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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第六部 君と永遠に
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24 「各々の流儀」

 猛獣のように低く唸る向かい風に、全身を嬲られる。


 鋭い風切り音を轟かせる白銀のバイクが、国道を疾走していた。

 いや、法定速度などお構いなしに、ときおり地面に膝が付きそうになるほど車体を傾け、前を行く自動車を縫うように追い抜いていく様は、もはや暴走といっていい。

 ヘルメット越しの視界を凄まじい勢いで通り過ぎてゆく景色を見ている余裕など、あるはずもない。

 対向車線の方の交通量の方が多いのがせめてもの救いかと、タンデムシートに収まった千島珊瑚は穏やかではない気持ちだった。

 運転手は珊瑚ではない。いくら急いでいようとも、このような暴走ができるほどの心胆を、彼女は持ち合わせてはいなかった。

 道が長い直線に差し掛かったところで、バイクの排気音が轟き水を得た魚のように速度が増す。上体が後方へ引っ張られぬよう、珊瑚は運転手の細い腰回りに身体を押しつけるようにして強く抱きつく。

 まったくもって、同乗者に配慮のない運転である。文句の一つも言いたいのは山々なのだが、喋れば舌を噛むのがおちなので、結局何も言えないのだった。



 何故今のような状況に珊瑚が身を置いているのか。時は四時間程前までに遡る。



 テレビで放送されていた凪浜スカイビルの開業の様子を、浅霧家にて珊瑚は家族とともに見ていた。

 一地方都市の催しであるため、それほど大々的なものではない。ワイドショーの一枠で報じられるといった程度のものである。

 今、テレビの映像の中のどこかに真たちがいる。

 遠く離れていても時間を共有できたような、どことなく不思議な思いを抱いていたところ、異変は起きた。


 突如、映像が横倒しになったように傾き、激しく乱れ――途切れたのである。

 スタジオに戻された画面の中、司会者の男性が困惑した様子で状況が分かり次第お伝えすると謝罪を繰り返していたが、いっこうに凪浜市側とは連絡がつかなくなった。


 珊瑚は言いしれぬ胸騒ぎを覚えていた。

 第六感、というだけではない。それは、今は閉じているはずの真との『接続』を介して、細い糸口から漏れ出た異常な気配を感じた故のものでもあったのだった。

 気取られぬように、珊瑚はすぐさま表情を正そうとしたが、家族の目を誤魔化しきれるものではない。言葉にこそ出さなかったが、これがただの放送事故ではないと、皆が勘付き始めるのに時間は要さなかった。


 そして、その予感はある方面からの連絡により、現実のものとなる。


「――馬鹿な! それではあなたたちは、見捨てると言うのか!?」


 家長の浅霧礼は、怒りを露わにして声を荒げていた。

 普段は温厚を絵に描いたような彼とは正反対の態度に、家族の中でも一番幼い翼がびくりと身を竦ませ、彼女を落ち着かせるように凛が肩を抱く。


「礼さん、先方はなんと……?」


 連絡を寄越してきた相手は、退魔省のラオであった。珊瑚の問いに対して、礼は苦り切った顔をしながらも、伝えられた事を包み隠さずに告げた。


 いわく、凪浜市で大規模な結界が観測された。それは無色の教団が用いていた結界に類似するものであり、都市全体を覆うほどの規模となっているのだという。

 まだ全てではないが、外部から凪浜市に連絡が取れなくなってもいるとのことだ。内部では原因不明の昏倒者が大量に発生しており、救護に向かった者もミイラとりがミイラになるという悪循環を生んでいるらしい。


「既に箝口令は敷かれているが、組織そのものが本腰を入れて事態の収拾に臨むには、慎重な姿勢となっているそうだ」


 何せ内部の詳細を調査しようにも、中に入った者からは連絡が途絶え、戻ることもできない状況である。下手に動くことで無駄に人員を失うわけにもいかないという事なのだろうが、珊瑚は憤った。


「では、礼さんも動くなと……そう働きかけるための連絡だったのですか」


 凪浜市には真たちとその友もいる。身内の危機ではあるが、感情的に動くなとラオは組織の意向を伝える事で釘を刺したのである。

 浅霧家とて退魔省に名を連ねているのだ。その家長である礼の立場は、珊瑚からしても察するに余りある。

 しかし、あんまりではないか。混乱を避けるためにあえて知り得る状況は伝えられたのだろうが、何もできぬほど辛い事はない。


「……そういうことだな」


 怒気を晒してしまった事を自省するように、礼は深く吐息して首を縦に振った。


「だが、あくまでも表向きには……だろう」

「え?」

「組織として……つまり、退魔省として不用意な人員を割くことができない。例のあの人の方便だよ」


 自らの言を翻るような礼の発言に、珊瑚は噛み締めていた唇を解いて顔を上げる。悔しさと申し訳なさが同居したような目で、礼は珊瑚を見つめていた。


「組織に属さないお前なら、咎められることはないだろう。家長として……男としては情けないばかりだが、真にハナコちゃん――それから、姉さんのことは……まあ心配は不要かもしれないな。ともかく、手が増えて困ることはないはずだ」

