだ先の将来まで心配するほど自分の人生に余裕があると、彼は思っていない。


「私もそうだった。認識がなければ、無いも同じことだ」


 父は息子の反応を否定せずに頷いた。だが、


「認識すれば、あるのだよ」


 霊が変質して人に害を加える様になった存在を『魔物』と呼称し、それを浄化する役目を負う存在、それが退魔師。

 父は学生時代、魔物に襲われて命を落としそうになったらしい。その時に彼を助けたのが、一人の退魔師だったそうだ。


 霊は通常、目に見えないから認識はできない。しかし、何かの拍子に認識すれば人を襲うようになる。


 一度その魔物に遭遇した父は以後、見えもしない霊を恐れるようになった。

 そこで、市の都市開発を進めるにあたり、各所の霊を鎮めるために退魔師を雇うことにしたのだとか。

 また、それとは別に自身の身辺警護のために人を雇うなど、臆病なまでのその姿勢にはもはや両手を上げる他ない。


 とにもかくにも、どんな伝手を使ったのかは知るところではなかったが、そうして白羽の矢が立ったのが浅霧家というわけだ。

 本来ならば真の父が要請を受けるはずだったのだが、既に他界していたため代わりに息子である真がやってきた。


 もちろん、これは公に語られることではない。あくまで父の認識の上で、彼の都合で行われていることだ。でなければ正気を疑われる。

 しかし、父は本気だった。

 呼び出された上での父の話の結論は、浅霧真と親交を持てということだった。気が進まないこと甚だしいが、最終的に従わせられる結果になるのはいつものことだ。


 そうして二人の関係は仕組まれ、作られた。

 浅霧真は、凪浜市に巣食う霊を浄化することを目的に派遣された退魔師であり、新堂進は市長である父からの要請を彼に伝える依頼人となったのである。





 終礼が終わり、放課後が始まる。


 時間は夕刻――十六時を回ろうとしていた。夏は終わったとはいえ、日が落ちるにはまだ早い時間だ。

 生徒たちが部活、下校と大きく二つのグループに分かれる中、真は生徒のいなくなった教室に残って受け取った依頼内容を再確認していた。


「やけに真剣ですねぇ。何か気になることでもあるんですか?」

「仕事だからな。真剣にならない理由はないだろ。ほら」


 ハナコは窓枠に浅く腰掛ける姿勢で席に座る彼を見下ろしている。真は言葉を返し、彼女の方へ手にしていた紙を滑らせた。

 窓枠から降りて席に近付いたハナコが、差し出された紙に記された文字を追う。しきりに「ふむふむ」と頷き、その内容に興味を示しているようだった。


「読めたか?」

「はい! 裏面もお願いします」


 元気よく返事をする霊の少女に、真は軽く息を吐いて紙を裏返す。


「うーん、この辺りって、行ったことありましたっけ?」

「俺は何度かあるが、お前はないな」


 地図の場所は、凪浜市でも大きめの繁華街から近い場所だった。

 しかし、繁華街には何度か買い物に足を延ばしたことがあるが、示している場所はその裏側と言うべきか。


 華やかな場所の裏側には、必ず日の当たらない場所がある。

 普段は学生として全うに日の当たる生活をしていても、その影で活動するように。

 自分の場合は、普段の生活すらも浸食されそうになっている気がするが。


「もういいだろ。実際に、行けば分かる」


 真は紙を封筒にしまい、無造作に学生鞄に放り入れると席を立った。


「さて、帰るか」

「現場に直行じゃなくて、ですか?」

「晩飯を食ってからだな。時間的に早過ぎても問題だ」

「学生が夜遅くに出歩くのも問題が多いと思いますけどねぇ」


 真の背中にくっつくようにハナコもまた移動を開始する。そうして、二人が廊下に出たときだった。


「――あ! ちょっと君!」


 不意に真を呼び止める声がした。閑散とした廊下に響く声に驚き振り向いた真は、視界にその声の主の姿を捉える。


 女子制服の姿から、まずは学校の生徒だということを認識した。

 距離が空いていたためかと思ったが、小走りに駆け寄る女生徒はやはり小柄だった。真よりも頭一つ分は背が低い。


「浅霧真くん、だよね?」

「はあ、そうですが」


 真は生返事をして頷き、女生徒の首元で締められたリボンを見る。

 赤色のそれは、三年生の印だった。


「先輩、で良いんですよね?」

「はいはい、先輩ですよ。どうせ、ちっちゃいなぁとか思ったんでしょ」

「いや……まあ、すいません」

「うむ、いいってことよ」


 言われ慣れているのか、女生徒は気さくな笑みを作った。真は礼儀として頭を下げて、彼女と目を合わせる。

