37 「碧の流星」
「この力は……ボクの虚無が呑まれている……?」
真とハナコが発現させようとしている『世界』の脈動は、徐々に早まっていく。鮮烈で眩いばかりの光は、目を逸らすことを許してはくれない。
一つ世界が打ち震えるたびに、熱が湧く。弐道は虚無であるはずの自身の内より感じる、有り得ないものに顔を歪めていた。
二人の力は確かに恐るべき高まりを見せている。だが、『世界』の形成とはただ単純な力としてのものだけではない。術者の魂の具現であるところの「世界」には、その特性が色濃く顕れる。
無数の屍による生命力の略奪、虚無による消失――いわゆる、自分の土俵に相手を立たせるという優位性がものを言うのだ。
あるいは、決して折れぬ剣などといった心を象徴する武具などもできようが、真が虚無へと伝播させる『世界』はその類いではない。この力は前者――すなわち、自身の『世界』へと相手を引きずり込むもの。
「さあ! ここからお前には、俺たちと同じ土俵に立ってもらうぞ!」
真は一振りの碧い刀剣を形成する。切っ先を突きつけるようにして構えられた得物の練度は、これまでで最上の強度となっていることだろう。命を意志にするに偽りはないと、その輝きが物語っている。
「お前も命懸けで来てみろ!」
一際大きく『世界』が揺れる。それが、真の『世界」が構築を完了した合図だった。膨大な霊気を纏い、流星の勢いを得た真が決戦の火蓋を切る。
「いくら力を得て挑んだところで……君にはボクを傷つけられはしないだろう」
真の目的は弐道が有しているハナコの肉体を取り戻すことだ。虚無を一時的にでも打ち払える力は認めざるを得ないが、彼が決定打を放てるとは弐道には思えなかった。
どれほどの啖呵を切ろうとも、その点に関して浅霧真が揺らぐことはないはずだ。ならば、どのような手段を用いて自分を浄化せしめようというのか。
命懸けでこいという挑発に乗る必要はない。弐道は己の虚無を四方の空間へと展開し、真が放つ命の光を呑み込み無力化しようとした。
弐道にとって、それは腕をひと撫でするが如き力の行使――そのはずだった。
「――ッ!」
まただった。輝かしい碧の光に照らされるたびに、熱を伴う鼓動にも似た衝動に全身が貫かれる。
その感覚に突き動かされるようにして、弐道は簡単に受け止められるはずの一撃を全霊をもって受けきっていた。
真の振るう刀剣と弐道の虚無の穴は交点より膨大な霊気を迸らせる。激突する両者の力は互角。弐道は閃光に目を眩ませながら、向かい合う真の口端が不敵に持ち上げられるのを見た。
「感じるかよ。お前の中にある掛け値なしの全力ってのが」
「まさか……これが君の心? 君の『世界』の特性だとでも……」
既に相手のペースに呑まれていると、彼の台詞を聞いた弐道は確信する。さっきからやけに煩いこの熱が、自身の意志とは裏腹に訳の分からぬ感情を駆り立てている。
「ボクに強制的に力を使わせようっていうのかい!?」
「言っただろ! 命懸けで来いってなぁッ!」
裂帛の気合いにより振るわれる碧の閃光が、虚無の穴を薙ぎ払う。更なる防御のために弐道は力を展開させようとするが、不快な感覚が胸で疼いて仕方がなかった。その感覚を打ち払うように、またも余計な力を使ってしまう。
全身全霊。その攻防は、後のことなどにまるで頓着せず、出し惜しみなしを絵に描いたようなものだった。
踏み込む足は最速で疾る。振るう霊気は己が使える最大の強度。限界を越えた領域には失速など皆無。常に最大最速の力を発揮して、至高の輝きをもって疾走する――!
