03 「新たな火種」
夜も深まり、皆が寝静まった頃、真は社務所の裏手に面した縁側に胡坐を組んで座っていた。
時折吹く微風は少し冷たいが、心地よいと感じることができる。響く虫の声が、より静けさを引き立てていた。
「静かですねぇ……」
彼の隣に座るハナコが、空を見上げながら呟く。空は晴れ、星も月も出ている。
じっくりと夜空を眺めるなんて、随分と久し振りのことのように真は感じた。夜の気に当てられ、心が落ち着いている。素直に、この景色は綺麗だった。
「眠れなかったんですか? 真さん」
先ほどから口を開こうとしない真に、ハナコは話し掛ける。四六時中一緒にいるため会話がないのは珍しいことではない二人ではあるが、この時の真の様子はいつもと違うと、ハナコは感じていた。
「そうだな。色々と、これから先のことを考えていた」
「これから、ですか」
ハナコは真の言葉を繰り返し、その意味を考える。
「やはり、封魔省という組織をガツンとやっつける方向でしょうか?」
「それは難しいだろうな」
「はぁ、ですよね」
次の生に転生すべき魂を食らい、己の力を伸ばす外道。そして、不死の方法を探る組織。
その行動理念に共感など覚えるはずもないが、組織に対してただの一個人でどうにかできるものではない。
ただの無謀で、命を落とすようなことがあってはならない。
「お前の記憶も、取り戻そうにも手掛りが無いからな。これは地道にやるしかないんだろうが」
「それについては、面目次第もございませんが、実際のところ、わたしってどういう存在なんでしょうかね?」
「どういうことだ?」
「わたしの身体は死んでいるけど、魂は霊気を生み出しているわけですよね。これは本来、有り得ないことだと聞きましたが、なんでそんなことになっているのかなと」
「それは俺も知りたいよ。お前がこうして自意識をもって話しているのも、そこが理由なんだろうが……」
有り得ないが、実際にこうしてハナコは存在する。そんな彼女の魂と繋がったからこそ、自分は生きているのだと真も自覚しているところではあった。
「そうですねぇ……その辺りを突き詰めていけば、わたしの記憶の手掛かりになるのではないかなと思ったりもするのですが」
「なんだ? やけに記憶を取り戻すのに前向きだな」
ハナコの発言に真は疑問を口にする。以前は、そこまで積極的な発言はしていなかったと思ったからだ。
「半々と言ったところでしょうか。今ここに居るのが、わたしにとっては、わたしなんです。でも、失くした記憶の中にいるのが、本当のわたしとも言えるわけで……」
自身の言葉に不安を覚えながらも、ハナコは言葉を紡いだ。
「知らない自分がいるというのは、不安です。それを知ったとき、一体今のわたしはどうなってしまうんだろうって思うと正直怖いです。霊としてこの世にしがみ付いているということは、きっと良くないことがあったということなのでしょうから」
何があったにせよ、霊体としてこの世に留まっている時点で、普通の命の終え方をしたとは考えにくい。その点は、ハナコも理解はしているところではあった。
だからこそ、無理矢理に知る必要があるのかと、ハナコは思うこともある。真と共に居る、この現状で満足できていれば、それでいいのではないのかと。
しかし、それは自分の勝手な都合であることも承知している。どう理屈をこねようとも、死者がこの世に留まり続けるのは間違っていることなのだろうから。
「ねえ、真さん。わたしが記憶を取り戻せたとき……もし、今のわたしが居なくなってしまいそうだったら、その時は支えてくださいね」
月に薄く照らされるハナコの姿は、どこか儚げで、真の瞳には今にも消えてしまいそうに映った。
