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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第一部 死に損ないの再生者
18/185

16 「闖入者は去る」

 紺乃剛を相手に、永治は劣勢を強いられていた。

 紺乃の手先と化した新堂進は、すでに裏口から社務所の中へと入っていた。中から何かが打ち砕かれるような轟音が耳に入り、永治の心を焦らせる。


「卑劣な真似を……」


 卑怯であるとは思わなかったが、やり方が気に入らない。自ら手を下さず、一般人を手駒にするような真似をするなど、あってはならないことだ。

 紺乃は戦いが始まっても、永治に対して攻撃らしいことをしていなかった。彼の足元からは蜘蛛の糸のような赤黒い霊気が展開され、一種の結界を作り出していた。

 その結界に捕らわれた瞬間、永治は自分の動きが鈍るのを感じた。否、鈍ると言うよりも、これは消失に近い。攻撃のために練り上げた霊気が消えたのだ。

 霊気は本来、肉体を動かすために内側から作用するものだ。それを体外に練り上げ、特定の箇所に集中したりすることで身体強化を行うのが霊気を扱う戦いの基本となる。

 しかし、紺乃の結界は体外に放出された霊気を打ち消していた。それが、彼の霊気の特性ということなのだろう。決して攻撃的ではないが、封じ手としてはこの上なく厄介なものだ。

 至近距離から霊気を瞬間的に爆発させる攻撃も試したが、無意味だった。外に出した霊気は、その瞬間に遅延なく打ち消される。紺乃が反応しているわけではなく、結界が自動で他者の霊気を検知しているのだ。

 更に、紺乃は自分の霊気で防御の壁も張っている。永治は肉体を鍛えてはいるが、それだけで物理的強度を伴って形成された厚い霊気の壁は崩せない。


「二人を相手取るのは少々きついからのぉ。現には坊主に付き添っとった嬢ちゃんを任せた。儂はアンタを凌いどけばそれでええ。積極的に攻める必要なんざないわけじゃ」


 紺乃は永治の進路を遮るように、ただ立っているだけで事足りた。彼への攻撃、その全ては張り巡らされた結界の中では等しく無価値となる。その渦中の中心に立つ男だけが、唯一の絶対となって立ちはだかっていた。


