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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第六部 君と永遠に
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22 「哭く都市 7」

「お前は……シオン……!」


 その姿は忘れもしない。突如として空から墜ちてきた闖入者の名を、真は口にしていた。


「久しいのう、マコトよ。妾の事を覚えておったのは感心なことよな」


 影のように佇む無言の巨躯に抱えられた状態で、高みから少女が見下ろす。その矮躯から想像を絶する存在感を放つ彼女は、真の姿を目に止めて、何かに気付いたように口元を愉快そうに歪めた。


「ふむ、なるほど。少しは力をモノにできておるようじゃな。どうじゃ? 妾のもとに来る気にはなったか?」

「……ッ」


 だしぬけに問われて目を瞠る。それは、いつぞやの会合でされた誘いの再現だった。

 ハナコと『合一』した真の変質を、シオンは目聡く見抜いたようだった。彼を見つめる瞳に、興味深そうな光を覗かせている。


「まぁよかろう。できればもう少し構ってやりたいところじゃが、今日の目的はお主ではない。許すがよい」


 戸惑った真の顔にくすりと優雅な笑みを漏らし、名残惜しそうな気配を微かに匂わせる。真が言葉を返せぬ内に、シオンは従者に指示を出し、その目的の者へと向き直らせていた。


「さて、ニドウよ。妾のことを覚えておるか?」


 シオンたちと挟むような位置に弐道は佇んでいたため、真からは弐道の背中しか見る事ができなかった。

 どうやら、シオンは弐道を知っているらしい。そして、このタイミングでの介入だ。封魔省に所属する紺乃と咲野寺が、凪浜市において不穏な潜入活動を行っていたのはこのためだったのかと、遅まきながら思い当たる。


「…………君は?」


 しかし、シオンの問い掛けに対して、弐道は小さく首を傾げるのみであった。

 惚けているという風でもない。封魔省総長を前にしても、弐道の精神に揺らぎを与える事はできないようだった。


「忌々しいのう、転生者め。妾はお主を忘れたことはないというのに。記憶から消されるはずのお主をのう」


 口では悪態をついているが、弐道の淡泊な反応にシオンが動ずる事はなかった。顔に貼り付けた笑みをそのままに、互いの顔を見つめ合う。


「かっ……じゃが、許そう。思い出せぬというのなら、直接その魂に刻んでくれようぞ」

「おい! 待て――」


 弐道の態度に対して凄絶な哄笑を漏らすシオン。

 火の手が上がった周りの気温は上昇しているはずなのに、足は凍り付いたかのように動く事を拒否している。それでも真は、ただこのまま成り行きを眺めているなどできるはずもなかった。