 黒髪を二つに分けて軽く肩に流しており、同じく黒い大きな瞳が横長の眼鏡のレンズ越しに挑戦的な意思を宿していた。幼い容貌に反して、気は強そうという印象である。


「で、俺に何の用ですか?」

「えっとね、わたし、こういう者です」


 そう言って、彼女はスカートのポケットから銀色のケースを取り出した。

 そして、そこから手の平サイズで厚みのある紙を一枚抜き、真へと差し出してくる。


「名刺、ですか?」


 凪浜高等学校、新聞部部長『芳月(よしづき)柄支(つかさ)』。


 名刺の中央には所属と名前が大きく書かれており、右下には連絡先と思われる番号とアドレスまでもが記されていた。

 初対面でいきなりこんなものを渡されて困惑する真を他所に、女生徒――柄支は「さて」と言葉を繋ぐ。


「自己紹介も終わったところで本題なんだけど、今、暇かな?」


 真はなんとなく嫌な予感がして無意識に一歩後退りをした。暇と言えば暇だが、果たして正直に言ってしまっても良いのだろうか。


「真さーん、大丈夫ですか? 話しのペースを持っていかれそうになってますよ」


 成り行きを見守っていたハナコが声を出す。真は一度静かに深呼吸をし、目の前の小さな先輩を見据えた。


「用件はなんですか?」

「取材というか、インタビューに答えて欲しいんだ。時間は取らせないからさ」

「アンケートか何かですか?」

「違う違う。浅霧真くん、君個人に対するインタビューだよ」

「……」


 話しの方向が胡散臭くなり、真は無言になる。


「真さんって有名人でしたっけ? それとも、何か悪いことしました?」


 そんなことはないとハナコの言葉に内心で反論する。学校ではなるべく目立つ行為はしないようにしているはずだし、そもそも自分はまだ入学して半年しか経っていない一年生だ。


「悪いですけど、俺を取材なんかしても面白くありませんよ」

「そんなことないよー」


 真は両手を胸の前に上げてやんわりと拒否しようと試みるが、柄支は逃さないと言わんばかりに目を細めた。


「一応、君の周りから言質は取ってるんだよね。幾つか例を言うね」


 ――浅霧は夏休み明けから挙動不審になった。

 ――時々見えない何かと戦っている。

 ――幻覚でも見ているかのような言動、変な薬にでも手を出したんじゃないのか?

 ――今日も廊下で急に奇声を上げていた。


「とりあえず、こんなところかな。他にも幾つかあるけど」

「全部お前のせいじゃねえかっ!」

「うわぁん! 誤解です! 濡れ衣ですっ!」

「そうそう、そんな感じ。生で見ると臨場感があるよね」


 ハナコが見えない柄支とって、今の真の姿は、正に一人で怒鳴っている変な男子生徒だった。

 またやってしまったと、真は頭を抱えて後悔する。この場には二人しかいないため、誤魔化すこともできない。


「それで、どうなの? 浅霧くんには幽霊が見えてるの? それとも、本当に危ないモノに手を出してるとか?」

「……霊感みたいなのはありますよ。それだけです。それと、もし俺が危ない奴だと思って会いに来ていたとしたら、先輩も相当変わり者ですね」


 せめてもの反撃にと返した真の言葉に柄支は目を瞬かせた。

 しかしそれも一瞬のことで、彼女はすぐに顔を笑みに緩ませる。


「心配してくれるんだね。ありがと」

「皮肉ですよ」

「大丈夫だよ。所詮は同じ学校の生徒、後輩だし。後、わたしは人を見る目がありますから」

「根拠に乏しい理由ですね。説得力がまるでない」

「他人を説得するための理由は必要ないの。わたしが信じていれば、それで十分」


 柄支は満足そうな顔で胸を張る。見た目と同じで、腕を組むには障害が無さそうだった。


「さて、霊感があるって言ったけど、さっきのって、わたしに言ったわけじゃないんだよね?」

「まあ……そうです。幻聴が聞こえるんですよ」

「幻聴かぁ。それは霊的な感じで?」

「そんなところです。もういいですか? 早く帰りたい気分なんで」

「ちょっと待ってよ。その幻聴について詳しく。その声は男? 女? どんな内容なの?」


 柄支が両手を広げて真の行く手を塞ぎにかかる。真は溜息をつき、少し強めに彼女の目を見た。

 全力で逃げればこの場は凌げるだろうが、同じ学校に通う以上、後日付き纏われる可能性が残るのは問題だ。面倒な恨みは残したくはない。


「時間は取らないんじゃなかったんですか?」

「わたしの質問に素直に答えてくれたらね。実を言うと、今、ちょっとネタ不足でさ。残暑の怪談話っていうのはどうかなぁと思って、話半分程度に君のところに話を聞きにきたんだよ。けどさ、結構本気度が高そうだから、もうちょっと詳しく聞かせて欲しいなあと」