「なんで儂が攻撃に転じないかと考えとるんじゃろうが、別に舐めとるわけでも、この陣を敷いとったら他の攻撃が出来んみたいな制約があるわけでもないぞ」


 紺乃は決して永治を軽んじてはいない。相手を無力化している状況にも関わらず、驕るような素振りは見せてはいなかった。


「さっきも言うたが、荒事は苦手なんじゃ。無闇に年寄りを痛みつける趣味もないからのぉ」


 くく、と紺乃は喉を鳴らす。要するに、この態度が素なのだ。

 敵わないということを、力の差をただ見せつけるだけの行為。語る間に永治の豪腕が霊気の壁を撃つが、どれほど向かってこようが全ては児戯に等しいことだった。


「生身の身体では、霊気の壁は超えられん。その時点で、アンタは詰んどる。戦いにも相性っちゅうもんがあるじゃろうが。アンタの戦い方は、儂のそれと相性が悪い」


 見せつけるのは警告のためだ。敵わないと諦めるならそれでよし。警告に気付かずに攻めてくるならば、更なる警告を重ねるまで。

 しかし、敵わないと認めながらも、警告に気付きながらもそれを無視して攻めてくるなら話は変わる。紺乃にとって、心の折れない相手が最も御しがたい。

 このまま無意味な攻防を続けても良かったが、浅霧真を確保した後のことを考えれば、手早く無力化しておいた方が良い。紺乃は軽口とは裏腹に醒めた感情で見切りをつけた。


「いい加減、諦めぃ」


 永治の拳が霊気の壁にぶつかる瞬間、紺乃はそれに反発する斥力をカウンターとして突き返した。鈍く割れるような音と共に、火花の如く血色の霊気が空に散る。

 その中には、本物の血も混ざっていた。永治の右拳は肉が裂け、流れる幾本もの血で赤く染められる。


「次からは全てこうなる。折れんというなら、その上でかかってくるんじゃな」


 永治の右腕は力なく垂れ下がっており、今の一撃で使い物にならなくなっていた。左腕と両足、折れぬと言うのなら、残り三発で再起不能に追い込める。

 紺乃は目を細めて永治を観察する。表情を苦悶に歪めるような弱みを見せず、戦いの姿勢を止めようとはしていない。


「ま……好きにしたらええわい」

「言われるまでもない」

 口を一文字に結び、永治は突貫した。





 凪浜神社の社務所内、居間はこの上なく荒らされ、酷い惨状を描いていた。

 裂かれた畳は剥がれかけ、長いテーブルは最早木屑と化している。部屋を支える柱を倒されぬよう、ハナコは気を付けて進の攻撃を避けていたが、そろそろ集中力の限界を感じていた。

 彼女の右手には、真が使用している短刀が握られている。珊瑚が念のためにと持ってきていたものを、進の攻撃に彼女の鞄の中身がぶちまけられたどさくさに紛れて拾ったのだ。

 とはいえ、それで状況が好転するわけではなかった。霊気による強化をしなければ、ただの棒でしかない。戦いに傾倒していないハナコにとっては、あったところで十全に扱えるはずもなかった。


「このおっ!!」


 なんとか形だけでも短刀を振るうが、牽制にもなりはしなかった。そもそも、この怪物は攻撃されることを恐れてなどいない。無感情に、浅霧真という標的を狙って動いている。そんな風にハナコは感じていた。

 それでも何発かは当てることができているが、そのいずれも手応えは硬い。血の鎧のように進に纏わりついた霊気が硬質化しているためだ。攻撃したこちらの手が痺れて、危うく短刀を取り落しそうになったくらいである。

 そうなると、短刀で相手の攻撃を防ぐという選択肢も捨てざるをえない。テーブルを割り砕く膂力がある以上、霊気で強化できない短刀など、へし折られる未来が容易に見える。仮に受け流せたとしても、弾き飛ばされるのが落ちだ。


「どうすれば……」


 心に染み込んで来る弱気を追い払うように、ハナコはかぶりを振る。戦うと決めたのだ。

 緩慢な動作で振り上げられた異形の腕が、垂直に振り下ろされる。横に飛んで避けたところで、ハナコは短刀を両手に握って突き出すように構えた。

 霊気による短刀の強化。真が戦う姿は数回しか見たことがないため、見様見真似だ。麻希を守るために身体強化は行えたのだから、後は応用ができるかどうかである。

 身体強化の手順は比較的簡単だ。筋肉に力を込めて固める感覚がそれに近い。意識してその場に集中させるというのがコツなのだと、一度真に教わった記憶がある。

 物質の強化は、対象の外側に霊気の殻を作るようなものだ。進を覆う霊気も、強化の一種と言える。短刀を握る両手を強化し、その延長として霊気を伸ばすことで、短刀を覆う外殻を象る。ぎりぎりの緊張の中、ハナコは自らの霊気の制御に集中した。

 結果として、強化は成った。

 ハナコの握る短刀に青白い霊気の膜ができ、淡い光を放ち始める。真の強化と比べれば薄い光ではあったが、その感覚を逃さぬよう、彼女はきつく短刀を握り締めた。

 異形はまだこちらに振り向いていない。意を決したハナコは、一歩踏み込んでその背中へと短刀を振り下ろした。擦過音と共に霊気の鎧に揺らぎが生じる。傷は瞬時に修復されたが、初めて有効と言える攻撃だった。


「いけますか……!」


 相手の動きも攻撃を避ける内に慣れつつある。だから、攻めに転じることができる。得た手応えに気が高揚したことも相まって、ハナコはそう、勘違いをしてしまった。

 彼女は気付いていなかった。こちらが相手に慣れつつあるのと同様に、相手もこちらの動きを学習しているということに。

 独りで放り出されたような実戦の状況下で、彼女はよく戦っていた。しかし、もう少し聡ければ、ここで無理にもう一撃を与えようとはしなかっただろう。

 ハナコは振り下ろした短刀を構え直し、異形の横腹を薙ぎ払おうとする。

 しかし、短刀は最後まで彼女のイメージする軌道を描くことはなく、途中で止まった。

 異形の右手に短刀を掴まれていた。動作自体は遅くはあるが、ハナコの初動を先読みした動きだ。彼女の視線、手の動きから、短刀がどこを狙うのかを予測すれば防ぐことは容易である。