この命は、刹那を生きる流星であればいい。
浅霧真が願い、描く『世界』の象。自分を救ってくれた愛しい者のために、この命をどこまでも燃え立たせる。
生まれながらにして死を願うものなどいない。生きる意志とは、どんな命だって本来持っているものだと信じている。だから、生きることに沸き立つこの光を目に焼き付けろと――お前もここまで至って見せろと猛るのだ。
「やめろ……! ボクの中に入ってくるなあ!」
弐道の声は絶叫となっていた。昏い瞳の底から怨念のような灯りを宿らせ、真を睨み付けながら彼が振るう光を打ち落とすように虚無で空間を満たそうとする。
「なんて迷惑な……! ボクの意志を決めるな! そんなもの、ただの押しつけでしかない!」
「そう思うなら勝ってみろよ。お前自身の意志と力で、俺の意志を砕いてみせやがれ!」
それは消え去りたいと漂い続ける弐道からすれば、決して出来ぬ相談であった。輪廻の漂流の果てに自我の摩耗した弐道にとって、意志など不要なのである。それ故の虚無であり、明確な意志を持つことは己の願いと矛盾する。
……それなのに!
しつこく食い下がるこの力に流されてはいけない。呑まれてはならない。しかし、抗えば抗うほどに魂が昂ぶる。どうしても、その光を求めたいと思ってしまうのは何故なのだ。
「なんでだ! どうして……素直に逝かせてくれないんだ!」
「お前の心に聞いてみろ!」
応じて打ち込む真の力に容赦はない。この光に少しでも魅入られるというのなら、答えは自ずと出ているのだから。
*
「かっ……甘い。実に甘いのう。なんじゃ、この甘すぎる答えは」
真と弐道の力の勝負を見届ける立場をとっていたシオンは、命の光を目に焼き付けながら呟いていた。
激しい力の衝突に世界は震え続けており、暴風にも似た余波に曝されている。それでも、一秒たりとも目を背けまいと、朽ち果てる時を待つばかりの少女はその場から一歩も動くことはなかった。
真の世界の理を端的に言い表すならば、『自分も相手も常に全力を出さなければならない空間を創造すること』だ。
全力と言っても生易しいものではなく、それこそ魂の損耗さえも度外視した寿命を削りながらの捨て身の行為。
下手をすれば自滅へと至る諸刃の剣である。
しかし、愚かと笑うことなど出来ようはずもない。あまりにも眩しいこの生き方を笑う者がいるとするならば、その者は生きている価値はないと断じようではないか。
いつだって生きることに全力を捧げる理想の姿。二度と訪れぬこの瞬間を繰り返して生きている。だからこそ永遠に命は燃え続ける。
振り返ることなく、刹那を愛して疾走する。
「じゃが……なんと気高いことよ。久しい。久しいぞ。生きたいとは、こんなにも狂おしい感情であったのじゃな」
全力を振るうには意志が必要となる。刹那の輝きに意志を喚起させられては、弐道の虚無は真価を発揮することはできない。限りなく自我を喪失させた彼の者であるからこそ、あらゆる力を呑み込むことができたのだ。明確な意志を持った時点で、そこに虚無は生まれない。今の弐道が振るう力は、ただの虚無の出来損ないとなった霊気の塊に成り下がっている。
もっとも、それだけでも十分な威力を伴っているのは言うに及ばずだ。およそ本気というもの出したことのない弐道にとって、扱い慣れぬ力は暴走にしかならないに違いない。振り回されるように、真の光を拒むためにがむしゃらになっている。
抗うためには意志がいる。しかし、その意志は己の願いと相反する。自身の特性を十二分に発揮できていないという意味では、真の『世界』の発現を許した時点で、弐道は詰んでいるのだった。
「お主らの光は、実に美しいぞ」
だからこそ惜しいと、シオンは思った。現状、真が優勢にも思える勝負だが、このままでは負けるのは十中八九、彼の方だというのがシオンの予想だった。
答えは単純に、持てる力の総量だ。
常に全力を出し続けるとは言ったものの、出せるものがなくなればそれで終わりだ。弐道は凪浜市を覆い尽くした結界から虚無へと汲み取った魂の力を有している。真一人の力では自爆にしかならない勝負を支えているのは、ハナコだ。