「それって、最終的に校内の掲示板に貼り出すってことですよね?」


 廊下に幾つかある掲示板に、連絡事項に並んでそれらしいものを見た気がする。しかしながら、興味がなかったため詳しく読んだ覚えはなかった。


「うん、そうなるね」

「だったら、尚更話せませんね。あまり嘘は吐きたくないんで、この話は諦めてください」

「そんなあ! じゃあさ、名前は出さないから! これは約束するよ!」

「先輩、俺のこと色々聞いて回ったんですよね。それに学校なんて狭いんだから、隠したところで特定なんてすぐにされますよ」

「うむむ……じゃあ、他の事なら大丈夫?」

「霊的な話以外で、ですか?」

「そそ、霊的なこと以外のお話」


 思いの外あっさりと話の矛先を引いてくれたことに真は安堵した。とにかく、ハナコに関する話題は避けたい。

 ここで更に拒否を重ねれば話が振り出しに戻り兼ねないため、話題の変更を優先することに決めた。


「とりあえず、言ってみてください」

「新堂進くんとは、できてるの?」

「話が飛躍しましたね!?」

「え!? 真さんは、新堂さんを狙ってたんですか!?」


「違うわ!!」と思わず突っ込みそうになったが、寸でのところで彼は声を抑え込んだ。


「新堂くんは市長の息子としては、一部で名は知られているからね。まあ、校内では風紀委員長の後継者としての方が有名なんだけど」

「一部ですか」

「高校生にとって、市長の名前なんて知らないことの方が多いでしょ? そんなもんだよ」

「はあ、とにかく、俺と新堂は別に変な関係ではありませんから」

「ただの友達? よく一緒にいるって話は聞いたけど」

「そうです。というか、新堂の方がよく絡んでくるって感じですね」


 別のクラスの進が真のところに来ることはあっても、その逆はない。基本的に依頼のこと以外で絡むことはない関係だ。


 ……信用している、か。


 昼休みに屋上で進に言われた言葉を思い出す。


 あれは信用していない、の裏返しだ。お前のことは信用する。だから変な真似はするなという警告なのだろう。

 無理もないことだ。親の指示とはいえ得体の知れない素性を持つ同年代の相手をするというのは、決して良い気分ではないはずである。


「浅霧くん、どうかした?」

「あ……いえ、少し呆けてました。すいません」

「ふーん、まあいいや。話を戻すけど――」

「そこで大声を出している生徒! 何をやっている!」


 柄支が話を再開しようとしたとき、突き刺さるような声が飛んできた。跳ねるように背筋を伸ばした柄支は、首だけ僅かに振り返らせ、その声の主を確認する。


「あっちゃー、浅霧くんが大声出すから麻希(まき)ちゃんに嗅ぎ付けられたよ。そういうわけで、わたしはこれで。何か良いネタがあったら気軽に連絡してね!」


 すれ違いざまに真の背中を軽く叩き、逃げるように柄支は廊下を走り去っていった。すぐに真は振り向いたが、角を曲がったのか彼女の姿はもう見えなくなっていた。


「いやはや、色々と元気なお方でしたね。芳月さん、でしたか」

「お前と良い勝負だよ。変な人に目を付けられたもんだ……」

「心外ですねぇ。さっきの噂にしても、わたしじゃなくて真さんが変だって話でしたのに」

「その件については後でじっくり追求してやるよ……ちょっと黙ってろ」


 小声でやり取りをした後、真は改めて声のした方へ向き直った。

 長身の女生徒が、空気を掻き分けるような重さを伴い、彼の方へと歩み寄ってきていた。


「浅霧、ここで何をしている?」


 真の前で立ち止まり、女生徒は肩幅に足を広げて切れ長の目を向ける。

 同じ高さに切り揃えられた黒の前髪が白い肌と相まってどこか人形めいた印象を彼女に与えているが、その眼光は人形には生み出せない生気を孕んでいた。

 それは、下手なことをすれば噛み殺される捕食者のもの。柄支を勝気な小型犬とするなら、彼女は飢えた虎と言ったところか。


古宮(こみや)先輩こそ、どうしてこんなところに?」

「まずは質問に答えなさい」


 右肩に掛けた学生鞄を軽く揺らし、女生徒は有無を言わさぬ口調で告げる。高圧的な態度ではあるが、真に反抗心は生まれてはいない。

 彼女の制服のリボンは赤。柄支と同じく三年生だ。


「新聞部の部長っていう先輩に絡まれていました」


 誤魔化すような話でもないので真は正直に答えた。なんなら、彼女はこちらの味方になってくれるかもしれないという期待も込めて。