「――ぁっ!!」


 掴まれたと思った瞬間、ハナコの視界が急速にぶれる。異形の膂力は、短刀ごと真の身体を軽々と投げ飛ばしていた。勢いを殺す間もなく壁に激突し、軋むような衝撃が全身に響いた。

 肉体としての痛みはハナコにはないが、真の身体を通して得た衝撃に一瞬意識が白くなりかけた。咄嗟ではあるが、全身を霊気で強化していたため損傷はそれほどではなかったが、手足が震えてしばらく動かせそうにもなかった。

 その隙を見逃すはずもなく、異形は重量を感じさせる足音を立て、ハナコへと歩み寄る。

 眼前に迫った赤い影に見下ろされながら、ハナコは浅い息を吐くことしかできずにいた。

 甘かったとしか言いようがない。投げられたときに落とした短刀を近くに見つけたが、拾えそうもなかった。

 このまま殺されてしまうのだろうかと、振り上げられる異形の右腕を見ながらハナコは思う。

 真の事が目的であるなら、少なくとも殺されることはないはずだ。だが、この腕が真の肉体を破壊すれば、自分はどうなるのか。

 きっと、彼が死ねば自分は繋がりを切られ、ただの亡霊に戻るのだろう。

 それは、嫌だ。置いて行かれるのは嫌だった。

 避けようのない破壊に、ハナコはきつく目を閉じる。

 しかし、破壊の衝撃は来なかった。

 ハナコが恐る恐る目を開けた、その先には、燃える炎のような青白い光が滾っていた。

 強化された真の左腕が、赤く染まる異形の右腕を掴んでいる。

 避けられないと諦めてしまった以上、これはハナコの意志で行ったことではない。

 彼女は魂の奥から湧き上がる震えを言葉に乗せて、彼の名を叫んだ。


「真さんっ!!」

「――悪い、ハナコ。心配をかけたな」


 真は掴んだ右腕を力任せに引き寄せる。そして、バランスを崩して上半身を前に傾けた相手の左頬に、右の拳を思い切りぶち込んだ。派手な音を立てて膝を崩し、異形は血の霊気を吹きながら畳の上に倒れ込む。


「う、うわ! 新堂さん、大丈夫なんでしょうか!?」

「大丈夫だろう。手応えからして、中身まで通っているとは思えない」


 自分の身体の感触を確かめるように殴った右拳を開閉しながら、真はハナコが落とした短刀を拾い上げた。


「ハナコ、まだいけるな?」


 それは問いではあったが、問う側は問われる側の答えを疑っていなかった。だから、彼女が応じる前に、彼は言葉を続けた。


「ここからは、一緒に戦うぞ!」

「……はいっ!!」


 その返事を聞き届けた真は、起き上がろうとする異形を前に短刀を構える。


「あの……身体の方は大丈夫ですか? わたし、無茶してませんでした?」

「多少痛むが、大丈夫だ」


 心配するハナコに頷きかけながら、真は異形を観察する。殴った相手の左頬からは煙のように霊気が揺らめきながら、既に欠損に対する修復が行われようとしていた。


「とにかく、今は新堂をなんとかしないとな」

「真さん、状況は分かってるんですか?」


 目の前の異形が進であることを認識している真に、ハナコは訊ねた。


「大体はな。意識は表に出せなかったが……」


 ハナコが真の身体を動かしている間のことは、彼自身、事態を俯瞰するような不可思議な記憶があった。彼女と魂が繋がっているからか、己の身体に刻み付けられたものなのか、詳しい理屈は判らなかったが、おかげで現状の整理は必要なかった。


