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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第六部 君と永遠に
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35 「虚無へ」

 おびただしい霊魂が飛び交う魔都と化した開発区を、休むことなく縦横無尽に走り続けていたフェイは、ビルの影に身を潜めるようにしてその足を止めた。

 彼の役割は囮となり、できる限り多くの霊魂を引き付けることだ。極力交戦は避けて、つかず離れずの距離を保ちながら逃げること、早一時間以上は経っていると思われた。両脚に疲労はあったが、まだ余力はある。

 彼が足を止めたのは、空気に妙な違和感を覚えたためだった。

 些細ではあるが、勘違いではないと確信が持てる。封魔省総長が形成する『世界』に浸食されている濃度とでも言うべきか、肌に絡みつくような血の気配が薄まったように思えたのだった。


 ……何が起きやがった?


 心なしか引き付けていたはずの霊魂らの動きも鈍り、かつ攻撃性も弱まっている気がする。疑問に対する解答は得ることはできないが、状況に変化があった可能性は十二分に考えられた。

 攻撃性という点において真っ先に浮かんだのは、やはり封魔省総長の『世界』が与える影響である。

 弐道五華とシオン・ラダマンテュスがぶつかり合い、拮抗していたはずの『世界』のバランスに変動が生じたということは、シオンが弐道に押されているのか、あるいは浅霧真が何かアクションを起こしたか。

 いずれにせよ、慎重に次の行動を見極めなければならない――気持ちを新たに引き締め直そうとしたフェイだったが、それを待たずに事態は次なる展開を迎えることとなった。


「――ッ!?」


 足下から突き上げられたかと思うほどの、強烈な縦揺れが瞬間的に起こっていた。同時に、身体から霊気が抜き取られるような虚脱感に襲われる。突然のことに舌を噛みそうになりながらも、フェイは即座に奥歯を噛んで冷静に頭のスイッチを切り替える。

 腹の底に意識を集中させれば、虚脱感は幾分ましに落ち着いていった。縦揺れは徐々に弱まっていくが、完全に鎮まる気配はない。

 このまま隠れてビルの倒壊にでも巻き込まれてはたまらない。姿を晒すことは避けたくはあったが、フェイは周囲を探る意味もこめて大通りへと出ることにした。

 そして、空を見上げた彼は、両眼がこぼれ落ちんばかりに目を見開いていた。

 黒い太陽を彷彿とさせる、空に穿たれた虚ろな大穴が震えている。更にその輪郭は渦を巻いて蠢いており、空をねじ切るようにして広がり続けているのだった。

 この揺れはただの地震ではない。ひとつの『世界』の崩壊と、それを呑み込み拡大しようとする『世界』の動きによるもの。

 均衡が崩れようとしている。信じがたくはあったが、どちらに趨勢が傾こうとしているのかは、もう疑う余地がない。


「頼むぜ……浅霧真」


 天秤が一気に傾こうとしているのであれば、ここから事態は加速度的に動き出すはず。揺り返しも相当なものとなるに違いない。

 フェイは虚ろなる力に堕ちる空を見据えたまま、舌打ち混じりに呟くのだった。





 空へと続く階段。

 聞こえはある種の雰囲気を感じさせるものの、実際にその道を行くとなれば話は変わってくる。宙へと固定された階段は常識外ファンタジーの域だが、これも『世界』としての一部なのだろう。

 確かな意志によって創られ、導くための道である。


「まったく、足を踏み外せば一巻の終わりだな」

「ですね……わたしも、真さんを抱えて飛べるわけではありませんし」


 用心深く歩を進めながら真が呟く。生身で空を飛べるわけもないのだから、高所恐怖症でなくても視線を落とせば生きた心地はしなかった。霊体となって真と肩を並べるハナコが、そんな彼の軽口に合わせて苦笑を返す。

 戦いで高揚した心は、今は凪いでいる。けれど、無理矢理に緊張を隠し、互いのことを気遣うような空気が二人の間には流れていた。

 時を数えるように、一歩一歩、階段を踏み越えていく。言いたいことは多くあるはずなのに、それは心の内に留まるばかりで形となって出て来ないから、交わす言葉は多くなかった。

