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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第六部 君と永遠に
183/185

38 「夜明け 1」

「都市を覆う結界の霊気が弱まりつつあります。鎮静化を確認次第、順次突入を始めてください。ええ、市民の救助と情報統制が最優先事項です。私も現場で指揮します」


 残夜の空を旋回する一機のヘリ。その内部から凪浜市の状況を睥睨していたラオは、配下への指示を終えて無線機の通信を切った。

 都市を覆った結界の正体を見極めるまで人員を割くことに難色を示していた組織であったが、そこへ封魔省総長が乗り込み、事態が更なる悪化の一途を辿るという報せには動かざるを得なかった。ある程度の手勢を率いることを許されたラオは、直ちに現場へと赴き、事態の把握と解決の任に就くことになっていたのだった。

 もっとも、その段階で遅きに失しており、出来ることは何もなかった。弐道とシオンの『世界』が混濁した魔都と化した凪浜市は、空間的に外界から切り離されており、外部から侵入する手段はなかったのである。

 こうなってしまえば後は精々、先手を打って向かわせたレイナ、フェイ、千島珊瑚がうまく中の者たちと連携をとってくれることを願うしかないのが現状だった。連絡が途絶えたということは、おそらく彼らは凪浜市への潜入を果たしたのだと信じよう、と。

 そうして、血のような霧と昏い闇に支配される都市を見守ること数時間――そこにとうとう訪れた変化を彼は目撃することとなった。


 位置的に凪浜スカイビルの屋上付近であろうか。覆い被さる闇の殻を破る、一条の碧い光が溢れ出していた。

 途轍もない霊気の膨らみである。瞬く間に都市を覆っていた結界全体に亀裂が走り、瓦解してはその破片を光の中へと溶かしていく。

 いったい中では何が起きているのか想像もつかない。しかし、この霊気は都市を覆う結界とは明らかに別種のもの。

 であれば、少なくとも最悪ではない。

 まるで生命の海のようだと直感する――地上で生み出されるその光景が最悪だなどと、誰が思えるだろうか。





「綺麗――」


 空を覆い尽くすその碧の光景を、凪浜神社の境内で芳月柄支はどこか神聖な気持ちで見上げていた。

 ずっと続いていた、空気全体が震えているような、地震に似た揺れが鎮まったのはついさっきのことだった。空に変化があったのは、それとほとんど時を同じくする。

 さっと大きな筆で上書きするように、一瞬にして空の色が書き換えられた。真っ暗で何もないはずの空は一面を眩い碧となり、その大海を流れゆく多くの光が現れ始めたのである。