「穏やかじゃねえな……。ちょっと待ってもらおうか」


 だが、彼が声を上げる一瞬前に、弐道の一番近くにいた如月が動きを見せた。


「直にまみえるのは初めてだが……まさか、封魔省総長自らおでましとはな。シオン・ラダマンテュス」


 弐道の盾となるように両者の間に割って入った彼は、シオンの名を呼ぶ。弐道への視線を遮る障害を前に、シオンは顔から笑みを引かせた。


「いかにも。じゃが、お主に妾の名を呼ぶ事を許可した覚えはない」


 冷然と言い放つシオンの声から、如月に対する興味は欠片も感じられない。

 事実として、彼女にとって己の視界を遮る男の存在は、路傍の石ころにも劣るのであった。


ごみが出しゃばるな。目障りじゃ、く失せよ」


 聞く者が聞けば、それだけで抗う気が失せてもおかしくはない。だが、如月は全身から嫌な汗を滲ませながらも唾をのみ込み、胆力を振り絞ってその場で持ち堪えていた。


「……流石に上から過ぎるだろうが。あんたのようなのを招待した覚えはねえよ」

「このような余興に妾を招かぬ、その所業こそ不敬であろうが。わざわざ出向いてやったこと、光栄に思えよ」


 言い返された事に苛立ちを隠しもせずに、シオンは更に言葉を返す。彼女の目は如月に向いてなどおらず、立ち塞がる彼を貫いて、その奥にいる弐道へと注がれている。


「君とボクの間に、昔……何かあったようだね」


 平坦な調子で言いながら、弐道が如月の横をすり抜ける。シオンの顔をよく見ようと思っての行動であったようだが、あまりの無警戒な行動に如月の肝は冷えた。


「けれど、ごめんね。君の顔に見覚えはないよ。シオン……でいいのかな?」

「あのですね、自然に挑発しないでもらえますかね……」

「そうなのかい? どのみち、逃げられるような相手でもなさそうだけれど」


 弐道は如月を一瞥し、再度シオンに目を向けて暢気にも口を開いた。


「君の狙いはボクのようだね。それで、シオン。君は……ボクを殺してくれる存在なのかな?」


 如月に呼ばれた時とは打って変わり、弐道がその名を口にした途端、シオンの口端は陰惨に吊り上げられた。

 憤怒か。歓喜か。

 あるいは、愛憎か。

 相反する感情をない交ぜにしたような、不安定な色に見開かれた瞳が揺れる。


「いや、殺さぬよ」


 嗜虐に濡れた赤い舌が躍る。僅かな期待を覗かせた弐道の言葉を噛み砕き、シオンは告げた。


「喰らうのじゃ。お主の魂――存在を余すことなく喰らい尽くして、妾の一部とさせてやる。死は与えぬ。お主は妾の中で、共に生き続けるのじゃよ」

「…………なるほどね。どうやら、君に取り込まれるわけにはいかないようだ。そうなってしまうと、君が死ぬまで、ボクの意識は解放されなくなる」

「かっ! 言うておくが妾は死なぬぞ。お主は永劫、妾に飼い続けられるのじゃ。妾の愛を受ければ、その不干渉な魂も悲鳴を上げるじゃろうて。これほど誉れなことはあるまい」

「くそが……おい! 真!」


 完全に蚊帳の外へと追いやられた如月が苦渋に唇を噛み、振り返った。


「お前たちも力を貸せ。この怪物を止めないと、ハナコの身体も取り戻せねえぞ!」

「な……勝手なことを言ってんじゃねえよ!」

「言ってろ。お前たちを相手にしている余裕なんざないってことだよ。手を貸すのか、貸さねえのか!?」


 敵の敵が味方になるわけもない。勝手すぎる言い分に真は叫び返すが、シオンと弐道の衝突は、真側からしても避けたいのも事実である。


「クソ爺め。恥知らずも極まったな」


 冷静に鋭い視線でシオンとその従者を観察していた静が、憎々しげに吐き捨てる。


「真、ハナコ。わざわざ爺の口車に乗る必要はないぞ。しかし、封魔省総長か……とんだ規格外に乱入されたようだが、アレの好きにさせてはいけない。それは分かるな?」

「それは……もちろんだ」

『は、はい!』

「私とて、降って湧いてきた外野に水を差されて気分が良いわけじゃない。惑わされるなよ。やるべきことは変わらないのだからな」


 力強く静は口元を引き締めて頷くが、その口が若干引き攣っているように真には思えた。弟が見せた僅かな懸念に気付いた静は自嘲気味に笑みを刻むと、緩く首を横に振る。


「武者震いだ。そういう事にしておけ」


 その存在自体は知識としてあったのだろうが、静はシオンの姿を初めて見たはずであった。実力のある者ほど相手の力量も推し量れると言うが、彼女の場合が正にそうなのかもしれない。


「やれやれ……無粋よな。こうも妾の楽しみの邪魔をしようとする者が後を絶たぬとは」


 戦いの気を取り戻した真たちの気配を感じ取り、シオンが嘆息する。

 一見して三つ巴になったかのようにも見える状況である。しかし、彼女にはそのような意識は皆無であった。


「では、よかろう。身の程を解らせてやるのも一興か」


 シオンは自身を抱える従者の腕を、純白の手袋をした掌でそっと叩く。すると、不動を貫いていた巨躯が機械仕掛けの人形のように動き始めた。

 決して己の主を傷つけぬよう、恭しい所作で片膝をつき、守るべき主を両腕から解放する。身に纏うドレスと同色である厚底のブーツを履いた両足が、炎に影を落とされて色濃くなった黒い霊気が這いずるコンクリートの床に触れようとする。


