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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第六部 君と永遠に
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36 「ただひとつの刹那」

 敗北を口にするシオンの言葉は、にわかには信じ難く、真は知らず息を呑んでいた。

 しかし、この変わり果てたシオンの『世界』を見てしまった以上、認めるしかない。シオンは弐道との戦いに敗れ、自身の『世界』を虚無に取り込まれようとしているのだった。


「負け惜しみを言わせてもらえば、エクスが逝ったのは致命的であったのう。まさか古い記憶を持ち出されるとはな……もっとも、それを言うならば、妾の中に隙があったということなのじゃろうが」


 お主らを責めるわけではないがな――と、皮肉げにシオンが真とハナコに笑みを向ける。


「妾にとって、あやつの暴走は肉体の内側から臓腑を食い荒らされるようなもの。妾はあやつを支配しておったが、あやつによって創られもしていた。故に、あやつが逝けば妾の器も永くは持たぬ。多少の差異はあろうが、マコト、お主がハナコの魂に生かされているのと同じようなものじゃよ」


 シオンの独白めいた台詞に、真とハナコはただ、血色の両眼に見つめられたまま動くことができずにいた。


「永劫、共に歩めると思っておったのじゃがな。安心してよいぞ。もう、お主らを喰う意味はなくなった」


 長きに渡り喰らい続け、その身に溜め込んだ魂は尽きようとしている。とうとう訪れようとしている自らの死期。しかしシオンは、何するものぞと哄笑を漏らした。


「かっ! 妾を憐れむなよ。そのような同情が欲しくて話してはおらぬ。戦いには敗れはしたが、まだ勝負を捨てるには早いのじゃからな」


 そして、拡大し続ける虚無の奥へ届けと、朗々と宣告する。


「ニドウよ! お主を殺す者が現れたぞ。はよう姿を見せたらどうじゃ! 妾が立会人となろうではないか。お主の最期、見届けてやろうぞ!」


 勝敗が決してなお、この場を維持していたのは悪あがきのためではない。虚無の世界においては、あらゆるものが形を無くす。そのために、自己の姿を保つための確固たる場があることは重要なことなのだった。


「虚無に消え逝く灰の舞台。誂え向きじゃろうが。よもや、恐れているわけではあるまい!」

「――もちろんだよ」


 果たして、シオンの呼び掛けに対して、虚無に波紋を描くかのような声が響いた。

 真の肌は粟立ち、あらゆる感覚が逆立ち過敏になる。

 すぐ近くに、弐道がいる。


「死にたがりが、もったいつけおって」

「はは……そんなつもりはないのだけれどね」


 真たちの眼前の空間が朧に歪む。微苦笑で応じる気配とともに、そこから弐道が姿を現した。


「もう、勝負はついていたはずだよ。君を取り込んだ後で、改めて彼らのは姿を見せるつもりだったさ」


 本来過ごしていたであろう時の変化を差し引いても、風貌はハナコと瓜二つであるが、宿す魂の性質の違いにより醸し出される雰囲気はまるで違う。


「弐道!」

「二人とも、よく来たね。こうして無事に、また会えたことを嬉しく思うよ。ああ、この身体は幻影じゃないからね」

「わかりますよ……それくらい」


 つかみ所のない霞かかったような空気が不気味な弐道だが、彼の者を前にしたハナコは、その存在をしっかりと感じていた。本来あるべきはずの肉体と魂が引かれ合っている。虚無の中を進んできた彼女の感覚に、間違いはなかった。


「そうかい。なら話は早いね。さて、彼女は立ち会いなんて言っているけれど、どうする? すぐにでも、ボクを殺してみせるかい?」

「お前の死にたがりには、ほとほとうんざりなんだよ。誰の思惑も関係ねえ。お前にはその身体を返してもらう。それだけだ!」

「うん、君ならそう言うだろうとは思っていたよ」


 弐道はまるで気負う素振りも見せず、緩やかに口元を綻ばせて真に応じた。


「ここまで来られた君たちの力を疑うことはしないよ。けれど、ボクを殺すということは、少なくともこの虚無せかいを覆さなければできないことだ。君たちに、それができるかい?」


 シオンの『世界』を浸食し、拡大し続ける弐道の虚無の強大さは言うに及ばず。まともに考えれば、立ち向かえる隙などあるとは思えない程である。


「それならば問題あるまい」


 弐道の問いに答えのは、真でもハナコでもなく、シオンであった。彼女は「くだらぬことを」、とでも言いたげに鼻白んだ様子で弐道に一瞥をくれると、彼の者へと背を向ける形で真たちの方へと歩み寄った。