 流星群さながらの輝きは、何かに導かれながら碧の海を泳いでいる。

 その一つ一つが意志を持ち、あるべき場所へと還るように。


「……言葉もないな」

「麻希ちゃん。永治さんに――新堂くん!?」


 後ろから聞こえた親友の声に振り返る。そこには古宮麻希と、永治に肩を貸された新堂進の姿があった。


「よかった、目が覚めたんだね」

「はい、ご心配をおかけしました」


 まだ顔色は元通りとは言わないが、微笑む進からは持ち直した様子が窺えて、柄支も安堵の笑みを浮かべる。


「まだ、無理はしてはいかんよ」

「わかっています。でも、なんだか……この光を見ていると、身体の中に巣くっていた毒気が、全部洗い流されていくみたいな気分です」


 永治に軽く窘められて頷きを返した進は、眩しさに目を細めながら顔を上げた。

 麻希も先ほど呟いたきり、その場で立ち尽くしている。言葉もない。いや、言葉は要らなかった。


「これが、二人の色なんだね」


 穏やかに紡ぐ柄支の言葉に納得しない者など、この場にはいなかった。





 住宅街と開発区を繋ぐ大橋で繰り広げていた防衛戦を、珊瑚とレイナは終えようとしていた。

 互いの背中を預けながら、警戒態勢を徐々に解いていく。周囲に蔓延っていた霊魂たちは、突如として照らされた碧の霊気の中へと吸い込まれるようにして消えていった。

 同時に、今まで結界から感じていた鉛のような圧力も感じなくなっている。血の屍と虚無が混濁した力は雲散霧消していた。

 そして極めつきには、この『世界』の象徴のように空に穿たれていた大穴も閉じようとしているのだった。


「どうやら、少年らは事を成したようですね」

「ええ……」


 空を覆う霊気の輝きに目を奪われている珊瑚の口からは、感嘆の息が零れていた。まだ予断を許さぬ状況には違いないのだと理解していながらも、魅入らずにはいられない。

 これは真とハナコが持つ二人の色。それが結界を打ち破り、代わりに都市を覆おうとしているのだろう。

 つまり戦いは終わったのだと、そう理解するには十分な光景だった。


 ……どうか、お二人ともご無事で――


「――っ」


 不意に膝の力が抜けて、思わず珊瑚は崩れるようにレイナへと寄りかかっていた。僅かに目を開きながらも、レイナは機敏な動作で振り返り、珊瑚の両肩へと手を添えて彼女を支える。


「しっかりなさい。疲弊は分かりますが、これから沙也たちの無事も確認しに行かねばならないのですよ」

「申し訳ありません……。少し、気が緩んだようです」

「まったく、背中を預けたのは間違いでしたか。さあ、ちゃんと立ちなさい」


 ぐいとレイナに肩を押し返されて、珊瑚は失態を誤魔化すような曖昧な微笑を浮かべる。すると、呆れた表情をしていたレイナが、ふと訝しげに眉をひそめた。


「貴女、泣いているのですか?」

「え……?」


 一瞬何を言われているのか分からずに、空虚な呟きが漏れる。遅れて、こちらを見つめるレイナの顔がぼやけていることに珊瑚は気付くのだった。

 指先で目尻を拭うと、そこからまた雫が溢れて頬を伝う。それはもう、自分ではどうしようもなくなっていた。そんな珊瑚の様子に呆れ果てながら、レイナは彼女から顔を背ける。


「何故、泣く必要があるのですか。理解に苦しみますね」

「……どうしてでしょうね。私にも、まるで……わかりません」


 果たして自分の感情は壊れてしまったのだろうか。だが、今この涙の意味を分かろうとするのはやめておこうと、珊瑚は思う。

 こんなにも美しい光なのだ。泣いて何も悪いことなどあるものか。

 心をそそぐように、彼女は気の済むまで涙を流し続けた。





 荒れ果てた凪浜スカイビルの入り口前の広場。

 座るのに適当な崩れた瓦礫に腰を落ち着けていたフェイは、見上げていた空から視線を下げると隣へと顔を向けた。


「さて、と。これで一件落着ってか?」

「だといいがな。少なくとも、封魔省総長と弐道による支配から脱却したことは確実だ」


 油断のない佇まいで腕を組み、応じたのは浅霧静である。


「何にせよ、お互い無事でなによりだぜ」


 突如として変貌を始めた都市。そして、空を覆う光に導かれるように消えていった霊魂たち。

 霊魂たちを引き付けることを役目としていたフェイは、そこからすぐに凪浜スカイビルで自分と同じく霊魂たちの相手をしているはずの沙也の下へと駆けつけることに決めた。そうして目的地に辿り着いたところ、行方知れずと聞いていた静と鉢合わせしたのである。

 詳しいところは聞けていないが、人質として操られていた凪浜市市長を救出し、ビルから脱出してきたとのことだった。まだ気を失ったままの市長は、ひとまず脱いだ静のコートの上に寝かされている。

 ばっさりと肩口にまで切り落とされた彼女の髪にフェイは疑問を抱きはしたが、それだけの死闘があったのだろうと、野暮な突っ込みはしなかった。言った通り、五体満足で再会できた以上、何の問題もないのだから。


「そうだな。君も、沙也も、よく堪えてくれた」


 フェイの軽口に頷いた静が視線を動かす。その先には、この場を死守していた一番の功労者である沙也の背中があった。砕け散って瓦礫と化したコンクリートの数々は、彼女の性分を如実に表していると言えよう。