「で、ですが……私は」


 本来ならば願ってもない提案のはずである。だが、いざそう言われて、珊瑚の心は波打った。

 自分は一度、真から離れた身である。おめおめと彼のためといって戻れようかと、躊躇いの念が沸いたのだった。


「姉さん! 迷ってる暇なんてないよ!」


 しかし、そんな後ろ向きでしかない情念を吹き飛ばす叱咤が飛んだ。凛である。


「助けに行きたくて仕方ないんでしょ! 言わなくたって分かるよ! だって、わたしがそうだもん!」


 自らの不安を押し隠すように揺れる瞳に力を込めている。強い眼差しだった。


「でも、わたしには何もできない。足手纏いにしかならないってことも分かってる。だから……!」

「……珊瑚お姉ちゃん」


 凛の胸に抱えられていた翼が、顔を動かして珊瑚を見上げる。先を紡げぬ凛に代わるように、幼い少女は小さな口を動かした。


「お兄ちゃんを、お姉ちゃんたちを助けてあげて」

「翼さん……」


 聡い子である。それでもう、珊瑚の腹は決まった。

 傅くように膝をつき、真っ直ぐに信頼に応える瞳を返す。


「お任せを。この一命を賭して、必ずやお力になることを誓います」


 両手を伸ばし、翼を胸に抱く。その抱擁に安堵したのか、珊瑚の胸の中で翼は言葉なく頷いていた。


「凛、後の事は任せます。いいわね?」

「もちろん! でも、姉さん。命を賭けるなんて物騒なことは言わないでね。ちゃんと、無事に帰ってくるんだよ」

「……そうね、その通りだわ。ありがとう」


 翼への抱擁を解いて立ち上がった珊瑚は、妹の頭を撫でて微笑する。そして、表情を切り替えて礼へと振り返った。


「礼さん。外部から凪浜市と連絡が取れないということは、交通機関にも麻痺が生じていると考えて良いのでしょうか」

「そうなるな。箝口令と同時に、被害の拡大を防ぐために移動にも制限がかかっているはずだ。もっとも……この田舎からでは車に頼る以外にないだろう」


 決意を固めたまでは良いが、問題は移動手段だった。車で都心に出られても、おそらく凪浜市へは公共の交通機関を使うことはできない。どうしたところで、時間は掛かるのは否めなかった。

 だが、四の五の言っている暇はない。使える足がそれしかないなら、それで向かうしかないのだ。


 玄関の方向から地鳴りのような音がしたのは、その時だった。


 グォン、と何か獣の類いが吼えたようにも聞こえて、驚いて顔を向き直らせる。

 その音の近づき方は、明らかに浅霧家の敷地に侵入していた。事実として太陽の下、銀色の巨体を光らせるバイクが堂々と姿を現していたのである。

 何事かと縁側へと飛び出した浅霧家の面々を前にして、バイクは庭にて動きを止めた。

 フルフェイスを被った運転手は女性のようだった。黒いライダースーツを着用しており、細身のシルエットがはっきりと見てとれる。


「まったく、いい年をして世話の焼ける人ですね」


 中々現実を受け止めきれずに呆然とする一同の中から、その人物は珊瑚へとはっきり視線を向けて言い放った。


「あなたは……!」


 運転手はフルフェイスに両手をかけて、素顔を晒す。

 一時息苦しさから解放され、軽く振り乱される髪は車体よりも眩く煌めく白金。冷然と見据える灰色の瞳には、些かの妥協も許さぬ厳格さを持っていた。


「二分だけ待ちます。行く気があるのなら、さっさと準備なさい」




 ……まったく、方便もいいところですね。


 そうして宣言された通り、二分で準備を終えた珊瑚は現在に至る。取るものも取りあえず、髪を纏めて服を着替えたくらいだ。


 退魔省に所属する人員は使えない。

 だから、ラオは彼の管轄で捕虜として拘留している者を利用したというわけだ。


「私からすれば、あなたが少年と共にいない事実の方が不可思議でなりませんでしたがね。おかげで時間を大幅にロスしたわけですから、いい迷惑です」


 珊瑚の迎えにと寄越されたのは、芳月清言の補佐官であったレイナ・グロッケンだった。

 浅霧翼拉致の事件の顛末において、現状における彼女の立場は退魔省の捕虜扱いであったはずである。

 彼女は容赦なく、珊瑚の体たらくを追及していた。


「私に叩いた大口は、偽りだったということですか」


 戦いを通じて多少は心が通じたかと思ったが――いや、だからこそか。レイナは歯に衣着せず、珊瑚にとって耳の痛い台詞を浴びせる。珊瑚も甘んじてそれを受け入れて、殊勝に頭を下げるのだった。