「新堂さんは、元に戻せるんですよね」

「ああ……あいつを覆っている霊気を残らず消し飛ばす。それで戻るはずだ」

「解り易くて助かりますね……けど……」


 単純な答えだが、それが容易いことではない。ハナコの言いたいことは、真にも伝わった。


「俺とお前となら、やれるさ」


 だから、その不安を消し去るように、真は短く告げる。そこに込められているのは、相棒に対する全幅の信頼だった。


「……失礼ですけど、人が変わったみたいですよ?」


 それは嬉しいことのはずなのだが、普段の真からは有り得ないような言葉に、ハナコは面食らった顔で言った。それに怒ることなく、真は自嘲するように小さな笑みを見せた。


「また死にかけて、改めて実感したんだよ。俺はお前に憑かれて、命を支えられているってことにな。俺の命は――」

「真さん、あなたの命は、あなただけのものです。支えることは吝かではありませんが、頂くつもりはありませんよ」


 その先を遮るように、ハナコが言葉を被せた。


「そうだな。じゃあ、力を……俺の魂を支えてくれ」

「喜んで」


 そこからは多くの言葉を交わすことなく、ハナコは己の姿を溶かすように真の中へと入り込んでいく。真は自分の意識で、確かに彼女の霊気が身体に満ちるのを感じた。





 紺乃は手駒と化した進を向かわせた先で起こった、その霊気の昂ぶりをいち早く察知した。


「一つ予測が外れてしもうたか……」


 この感覚は、廃ビルで退魔師の少年が見せたものと一致する。ということは、あの少年の意識が戻ったということだ。それが示す結論として言えることは、つまるところ、


「現め、負けよったか」


 時間稼ぎだけをすればいいと釘を刺しておいたつもりだが、好戦的な部下は堪え切れなかったということだろう。監督能力のなさが招いたことかと、一人向かわせたことを反省しながら紺乃は溜息を吐く。


「爺さん、そろそろ無茶はせん方が身のためじゃぞ」


 紺乃が視線を前へと向けると、一メートルに満たない位置に永治の左拳が迫っていた。

 それは紺乃に到達する前に彼の張った霊気の壁に遮られる。結界にいる以上、霊気の強化は無効化される。そして生身である以上、霊気で創られた壁は潰せない。

 ゆえに、二人の立ち位置はなんら変わってはいない。

 だが、その中で変わるものがあった。壁を撃つ衝撃が増していることだ。


「聞く耳を持たんか。しかしまあ、流石に結界のタネには気付いたようじゃのぉ」


 紺乃の結界内にある他者の霊気は消える。そのための条件は二つある。

 一つは肉体から外に出ていること。もう一つは、紺乃の霊気で相殺できること。

 結界の範囲内に、紺乃は己の霊気を満たしている。それを他者の霊気にぶつけて相殺する。これは自動で行われることなので、紺乃の意志とは関係がない。だからこそ、結界内で彼の目を盗んで霊気を練ることも、結界外から攻撃しても無駄である。

 この結界を破るためには、紺乃の霊気が底を尽きるほどの大量の霊気を結界内で発生させなければならない。もしくは、肉弾による紺乃への攻撃だ。

 前者は無理と永治は判断した。封魔省の者は魂を食らい霊気の底上げをしている。紺乃がどれほどの霊気を持っているのかは判らないが、人一人が持つ霊気の総力で敵うとは思えない。

 とった策は後者であるが、右腕は既に壊されている。では何故同じく左腕が壊されないかと言えば、永治は内部から霊気で肉体の強化を行っているからだった。

 外側を霊気で覆う強化に対し、内部から強化することは純粋に肉体の物理的強度を上げる。しかし、ほとんどそれは行われない。全力で拳を振るう、更にそこへ霊気による補強を行う。

 それ自体は容易いが、内側からの霊気の衝撃に肉体が耐え切れないためだ。

 実際に永治の左腕は痺れが起き始めている。耐えられているのは、彼の霊気を扱う技術と鍛えられた肉体の成果だ。

 せめて右腕が使えれば、という思いが永治の脳裏を過る。そこで彼は、自分が攻めながらも気後れしていることに気が付いた。


「……愚か」


 永治は攻撃の手を止めた。右腕に痛みはある。まだ感覚があり、神経が繋がっているのであれば、まだ動かせる。

 腰の横に両腕を構え、力を込める。右腕の内側から突き刺すような痛みが迸ったが、抑えるように更に力を込めて強化の霊気を高めた。


「身のためじゃと言うたのにのぉ。爺さんはそもそも無関係な立場……己の身体を壊してまで戦う必要なんざ、ないはずじゃろうが」


 永治は無言のまま、拳をきつく握り再び紺乃へと突進した。


「やれやれじゃな」


 嵐のような連打が紺乃の前の壁を穿たんと襲い掛かる。本来砕けるはずのないそれは、飛沫をあげならその厚みをすり減らしていた。

 肉体の攻撃を防ぐ以上、壁は物理的な特性を帯びている。理屈として、その強度を上回る攻撃を重ねれば壁は壊れるのだが、紺乃は打撃による損耗を即座に補填していた。ならば、永治の連打による衝撃は、それを更に上回るということだ。