「お主らはエクスを退け、妾の『世界』に風穴を空けたのじゃ。その片鱗なくして、乗り越えることは叶わなかったはずよ」


 見せ場を譲り舞台から退場するように、シオンはすれ違いざまに言葉をかける。


「彼奴を仕留めるために、これほどの好機は二度とないと思え。よいな」

「あんたの口車に乗る気はない。ないが……弐道は必ず倒す」

「かっ、ならばよい。しかと見届けさせてもらおうぞ」


 満足気な哄笑を零したシオンは、もう何も言わずに真たちから距離をおき、戦いを静観する体勢に入った。しかしその実、朽ちかけとはいえど、この舞台を維持するためには力を注ぎ続けているはずである。

 戦いに直接介入することはなくとも、彼女の意志は屈してはいないのだった。


「話は終わったかな? それじゃあ、始めようか――」


 後は雌雄を決するのみと、弐道が戦いの口火を切ろうとする。だが、


「いえ……、まだです」


 それを遮るようにハナコが言葉を被せていた。


「ハナコ?」

「真さん、ごめんなさい。戦いの前に、話をさせてください」


 ハナコはすまなさそうに真に目配せする。彼女にとって弐道との対面は辛いものであるはずだが、瞳には強い意志が秘められている。

 真は黙って頷き、先を促す。「ありがとうございます」とハナコも真剣に頷き返して、弐道へと向き直ると改めて口を開いた。


「弐道さん、もう一度聞かせてくれませんか。あなたが……消えたいと思うわけを」

「……それは、前にも話したことだと思うけれど?」

「それでもです。わたしの気持ちを決めるために、聞いておきたいんです」


 惚けたようなことを言う弐道だったが、ハナコは毅然とした態度で向き合おうとしていた。


「答えは変わらないよ。生きることに飽いた。それだけさ」


 弐道はやや辟易と口元を歪めて息を吐きつつ、仕方なく応じる。

 永きに渡り転生を繰り返した結果、自分という存在を持てなくなった。摩耗しきった精神には、生きることに未練も執着もなく、ただ消え去ることだけを望んでいる。

 生き続けることに意味はない。虚構としか感じられない命。それでも消えることは許されず、いつかその日が来ることだけを願い続けている。


「これも言ったかもしれないけれど、理解してくれなくていいんだ。この命はいつ終わってもいいと思っている。だから、もしも君が同情心からボクを説得しようなんて考えているのなら、それはお門違いだと言っておくよ」

「ハナコ、これ以上はもういいだろう。何を言ったって、こいつには……」

「いいえ、違うんです。真さん。同情しているわけじゃありませんよ。わたしは、あの人の主張を認めたくないんです。それが今、はっきりとしました」


 いくら言葉を交えたとしても、弐道の主張は変わらない。真はハナコを気遣うように口を開く。

 だが、ハナコはゆっくりと首を横に振って彼の視線に応えた。


「弐道さん。あなたは否定するでしょうけど、あなたとわたしは、似ていますね」

「……何だって?」


 弐道の眉が僅かではあるが、怪訝に歪められた。それは、靄のようにつかみ所が見当たらない弐道が、初めて浮かべた戸惑いだったに違いない。


「わたしは輪廻を繰り返したわけでも、あなたが経験したほどの永い時を生きていたわけでもありません。でも、今の『わたし』の存在は、数え切れないほどの『わたし』が殺された結果の上であるものです……。本当の自分がどんな存在だったのかも失って、何もかもが薄れてしまって、生きているのかどうかも分からなくなるくらいに」


 自らの想いを形にして示すように、ハナコは言葉を紡ぎ続ける。


「生きていても死んでいるのと変わらない。そんなわたしの前に現れてくれたのが、真さんです。彼と出逢えて、わたしは光を得ました。どんなに辛くても、苦しくても、惨めでも、情けなくても、どう思われたって生きたいと思えるようになったんです。たとえ、わたしがかつての自分を忘れてしまっても、魂に刻まれたものは無意味なんかじゃない。今日まで生き続けたわたしの命は、意味があった」

「生き続けることに……意味なんて」

「ありますよ。あなたが辿り着いていないだけで、その人にとっての光が現れる時が、きっとくる。わたしはそう信じたい。陳腐ですけどね。その運命に辿り着くために、わたしたちは生きるんです」


 生きる意志を持ち続ければ、いつか光を得られると信じる想い。輪廻とは、その運命しあわせを掴めるのだという約束の道なのだ。


「それが、わたしがこの命を得て辿り着いた答えです。だから――」

「だから? まさか君はボクに、生きろだなんて言うつもりなのかい?」


 それ以上は聞くに堪えなかったのか、弐道は意志らしき苛立ちを含んだ声でハナコの言葉を遮っていた。深淵を思わせる闇の双眸の奥が、彼の者の意志に反するようにざわついている。