 本当に、言いたいことを全て伝えられただろうか。真はハナコの横顔を一瞥する。ハナコも彼の視線に気付いて顔を向けるが、やはりそこから先は続かずに、互いに視線を逸らして前を向いてしまう。


「……っ、真さん!」


 そして不意に、堪りかねたかのようにハナコが声を出し、数歩先を進んで振り返った。彼女の突然の行動に、真も思わず足を止めて顔を上向ける。


「ハナコ、どうした?」

「…………」


 今度は逸らすまいとしてか、ハナコの澄んだ黒い両眼は微かに震えていた。急がねばならない道ではあったが、真は彼女の言葉を静かに待った。


「大丈夫ですよ」


 お互いに言葉は尽くしたから、もう何も言えることは何もない。

 だから、ハナコの口から出てきた台詞は、そんな他愛ない気休めでしかなかった。


「きっと、うまくいきます。真さんとわたし……ふたりなら、全部うまくいきますよ」

「お前……」


 真はハナコの瞳の奥を覗き見るように視線を絡ませる。その言葉とは裏腹に、夜闇に浮かべられた彼女の微笑みがどこか遠く感じられた気がして、咎めるように口を開きかける。

 だが、真がその先を続けることはできなかった。突如として、足場が激しく揺れ出したのである。


「何だ!?」


 ただの震動であるはずがない。不測の事態に戸惑いながらも、真は身を投げ出されないように体勢を維持して首を巡らす。

 すると、今まで上ってきた階段が端から崩れ落ちていく光景が目に飛び込んできた。階段を構成していたのであろう霊気は粉々に砕けて粒子となり、空中へとぶちまけられ続けている。破砕音は徐々に大きくなり、真たちのところまで迫るのは時間の問題だった。


「一気に駆け上がるぞ!」

「ええ!」


 迷っている暇はなく、叫ぶやいなや真は駆け出す。もとより退路など考えてはいなかったのだから、進むべき道は前にしかないのは変わりない。ハナコも再び彼と肩を並べ、二人は崩壊に追いつかれぬように上を目指した。

 その途上では、多くの霊魂が二人を取り巻き、誘うように飛び回っていた。霊魂らが放つ不規則な光に照らされながら辿る虚無の大穴への道は、黄泉への旅路と言えたかもしれない。

 そして、とうとう終点へと辿り着く。目の前には虚ろに渦巻く、途方も無く巨大な穴が聳えており、階段の先端はその中心へと呑み込まれていた。そこから先はどうなっているのか予測もできず、真とハナコは後ろを気にしながらも一旦そこで立ち止まっていた。

 飛び込めば無事に戻れる保証などない。だが、二人は最後に互いの意志を確認するように顔を見合わせて、頷き合った。


「……ハナコ。この戦い、俺とお前で乗り越えるぞ」

「はい。必ず……絶対に、です」


 階段が完全に崩れ去る一歩手前。二人は心を繋げて、虚無の大穴へと身を投じた。

 大穴へと吸い込まれるように落下した真は、即座に不可思議な感覚に見舞われる。上半身と下半身が別々の方向へと引っ張られ、肉体そのものが曖昧な形となるような――思考がぐちゃぐちゃに掻き回されてもとの形を二度と取り戻せなくなるような――自我というものが消されてしまいそうになる。

 恐怖さえも消し去られる。魂が死へと向かう過程かとも思ったが、違う。これは虚無だ。

 この終焉がんぼうは、弐道五華が抱くもの。

 同じ自我を持ちながら転生を繰り返した彼の者は、死の先にある次のはじまりを望まない。望むのはただひとつのおわりである。



 ……こんな世界に、何の意味があるってんだ。



 改めて真には、弐道の願いを理解することは到底できそうもなかったが、それでいいと思えた。

 生きることに意味などなく、次の生へと繋がるのなら死も生と同義であると拒絶する。生と死は繋がっている。二律背反するものではなく、故に全てを無きものに――虚無を望む。