「……もちろんだ。過去のお前が、どんなお前であっても受け入れてやるよ」
真は右手を伸ばしハナコの頭を軽く撫でる真似をする。その彼の対応に、ハナコはぽかんと口を開けていた。
「真さん……わたし、感激ですっ!」
パッと表情を明るくしたハナコが、勢いよく真に抱き付いてきた。頬擦りまでしてくる様は、全力で喜びを表現する犬のようでもあった。
「こら! 纏わりつくんじゃない」
「いいじゃないですか。そうしたい気分なんです」
真はハナコと距離を取ろうとするが、物音を立てて皆を起こすわけにもいかないため、結局ハナコにされるがままになってしまっていた。
「ったく、少し優しくすれば調子に乗りやがって」
「ふふぅ……真さんのデレは貴重なもので、つい嬉しくて。でも、記憶を取り戻す前にやることがありますよね」
真の背中に抱き付き、緩んだ顔を彼の隣に並べながらハナコが言う。
「まだ何かあったか?」
「もう、自分の事ですよ。真さんの魂を治す方法を探さないと。でないと、わたしが居なくなったら困るでしょう」
顔を逸らす真を覗き込むように、もう一歩ハナコは身を乗り出しながら言った。
真の魂は霊気を生み出す機能が欠損している。それを補っているのが、ハナコの生きた魂だ。
ハナコの記憶を取り戻し、浄化できたとして、彼女と繋がりが消えれば真は霊気を失う。そうなればどうなるかは、自明の理だ。
一度死んだ魂の機能を復活させるということは、言わば死者を蘇らせる行為に等しい。そんな手段があるなど、真には到底思えないのだが、それを言えばハナコは怒るであろうことも容易に想像がつく。
「そうだな。まずはできることから始めよう。封魔省のことも含めて、その辺りのことをもう一度珊瑚さんに聞いてみるか」
夜風にあたるのもこれまでとし、真は腰を上げた。泊めさせてもらい、寝坊をするような無様を晒すわけにもいかないだろう。
「封魔省のことだったら、オレが教えてやろうか?」
「――ッ!?」
不意に聞こえた声に、真は頭上を仰いだ。
社務所の屋根から、黒い影が庭に降りる。振り返った影は、少年だった。
浅黒い肌と対照的な白い髪が、月明かりに映えて絶妙なコントラストを生み出している。肌寒い季節にも関わらず、肩と膝下までを晒す恰好をしており、その顔には人懐っこそうな笑顔を浮かべていた。
「いよ、アンタが浅霧真だな?」
白い歯を見せながら、気軽に挨拶でもするように片手を上げる少年に、真は驚きながらも辛うじて警戒の体勢を取った。
「あー、そう警戒しなくても大丈夫だぜ……って言っても、信用されるわけないか」
上げた片手で頭を掻きながら、少年は笑みを苦いものへと変えた。
「お前、封魔省か……?」
少年の台詞を思い返し、真は訊ねる。それを受けた少年は笑みを消し、不快そうに表情を歪めた。
「違う違う。あんな外道共と一緒にされるのは心外だっつーの」
「じゃあ、なんなんだ? 俺に何か用なのか?」
「アンタに用はあるんだけど、今日会ったのは偶然。封魔省の副長とやりあったっていう場所をちょっと見学に来ただけなんだ。そしたら、たまたまアンタが居たってわけ。そんでまー、せっかくだから顔見せぐらいはしとこうかなっと」
要点が伝わらない少年の話に、真の頭には疑問しか浮かばない。そんな彼の反応を面白がるように、少年は次いで口を開いた。
「オレの名前はフェイ。所属しているのは滅魔省。けどまー、その顔は知らないって顔だな」
「めつま……?」
「――動かないでください」
「んな――!?」
少年――フェイがそこまで語ったところで、彼の背後にピタリと寄り添うように珊瑚が現れていた。