 物理的に壁が壊されても形成していた霊気の総量は減らないが、再形成する前に次の攻撃が来る。破壊の度合いと、速度が超えていく。

 そしてついに、両者を隔てていた壁が打ち砕かれた。

 紺乃はその光景に素直に感心した。そして、呆れもした。

 眼前には老人の巨躯が迫る。次の瞬間、爆発にも似た音が夜に轟いた。


「――そろそろ終いじゃ、爺さん。時間は稼がせてもらったわ」


 音は社務所の裏手から響いたものだった。紺乃は前進していた永治をすり抜けるように躱し、彼に背を向けながら音のした方へと歩を進める。

 あまりにも自然な足取りであったため、永治は攻撃が受け流されたことに気が付くのが遅れていた。


「待て――」

「その必要はないのぉ。陣も解いたし、戦う必要はなくなった」


 追うために振り返る永治を制するように紺乃が言う。彼の言葉に、永治は結界が消えていることにも気が付いた。同時に、紺乃が戦いの中で、初めてその場を動いたことにも。

 否、紺乃の中で戦いは既に終わっていたのだろう。永治は今の紺乃から敵意、戦意というものを感じなくなっていた。

 だからといって、はいそうですかと収まりがつくわけもない。その気持ちはあったが、ここで食い下がることが良策とも思えなかった。


「これ以上、私たちに危害を加えることはない、と?」

「あっちの状況次第かのぉ。それにそもそも、儂自身は何もする気は最初からないが」

「今更どの口が言うか……」

「勘違いするなよ爺さん。儂の目的は坊主で、爺さんが邪魔立てしよったから、あんたは痛い目に遭っとるんじゃろうが。正当防衛っちゅうやつじゃろ」


 詭弁が過ぎると思ったが、永治は敢えて反論はしなかった。それよりも、音の鳴った原因が気になり始めていた。紺乃が言う状況とは、おそらくそのことだろう。


「爺さんも気になっとるようじゃし、見に行ってみるか」


 警戒を緩めずに一定の距離を保ったまま、永治は歩く紺乃の背を追う形で社務所を回り込んで裏手まで出る。

 そこには、うつ伏せに地面に倒れた少年と、肩で息をしながら縁側に立つ少年がいた。

 新堂進と浅霧真だった。

 青白い霊気を纏った縁側の真が、やってきた二人に気付いて顔を向ける。驚きに目を開いた彼は、すぐさまその目に敵意を宿した。


「やっぱり、お前が……!」

「また逢ったのぉ坊主。そう怖い顔をするなや」


 立ち止まった紺乃は歯を剥く真に対し、構えることなく、むしろ揶揄するように笑いかけた。


「現のことは、あいつの勝手でやったことでな。これでも悪いと思うとるんやぞ? 勘弁しといて欲しいもんじゃが……」

「ふざけるな! ここまでのことをしておいて!!」

「がなるなや。まぁ、聞いておくが、ここまでっちゅうのは、何を指して言うとるんじゃ?」

「それは……」


 切り返す紺乃の言葉に、真は言葉に詰まる。怒りはまるで収まっていないが、正面から吐き出すことを躊躇ってもいるようだった。


「言い返せんところをみると、自覚はしとるようじゃのぉ。儂の目的は坊主じゃ。坊主が大人しゅうしとれば、儂もここまでのことはせんかった。爺さんも平穏無事であったろうし、市長の坊主も何事もなかったじゃろう」

「貴様……馬鹿なことを言うな! 真君は悪くない!」

「別に儂が悪くないとは言っとらんぞ。責任の一端は坊主にもあると言っとるだけじゃ」


 紺乃は激昂する永治の言葉を受け流し、喉を鳴らした。


「ともあれじゃ、市長の坊主を退けたんは見事なもんじゃな」


 倒れている進は気絶しており、動く気配はなかった。彼を覆っていた霊気は完全に消え失せており、人の姿を取り戻している。


「消耗はしとるが生きとるな。しかし坊主、その霊気の多さは睨んだ通りじゃな。一つの肉体に魂二つ分の霊気を溜めることができる。もっとも、坊主の魂が死んどるところまでは想像しとらんかったがのぉ」