かつて彼女が無色の教団の被検体となり、犠牲となり繋がれた人々の魂。自身を喪失させる切っ掛けとなったその魂を、今は生きるために燃やしている。
生きるために前進するのだ。その意志を絶やさなければ、いつかきっと辿り着けるから。
信じることは困難を極める道。でも、あなたが信じて求める限り、わたしが支え続ける。その未来にある幸福を約束する――
「かっ! よかろう。その理想に、騙されてやろうではないか」
シオンは凄惨に、愉悦に浸った哄笑を上げていた。
真が勝つには、両者の総力の差を補う一手が足りない。そして、考えられる限り補える手は一つしかない。
「これほどまでの昂ぶりを感じさせおって、傍観などできようはずもないじゃろう!」
*
まだ足りない。怒濤の攻めの手を緩めぬ真ではあったが、このままでは弐道を詰ますことはできないだろうと予感していた。
極限にまで高めた力のぶつかり合いは弾幕の様相を呈している。互いに一歩も譲りはしない。そうはさせないための『世界』である。
弐道を消耗戦に引きずり上げたまではいいが、問題はその先だ。
「ああ! どうして放っておいてくれない……! 生に希望を持つなんて無駄なんだ! 何も生まれはしない生み出せない! 君たちみたいな理想を振りかざす者がいるから……苦しむんだろう!」
感情を露わにして膨大な霊気を放出し続ける弐道である。もはや彼の者の力は虚無の象を崩しており、真の霊気を持ってでも対抗しうるものとなっている。しかし、その総量はまだ底が見えないのだった。
「知ったことか! お前が本気でそう考えているのなら、俺の答えごときで揺らぐなよ!」
熱はどこまでも高く引き上げられ、限界を超え続ける。上り詰めようとする高みに果てはなく、命の輝きは激しさを増していた。
「千年生きたなんて笑わせるな! 始まってすらいない奴が、この意志を馬鹿にするんじゃねえ!」
前方に広げられた弐道の障壁を薙ぎ払い、間髪入れずに迫撃を繰り出して間合いを詰める。だが、直前で更なる霊気の壁が彼の進行を阻んだ。強烈な火花が散る中、両者の視線が至近距離で交錯する。
「俺はハナコみたいに甘いことは言ってやらないぞ。逃げたけりゃあ逃げろ。その代わり、お前はその身体から出て行けよ!!」
「この……! 離れろと言っているんだ!!」
激高する弐道が髪を振り乱し、力任せに霊気を放出して真を遠ざける。苦しげに胸を掻き毟るように爪を立て、堪えきれぬ頭痛に額を押さえている。
「もういい……君たちに期待したことは忘れよう……。こんなに不快な感情を抱くくらいなら、今生は捨てた方が良さそうだ……!」
「――! 何をする気だ!」
荒い息が吐き出して奥歯を軋らせた弐道は、強い憎しみを込めた目で真を睨む。その台詞を言い終わるや、『世界』が物凄まじい音を立てて揺れ始めたのだった。
「ボクが創ったこの『世界』を壊すよ。これまで溜め込んだ力を含めた上でね」
「なんだと……自爆でもする気か!?」
「君にこの身体は渡さないよ。八つ当たりくらいはさせてもらってもいいだろう? はは、最初からそうすればよかった。君たちのいない世に生まれ直して、また一からやり直すよ。この特性に頼るのはいやだけれど、仕方ないね……」
不意に弐道の両眼から光が失われ、虚ろな闇と化す。一時的にも本来の在り方を取り戻そうとでもいうのか、彼の者の魂に無尽の力が渦巻きつつあった。
弐道の『世界』は都市全土を覆っている。決壊すれば、いったいどれほどの被害が出ることになるか分からない。
このままでは、本当に弐道の言う通りに最悪の形で『世界』が崩壊してしまう。
「君に刻まれたこの傷はしばらく癒えないかもしれないけれど、いつかは忘れてしまうさ。ボクは、そういう存在だからね。今回だけは、君の意志に乗じて全力で壊させてもらうよ!」
『真さん! ダメです! わたしたちの力だけでは……!』
「泣き言をいってる場合じゃねえだろ。やれることをやるしかない!」
『でも、このままだと真さんの身体だって危ないです!』
「それも全部覚悟の上のはずだ。お前は生きたいんだろう! 自分を取り戻したいんだろう! 俺を支えられるのはお前しかいない。違うか!?」