 この願いの果てには生も死もない。これまで生きてきた命に等しく与えられるはずの尊厳すらもなく、ただ無へとすだけの理。


 真は自分を見失わぬように、深く、心の奥深くへと意識を埋没させた。そうすることで、確かに繋がっているハナコの魂を感じとろうとする。

 今を懸命に生きようとする者にとっては、尚更に受け入れられるはずもない弐道の世界。そして真にとっては、その願いを紡ぐために他ならぬハナコの身体が利用されていることが許せないのだった。

 必ず彼女を取り戻す。それだけが、今の彼の願い。それさえ見失わなければ、決して自分は消えないのだと強く念じるのである。



 ……真さん。どうかそのまま、ついてきてください。



 と、心に触れるようなハナコの声が聞こえた。そのまま待たずに、真の意識は彼女の意志に引っ張られるようにして虚無の中を進んでいく。

 魂と肉体が引かれ合っているのか、あるいは誘われているのか。どうやら真には知覚できない何かを、ハナコは感じ取っているらしい。そうして幾度も意識が明滅と暗転を繰り返す中、突如として真の両足は地面を踏みしめ、肉体の感覚を取り戻すのだった。


「ここは……」


 形容しがたい虚無の中に広がっていたのは、灰色の地平であった。見渡す限り何もなく、どこか墓場を思わせる茫漠たる荒れ野が続いている。

 虚無の中に広がる形ある場所に、真は違和感を覚える。だが、この世界を墓場だと直感した彼の感覚は正しかった。

 灰色の大地は、文字通り灰だったのだ。灰に埋もれるようにして、数え切れないほどの屍が敷き詰められているのである。


「来たか……マコト、ハナコ」


 そして、風に砂塵が煙のように舞ったかと思うと、いつの間にか幼い少女が後ろ姿を現していた。灰色の中に咲く煌びやかな深紅のドレスは、見紛うはずもない。

 振り返ったシオンは口端を凄絶に吊り上げていたが、その声には瑞々しさは皆無だった。病的なまでに白い肌と相まって、今にもその場に倒れてしまいそうにも見える。あの毒々しいまでに生気を孕んだ怪物の姿とは、とても思えなかった。


「そうか、ここはお前の」

「かっ……お主の想像通りじゃよ」


 自嘲の笑みを零してシオンは肯定する。それで、真の予感は確信へと変わった。

 朽ちた骸が並べられた荒野。かつて見た姿からは想像できそうもないが、ここはシオンが形成する『世界』なのだ。強大な血染めの屍の『世界』は、灰燼に帰そうとしているのである。

 そう考えると、大穴へ続く階段で起きた揺れは、まさに『世界』が崩壊へと至る過程だったのか。


「お主らが来たということは、エクスは逝ったか」

「……ああ、あいつは倒した」

「そうか。まったく、主より先に逝くとは……痴れ者めが」


 真の答えに、シオンは僅かに目を伏せて嘆息する。そこに込められた感情を窺い知ることはできないが、彼女の中で既に結論は出ていたに違いない。


「シオン……さん。弐道さんはどこですか? あの人と戦っていたんですよね」


 そのタイミングで、ハナコが遠慮がちにシオンへと訊ねた。ハナコは弐道の気配を追って来たはずだったのだが、その先で会ったのがシオンというのはどういうことか。自分の感覚が間違っていたのかと、不安げな表情だった。


「かっ。ニドウならば、既にこの場におるじゃろう」

「え……?」


 そう答えられたところで、もちろん弐道の姿が見えるはずもない。戸惑うハナコへの更なる答えの代わりとして、シオンは両腕を真横に広げて空を仰いだ。


「妾は負けた。ニドウは姿こそ見せてはおらぬが、見ているはずじゃよ」


 朽ち果てようとしているシオンの『世界』。その空と地平の先には無限の虚無が広がっている。

 彼女の『世界』は虚無へと、じわじわとその端から食い潰されようとしているのだった。

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