 古宮麻希。凪浜高校三年女子。風紀委員長として学内では名が知られている。

 進も風紀委員のため、彼の上司にあたると言っていい。そういった繋がりで、二人は互いに面識があった。


「新聞部だと?」


 微かに眉間に皺をよせて麻希が言う。


「何か変ですか? 向こうは知り合いっぽかったですけど」


 柄支の逃げ足の速さから察するに、お互いに顔は知っていてもおかしくはないはずだ。それに、柄支は去り際に麻希ちゃんと呼んでいた。


「新聞部部長の知り合いなどいない」

「そう……ですか」


 断定的な言葉に、真はそれ以上言葉を重ねられなかった。代わりに、続けて麻希が口を開く。


「そもそも、凪浜高校に新聞部は存在しない」

「はい? でも、さっきまで話をしていたんですが」


 柄支から受け取った名刺を改めて見る。確かに新聞部部長と書かれていた。


「念のために言っておきますが、先ほどの方は確かに人間ですよ。幽霊の類ではありません」


 ハナコの注釈にもちろんだと真は内心頷く。透けているわけでも、足がなかったわけでもない。

 では、彼女は一体何者だというのか。


「それは何だ?」


 麻希が手を伸ばして真から名刺を取り上げる。彼女はそれをしばし見つめると、何を思ったのか「ふん」と鼻で笑った。


「なるほど、新聞部部長か。身分詐称だな」

「やっぱり、知り合いですか?」


 返された名刺をズボンのポケットに入れて真が訊ねる。今度は否定せずに彼女は頷いた。


「芳月は知っている。新聞同好会としては、だが」

「ああ、なるほど……」


 同好会という言葉に真は納得する。学校から部活としては認められていないということだ。

 よって、名刺に書かれている内容は自作自演ということになる。


「浅霧の最初の質問に答えると、私は放課後の見回りをしていたところだ。階下から大声が聞こえたので、迷惑行為を注意するためにここまで来た」

「なるほど」

「他人事とはいい度胸だな。お前のことだぞ」


 麻希の切れ長の目が更に細められる。口端が鋭角に吊り上げられ、赤い舌が覗いた。

 怒気を伴い、嬲るような視線に射竦められ、真は言葉を失う。


「――まあいい」


 慄く後輩の表情に満足したのか、声を柔らかくして麻希は彼の肩に手を置いた。


「芳月に絡まれていたのなら、大目に見よう。以後、気を付けるように」

「は、はい。すいません。それと、ありがとうございます」

「ああ、気にすることはない」


 真は慌てて謝り、礼を言う。温情をかけられたと、ここは感謝すべきところだ。


 麻希は冷静な口調で淡々と物事を語るが、肝心なところでその言葉には雄弁に感情を孕ませてくる。舌鋒鋭く言葉を並べたかと思えば、それが不意に優しくなったりするのだ。

 飴と鞭で人を従わせる術を心得ている。真から見た古宮麻希とは、そういう先輩だった。


「先輩、芳月先輩ってどんな人なんですか?」

「どんな、とは?」

「お知り合いのようなので、後学のために聞いておこうかと」

「惚れたのか?」

「違います」

「真さんって、幼い系が好みなんですか? 新堂さんのことといい守備範囲が広すぎますよ!」


 耳元の声は完全無視で、真は吐息した。


「今後も、何かと絡まれそうな気がするので。風紀委員として何とかしてもらえませんか?」

「難しいな。校則に浅霧真に話しかけることを禁止する。とでも条項を追加できれば、それも可能かもしれんが」


 真は想像して首を横に振る。嫌過ぎる校則だ。まるで犯罪者である。


「冗談ではなくてですね」

「分かっている。今回は逃したが、あいつと私は同じクラスだ。一応釘は刺しておこう。私の大事な後輩にちょっかいを出すな、とな」

「それはそれで色々と語弊というか、解釈自由な気がするんですが……」

「冗談だ」


 まるで悪役のような笑い声を漏らし、麻希は「さておき」と話を区切る。


「委員会としてではなく、私個人から注意はしておく。それで、絡まれていたと言ったが何か聞かれていたのか?」

「ええ。インタビューとか言ってましたが」

「……芳月は話の内容をメモに取っていたか?」

「え? いや、それらしいことはしていなかったですね」


 麻希の質問はもっともだと、真は疑問を抱いた。話の内容を記事にするのなら、それをまとめるメモくらいは取る必要があるだろう。まさか、超人的な記憶能力の持ち主でもあるまい。