 だが、シオンの爪先が床に触れるその瞬間。黒い霊気は水面に波紋を起こすかのように、彼女の周囲から掻き消えた。


 シオン自身が何かをした様子はない。彼女はただ、地に足を着けた――それだけの事である。

 まるで彼女に触れることを厭うかのように、屋上に流れ込む霊気は逃げていたのだった。


「かっ、素直で愛いやつらよ」


 哄笑を上げるシオンは、まるでその黒い霊気たちに語りかけるように言葉を紡ぎ、睥睨する。


「安心せよ。お主らの命はこれ以上無駄にはさせん。このような形で命を穢す愚か者どもは、妾が喰ろうてやるからな。その後、宴を催して十二分に寿ごうぞ」


 そして、再び弐道へと顔を向き直らせたシオンが、血色の眼で見据える。

 彼女の視線を受けて弐道が目を細める。如月も、真も、ハナコも、静も、どのような攻撃をされても対応できるよう身構えたつもりだった。


 しかし――


平伏ひれふすがよい」

「――――!!」


 シオンは彼らの気構えを嘲笑うかのように、たった一言命じただけだった。

 彼女はその場から、一歩たりとも動いていない。

 だというのに、その声を耳にした瞬間――言霊が計り知れぬ重さとなって全員の身を縛り付ける鎖となったのである。


「が……ああぁ……」


 その重みに真っ先に耐えきれず、最初に膝をついたのは如月だった。信じられないといった感情をありありと見開かせた目に浮かべ、呼吸も困難なのか喘ぐように口を開いている。

 真と静は身体が何倍にも重くなったように感じながらも、どうにかその場に踏みとどまっていた。

 これは、単純な重さではない。もっと根源的な、生物の本能に直接訴えかけるものだ。


 圧倒的な捕食者――あるいは目の前に迫り来る天災を前にして、人の身に何ができる。


 シオンは己の魂が宿す力を、僅かに言葉に乗せて放ったに過ぎない。

 彼女こそが何もかもを呑み込む捕食者の頂点であり、死を撒き散らす災厄そのものなのだと。


「そこな塵よ。さっきは妾に対して不遜にも上からどうのとほざいておったが、理解したか?」

「化け物が……」


 如月がシオンの存在の圧力に耐えられない理由。それは彼が主に扱っていた霊気によるところが大きかった。


「結界の流れが、止んでいるね。みんな、君を怖がっているみたいだ」


 弐道が緩慢な動作で周囲に目を配る。彼の者の台詞を聞いて、真もその変化に気がついた。

 ビルを覆う結界内に流れ込む霊気。その流れが、完全に制止していたのである。

 中心たるこの場に来ることを拒むように、停滞している。頭上で蠢く霊気の塊も、震えているようにさえ見えるのだった。


 きっかけはシオンの発した言葉に違いない。平伏せという命令は、真たちのみならず、黒い霊気のもととなっている人々へも影響を及ぼしている。

 恐怖。畏怖。誰だって死にたくはない。魂で直に感じる本能であるからこそ、死の体現者である彼女の前に自ら進んで行こうなどとは思わない。

 単純な摂理である。如月よりも、シオンの方がより上位に立つ存在だと判断された。故に、彼は集まった霊気の制御を失った。

 そしてそれは、シオンが真や静よりも強大である事の証左でもあった。彼らに対して如月が振るっていた力が、シオンを前にしてまるで言うことを聞かなくなってしまったのだから。


「他の者はまだ立っていられるか。じゃが、塵は地べたを這いつくばるのが似合いじゃな」


 結界が吸い出した霊気を糧にしているという意味では、弐道も如月と同じ事が言えたのだろうが、如月の場合は事情もまた違う。


「所詮は借りモノの力に、借りモノの肉体よな」


 見下し、嘲りを含ませてはいたが、シオンは笑ってなどいなかった。

 如月が動けない本当の理由。それは、彼女の言葉は如月の――正確には彼の意識を宿した新堂誠二の精神を縛り付けているからなのである。


「妾はかてに優劣はつけぬ。じゃが、他者の魂に意識を憑依さえて生きようとする、お主のしておることはせっかくの魂の味を貶める。じゃから塵なのじゃよ。意識だけの喰えもしない存在など塵も同然。喰えぬ分際で妾の手を煩わせるなよ、塵が」


 誠二は真たちとは違う。巻き込まれただけで戦う気構えも、ましてや脅威を前にして為す術などあるはずもない。それは結界によって繋がれた魂たちも同じなのである。


 そして次に、シオンは如月だけではなく結界についても言及を始めた。


「更に度し難いのは、この結界のありようじゃ。これだけの命を集めて散らすだけとは、もったいなかろう」


 その言い方は、まるで食べ物を粗末にするなと言わんばかりだった。結界の犠牲者たちに憐れみを頂いているわけでは決してない。


「そうじゃ……お主らが喰わぬというのなら、妾がもらおう。この結界――妾が丸ごと喰らってやろうではないか」


 弐道にとって他者の命がとるに足らないものと同じように、シオンにとって他者の命は己の糧でしかない。認識の程は反対なのかもしれないが、辿る末路はどちらも変わらない。


 それが証拠に、良いことを思いついたと喜色に頬を綻ばせるシオンの表情は、御馳走を前にしたときの無邪気な子供のそれだったのだから。

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