「不甲斐ないのは重々承知しています。私は、それを取り返すために行かねばなりません。力を貸してくれるというのなら、どうかお願い致します」

「いいでしょう。どのみち、今の私には拒否権は与えられていませんしね。安心なさい。取り返しのつかないことなんて、そうないですよ。生きてさえいればね」


 それは皮肉なのか、それ以上言葉を交わす暇は与えられず、ともかく珊瑚はレイナの駆るバイクに同乗することで凪浜市への道のりを急いでいる途中なのであった。



 ――真さん、ハナコさん。私の声が聞こえましたら、どうか……!



 一度は『接続』した真の魂に向けて、珊瑚は念じ、声を発し続けていた。

 物理的な距離が縮まれば、声が届く一縷の望みはあると思ったからである。外部からの連絡手段が封じられたのなら、何でもいいから可能性を試す必要があった。


 事ここに及んでは、恥も外聞もない。


 真たちが危機に瀕していると聞いて珊瑚が抱く思いは、激しい後悔だった。

 けじめだの何だのと言い訳をして、彼を浅霧静に任せて身を引いたのは、我が身可愛さからの逃避だったのだと今では思う。

 本当に大切なのなら――少なくとも、そのための力を持っている自分が、他人任せにするべきではなかった。


 情けないにも程がある。それこそ、レイナに大言壮語を吐いたと誹られても仕方のない事だろう。


 この気持ちの置き場は、やはり一つしかないのだから。





「よ、遅かったじゃねーか。来なかったらどうしよーかと思ったぜ」


 地獄と化した都市を命からがら逃げ延びた沙也たちに、待ち侘びたとばかりに陽気な声がかけられる。

 開発区を抜け出した沙也たちがまず目指したのは、新堂進の邸宅であった。

 招待されたビルに進が姿を現さなかったということは、彼はまだ自宅で軟禁されている可能性がある。それ故、真偽を確かめないまま自分たちだけ逃げられないと、柄支も麻希も強硬に沙也に訴えた結果だった。


「ま、姉ちゃんたちなら、お仲間を見過ごすような薄情な真似はしねーだろと思って張ってたわけだが、当たりだったみてーだな」


 実際、沙也たちの判断は正しかったと言える。広い屋敷に取り残される形で、進は意識を失ったまま自室のベッドに横たわっていたのだから。

 誤算があったとすれば、ベッドの傍らに、浅黒い肌の異国風の顔立ちをした少年が腰掛けていたことだ。

 看病をしていたという風ではないが、危害を加えようとしていたわけでもない。ただ、沙也たちが来るであろうと信じて少年は待っていただけなのであった。


「あんた、何でこんなとこに居るのよ!?」

「相変わらずつれねーな。んなこと言っていーのかよ。帰るぞ、このやろー」


 訝しげに訊ねる沙也に、少年はベッドからひょいと立ち上がって半眼となる。自分が想像していたのとは異なる展開に、つんつんとした短い白髪をがしがしと不満そうに掻き乱す。


「はぁ。ま、つっても今のオレには帰るって選択肢は与えられてないんだよなぁ。小間使いはつれーぜ」

「ちょっと、あたしの質問に答えなさい。フェイ!」


 沙也にとって、その少年との再会は心乱されるものだった。

 彼は芳月清言と決着をつけようとする沙也を止めるべく、敵対までした関係である。それ以後、彼とは会う機会もなかった。

 しかし、少年はそんな経緯は露とも感じさせず、からっとした態度で、むしろわだかまりを抱えたような言葉をかける沙也を詰るように強く睨むのだった。


「水くせーこと言ってんじゃねーよ。手ぇ貸しに来たに決まってんだろーが」


 その剣幕に、沙也も思わず息を呑まされた。

 地獄に来てまで揉めるつもりはないと、彼の目は語っている。そこで背後から裾を引かれて振り返ると、柄支が優しげに微笑んで頷いていた。


「ありがとう、フェイ君。来てくれて心強いよ」

「そーそー。最初から可愛げのある態度でいてくれりゃいーのよ。ま、沙也姉ちゃんに可愛げを求めんのは無茶だったか」

「喧嘩売ってんの? まったく……」


 にかりと不敵に笑いながら差し出されたフェイの右手を、沙也は見下ろす。そして、自戒するように溜まった息を残らず吐き出してから、その手を取るのだった。


「そーこなくっちゃな。そんじゃー期間限定だけどよ。コンビ再結成といこーぜ、沙也姉ちゃん」

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