「なるほど。何を話したのかは知らないが、今後は気を付けておけとだけ言っておこう」

「どういうことです?」

「芳月はボイスレコーダーを持っている。つまり、お前と芳月の会話は全て記録されているかもしれないということだ。案外、自分が何を話したかというのは後になって思い返すと曖昧なものだ。だから、あいつと話すときは気を付けろ」

「完全に後の祭りじゃないですか……」

「私から芳月について言えるのはこんなところだ。見た目に騙されるなよ。あいつは中々抜け目ないし、度胸もある。例えば逃げたふりをして、そこの廊下の影で私と浅霧のやり取りを覗き見ているほどに……な!」


 不意に勢い良く上半身を振り向かせ、麻希は背後に視線を向けた。まるで空気を丸ごと押し出したような圧力が廊下の角に集中する。

 すると、「うひゃあ!」と間の抜けた叫び声が聞こえ、乱れた足音が廊下に響き、遠ざかっていった。


「二階を経由して回ってきたようだな。油断も隙もない」

「……追わなくても?」

「同じクラスだと言っただろう。逃げ場などない。そういう意味で言うならば、芳月の欠点は運が無いことだな」


 今頃生きた心地がしていないのではなかろうかと、真は柄支に若干同情する。せめてもの手向けとして、心の中で合掌した。


「さて、私は帰るが浅霧も用がないのならさっさと帰るのだぞ」


 そう言って、麻希は真に背を向けて立ち去ろうとする。が、数歩歩いたところで彼女は不意に立ち止まり、顔を振り向かせた。


「先輩、まだ何か?」


 夕暮れに染められる麻希の瞳が無言で真を見つめている。訊ねられてしばらくの間を置いた後、彼女はようやく口を開いた。


「お前、新堂と組んで何かよからぬことをしているのか?」


 不意に刃物を突き付けられたかのような緊張感に襲われ、真は思わず顔を引きつらせる。その表情を見た麻希は、顎を撫でる様に片手を当てて考える仕草を取った。


「図星か。校内で面倒事は起こすなよ」

「別に組んでいるわけじゃないです。それに、学校は絡んでいません」

「屋上でこそこそしている割に良く言う」

「先輩、どこまで知っているんですか?」


 真は何でも見抜かれているような気がして、不安に駆られて訊ねていた。


「新堂が浅霧と時々屋上で何かしているということだけは把握している。内容は知らん。ひとまず後輩の言うことは信じておこう。学校に迷惑が掛からないのであれば好きにしろ」

「割とあっさり引き下がってくれるんですね」

「私が取り締まるのは校内だけだよ。校外に出れば社会がルールだ。そのときは警察を頼れ。では、今度こそ私は行くが、お前も一緒に来るか?」

「そうですね、特に用事はありませんから……と」


 麻希の誘いを受けて真が動こうとしたのとほぼ同時に、彼はズボンのポケットから振動を感じた。携帯のものである。


「ちょっとすいません」


 真は携帯を取り出して画面のロックを解除する。電話ではなくメールだった。

 その差出人と内容を確認し、彼は申し訳なさそうな顔で麻希を見る。


「先輩、すいません。一緒したいところでしたが用事ができました」

「そうか。気を付けて帰れよ」


 軽く片手を上げ、麻希は昇降口の方へと去って行った。彼女の真っ直ぐに伸ばされた背中を見送り、真は改めて携帯の画面へ視線を落とす。


「お使いですか?」

「そうだな」


 一緒になって画面を見ながら訊ねてくるハナコに、真は頷いた。


『真さんへ。

 夕飯の材料が不足してしまいました。

 今手が離せないので、申し訳ありませんが、お買い物をお願いします。

 夕方からセールがあるのでついでに――』


 以下、買い物をするリストが記載されている。返信を待たないあたり、こちらの対応は見越されているようだった。


「あらら、結構、量多くないですか?」


 ハナコが他人事のように呟く。実際、荷物持ちにもならないので他人事なのだろうが。


「仕方ない。夕飯のためだ、さっさと済まして帰るぞ」


 やけに騒がしい放課後だったと思い返しながら、真は夕暮れの廊下を歩き出した。

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