有無を言わさぬ真の剣幕に、ハナコは息を呑む。状況は待ってくれず、一刻の猶予もない。迷っている暇などありはしないのだった。
もっと強く鮮烈に、高みへと命の火を掲げるのだ。この道は誰にも否定させない。最期まで信じて貫き通す。
「無駄だよ。力の差は信じるだけでは覆せない。君たちを消しさえすれば、ボクの勝ちだ!」
そして、それすら待つのも煩わしいと、弐道は最大の密度で練り上げた霊気を解放しようとした。全ては無へ還れと、破滅による終焉をもたらすための虚ろなる力が起爆する。
しかし――
「させんよ」
力の決壊により『世界』がひび割れようかという正にその瞬間――弐道の力の中心に鮮血の波紋が生まれた。
「な……!?」
朱の染みは瞬く間に虚無を喰い荒らし、その解放を阻止していく。力の制御が失われていくことに焦慮を滲ませた弐道は、横槍を入れてきた人物へと顔を向けた。
「シオン……!?」
「すまぬな、マコト。やはりこやつには、一矢報いねば気がおさまらぬようじゃ」
振り返って驚きに表情を固める真に軽く笑いかけながら、シオンは彼の横を通り過ぎる。見開かせた血色の両眼に光の奔流を焼き付かせている彼女の姿は、錯覚であろうか、生気に満ち満ちているように見えた。
「君は! でも、なぜ……こんな力は残っていないはず!」
「虚無の力加減を見失ったな、ニドウ。全力など、慣れぬことをしようとするからそうなるのじゃ。お主、誰の力を取り込んだつもりでおる」
シオンの力の半分以上は虚無へと呑まれた。だが、真の『世界』によって乱されて、制御を失った今の弐道の虚無は完全ではない。
「今はお主の力の中には、妾の『世界』の一部が入っていることも忘れるな!」
ならば、呑まれたはずの力を引き戻すことも可能となろう。彼女の力は生を渇望するが故に、他者を貪り喰らおうという歪みから生じたもの。
そして、真が創造した戦いの舞台に立ったのであれば、彼女の力もまた出し得る全力に引き上げられるということになるのだ。
「内側から喰われる気分はどうじゃ! 痛むかニドウ! 痛みを感じるか!? 疼くものがあるのなら、それはお主の魂に刻まれたもの! 痛みこそ生きている証よな! それを捨てるなど勿体ないことだとは思わぬか!? 久方ぶりに痛みを味わって人間に戻った気分は爽快じゃろう!」
狂喜に快哉を叫ぶシオンは全身より血色の霊気を滾らせる。しかし、既に朽ちようとしていた彼女の肉体はその力に耐えきれるものではなかった。白磁の肌にはひび割れのような傷が無数に走り、血煙のように霊気が噴き出し始めるのだった。
「お前……死ぬ気か!」
「それは違うな、マコト。妾は最初から生きてはおらぬ。とうに最期を迎えていた骸よ!」
血塗れの形相でありながらも、シオンの声は喜びに震えていた。死の底に沈んでいた魂に痛みを刻みつけ、生きる光を浴びようとしている。
「じゃが、そんな骸にも意地はある! 過ごした時の重みは無駄にはさせぬ! ハナコよ、妾の声を聞いているのなら答えよ!」
『は、はい!』
「魔道に堕ちたこの身ではあるが、妾は己の生き方に後悔はしておらぬ。じゃが、目指せると思うか? お主の示した『世界』は、誰をも許容するものか?」
多くの他者を喰らい続けてきたこの道を、これしかなかったなどと言い訳にはしない。自らが生きるためにとった道だと、悔恨などないのだとシオンは言った。
それでも、目指すことに罪はないのか。どれほどの闇に堕ちようとも、甘い理想の光を目指すことはできるのか。
『あなたが、そう願い続けるのなら』
シオンの問い掛けに、ハナコが返せる答えは一つしかなかった。自分が信じるその先に、望む結末があると信じること。それが全てだ。
「かっ、そうよな。楽な道ではないな……しかし、よかろう。来世があるのなら、もう少しマシな方法でその道を探るとしよう!」
答えを聞いて吹っ切れたように、シオンの霊気が膨れあがって濃さを増す。纏う鮮血は命の色。今この時、彼女は誰よりも己の魂を火種として燃え上がらせているのだった。
「往生際が悪いよ……! 君が、死に体であることに変わりはないんだ!」