「しかし、沙也姉ちゃんも丸くなったもんだな」


 だが、沙也に目を向けたフェイが漏らした感想は、それとは真逆のものだった。


「普通、寝るかよ。ったくよー」

「ふ、好きにさせておいてやればいい」


 戦いを終えた沙也は緋の太刀を抱え込むようにして座り込み、寝息を立てていたのであった。太刀の形成を解いていないのは流石だが、寝顔は穏やかなものである。

 思えば彼女のそんな表情を――それも戦場で――見たのは、フェイにとってはこれが初めてだった。


「これ以上、何も起きないことを願うぜ。で、アンタは戻るのか? 姉ちゃんが目を覚ませば、オッサン一人の面倒くらいはみてやれるぜ?」

「いや、必要ないよ。いつまでも過保護ではいかんからな。あとは、二人の決断に委ねて待つとするさ」


 静が振り仰ぐ凪浜スカイビルは、もう元の高層ビルの姿を取り戻していた。封魔省総長の影響を脱したと判断できたのもの、そのためである。


「ふーん? 二人が無事だって信じてんだな」

「無論だ。何のために、私たちが二人のために道をつけたと思っている」

「そりゃま、そーなんだがね」


 フェイはあの二人と長い付き合いがあるわけではない。全幅の信頼をというよりも、託すしかなかったというのが実際のところであり、忸怩たる思いもあった。


「けどまー、結果が出たんなら認めないわけにもいかねーな」


 この空を覆い照らす光に抱かれるのは、素直に心地よい。できることならば、いつまでも見続けていたいと思えるのだった。





「くく、まったくこれは、中々どうして……予想の遙か上をいきおったなぁ」


 凪浜スカイビルの屋上。都市の中で一番空に近い場所で、紺乃剛は状況を見届けていた。

 洋々たる大海の底にでもいるかのような気分だった。穏やかだが、力強く包まれている。生命力に溢れていて、決して孤独を感じない。

 この海には一つとして同じものはない無数の輝きが漂っている。常世の扉をこじ開けられて溢れ出していた霊魂たちが、あるべき場所へと還ろうとしているのだった。


 ……総長殿も、人の子だったということかのぉ。


 必ず幸福になれる未来。後悔せずに眩しく駆け抜ける生き様。甘ったるくはある。しかし、だからこそ誰もが憧憬せずにはいられない理想郷。

 そんなものに魅せられて、ほだされたか。

 地を這う屍は浄化され、空を呑む虚無も晴れた。残されたのは、いまだ空に穿たれた大穴の成れの果てのみ。それも碧の光に照らされながら収縮している。おそらくあの先での戦いは、大詰めを迎えているのだろう。


「最後まで見届けたいところじゃが、野暮じゃろぉな――」


 感慨に耽るのもそこそこに、紺乃は懐から通信機を取り出す。雑音ノイズが酷かったが、今は逆にその耳障りさが現実味を帯びていてありがたかった。


『――紺……さ……です……!?』 

「おぉ、現。通信が復活したっちゅうことは、ここらも『世界』の影響から免れつつあるようじゃな」


 通話に出た部下とは対照的に、紺乃は冷静に事態が終息に向かっていることを再認識する。そして、その旨だけを端的に伝えた。


「こっちの見届けは完了した。総長殿はもう戻らんじゃろぉ」

『え……ちょっ……どういう――』

「詳しゅうは、落ち合ったときにでも話しちゃるわ」


 欠片も話が通じていないだろうが、言うだけ言って一方的に通話を打ち切る。紺乃は腹の底から込み上げてくる笑いを噛み殺しながら、口端だけを吊り上げていた。


「さてさて……そしたら、後は若いもんに任せるとするかいのぉ」


 そして、独りごちて踵を返す。いつまでもこんなところに留まっていては心の毒だ。

 ただでさえ消耗を繰り返したというのに、この上喰ってきた魂を奪われては敵わない。早々に立ち去るのが吉だろう。


「頭を失った封魔省うちの今後は荒れそうじゃなぁ。素直に立場が繰り上がるわけでもないし、そんなのは御免じゃからのぉ。やれやれ――」

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