「それが、あんたと何の関係があるんだ。何でここまでする?」

「儂がそこまでする価値があると判断したからじゃ。話したところで理解は得られんじゃろうが……坊主、寿命とは何じゃと思う?」

「何って……」


 いきなりの質問に、真は意図が読めずに黙った。しかし、質問自体には答えられないわけではない。

 肉体を動かすための霊気を魂は生み出すが、その量は生きる時間を経るごとに減っていく。そうして、肉体を維持できなくなることが老いであり、魂が霊気を生み出せなくなったとき、命は尽きる。

 しかし、その理屈を真は口に出来なかった。彼の表情を読んだ紺乃が、代わりにと口を開く。


「言えんわな。普通の理屈を言えば、坊主は既に死んどる。じゃが、坊主は自分の意志で身体を動かし、喋っとる」


 切れ長の目を更に細めながら、紺乃は続けた。


「人をその人足らしめるものは何じゃろうなぁ。意志か、心か、記憶か、人格か、それら全部を総括して魂としとったわけじゃが、その認識を坊主はひっくり返す存在とも言える。魂が死にながらにして生きとるんじゃからな」


 もっとも、


「先に儂が目を付けたのは、坊主に憑いとる霊の嬢ちゃんじゃがな。霊体でありながら意志が――魂が生きとる。本当に面白いコンビやぞ、お前らは」


 真の中にいるハナコにも言葉を掛けるように、紺乃は言う。


「どれだけ力を蓄えようが、儂らが生物である以上、魂の劣化はさけられん。ならば、魂自体を乗り換える方法はないものかとな……平たく言えば、儂らは不死の方法を探っとる」