だが、弐道もただやられているばかりではない。彼の者もまた全霊をもって荒れ狂うシオンの力を押さえ込もうとしていた。押し返されようとする度に、シオンの傷口は広がり、尋常ではない血潮が噴き出し続けている。
「おい……! それ以上は!」
『シオンさん! 無茶です!』
「妾に構うではないわ、小童ども! いいからそこで見ておれ! 良いところなのじゃよ! もう少し、生きていることを実感させろ!」
小さき少女の身から発せられた大喝が重くのし掛かり、真とハナコの動きを封じた。今にもバラバラになりそうな肉体。されど、それを繋ぎ止める意志は限界を超えて猛っている。
「慣れぬことをするものではないと言ったはずじゃ。反発すればするほど、返す力は強くなるのじゃぞ。ニドウ……死を想え。全ては終わる。永きに渡り繋いできた妾の魂も終わりじゃ。終わらぬものなどはない。何故、お主は自分が特別だと考える?」
「黙れ……! 君にボクは殺せない! このまま押し切ってやる!!」
「そうはいかんなぁ。ここでお主に負ければ、妾は次を生きられぬ。しかと刻みつけねばな。妾たちの終わりをのう」
シオンの唇が凄惨に引き裂かれ、鮮烈な赤を咲かせる。血濡れた瞳は弐道の中で暴れる力へと注がれていた。
「さあ、いつまで寝ておるつもりじゃ! 主がここまでしておるのじゃぞ!」
そして、その奥底に在るはずの、己の心臓とも呼べる存在へと呼び掛ける。
このまま無為に潰えてもいいのか。生きてきた足跡が、全てが無かったことになっても良いのか。
この終焉に、あなたは納得ができるのか――!
「あなたは……あなたの生きた意味は、本当にそれで良かったのですか!! お父様ああぁ!!」
「――が……!? あ、ああぁ!?」
驚嘆と苦悶に弐道の顔が歪む。臓腑が焼けるよう――灼熱と化した血流が荒れ狂っている。その激流は弐道の腸を食いやぶるかのように勢いを増大させ、彼の者の力から抜け出していた。
「かっ……! それでこそ、我が従僕よ……最期に、気概をみせたな……」
「そんな……ありえないない……どこまで、ボクを貶める……どうして、そこまでして……!」
力の半分以上を削られた弐道が、ついに堪らず膝をつく。それと同じくして、シオンの肉体もまた限界を迎えたように、無尽に走る細かな亀裂が開き出していた。
しかし次の瞬間、崩れ落ちるばかりのシオンの身体を、弐道から抜け出した嵐のような霊気が横抱きに包み込む。やがてそれは朧げに、一人の巨躯の姿を形成した。
「さあ、マコトにハナコよ! 今こそ、お主らの『世界』で虚無を呑み込むがよい。我が魂の総軍をもってお主らを支援してやろう……光栄に思うがよい!」
「お前……自分の魂を!?」
シオンの肉体の崩壊と連動するように、戦いの舞台となっていた灰色の『世界』が崩れ落ちる速度が上がっていた。彼女自身が『世界』を維持することを放棄したのである。その代わりに、弐道から取り戻した力の全てを、彼女は真とハナコの『世界』へと預けていたのだった。
弐道の力は半減し、更に減じた力は真側へと注がれた。天秤が大きく傾いた今が、最大にして最後の好機。
「存分に照らせよ。全ての魂が、迷わぬようにな」
巨躯の影に抱かれながら、シオンは目を細めていた。
信じたのなら、迷うな。揺るがぬ意志で、この『世界』に囚われた魂の行く道を照らす光を示せ。
「ハナコ! この瞬間を無駄にするわけにはいかない!」
『はい! わたしたちの全てを……!』
心臓は破裂寸前にまで鼓動を刻む。意志よ、命よ、輝けと。碧の霊気は極大の刃となり、視覚も聴覚も覆い尽くしながら、虚無の大空を切り裂き閃く一筋の流星を描いてゆく。
「お前の世界も終わりだ! 弐道!」
「終わり……? 違う……こんな終わりを、ボクは望んでいない……こんなのは、違う……違う……!」
切り裂かれた空から溢れ出す光の海を見上げたまま、抗う力を失った弐道はうわごとのように繰り返して首を振るばかりだった。認められない。だが、この光からは、どうしても目を逸らすことができない。
己の意志と心が分離しているかのような、不確かな感覚。いや、意志など最初からないと言っていたはず。なら、この感覚? 感情? 湧き上がる気持ちは何なのだ?
……わからない。わからない。
……誰か、ボクを救って――