 脊髄が震え、脳が痺れる。そこは虚無を望む彼の者の底にあって計り知れぬ、決して触れてはならぬ部分であったのかもしれない。

 しかし、ハナコは臆さなかった。


「そうです。だって――そんな風に語るあなたは、とても辛そうに見えますよ」


 持つべき言葉を出し切ったハナコは口を閉ざし、弐道の応えを待つかのような静寂が訪れる。そして、ややあって返ってきたものは、乾いた笑いだった。


「………はは。まったく、驚かされるよ。まさか、ボクに生き続けろと諭そうとするなんてね」


 弐道は口元を不敵に歪めて見せてはいたが、目は微塵も笑ってはいなかった。


「あぁ、これほど大量の魂を無に帰しても、まだ世界にはどれだけの命があるのだろう……」


 失意。落胆。絶望。これからも続く永い道のりを嘆くように、消え去りたいと願う心にあってはならない感情ものを渦巻かせながら、弐道は虚無の世界を仰いでいた。


「君たちに期待したボクが間違いだったのかな。そんなことを言われてしまったら、もう、仕方ないじゃないか」

「ハナコ! 下がれ!」


 弐道が放つ不穏な気配が大きく膨れあがると同時に、これ以上は無理だと真が叫んでハナコの前に飛び出した。


「君も……! 消すしかないじゃないか!」


 真の眼前の空間が、風景ごと大きくねじ曲がる。そこから二人を引きずり込まんと伸びてきたものは、無数の影のごとき腕であった。


「させるかよ!」


 瞬時に形成させた刀剣で影の腕を打ち払う。真の霊気に触れた影は、たちまちに捻れた空間ごと霧散した。


「ハナコ。お前ってやつは、とんでもなく甘いな。そんな理屈が、弐道あいつに通ると本気で思っているのかよ」

「通る、通らないの問題じゃありません。これが、わたしの中で絶対に譲れないものだからです」


 振り返る真を、ハナコがまっ直ぐに見返す。彼女にとっての光がなんであったのか。この運命を否定はさせまいと、眩しく微笑んでみせる。

 彼女が語る未来は理想に過ぎない。いつかとは言いようによっては果てがないということだ。見て果てぬ希望を追い続けることは難く、絶望に身をやつすことほど容易いものはない。誰も彼もが、斯様に心を強く持てるわけではないからだ。

 信じれば、いつか叶うと信じて生きろ。彼女が謳うは、どれほど希望に満ちあふれ、残酷な理だろうか。


「……そうだな。甘くない理想なんてない」


 しかし、そう思ったところで真に否定できるはずもなかった。

 ハナコに救われたのは、他ならぬ自分だから。彼女にとっての光がそうであるように、彼にとっての光もまた、なんであったのか。


「だからこそ求めたい。支えたいと思うんだ」


 その答えに対して、次は自分が答えを返す番。

 誰かに想われ、支えられていると知っている。だから自分も支えたい。大切な人たちの未来を拓くための礎となれるのなら、喜んでこの身を燃やそう。

 彼女から与えられたものは、今日にしか生きられぬ、ただひとつの命。

 今日の彼女には今日にしか出逢えないように、連綿と流れる普遍の時などないのだ。

 この命は、唯一の瞬間を繰り返して生きている。

 だからこそ、どこまでも眩しく輝かせることだってできるだろう。

 運命というものがあるのなら――それは今。


「俺にとっては、今がその瞬間だ。お前と生きられるこの時を、何よりも愛おしく思うから!」


 死んだ魂に熱が迸る。真の力の源泉は一瞬の光。刹那を生きる命が放つ極光。

 転生を永劫に繰り返す、虚無なる弐道とは対極の理である。


 彼女と共にいられるのなら、この命は燃え果てる刹那の流星であれば、それでいい――!

 この刹那を永遠にして、生きるのだ。


 矛盾はあれど、この心は成立する。譲り合えない心は互いの想い高め合いながら、世界を彩る光を放つ。


「弐道、俺たちは命を意志にする。お前の世界に命はあるか? 答える意志があるなら、答えてみせろよ!」


 ハナコと合一を果たした真を中心に放たれる命の光が、彼の宣告とともに浸食しかかっていた虚無を一気に押し返す。

 傾いていた天秤が均衡を取り戻し始める。その揺り返しに、『世界』が震撼した。

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