 不死という言葉に真は顔を顰める。その反応も予想済みなのか、紺乃は低く笑った。


「陳腐な話じゃろうが、本気で考えとるから質が悪くてのぉ。そういうわけで、坊主は生きた情報として欲しいと思ったわけじゃ」

「見当違いもいいところだろ……」


 真は自分の肉体と魂が普通ではない状態であることを自覚している。しかし、それは不死であることとは程遠いものだ。肉体が傷つけば死ぬことに変わりはないのだから。


「その辺は理解しとるよ。そんなわけで坊主、儂らの仲間になる気はないかのぉ?」

「は……?」


 いきなりの図抜けた物言いに、真は言葉を失った。我を取り戻し、怒りが再燃しそうになるが、その前に紺乃が言葉を重ねる。


「仲間というのはモノの例えじゃ。坊主の身体をちょいと詳しく調べさせてもらいたいっちゅうことでな――」

「――戯言はそこまでにしてください」


 凛と響く声が、紺乃の言葉に割って入る。それを聞いた真は、安堵と信頼を胸に宿して顔を向けた。


「珊瑚さん……よかった。無事で」

「真さんも。ご無事で何よりでした」


 紺乃と向かい合う形で姿を現した珊瑚は、真に目礼して微笑んだ後、肩に担ぐようにして運んできた現を、紺乃に見えるようにその場に下ろした。

 気を失っている部下の姿を認めた紺乃は、額に片手を当てて眉根を寄せた。


「今回の件で二度も不覚を取るとはのぉ。わざわざ運んできてくれたっちゅうことは、返してくれる気はあるんかい?」

「ずいぶんと余裕ですね。そんなことが言える立場でも、状況でもないことはお判りですか?」

「手厳しいのぉ。儂に何を要求するつもりじゃ?」


 冷たく返す珊瑚に、紺乃は肩を竦める。今や彼は真、永治、珊瑚の三者に囲まれている状態にある。更に、部下の身柄も確保されており、不利な立場であることは明白だった。


「今後一切、あなたは勿論、封魔省は真さんに関わらないと約束してください。であれば、彼女はお返ししましょう」


 淡々と告げられた珊瑚の要求に、紺乃は吹き出した。


「嬢ちゃん、そいつは吹っ掛けすぎじゃろう。そこで寝とるのとやりおうたなら判るじゃろうが、上の言うことを素直に聞くやつがおる組織ではないんじゃ」


 平然と嘯く紺乃に対し、珊瑚はきつく目を細めた。


「ならば、交渉の余地はありませんね」

「まあ焦らんといてくれや。じゃあ、こうしよう。儂と、そこの部下については、今後坊主の前に姿を見せんし、儂の口から組織に情報も漏らさんと約束する」

「あくまで、あなた個人としての話にすると?」

「珊瑚さん、交渉なんて必要なんでしょう。こいつは、捕まえないと……だいたい、俺が目的とか言っておきながら、あっさり引き下がるなんて信用できるわけがない」

「いえ、真さん。この方は……」


 真の言い分も感情の面では理解できる。しかし、珊瑚は現状でそれが正しくないことも理解していた。


「余計な茶々は入れん方がええぞ、坊主。折角、嬢ちゃんが落としどころを探ってくれとるんじゃからな」

「なんだと……」

「儂らへの勧誘はモノのついでじゃ。儂の目的としては、坊主がそういう存在だったっちゅうことが判った時点で達成されとる。後の成果については、あれば上々ってなもんでしかない」

「魂が死にながら生きている意志を持つ真さんと、肉体が死にながらも魂が生きているハナコさん……本来であれば、有り得ないはずの存在が有り得るということ。そうした事実があるという情報こそ、この方が欲したものだったのでしょう」

「そういうことじゃ。儂自身は不死なんぞに興味はないが、情報としては旨味があるんでな」

「では、その情報を持って、何をする気ですか?」


 紺乃からした提案では、彼は情報を開示しないとしている。ならば、真の特異性については紺乃と現だけに留めておくということだ。組織として動くのであれば、情報の共有ができなければ意味は薄い。


「そこから先は想像に任せる。これ以上喋って変に勘ぐられても困るからのぉ」


 譲歩できる線は提示したとして、紺乃はそこで判断を真たちに委ねて言葉を切った。彼の裏を取れぬまま逃がすべきではないと思いながらも意図が掴めぬまま、珊瑚もまた沈黙する。


「――そこまでだ」


 その沈黙を破るように、砂利を踏む音と共に声がした。


「麻希!」


 振り返った永治が、孫の姿に目を開いてその名前を叫んだ。麻希は祖父の腕の怪我を見て痛まし気に顔を歪めたが、気丈に顔を上げて紺乃に怒りの目を向けた。


「警察を呼んだ。そこの怪しい奴、大人しくしろ」


 麻希は端的に要求を告げた。紺乃は呆気にとられたような顔を見せたが、すぐに表情に理解の色が浮かぶ。


「ああ、警察はいかんな。面倒事はお前たちに任せるわ」


 焦る様子はなかったが、紺乃は言うと足を動かした。口ぶりからして、逃げようというのだろう。真もほぼ反射的に動き、紺乃を止めるために飛び掛かろうとした。


「真さん! いけません!」

「こうなったら、逃がすわけにはいかないでしょう!」


 珊瑚の制止の声を振り切った真は、溜めた霊気を短刀に乗せて青い軌跡を走らせる。

 その一瞬、真と紺乃と視線が交錯した。

 上段から振り下ろされた短刀を、紺乃は霊気を纏った右手をかざして正面から受け止めた。真はそのまま振り抜こうとしたが、紺乃の押し返す力に相殺される。

 結果、真は空中で数秒制止した。


「魂が二つ分やから容量も出力も二倍ある。技量と経験のなさは力押しでカバーする。思い切った戦い方ではあるが、底が浅いのぉ」


 決定的な隙に、紺乃は空いていた左手で真の襟首を掴み、地面に引き倒した。


「感情は否定せんが、考えなしはいかんぞ。そこの嬢ちゃんは平気な顔を装っとるが、現とやり合って霊気の大半を消費とる。爺さんも同じく、両腕も使いもんにならんじゃろう。坊主も病み上がりで全開には程遠いときとる」


 噛んで含めるように言われ、真はせめてもの抵抗に顔を上げようとするが、後頭部を押さえつけられてそれも許されなかった。

 廃ビルで紺乃に攻撃を受け止められたときは、霊気の強化を掻き消されたような感じがしたが、今回は違った。真っ向から力をぶつけられ、相殺された。紺乃の言う通り、全開でこそなかったが、それも言い訳にはならないだろう。