まるで気配を感じさせない登場に、驚いてフェイは振り返ろうとするが、珊瑚は彼の肩を掴みそれを制する。真も声がするまで珊瑚の存在を感じ取ることはできていなかった。
栗色の髪は下ろされ、寝間着にストールを羽織った姿であることから、何らかの異変を察知して駆けつけた、といったところだろう。
「今、滅魔省と、そう言いましたね?」
珊瑚は冷静さというよりも、冷たさを孕んだ声でフェイに訊ねる。しかし、既にフェイは動揺から立ち直り、口端を軽く持ち上げて頷いた。
「あー、そうだぜ。アンタやるね。これでも気配を消すのは得意なんだけど、よく気付いたもんだな」
「答えなさい。滅魔省が、真さんに何の用なんです? そもそも、どうして真さんのことを?」
「アンタ、声に余裕がないね。そんなんじゃ、足元すくわれるぜ?」
「……答えなさい」
「珊瑚さん、その、そいつの言っていること、何か知っているんですか?」
明らかにいつもと様子が違う珊瑚に戸惑いながら、真は彼女に呼び掛ける。すると、フェイは目を見開き、口をより深く裂いていた。
「なるほどな、アンタが千島珊瑚かよ」
刹那、フェイの姿が沈んだ。
次に繰り出された彼の足払いを、珊瑚は飛び退いて躱す。一瞬の攻防に真は腰を浮かしたが、フェイが真に向けて片手を突き出した。
「おっと、言っただろ。今日会ったのは偶然だって。ここでやり合う気はねーっての」
「その身のこなし、只者じゃありませんね」
「背後を取られた後じゃ、嫌味にしか聞こえねーけどな。ま、一応受け取っとくぜ」
立ち上がったフェイは頭の後ろで両手を組み、気楽に笑って見せた。
「一つ不覚を取っちまったからなー。んじゃ、一つだけ質問には答えてやるよ。浅霧真、オレはアンタを殺しに来た。正確には、アンタに憑いてる霊をな」
フェイは視線の焦点をハナコに合わせ、そう言った。口調はそのままでありながら、その瞳の奥には鋭利な光を宿していた。
「わたしが、見えているんですか……」
様子をうかがって言葉を発していなかったハナコが、震える声で訊ねていた。
「そりゃーそうだろ。ここまで言ってて見えてないはずがねー。浅霧真って分かったのは、アンタらが話してるのを聞いたからだしな」
「ふざけるなよ。どうして、こいつが殺されなくちゃいけないんだ」
ハナコを庇うように背中に隠して真が怒りを込めて言う。しかし、そんな真の言葉にこそフェイは怒りを覚えたように眉を吊り上げた。
「そりゃそうだろうがよ。霊ってのは放っておけば害悪にしかならねーだろうが」
苛立った感情をぶつける様に髪をかき上げながら、フェイは真を睨む。
「魂の捕食なんざ有り得ねーし、回帰だなんて温いことも言わねー。一度堕ちた霊魂は、生まれ変わろうが変わんねーんだ」
つまり、とフェイは締め括るように言う。
「霊の魂、その悉くを殲滅する。それがオレら滅魔省の理念ってわけだ」
「わ、わたしは何も悪いことなんてしてません! 殺すとか……物騒なことを言わないでくださいっ!」
ハナコは勇気を振り絞って声を上げる。しかし、彼女の訴えはフェイには届かず、彼はせせら笑うだけだった。
「分かってねーな。アンタがどういうつもりで存在しているかは関係ねーんだ。オレらは、霊の存在自体を害悪とみなしてるんだよ。現にアンタ、浅霧真に取り憑いてんだろ。それだけで、十分酷い話じゃねーか」
「そんな……」
「ハナコさん、何を言っても無駄です。彼らの価値観は、私たちのものとは異なります」
言葉を失うハナコに珊瑚が言う。それに反応したフェイは、珊瑚へと顔を向けて肩を竦めた。
「言うじゃねーか。裏切り者が」
「……」
鋭いフェイの視線を受け止め、珊瑚は彼の顔を見つめ返した。
「アンタのことは直接は知らねーが、今回の任務にあたって情報はあるんだぜ。組織を抜けた元滅魔師さんよー」
