07 「死の気配」
真は愛用の自転車で開発区へ向かう橋の上を飛ばしていた。
電車やバスの時間などを調べている手間も惜しかったことと、移動手段としてこちらの方が小回りもきくという判断である。
柄支の件で、以前もこうして橋の上を飛ばしたことがあるなと真は思い出す。そのときは開発区から住宅地へと帰宅する道であったが、今度は逆だ。
「浅霧くん大丈夫? 重くない?」
自転車の後部に座る柄支が、真の両肩につかまりながら向かい風に負けないように声を張る。
思いきり飛ばして大丈夫という柄支の言に従い、真は遠慮なく自転車を漕いでいたが、彼女はバランスを崩すことはなかった。意外と運動神経が良いのかもしれないと、彼女の新たな一面を真は垣間見た気がした。
「大丈夫ですよ。先輩は軽いですからね」
「それって、小さいっていう意味?」
「それ、今突っ込むところですか?」
軽口のような言い合いをしながら、真は前を見据えて進んで行く。決して余裕があるからのやり取りではなく、むしろその逆だった。
何か言葉にしなければ、少しずつ焦りに心を蝕まれるような嫌な予感がしてくるのだ。
「ハナコ、位置はわかりそうか?」
早く珊瑚を見つけ出してこの肖像感を振り払わなければならない。今は姿を消しているハナコに、真は自身の内に呼び掛ける。
「南……だと思います。なんだか、さっきよりも感覚が強くなってるような……」
真は首にペンダントを下げ、ハナコが霊気の探知を行っている。ハナコの感覚は、橋を左手に折れた先を捉えていた。
「川沿いを行きましょう。街中ではなさそうです」
「わかった」
「真っ直ぐ行くと、確か埠頭に出るよ。今は閉鎖されているみたいだけど」
「人目につかない場所か……うってつけってことか」
何を目的にしてとは言わなかったが、真の言わんとするところは二人にも伝わっていた。
ハナコの感じた霊気が強まっているということは、確実に近づいているこということだろう。あるいは、既に始まろうとしているのかもしれない。
「先輩、更に飛ばします。振り落とされないでください」
「うん!」
川沿いであれば人通りもほとんどない。真はペダルを踏み込む力を強め、更に加速する。柄支も真の腰にしがみ付く形を取ることにした。
この川は山から海へと流れているため、道はやや下りに傾斜しているため速度は申し分なかった。冷たい風が頬を打つように流れていく。
「――真さんッ!」
「――! なんだ!?」
「うわっと!?」
と、順調に道を急ぐ中、不意にハナコが大声を上げていた。驚いた真はブレーキをかけ、その勢いで柄支が彼の背中に顔をぶつける。
「ああ、柄支さんすいません。ええと、今、急に感じていた珊瑚さんの霊気の近くに、別の感覚があったんですけど……」
「どうしたんだ?」
「それが、一瞬で消えました。爆発するみたいに、一瞬だけ大きな感覚が押し寄せてきて……あ! またです!」」
鋭く刺すような感覚にハナコは一瞬身体を震わせる。いまひとつ真は状況を掴みかねたが、立ち止まっている場合ではなさそうだということだけは伝わった。
「辛いかもしれないが、そのまま状況を把握しておいてくれ。すいません、先輩。急ぎます」
「気にしないでいいよ。行っちゃって!」
自転車を漕ぐのを再開し、真は更に進んだ。徐々に風に潮の匂いが混ざり出したところで、真も空気の変化に気が付いた。
一瞬に煌めく閃光のようで、しかし激しく刺し貫く圧力。まだ距離はあるのだろうが、肌で感じるこれは霊気の高まりだ。
そして、ようやく埠頭の入り口が見えた。関係者以外立ち入り禁止という錆びた看板があったが、真は構わず中へ侵入する。中は思いの外広さがあり、コンテナ等が積まれているため全体を見渡すことはできなかった。
「先輩はここで隠れていてください。危ないと思ったら迷わず逃げてください」
真は倉庫の一角に自転車を止め、柄支にペンダントを返した。ここまで来れば、直に感じる霊気を辿るだけで十分だった。
「わかった……無茶はしないでね」
「それは先輩が言うことじゃないですね」
ここまで付いて来ること自体が十分な無茶である。それを言うなら、連れて来て危なくなったら逃げろという自分もそうかと、真は自らの行為の矛盾に内心苦笑する。
真は自転車に積んだ鞄から木製の短刀を取り出し、一度柄支を振り返って頷いて見せて前進を開始した。
「それで、どうする気なんですか?」
体勢を低くしながら進む真にハナコが訊ねる。戦いが始まっているとして、珊瑚を見つけてどうするかということだ。
「正直、出たとこ勝負だな」
珊瑚を連れ戻す決意は変わりなく、真は戦いとなれば当然加勢するつもりではあった。
しかし、徐々に激しさを増す霊気のぶつかり合いがその苛烈さを物語るにつれ、果たして介入できるのかと彼の緊張感を高めていた。
そして次の瞬間、真の五十メートルほど先にあるコンテナが盛大に吹き飛んだ。遅れて轟雷のような爆音が響く。