「まあしかし、数の有利はあるからのぉ。逃げを打つには十分じゃが、勝ちを狙うには心許ない。大人しゅう退かせてもらうわ」


 紺乃は牽制するように周囲を一睨みした後、珊瑚の方へ顔を向けた。


「そういうわけで、人質交換と行こうか。さっき儂から言った条件は、サービスで継続させとこう。どうじゃ、安いもんじゃろう?」

「……わかりました。それで、手を打ちましょう」


 真は何か言おうとしたが、紺乃が先んじて彼の後頭部を更に地面に押し付けて口を封じた。


「引き際っちゅうもんがあるじゃろう。そいつを弁えん戦い程、無様なものはなかろうが。まぁ、坊主はそれでも負けるわけにはいかん、なんぞと思っとるクチなのかもしれんのぉ。

 しかし、儂から言わせてもらえば負けられん戦いじゃとか、退けない戦い。そんな勝負をせざるを得ないのは、追い込まれとる証拠じゃ。その時点でそいつは詰んどる」


「……真さんに手を出さないでください。彼女はお渡しします」


 静かな怒気を孕んだ声で言い、珊瑚は現から距離を取った。紺乃は鷹揚に頷いて見せると、真から手を放して立ち上がった。


「御爺……逃がすのか?」

「致し方ない、としか言えん……お前の後輩の事もある」


 不安気な麻希を背に庇うようにして立ちながら、永治は重く言葉を吐いた。紺乃が言ったように、戦力として自分は数えられない。また、紺乃は口にこそしていなかったが、倒れている進にも目線を向けていた。

 ここで全員が紺乃と戦ったところで、まだ底を見せていない彼に勝てるという保証はない。一人で戦っているならその選択もあるだろうが、今は守るべきものがある。


「大人は物分かりが良くて助かるのぉ。じゃあな、坊主。まぁ……決死で儂に食らいつくか、それとも儂に貸しを作って逃がすか、後は好きにすりゃあええ。どちらにしても、儂は逃げる。追ってくるんであれば、そのときは全力じゃ」


 挑発的な言葉を残して去ろうとする敵の背中を、真は顔を上げて睨むことしかできなかった。

 紺乃は牽制するように珊瑚と視線を交わし、倒れている現を肩に担ぐように持ち上げると振り返り、首を巡らせた。


「それじゃ、邪魔したのぉ」


 軽く口端を持ち上げて別れの言葉を口にした紺乃は、背を向けて林の中へと姿を消した。

 微かに残る彼の気配に警戒するように、しばらくの間、全員がその場から動かなかった。


「……終わったんですよね? 真さん」


 初めに動いたのは、真の中から姿を見せたハナコだった。彼女もまた、紺乃の去って行った場所を見つめている。


「あいつの言葉を信じるならな……」


 声を掛けられたことで、真は服の汚れを軽く払いながら身体を起こす。そして、倒れた進のところへと歩み寄った。屈んで彼の息を確かめると、ようやく肩の力が抜けた気がした。


「永治さん、彼を中に運んでもいいですか?」

「ああ、もちろんだ」

「ありがとうございます」


 真に訊ねられて、永治も事態が収束しようとしていることを実感し始めた。真を手伝おうと足を動かそうとしたが、彼を追い抜いて麻希が前に出た。


「私が手伝う。浅霧は上を持て」

「先輩……」

「もたもたするな」

「は、はい」


 言われるがまま、真は進の上半身を胸で支え、麻希は両足を抱えて持ち上げた。


「言いたいことは山ほどあるが、それは後だ」

「……わかりました。すいません」

「謝る必要はない」


 申し訳なさそうに顔を伏せる真に、麻希は背を向けると歩き出す。先導する彼女に、真は黙って従った。


「――さて……言い訳を考えなければいけなくなりましたね」


 そして、現場に残されて二人を見送った珊瑚が、永治に言葉を掛けた。


「まったくですな」


 永治は同意して頷き、張っていた気を緩めて、重い荷物を下ろすようにその場に座り込んだ。

 互いに怪我を負っていることと、現場の惨状もある。まともに説明するのは、相当骨が折れるだろう。

 不意に、夜の静寂が耳につく。

 その遠くで、徐々に近づくサイレンの音が聞こえていた。

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