「……昔の話です」
「昔ねー。何を清算したつもりなのかは知らねーが、こうして過去は今のアンタに追いついたぜ。封魔省の連中とやり合ったのは失敗だったな」
「なるほど、情報源はやはり彼らですか。敵対している関係だというのに……」
「敵対してるからこそ、情報ってのは取っとかねーとな。ま、出所については今はいーじゃねーか」
「珊瑚さん……話が見えない。どういうことなんですか?」
二人の会話について行けず、真は訊ねずにはいられなかった。
「お仲間が戸惑ってるみたいだぜ。教えてやればいーんじゃねーか?」
「……封魔省との一件が、何らかの形で滅魔省に漏れたのでしょう。その中に、私のことも含まれていた。それで、私の足取りが掴めたというわけですね。そして、真さんとハナコさんのことも」
「だいたいそんなとこだな。うちの首領は来る者拒まず、去る者追わずって感じなんだが……組織的にはそう言うわけにもいかないところもあるってーの? 見つけちまった以上、対処はしないとしょうがないらしーんだよな」
フェイの言葉に珊瑚は深く息を吐く。そして、覚悟を決めて言った。
「私を、始末しに来たということですか」
「戻ってくるなら処遇は考えるらしーけど、そんな感じじゃなさそーだしな」
フェイは口を吊り上げ白い歯を見せる。真とハナコは、あまりに自然に言ってのける彼の態度に、寒気を覚えていた。
「んじゃ、オレはそろそろ帰るわ。こっそり抜け出してきたんで、気付かれる前に戻らないと怒られるんでね」
「ここで戦う意志はないと言うのですね?」
「だから、今はやり合う気はないってーの。どーしてもって言うなら考えないでもねーけど、お互いに良いことないだろ? 行かせてくれよな」
「……良いでしょう。早く行きなさい」
「サンキュー。じゃ、またな」
ここで争えば周囲の皆にも危害が及ぶことが免れない。そうした判断から珊瑚はフェイを行かせることにした。真もハナコも彼女の判断を信じ、口を挟むことはしなかった。
やがてフェイの姿が見えなくなり、珊瑚の張り詰めていた気配が微かに緩む。今更ながら、彼女は全身に吹き出た汗が冷えるのを感じ、両手で自信を抱いた。
「珊瑚さん、大丈夫ですか?」
「……真さん……、ええ、私は大丈夫です」
駆け寄る真に、珊瑚は返事をする。しかし、彼女の顔は青ざめており、とても大丈夫そうには見えなかった。
真は珊瑚を一旦縁側へと座らせ、落ち着かせることにした。しばらくして顔色を戻した珊瑚は、申し訳なさそうに真に頭を下げた。
「真さん、ハナコさん、私に訊ねたいことはあるでしょうが、少し時間を頂けないでしょうか。ああ言った以上、彼がここに戻ってくることはないでしょうから、今晩はお休みください」
「あ……」
立ち去る珊瑚の背中に感じる余裕のなさと、微かな拒絶。いつも感じる彼女の姿とはまるで真逆のものを見ているようで、真はそれ以上声を掛けることができずにいた。
「真さん……」
気がつけば、ハナコが真の胸にもたれるようにへたり込んでいた。
それもそのはずである。フェイがハナコに向けたのは、明確な敵意と殺意である。
封魔省の紺乃や咲野寺が見せた殺意は、どこか嬲り、弄ぶような遊びが僅かにでもあった。しかし、フェイが一瞬見せたものにはそれがない。
「大丈夫だ。お前のことは、俺が守る」
今この時ハナコに触れられないことをもどかしく思いながら、真は今夜誓った言葉が嘘にならぬよう、強く祈るようにそう言った。
いつの間にか月には、微かに黒雲が掛かっている。
胸中に燻ぶりだした不安の火種が、取り戻したと思った日常を巻き込み、脆くも瓦解させようとしていた。