コンテナは鉄製で大きさもあるが、蹴られたボールのように転がっていた。衝撃を受けた面は内側に破れ穴が空いている。
「――どうしたよ! 逃げてばかりじゃ勝てねーぜ!」
驚きに足を止めた真の耳に、その破壊をもたらした少年の声が聞こえる。
それがフェイと名乗った少年のものであり、真は遠目にもその背中をとらえることができた。
そして、フェイの正面で彼から逃れる様に動く珊瑚の姿も見つけていた。
「珊瑚さん……!」
彼女が押されているように見えた真は加勢するため駆け出そうとしたが、咄嗟に足を止めていた。
「真さん、どうしたんですか!?」
ハナコに問われたが、真にも理解が追い付かなかった。怖気づいた訳ではなく、ほとんど反射に近い現象と言っていい。
これ以上近づくなと、本能に訴えかけてくる何かがあるのだ。
再び空気が弾けるような爆音が連続して響く。珊瑚を追い詰めようと迫るフェイが、何かを投げつけるように両腕を振るう度にその爆発は起こっていた。
間違いなく、何らかの霊気の特性による攻撃だろうと真は予想する。鉄を食い破るほどの破壊力を有しているのであれば、まともに受ければただでは済むはずがない。
だが、危険なことは百も承知であり、そのような物理的な脅威が足を止めた理由ではない。
フェイと珊瑚は戦いに集中しており、真とハナコの存在にはまだ気が付いていなかった。
両者を比較できる立ち位置にいた真は、その戦い方の違いに自身が足を止めた理由にようやく気が付いた。
フェイが派手に爆撃を撒き散らすのに対し、珊瑚は攻撃を反撃らしい行動を取ってはいない。
だが、珊瑚が劣勢かと言えばそうとも言えない。彼女はフェイの一方的な攻撃を許してはいるが、決して受けてはいないためだ。
見ようによっては珊瑚がフェイを翻弄し、彼の霊気をいたずらに消費させているように仕向けている風にも見える。フェイは時折煽るように何かを叫んではいるが、珊瑚は取り合う様子もなく攻撃同様に受け流していた。
その彼女の様が冷たかったのだ。足が凍り付いたように固まってしまったのは、そのためだ。
戦えば何らかの感情の発露があって然るべきだ。今のフェイの様にとまでは言わないが、焦りや緊張、昂揚感、あるいは恐怖でもいい。命の削り合いをするのに、何の感情も持たないことなどあるだろうか。
両者の技量が隔絶したものでない限り、戦いは互いの一手の読み合いだ。しかし、今の珊瑚の一挙手一投足には読むべき感情が削ぎ落とされている。
怒りに攻撃が雑になることも、焦りで動きが鈍ることもない。要するに、徹底して隙がないのだ。
攻めても手応えがないが、かといって睨み合うだけでは意味がない。だからこそ、フェイはひたすらに珊瑚を追い詰めるため攻撃を繰り返している。
「くそっ! 舐めてんのか……まともに戦えねーのかよ!」
当たらぬ攻撃に苛立ちの声をフェイは上げるが、珊瑚は変わらず彼の放つ爆撃を余波を受けぬ範囲で躱す。
珊瑚は決してフェイの実力を過小評価しているわけではない。相手の技と動きを見極めながら、より確実に勝つための戦い方だ。
しかし、少年らしく全力のぶつかり合いを望むフェイにとって、それは迂遠で面倒なものでしかなかった。策略としては理解するが、感情としては否定する。
圧倒的なまでの力の前には小細工は無意味だ。彼が理想とする戦いとは、蹂躙に他ならない。その方が爽快であるし、勝ったという充足感をより得られるというものだ。
幼さ故の浅はかさといえばそれまでだが、それが彼の信条とする一つである。だからスイッチの入った彼は退くことをしない。敵を捻じ伏せるまで貫き続ける。
だが、その戦い方は珊瑚にとって御しやすいものでしかない。気概は買うが、攻めた結果倒せなければそれまでの話である。
珊瑚は形だけの冷笑を浮かべた。それが苛立ったフェイの感情を逆なでし、彼の腕の振りが大きくなる。
それを見越した珊瑚は今まで引いて躱していたところを、懐に飛び込む形へと変えた。冷静さを欠いた状況で、一瞬でもその変化にフェイが戸惑ったことで均衡は崩れた。
フェイの懐に大きく踏み込んだと同時に、珊瑚は右肘を彼の鳩尾に突き刺すように叩き込んだ。
そして、彼の動きが硬直した隙を逃さず、突き刺した右肘を支点として回転するように背後へと移動する。次に彼女の右手は彼の首を押し出すように掴み、背中に乗り上げるような形で押し倒していた。
瞬く間の出来事に真もハナコも目を奪われていた。流れるような動作にはある種の美しさすら感じたが、それは決して良いものではなかった。
この戦いの決着の方法。珊瑚はその辿る先を見据えて行動していた。それを薄々ながら感じてしまったからこそ、真は足を止めてしまったのだ。
フェイの首を掴む珊瑚の指先に力が込められる。
「――珊瑚さん! 駄目だ!」
珊瑚から感じていた冷たさ、真の足を止めさせていたものは死の気配。
彼女にこれ以上の行為をさせるわけにはいかない。ただ、それだけを思った真は気が付けば叫んでいた。




